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2016年7月8日金曜日

羽根木の家にやってきて、去っていく

それまで北陸の田舎町で小説を書いて生活していた私が東京に出てきたのは、2000年の夏のことでした。
東京のある印刷会社のオーナーといっしょに、アイ文庫というネットコンテンツの制作配信をする会社を作ったのがきっかけです。

それまで東京というと、年に何回か、本の出版の打ち合わせに出てくることはありましたが、いつもホテル泊まりで、住んだことはありません。
最初に住んだのは小田急沿線の豪徳寺というところです。
ワンルームマンションの一室を借りたんですが、半地下で、最初はなんだか陰気な感じだなあという印象があったんですが、住んでみると全然そんなことはなく、むしろ夏は涼しく冬はあったかくて快適でした。

そこにしばらくいたんですが、だんだん音声コンテンツの製作の仕事が増えてきて、近くにもうすこし手広な家を借りることにしました。
梅丘二丁目の信号の近くにある一軒家を借りました。
ここは住まいとしてはまあまあ快適で、夏暑いのがこたえましたが、間取りが気にいって住んでいました。
が、交通量が多かったりして環境音の問題でコンテンツ製作には向いていなかったのです。

豪徳寺によく行く酒屋があって、なにげなく話をしていたら、地下室が空き家になっているということで、見てみたらコンテンツ製作には最高の環境だったので、そこを借りることにしました。
さらにお金を節約するために、すこし工事をしてそこに住めるようにもしました。
トイレやシャワー、水まわりを作ったのです。

その地下室に5年近く住んでいたと思います。
さすがに身体を壊しそうになって、別のところにスタジオを借り、住まいは梅丘二丁目の一軒家に戻しました。
しかし、経費がかさみ、すぐに持ちこたえられなくなって、スタジオを手放すことにしました。

それが七年前。
そのときに見つけたのが、羽根木の家です。
私が見つけたのではないんですが、奇跡のような経緯でここに行きついたのです。

羽根木の家はご存知のように、コンテンツ製作だけでなく、さまざまな活動の拠点として発展し、ある種のコミュニティのようになってきていました。
いまここでこの家を離れなければならないのはとても残念ですが、いろいろな意味でものごとの仕切り直しをして、さらによりよい方向に進んでいくためのチャンスととらえることにしています。

これからはいままでのようにしっかりとした「拠点」を持たない活動になっていくわけですが、NVCでいうところのリクエスト(お願い)の出し方の練習だと思って、多くの方に支えていただくことを遠慮しない生き方に移行しようと決意してます。

共感おはなしカフェ@羽根木の家(7.25)
7月の羽根木の家(世田谷の古民家)での共感的コミュニケーションの勉強会・共感おはなしカフェは、7月25日(月)19~21時です。羽根木での勉強会はこの日が最後になります。