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2016年1月16日土曜日

自分が何者になろうとしているかの観察練習

全10回の「オーディオブック収録製作コース」の第6回めは、自分でいうのもなんだが、かなりおもしろかった。
朗読にかぎらず、表現行為において多くの人は、自分以外の何者かになろうとする、あるいはいまここにはないなにか想定されたシチュエーションを自分に課そうとする。

現代朗読のエチュードでは、自分自身のいまこの瞬間のありようにマインドフルに注目し、自分が無意識に「なにをやっちまっているのか」を洗いだす練習をする。

使用テキストは夏目漱石の「文鳥」である。
出だしはこんなあんばいだ。

「十月早稲田に移る。伽藍のような書斎にただ一人、片づけた顔を頬杖で支えていると、三重吉が来て、鳥を御飼いなさいと云う。飼ってもいいと答えた。しかし念のためだから、何を飼うのかねと聞いたら、文鳥ですと云う返事であった」

これをなにげなく朗読しようとするとき、いったい自分は「なにをやっちまっているのか」を、つぶさに観察してもらった。
いろいろとおもしろい観察が出てきた。

みぞれちゃんは「お話を伝えようとする人、正しい日本語を使おうとする、いわば朗読教室の先生のような人」が出てきた。
あけみさんは「ラジオ放送の女性アナウンサー」が出てきた。
てんちゃんは「NHKのベテラン男性アナウンサー」が出てきた。
めぐみさんは「文鳥」の語り手である「書斎にいる男性/ひょっとして夏目漱石?」が出てきた。

これを、ひとりずつ役割をずらして、順繰りに、わざとそれらしく読んでもらった。
そのとき、自分が「なにをやっているのか」、とくに身体性に注目してやってもらった。

そして最後に、いっさいの想定を捨て、ただ自分の「いまこの瞬間」の身体にだけ注目して、なにもたくらまずに読んでもらった。

芳醇なニュアンスや感情、動きをふくんだ豊かな音声表現がそれぞれにそこに立ち現れて、私は涙が出そうになってしまった。
ここに表現することの嘘いつわりのない誠実さがあり、人が生きていることの発露の美しさがあるのだと感じた。

現代朗読がここにたどりついたことに、私はとても誇りを持っている。
私はこのことをつかんで離さないだろうし、大切にしつづけていきたい。


朗読をはじめてみようと思っている方、すでにやっているけれど物足りなさや壁を感じている方、その他表現に興味のある方、まずは進化しつづける現代朗読を体験してみませんか。1月24日(日)午前、羽根木の家にて。