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2019年8月29日木曜日

サーフィン体験で全霊が飛び起きた

2年前のお盆に野尻湖でヨットレースに出たときの爆発的な感覚を、ひさしぶりに味わった。

自然のなかで楽しむスポーツはいろいろあるけれど、私にとってとくにウォータースポーツは特別な感じがある。
学生時代にヨットに夢中になり、熱中していたが、そのときは「どう特別なのか」はよくわかっていなかった。

2年前に野尻湖のヨットレースにジョエルの助っ人として出場したとき、ディンギーに乗りこんで湖面に出た瞬間に、全身の感覚がよみがえってきて、一気にタイムスリップしたようだった。
たんに「昔乗っていた乗り物の感覚を思い出した」というだけではない、なにか爆発的な感じだった。

もちろん当時のような若さはすでにないけれど、全身の筋肉と神経が瞬間的に働きはじめた感じ。
しかもそれは、運動としての働きの感覚だけでなく、周囲の環境に呼応するセンサーが一気に開放される感じをともなっていた。
「フロー」という状態があるが、その感じ。

自分がおこなっていることに非常に集中していると同時に、周囲の環境やまわりで起こっていることにも完全に気づいている感覚。
ものごとがすべて動き、流れている、そのまっただなかに自分がいて、押し流されているのではなく意識して乗っかっている感じ。

この感じをしばらく忘れていたのだが、先日、湘南の鵠沼海岸で生まれて初めてサーフィン体験をしたときに、ふたたびよみがえってきた。

サーフィンは以前からずっと、一度でいいからやってみたいと思っていた。
とくにここ数年、まだ身体がしっかりと動くうちに海遊びを体験してみたいと、かなり強く思いはじめていた。

7年前に韓氏意拳という武術をはじめ、とくにここ2年くらいは意識的に身体を動かしてきた。
すると逆に、身体が動かなくなったときのことを想像するようになってきた。

街を歩くと多くの高齢者を見かける。
音読療法のボランティアで高齢者介護施設に行くこともある。
病院でピアノ演奏をすることもある。
そんなとき、自分もいずれ高齢になり、あの人たちとおなじようにゆっくりと歩いたり、車椅子で押されたり、ひょっとして寝たきりになることもあるのだろうか、と想像する。
しかしうまく想像できないのだ。
なにしろげんに身体は動いているし、まだまだ鍛えれば筋力も回復する。

そのいまの身体をもっとたくさん使ってやりたい、身体が喜ぶことをいまのうちにちゃんとやっておきたい、という欲求がある。
サーフィンをやってみたいというのもそのひとつで、もちろん海が好きだからでもある。

適当にネットで調べたサーフショップに電話して、体験レッスンを申しこんだ。
定員5人とのことだったが、行ってみると若い学生の男がふたり、私と連れの女性というメンバーで、インストラクターは日に焼けて引きしまった身体つきの、いかにもサーファーという感じの若い男性だった。

初心者の練習用のソフトボードを抱えて海にはいっていったとき、上記のような感覚が爆発的によみがえってきた。
神経系が一気に開放される、全身が波と風という予測できない偶有性に満ちた自然現象のなかで応じようとする。

初めてのサーフィンはもちろん難しくて、立てるか立てないか微妙なところだったが、巧拙はともかくとしてめちゃくちゃ楽しかった。
ヨットも楽しいが、サーフィンももっと楽しい。
なにしろ、板きれ1枚で波の上に立とうというのだ。
足下は常に変化しつづける海水という流動物で、こちらの思い通りにはまったくならない。
思い通りにならないものの上に、さらに輪をかけて思いどおりにならない自分の身体を動かそうとする。
まさに全身と全霊をとぎすまし、使いこなさなければならない遊びで、一瞬たりとも「いまここ」を離れることはできない。

数時間のみじかい体験だったが、もし効果があるとするならサーフィンがもっとも私の末期ガンにたいする治療効果が高いだろうと、身体がいっていた。
いろんな人からいろんな情報をもらったり、アドバイスされたりしているけれど、なにより自分自身の身体が「これいい!」と叫んでいるのだ。
もし思いすごしだったとしても、その時間は私にとって輝きに満ちたものといえるだろう。

いま食道の閉塞を止めるために放射線での治療がはじまろうとしている。
そのために皮膚の表面にマーカーを打っていて、それが消えないように生活する必要がある。
よほど大切なマークらしくて、医師や看護師からはかなりしつこく「消えないように」と指示されている。
温泉のような長い入浴はだめ、石けんもだめ、皮膚がこすれるきつい下着はだめ、ましてやサーフィンなどもってのほか。
しかし、私はやりたいのだ。
ようするに皮膚マーカーが消えなければいいんでしょう?
消えない方法をいっしょに考えてください、とお願いしようと思っているし、自分でも工夫のしようがあるだろう。
とにかく私は、これからも、治療をつづけながら、サーフィンをやりたいのだ。