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2018年6月16日土曜日

命令形という暴力

とくに親しかったり、年齢が下だったりすると、つい使ってしまう命令形。
「早くしなさい」
「約束守れよ」

相手に選択権をあたえない文型だ。
「早くしなさい」は、「早くしないとひどい目にあわせるよ」といっているにひとしい。
いわれた相手には「早くする」以外の選択肢はない。
それに従わなければ、罰が待っている。

ナイフを突きつけられて、「いうとおりにしないと刺すよ」といわれているのと、基本的におなじ文型である。
まちがいなく暴力である。
ことばの暴力も物理的な暴力も区別はないのだ。
おなじことなのだ。

私たちはつい、子どもにそんな暴力をふるってしまう。
自分より下だと思っているからだろうか。
子どもは自分の所有物だから好きにしていいと思っているからだろうか。
まさか、という人がいるかもしれないが、実際には無意識でそんなふうに感じているかもしれない。

子どもでなくても、だれかに命令形を使ってしまうとき、それはすべて暴力といっていいだろう。
暴力の定義は、物理的にせよことばにせよ、相手に選択肢をあたえないことだ。

「あなたが早くしてくれるとお父さんはうれしいな」
と自分の気持ちやニーズを伝え、「お願い」することはできる。
そのとき、相手にも選択肢はある。
そのお願いをきいてもいいし、きかなくてもいい。
いずれにしても、自分のニーズがある。

お願いをきいてあげたいかもしれないし、お願いされてもきくことができない別のニーズがあるかもしれない。
子どもであろうがなかろうが、すべての人がニーズを尊重され、選択肢をゆるされるのが、共感的な世界だ。

ただし、いくつか例外はあって、命令形を使ってしまうこちら側になんらかの痛みがあるとき、緊急避難のとき、ある程度の暴力が親密さの確認になるとき、などだ。
これについては項をあらためて書くことにする。


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