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2016年2月19日金曜日

2月14日の「身体表現者のための韓氏意拳」

2回めの開催となった「身体表現者のための韓氏意拳講習会」が終わった。
韓氏意拳は中国武術であり、武術本来の目的である「殺傷技術」を内包しているが、この講座ではその目的にはあえて向かわず、その目的に向かう過程で発生するさまざまな現象や気づきに注目してみる。

身体表現にかぎらず、表現をおこなう者は、その表現クオリティを厳しく高めていこうという過程で、かならず自分の身体性と向きあうことになる。
私の経験では、その際、自分の身体があまりにわからなくて、ほとんどブラックボックスのようで、なにをどうしていいのか途方に暮れたものだ。
しかし、この身体のなかになにか宝物があり、そこにアクセスすることが自分の表現の可能性を大きく開いてくれる直感があり、いつもなんとか身体に向きあうことを試みてきた。

子どものころから身体を動かすのは好きで、いつも野山を駆け回って遊んでいたし、学生時代には水泳、ヨットなどのスポーツに打ちこみ、大人になってからもヨット、水泳のほか、極真空手や合気道を少しだけかじったりもした。
ヨガは中学生のときから自己流でやっていたほか、近年はいくらかちゃんとした先生に習ったこともある。
ほかにもアレクサンダーテクニークやマインドフル瞑想などにも挑戦してきた。

そんななかで出会ったのが韓氏意拳だったのだが、その身体へのアプローチがあまりに異質で、しかし本質的であり、あっと目を開かされるようなことの連続だったので、もう3年間もかなり密度濃く自分なりに稽古をつづけているしだいだ。

そんな私の体験をつうじて、身体表現をやっている人には、一度体験してみるといいですよとしつこくおすすめしている。

先日の講習会は、内田秀樹準教練の指導のもと、演劇、朗読、音楽などのジャンルから参加者があった。
音楽ではコンテンポラリー(現代音楽)のピアニストが来られたりした。

初回のように、手をあげる、降ろす、寄せる、といった非常にシンプルな動きのなかで自分自身の身体の声を聞いていく試みをおこなっていったのだが、本来これらは「站椿(たんとう)」という武術の稽古である。
つまり、技撃という人を倒すための要件を養うための稽古なのだが、それ自体が自分自身の身体と深く向きあうという要素を含んでいるのが、韓氏意拳のおもしろさというか、懐の深さだ。
シンプルな稽古のなかに、自分の身体や生命そのものに向かい合う要素と、その身体から生じる緊迫感のなかにある全体性を持ったその人本来の活力による武の要素が、同時に含まれている。

そして韓氏意拳の稽古は基本的にひとり稽古であり、心がけによってはいくらでも深く、厳しく自分を見ていくことができる。

来月も内田先生に来てもらえることになっている。
3月21日(月/振替休日)の午前に開催するので、興味がある方はご参加ください。

身体表現者のための韓氏意拳講習会(3.21)
羽根木の家で「身体表現者のための」という切口で、内田秀樹準教練による韓氏意拳講習会を3月21日(月/振替休日)に開催します。身体表現をおこなっている方、関心のある方など、どなたも参加できます。