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2017年4月22日土曜日

「ランク」について

「ランク」ということばがあります。
「階級」とか「順位」といった意味でごく普通に使われていることばですが、心理学や社会学ではある心理要因をあらわすのに使うことがあります。

共感的コミュニケーションのベースになっているNVCでは、ランクというと無意識にある人やグループにたいして働いてしまう、一種のラベリングに似た心理をあらわします。

NVCには、すべての人が対等であり、お互いを思いやってそれぞれのニーズを尊重しあうという前提があるんですが、その「対等」がランクによって無意識に崩れることがあります。
たとえば、NVCのトレーナーと接するとき。

もちろんトレーナーはNVCについて多くの学びと知見を身につけ、それは尊重されてしかるべきものですが、それを超えてこちらが「引け目」のようなものを感じてしまうことがあります。
自分のほうがランクが下だと無意識に感じてしまうのです。
無意識ですから、本人はまったくそんなつもりはないんですが、言動にそれがあらわれてしまってやっかいなことになります。

トレーナーなど有資格者だけでなく、人にはさまざまなランクの意識が、無意識下に多重構造として存在しているのが普通です。
それはパイ生地のように、あるいはミルフィーユのように折りかさなっていて、なかなかそこから逃れることはできません。

逆にいえば、こちらが相手からランク意識を持たれてしまっている状況もあります。
こちらがいくら対等に接しようとしても、相手が無意識にこちらをランク上として接してくるので、関係がやっかいになることがあります。

私は今年、60歳になります。
このような年齢になってくると、たいていの年下の人は「年長者」というランクを私にかぶせてきます。
また、私にはほかにもさまざまなランクが設定されてしまうことを自覚しています。
いまはそうでもありませんが一時は大手出版社から何冊も本を出していた作家であること、プロのピアニストであること、表現者の団体であるNPO法人の主宰者であること、共感的コミュニケーションの本を書き場の主催をしている者であること……
ほかにもあるでしょう。

自分がランク上にまつりあげられていることを喜ぶ人もたしかにいます。
名刺にたくさん肩書きをならべているような人も、おそらくなにかニーズがあるのでしょう。
しかし逆に、私が生きている表現の世界ではランクは邪魔だし、ランクという一種の先入観や色眼鏡抜きで交流したいのです。

自分のランクを人々に感じさせないような方法はいくつかあります。
しかし、それらは自分を安売りしているように見えてしまうことがあります。
自分を軽んじているように見えることもあります。

結局、人がこちらのランクをどのように感じ、受け取るかについては、こちら側にはコントロールするすべがないのです。
だから、ただありのまま、自分らしくあるしかありません。
まったくシンプルに、自分自身とつながって、自分らしくいつづけること。
それが簡単にできるなら苦労はしないんですけどね。

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