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2016年2月21日日曜日

女性装願望について

『もう「東大話法」にはだまされない』という本の著者で、ご自分も東大の東洋文化研究所の教授である安冨歩という方がおられる。
「女性装」で有名な方で、ネットで検索してもたくさん出てくる。
「女装」ではなく「女性装」だ。

この方の話を読んでいて、私のなかでなにか「フッ」と動くものがあった。
さかのぼってみれば、いくつか思いあたることがある。

私は1986年に29歳のとき、小説家として徳間書店からメジャーデビューした。
そのとき、編集者といっしょにかんがえたペンネームが「水城雄」だった。
いかにも雄々しい、冒険小説作家にふさわしい感じの名前だ。
自分ではけっこう気にいっていた。

2007年くらいから共感的コミュニケーションことNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)をまなび、自分でも伝えるようになっていく過程で、暴力的なもの、そして男性的社会や言動に気づくようになった。
たぶん最初にだれかにいわれたんだと思うが、「水城雄」という名前の男性性にも気づいた。
そこで、「水城ゆう」と名前をひらがなに開いて使うようになった。

この名前でものを書いたりしていると、直接会う機会ができた人からは、
「女性かと思ってました」
といわれることが多くなった。
「ゆう」という名前のせいもあるだろうが、自分の書いたものが女性的であり、男性と思われなかったことになんとなくうれしさを感じている自分がいた。
私には自分のなかの男性性を警戒し、嫌悪する部分があることに気づくようになった。

そう思ってさらに振り返ってみれば、15年くらい前まで数年間、髪を長く伸ばしていたことがあった。
知人・友人からは「オームの麻原みたいだ」と大変不評だったが(そしていつしかやめてしまったが)、後ろからだと完全に女性のように見えるといわれて喜んでいた。
なぜそういわれるのがうれしかったのだろう。

私の髪はごわごわしていて、かなり癖があり、長く伸ばすには不都合がある。
しかし、髪を伸ばしたいという願望があり、それはひょっとして女性装を望む感じなのかもしれなかった。

私がまだ20代のはじめのころに、京都・祇園でバーテンダーをやっていたとき、常連のお客さんでハーさんという人がいた(いまどうしているんだろう、きっとまだお元気のはずだ)。
前歯の一本が欠けていて、それでハーさんというニックネームだったのだが、本名はたしか山本忍といった。
彼はプロのダイバーで、しかし音楽が好きで、界隈のバンドマンからとても慕われていた。
私も大好きな人のひとりで、一時は自分もダイバーになろうかと思ったほど彼に心酔していたこともあった。

その彼が、女性装だったのだ。
髪をおかっぱにしていて、スカートこそはいていなかったが、シャツは女物が多かった。
口ひげがあり、歯が欠けているので、前から見るといかつくて怖い感じなのだが、それがおかっぱ頭で女物の服を着ているという多面性があって、私は好きだった。

記憶からは打ち消されているような気がするが、もっと幼いころから女性装にたいするあこがれのようなものがあったかもしれない。
しかし、田舎の家庭の長男として生まれ、男は男らしく、お兄ちゃんはお兄ちゃんらしくと育てられ、自分もそれが自分の価値感だと思っていたし、男性より女性が好きだったから自分は男性的な人間だと信じて疑わなかった。

女性を好きであると、自分は男性的であると思いこむのは、ひょっとしてまちがう場合があるかもしれない。
女性が好きなのは、自分も女性的な部分を内包していて、男性的なことが苦手だったり嫌悪感があったりするゆえかもしれないからだ。
私にもそういうところがあるような気がする。

自分の言動についてだれかから「まるでおばさんみたい」といわれるとなんとなくうれしかったり、自分のやっている活動に女性の参加者が多いとうれしくなったりする。
それを先日知り合いにいったら、
「てっきり参加者に女性が多いということを、男性参加者の釣りとしていってるのかと思った」
といわれた。
なるほど、そういう捉え方はあるかもしれないが、私はそんなことをかんがえたこともなかった。

女性装をしてみたらどんな感じかな、と想像する。
ちゃんと女性装をしたことはないけれど、一昨年のハロウィンのとき、白楽の〈ビッチェズ・ブリュー〉でふざけてロングストレートヘアのウィグをつけたときは、ちょっと楽しかった。
とりあえずは、またすこし髪を伸ばしてみようかな。

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