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2016年5月2日月曜日

音読療法の「現場」を見てもらう

先日、4月28日(木)の午後は、毎月訪問しているメディカルホームまどか富士見台(特別養護老人ホーム)にボランティアの「音読いきいきケア」というワークのために行ってきました。
ここはもう三年以上つづいているボランティアワークで、職員の方はもちろん、利用者のなかにもおなじみになった方が何人もいらっしゃって、私たちが行くのを楽しみにしてくれています。

今回は私と音読療法士の野々宮、音読トレーナーのけいこさん、そして見学の藤原夫妻の五人でうかがいました。
藤原夫妻は、通称トシちゃんとナオミーヌと呼んでいる、NVC(共感的コミュニケーション)の仲間で、今回、北海道は弟子屈町からはるばる東京にやってきたところを、見学に連れだしたわけです。
ふたりとも施設での音読ワークに興味しんしんのようすでした。

まどか富士見台にかぎらないことですが、特養ホームでのワークでは、参加のみなさんの身体状況はさまざまです。
ほとんどまったく寝たきりのような方から、自分できちんと立って歩ける方、補助器があれば歩行できる方、車椅子の方、車椅子でも押してもらわなければ移動できない方など、グラデーションがあります。
声を出すことについても、はっきりと発語・発声できる方から、不自由な方、ほとんど発語できない方までいろいろです。
音読療法はそういった状況でも、共感的コミュニケーションをベースに用いたスキルで対応していきます。

まずは雑談からはいって、ご挨拶――いわゆるMCというやつです。
おなじみの方が何人もいらしたので、私はリラックスして世間話からはいって、興味深い話を聞かせてもらったりしたので、うっかり自己紹介・メンバー紹介を失念してしまいました。

仕切り直しして、呼吸法、発音・発声のトレーニング、そして音読に進む段で音読療法士の野々宮に交代。
私が呼吸法を実施するあいだにけいこさんがホワイトボードに書いてくれた唱歌「花」の歌詞を使って、音読エチュードをやりました。

「花」はあらためて(歌うのではなく)読んでみると、ふるい日本語ではありながらとても美しい風景や情緒が語られていて、味わい深いのです。
それをみなさんといっしょに味わいます。

音読療法は、お年寄りのみなさんと、知的レベルを下げることなく、文学的な話ができるのが特徴です。
老人ホームでしばしば、お年寄りをまるで幼児のように扱うお遊戯的なワークがされているのを見かけますが、音読療法ではご高齢の皆さんに、たとえ認知症が進んでいたとしても敬意と尊重をもって接することを心がけています。

参加者のひとりが、しきりに、
「私はこの歌詞を全部おぼえているわよ。書いてあるのを見なくてもちゃんと歌えるのよ」
ということを訴えておられました。
おそらく、自分にはその能力があるのだということを理解してもらいたかったのかもしれません。
あるいは、自分の能力のことをだれかから否定されたり、つらいジャッジをされたりして、つらい思いをした記憶があるのかもしれません。
音読療法では、そこにあるニーズを美しいものとして見て、受け取り、共感を向けてつながります。

野々宮がいくつかの音読エチュードを、自分自身も汗だくになって熱意をもって進めていったあと、最後は私がピアノ伴奏をして、ようやくみなさんと「花」を歌いました。
いきなり「歌いましょう」というのと、音読療法のプロセスを経てから歌うのとでは、起こることがまったく違うのです。
そこには評価されたり否定されない安心のもとでの、のびやかな歌声が聞こえてきます。
そのとき、こちら側もとても幸せな気持ちになります。

ワークの最中、見学の藤原夫妻が食いいるように見てくれていたことがうれしかったです。
あとになって気づいたことですが、私は音読療法の現場と、そこで起きていることを、だれかに見てもらったり、知ってもらうことをとても望んでいたようです。
この現場を見ても「ふーん」とたいして感じてくれない人がいることもたしかですが、「これはすごいですね」と起きていることをちゃんと見てくれる人がいると、本当にむくわれるような気がします。
もっともっとたくさんの人に、音読療法の可能性や有効性について知ってもらったり、現場で起こっている本当にことを見てもらいたいと思っています。

ボイスセラピー講座(5.4)
5月4日(水/みどりの日)10:00-15:00は羽根木の家で音読療法協会のボイスセラピー講座です。呼吸、声、音読を使っただれにでもできるセラピーで、自分自身と回りの人を癒してください。