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2017年6月8日木曜日

健康のためと思って作ってあげた野菜ジュースを飲んでくれない

家族の健康を願わない人はいません。
共感サロンで聞いた話です。
ある女性の方が家族の健康のために野菜ジュースをせっせと作っていて、小学生の息子にも飲んでもらいたいと思っています。
ところが、息子は飲んでくれる日もあるけれど、飲んでくれない日もあったりします。

先日も「いらない」といわれたけれど、飲んでもらいたくて「ここに置いておくね」とテーブルの上に置いておきました。
結局、息子さんは飲んでくれたんですが、なんとなくもやもやが残ってしまった、という話でした。

彼女は息子の健康を大切にしていて、彼がすこやかに育つこと、健康であることで、自分の安心のニーズが満たされます。
また彼のすこやかな成長に貢献したい、母として役に立ちたい、というニーズもあります。
なので「野菜ジュースを飲んでほしい」と思うわけです。

ここで大切なのは、息子が野菜ジュースを飲んでくれる、というのは彼の健康に貢献する「手段」のひとつにすぎない、ということです。
彼が健康であるためには、すこやかに成長するためには、野菜ジュースを飲むことが必須条件ではありません。
しかし、いまその手段に執着して、彼に「野菜ジュースを飲んでほしい」と迫っている態度をしてしまっているとき、それは彼にとって「強要」と感じてしまうでしょう。

彼もまた、自分の健康は大切だし、できればお母さんのリクエストにこたえたい(だからテーブルに置かれたジュースをしぶしぶながらでも飲んだのでしょう)のですが、強要されてはすなおにそれを受け入れにくくなります。

もう一度お母さんのニーズにつながりなおしてみると、
「自分は息子の健康に貢献したい、だから健康に貢献できると思っている野菜ジュースを喜んで作っている」
ということに気づきます。
つまり、自分のニーズを満たす喜びをもって野菜ジュースを作っているわけです。

野菜ジュースが息子に拒否されたとしたらそれは残念なことではあるけれど、きっと息子にもなんらかのニーズがあったのでしょう。
また、もし受け入れられたとしては、それはさらにうれしいこととなります。

ということは、とても簡単な解決策として、野菜ジュースを作る前に息子に、いまそれを飲む気があるかどうか確認してみればいいのです。
つまり、息子のニーズも尊重できるかどうか、です。
息子が、自分のニーズが尊重されていると感じたら、きっとお母さんのニーズも尊重したり、目を向けたりできるでしょう。
飲みたくなければそういってくれるし、飲みたいときには「お母さんは自分の健康を気遣ってくれてるんだな」ということに気づくかもしれません。

「お母さん、いま野菜ジュースを作ろうと思ってるんだけど、いま飲む気ある?」
「いいよ」
この確認のあとに野菜ジュースを作るのは、なんと心楽しいことでしょうね。

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