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2018年5月4日金曜日

子ども共感教室とおとな共感勉強会

2018年5月3日、憲法記念日。
世田谷の駒沢地区会館で、小浜華子さんが世話人となって開催された子ども共感教室に、案内人として参加してきた。
サポートは朗読家で音読療法士の野々宮卯妙。

小浜さんとはこれまで、夏休み子ども共感教室を新代田の区民センターで開催したことがあって、その流れでこの連休にもなにか、ということで決まったイベントだった。
私はほかに、野々宮と「音読こくご塾」という子ども対象のイベントをやっていて、子ども共感教室もその流れをくむイベントだと思っている。

午前9時半、駒沢地区会館地下の多目的ホールで、子どもたちとその保護者があつまってスタート。
私がこのような場で大切にしていて、主催の小浜さんとも一致していたことは、ざっくりつぎのようなことだ。

・子どもたちにとって完全な安心、安全な場を作る
・なにかをしなければならない、してはならない、ということは一切ない
・気が向かないことはなにもしなくてよいし、自分がやりたいと思ったことだけをやってほしい

私からは「からだ」と「こえ」と「きもち」をそれぞれ感じたり、そのつながりを見たりするいくつかのワークを提案したが、やってくれる子もいれば、まったく関心をしめしてくれない子もいた。
それはそれでよい。
もっとも、大人も楽しそうにやっていると、だんだん「その気」になってくる子どもが増えてくる。

後半では野々宮卯妙に宮沢賢治の「車」という作品を、「きもちのワーク」の素材として朗読してもらったのだが、彼女の読みのすばらしさもあって結果的に子どもたち全員が食いいるように集中して聞き入っていた姿が印象的で、感動的ですらあった。
これだけでもやってよかったと思えた瞬間だった。

このような場では、じつは大人のほうが試される。
なにかやってほしいと思っているときにやってくれなかったり、自由に遊びまわったり、騒いだり、ごろごろしていたり、友だちになった同士で話に夢中になっていたりすると、さまざまな「かんがえ」が去来する。
実際に子どもになにかいいたくなってしまうこともある。

そんなとき、大人のなかになにが起きているのだろうか。
さまざまな「だめ」とか「ねばならない」が去来する。
それがいったい自分のどんなニーズから来ているのか、どのような社会的抑圧が自分のなかにあるのか、それを知るよいチャンスなのだが、さまざまな感情がニーズに目をむけることを邪魔してくる。
まさに「試される」瞬間といっていい。

このような場でたくさんの学びや気づきをもらうのは、じつは大人のほうだったりする。
子どもたちには、そんな大人に付き合ってくれてありがとう、といいたい。

子ども共感教室は開催場所さえ準備してもらえればいつでもどこでもできるので、興味がある方は世話人として気軽に手をあげていただけるとありがたい。
小浜さんも「もっとみんな気楽にやればいいのにね」といっていた。
私もいつでも相談に乗る用意がある。
直接コンタクトしてくださいね。