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2016年3月3日木曜日

藤沢で先生方に共感的コミュニケーションを紹介してきた

神奈川県で環境教育の研究をされているグループの先生方に共感的コミュニケーション/NVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)をレクチャーしに、藤沢まで行ってきた。

羽根木からは下北沢もしくは世田谷代田から小田急線一本で行けるので、そこそこ遠いけれどアクセスは楽。
海は見えなかったけれど、湘南の海沿いの空気を感じて、海のニーズに欠乏している私はすこし幸せな気分になった。

前提として、いま学校教育が直面している課題や問題についてお聞きする。
現場の生の声を直接聞けるのはとても貴重で、ありがたい。
そこにさまざまな葛藤、窮屈さ、悩み、つらさ、悲しさ、喜びなどがあることを、肌で直接聞かせてもらえた。

その上で、おひとりおひとりに共感を向けながら、コミュニケーションの話をする。
定時制高校で教えておられるひとりの先生は、やはりやる気のない生徒や、教室の秩序を乱すような生徒をどうあつかっていいのか、コントロールしきれないことがあって悩まれているという。

別の先生はものをこわす子ども、教科書を平気でビリビリ破ってしまうような子どもをどうあつかっていいのか、悩みを感じたという。

いずれにしても、いまの学校教育の現場では、生徒たちを「評価」するシステムががんじがらめにできあがっていて、ひとりひとりとゆっくり丁寧につながる時間がとても持てないという。
しかも教師側にも、生徒たちをなんとかコントロールしたい(それは自分が不安だったり怖かったりするからだが)とか、教室の秩序をたもつために懲罰制度を駆使しようという、パワーオーバーの欲求がある。

共感的コミュニケーションでは、なにかしでかしてしまっただれかとつながるのに、報復的な方法ではなく修復的な方法をもちいる。
教師と生徒という関係でもそうで、もしこちらが生徒の立場だったら、なにか罰を持ってこちらをコントロールしようとしている教師を信頼することができるだろうか、という話だ。

先生がたは共感的コミュニケーションのかんがえかたと方法にとても興味を示してくれた。
おどろいたり、いまの現状を嘆き悔やんだりして痛みを表現される方もいた。
私はそこに大きな希望を感じた。
先生方の痛みや悔しさ、悲しさ、窮屈さは、生徒たちと本当につながる必要があることを示している。
そこに希望を感じるのだ。

現場の学校のシステムを急激に変えるのはとてもむずかしいし、ひょっとして絶望的かもしれない。
しかし、生きる手段としてそのシステムのなかに踏みとどまりつつ、子どもたちを心から尊重したり信頼することによって人と人としてのつながりを作ることは不可能ではないと思うのだ。

また私を呼んでくれると約束してくれた。
よろこんでまた出かけるつもりだ。
学校教育の現場に行き、共感的コミュニケーションをシェアする意味は大きいと感じている。
現場で、学んだそのすぐあとから使える方法を、いっしょに勉強し、練習したい。


マインドフルネス☆共感的コミニュケーションLIVEセッション(3.6)
西麻布いきいきプラザにて3月6日(日)、瞑想やボイスセラピーや共感的コミュニケーションのオーガニックランチを交えたイベントで講師をつとめます。Shining wings主催。