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2018年2月28日水曜日

『HiYoMeKi』第6号の「はじめに」より

身体文章塾の機関誌『HiYoMeKi』の第6号がひさしぶりに配信されたがそのまえがきとして書いたものを紹介させていただく。
『HiYoMeKi』は「ひよめき」と読み、どなたも無料で自由にお読みいただくことができる。
こちらのBCCKSのサイトからも読めるが、スマホやタブレット用の専用アプリでも読むことができる。

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(まえがきより)
 ずいぶん間《ま》があいてしまったが、身体文章塾の機関誌をひさしぶりにお届けする。

 身体文章塾はその前身を次世代作家養成塾と称していた。その前は現代朗読ゼミの一環としてテキスト表現ゼミと称していたこともあるかもしれない。
 もうかれこれ十年くらいつづいているテキスト表現の研究・発表の場である。
 その間《かん》に参加者が入れ替わり、またつづけて参加しつづけている者の表現クオリティやスタイルも変化し、そして私・水城ゆう自身も大きく変化した。自分自身は成長したのか退化したのかよくわからないが、変化したことだけはたしかだ。つづけて参加している、たとえば奥田浩二などは、あきらかに著しい成長をとげていて、それは私たちのお祝いでもある(彼がお祝いしたいかどうかは別としても)。
 テキスト表現にかぎらず、表現行為において私たちは自分自身という「現象」をあつかっている。これは最近の私の気づきだ。
 人はだれもが、肉体という物質的存在でありながら、じつは身体という現象として存在している。現象なのでそれはたえず変化し、移りかわりつづけている。昨日の自分と今日の自分はちがう。一瞬前の自分ですら、もう過去の現象として流れさっていて、いまここにいる私はまさにいまこの瞬間の現象でしかない。
 そのような謙虚さに立ったとき、現象としての身体は私になにを書かせてくれるだろう。そこからはどのようなことばが発生してくるだろう。

 この六号に収録した作品群は、すこしばかり時間をさかのぼっている。次世代作家養成塾と称していた時期の作品がほとんどだ。
 まずはこれらをみなさんにお届けしたあと、可能なら七号、八号と、現在にちかづいていき、リアルタイムに身体文章塾で起こっていることをお届けできるようにしていきたいとかんがえている。
 お付き合いいただければ幸いだ。
 また、身体文章塾はどなたも、テキストで自分自身を伝えたい、テキストを書くことで自分を知りたい、という人ならどなたも歓迎だ。門戸はつねにひらかれている。