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2016年2月4日木曜日

捨てられない・片付けられないの反対側にあるもの

「断捨離」がブームになって久しい。
いまだにつづいている(どれだけものがありあまっているのか)。
あるいは、必要最小限のものしか持たずに生活する「ミニマリスト」がもてはやされている。
本もこれでもかというほどいろんな種類、いろんな著者のものがたくさん出ている。

その一方で、どうしてもものが捨てられない、部屋を片付けられない人もいる。
ひとり暮らしなら、多少の汚部屋であろうが、ゴミ屋敷みたいになろうが、まわりに迷惑さえかからなければ問題はないが、パートナーや家族がいるとそれは重大問題となる。
別れる・別れないという話になったり、深刻な衝突が起こったりすることもある。

なにかものがあって、たとえば着古してもう二度と着ないと想像できる服が何着もあったとして、それらを処分したいけれど、どうしても捨てられないという人がいるとする。
家族やパートナーからも、場所ふさぎになることを責められて、自分でも捨てなきゃと思っているのに、捨てようとすると苦しくなって、どうしてもできない。

そんなとき、どうすればいいだろうか。

「捨てられない」「捨てたくない」というふうに、自分がなにかを否定しているとき、すなわちなにかに対して「ノー」といっているとき、かならずその反対側にはそれに対して「イエス」といっているなにかがある。
そこを見て、自分自身に共感していくのが、共感的コミュニケーションの自己共感の方法だ。

「捨てられない」「捨てたくない」の反対側にあるのは、ものを大切にしたい、無駄にしたくない、ものの価値を社会的基準で決めたくない、捨てる捨てないの選択の自由が必要、といった自分の奥底にある大切なニーズが生き生きしているのかもしれない。
それを見つけることができるかどうか。

もしニーズを見つけることができて、それに深くつながったら、自然に落ち着きのある状態になるだろう。
そのとき、そのニーズを満たすにはさまざまな手段があることにも気づくはずだ。
「ものを捨てない」ことにしがみついて満たそうとしているニーズは、別の手段でも満たせることに気づけば、とたんに自由になれる。

なにかに執着しているとき、あるいはなにかを急いでやらなきゃならないとあせっているとき、そこにはニーズにしっかりつながれていない自分がいる。
その状態でおこなうなにごとかは、たいていうまくいかない。


カフェ・オハナ(三軒茶屋)で共感的コミュニケーション(2.9)
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