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2017年2月17日金曜日

書くことの苦しさから楽しさへの離脱

ふるさと文学館主催の文学カフェの講師を、福井県立図書館でおこなってきました。
大雪警報が出るほどの悪天候のなか、キャンセルがあったりたどりつけなかった方もいらしたようですが、それでも30人くらいの方がわざわざいらしてくれました。
私が実家でおこなっている音読カフェの仲間のひとりも駆けつけてくれたり、県立病院の医師で同級生のたつみくんが休日にもかかわらずわざわざ来てくれたりして、うれしかったです。

ふるさと文学館の方たちとは半年くらい前からこの企画をふくめたやりとりをしていました。
メールのやりとりだけの方たちと実際にお会いしてお話ができたのもうれしかったことのひとつです。

文学カフェではまず私の現在にいたるまでの経緯や、いまやっていることの紹介をしたあと、質問を受けて身近に対話をさせていただきました。
自分でも創作をしている方や、文学館でやっている講座に出ている方もいらして、かなり具体的な質問もあれば、文章で自分を表現し伝えるということについての哲学的な考察もあったりしました。

印象的だったのは、なにか書いてもそれが意図したように伝わらない、ねらいどおりに伝わらない、といったことや、批判・批評を受けて苦しくなる、さらに書きつづけるのが怖くなる、というような話が何人かから出てきたことでした。
これについては、自己共感で自分自身の表現の活力をうしなわずつながりつづけることの必要性と、うまく受け取ってもらえないことや批判をしてくる人のニーズを推測し共感してみることの有効性について(いつもの話ではありますが)伝えさせていただきました。

また、パソコンだのネットだのと、世の中の進展の速度がめまぐるしくてついていけず、とても書きたいのにそういうものを使いこなす自信がなくて絶望感を持ってしまっている、という年配の方がいらっしゃいました。
しかし、その方のなかには「書きたい、表現したい」という命の輝きがあって、それはまちがいなく消えるものではないのです。
それを表現するのにどんな手段があるか、ということに目が向いてしまって、そこで脱力してしまっていることがわかります。
そのことを指摘し、自分につながるお手伝いをしたら、その方ははればれと元気なお顔になりました。

帰り道で思ったのは、あらためて自分を表現したいと思っていながらいろいろなことで苦しんだりためらったり、絶望感を持っている人がたくさんいるけれど、ほんのちょっとしたことで自分のいきいきさや活力を取りもどし、ふたたび表現の世界に生きていくことができるという、そのことのお手伝いをもっともっとできるといいなあ、ということでした。

自分とつながるテキストライティングWS(3.11)
いまの時代こそ表現の根本である「ことば」が重要であり、私たちは自分自身を語ることばを獲得する必要があります。それを模索するワークショップを3月11日(土)に国立で6時間にわたって、じっくりとおこないます。