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2016年9月8日木曜日

読む力は書く力と比例している

先日の「次世代作家養成ゼミ」でうれしいことがありました。
前にも書いたことがあるかもしれませんが、長らくゼミに参加しつづけている奥田浩二くんがこのところぐいぐい実力をのばし、既成の作家をしのぐほどの小説の書き手に成長してきていることは、毎回のゼミ開催でも楽しみなことです。
今日はどんな作品を読めるんだろうと、いつも楽しみにしています。

先日は作品を読む前に、奥田くんの最近の気づきとして、
「野坂昭如の童話を読んで、すごいなと思った」
という話を聞かせてもらいました。

野坂昭如はいうまでもなく、アニメ化された『火垂るの墓』で有名な作家ですが、じつは戦後の巨人作家のひとりで、全貌をとらえることがむずかしい複雑な書き手だと私は思っています。
奥田くんは野坂の作品をこれまで読んだことがなかったらしく、しかしなにかの折に野坂の童話作品を読んだようです。
そのとき、野坂昭如という作家が持っている力の一端に触れたようで、
「あるテーマにたいする切りこみかたの鋭さ、多面性、無駄のなさ、どれを取ってもすごいなと思った」

私はそれを聞いてうれしくなったのです。
なにがうれしいかといって、野坂昭如という作家のすばらしさはもちろんですが、それを正しく読みとき、受け取れるようになった奥田浩二という書き手の成長を感じたからです。
すばらしい作品を読んだとき、それがどうすばらしいのか、なぜすばらしいのか、的確に把握できるとしたら、それは読み手にも力があるからです。

その力は、書く力にも比例しています。
すぐれた書き手は、読む力もあるのです。
逆にいえば、読む力がついてくれば、書く力もつきます。
すぐれた作品を読んで、「これはすぐれている」と受け取れるかどうかは、大変重要です。

その作品がすぐれているかどうかを見抜く力は、そのまま自分の書いているものがよいものかどうかを見抜く力にもなります。
時にはつらい選択をしなければならないこともあるでしょう。
しかし、自分が書いたものを捨て去る判断ができるかどうかもまた、書く力のひとつだといえるでしょう。

9月開催の次世代作家養成ゼミ(9.11/25)
身体性にアプローチするという斬新な手法でテキスト(文章/文字)を使った自己表現を研究するための講座。オンライン(zoomシステム使用)のみのクラスで、単発参加も可。