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2016年2月8日月曜日

地震(母なる大地)の美しさ?

先日、関東地方に震度4の直下型地震があった。
また一昨日は台湾で大きな地震があった。
大きな被害と犠牲が出ている。
亡くなられた方、被害をこうむった皆さんには、心からお見舞い申し上げる。

東京での震度4の地震はひさしぶりだったのと、直下型特有の、最初はガツンと突きあげるような震動、そしてそれにつづく横揺れがあったので、ちょっとびっくりした。
驚いた方も多かったのではないかと思う。

NVCトレーナーのホルヘが、2か月の日本滞在のあと、コロンビアに帰国する予定が変更になって韓国でもワークショップをおこなうことになった。
そのために滞在がのびてまだ日本にいる。

羽根木の家からは出て、知り合いのアパートの一室に滞在しているのだが、一昨日の地震があったとき、どうしているのか気になって、メッセージを送ってみた。
すると返ってきたのが、
「地震を美しく、パワフルに感じた。そう思わないか?」
というものだった。
母なる大地・地球の英知とパワーを感じて泣いている、というのだ。

人間にとっては都合がわるく、またそれで大きな犠牲が出ることもある地震は、ともすれば忌むべきもの、憎々しいものと思ってしまいがちだが、その判断・思考・価値観は人間の都合が作りだしたものだ。
地震にかぎらず、天変地異は人間が出現する以前の太古から変わらずつづいており、それゆえに地球はいまの姿になっている。

文明を栄えさせた人間は、いつしか天変地異さえコントロールできるものと思って、津波があるなら防潮堤を築けばいい、地震があるなら耐震構造を強化すればいいなどと、その力を誇示し、自然に対抗してきた。
しかし、人の想像を超えた力を自然は持っていて、ときに文明を大きく破壊する。
その文明の築いたもののなかには、一度破壊されるとその傷跡や汚染は未来永劫にわたって地球環境に影響をおよぼすものすらある。
それが破壊される可能性についての謙虚さ(あるいは想像力)を、現代人は失ってしまっている。

人も自然の一部であり、人の生活もまた地球環境という自然と調和したものでなければ持続できないものであるという実感は、文明以前の人々が持っていた生命体としての人の英知であり、現代でもまれに少数の民族がそれを伝えている。
そこを学びなおしたいと思うのだ。

美しい地球、自然の底知れぬパワー、それらに敬意をはらいそこから豊かさをいただけることの感謝。
その意識に多くの人が帰っていけたら、と思う。

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