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2015年7月24日金曜日

「どこまで行かれますか?」

10年以上前のことだが、右の膝蓋をこなごなに割ってしまう事故を起こして、その後のリハビリに失敗、いまだに右膝に故障を抱えている(主語がないけど、私・水城ね)。
日常生活にはほとんど支障はないのだが、正座ができなかったり、飛んだり走ったりができなかったり、長く歩いたり立ちっぱなしだとつらかったりする。
なので、電車で長距離の移動をするときは、杖を持っていく。

杖を持っていると、たまに席をゆずってもらうことがある。
うれしいのだが、どこか居心地の悪い気持ちになることもある。
とくに相手がなんとなくもそもそと立ちあがって、
「よかったらどうぞ」
ボソボソとつぶやくようにいわれたりすると、
「は、はあ、どうも」
ケツがむずがゆくなる。

だまって立ちあがって去っていかれるのも、気持ちがさっぱりしない。
逆に、
「代わりましょう。ここどうぞ!」
さわやかに立ちあがってくれると、こちらもすなおにお礼をいうことができる。

まあしかし、たいていの場合はみなさんスマホの画面に夢中で、杖に気づかないか、気づかないふりをしているのだが。

先日、たしかそれは、品川から羽田に向かう京急線でのことだった。
電車はややすいていて、品川で私は運よく座ることができた。
実家に帰省するときのことで、杖は持っていなかった(飛行機に乗るとき面倒だし)。
たしか青物横丁だったと思うが、意外にたくさんの乗客が乗りこんできて、そのうちのひとりで杖をついた私と同年輩の男性が私の斜め前に立った。
彼はもともと足に故障があるのか、怪我をしているのか、とにかく杖にたよって歩いている感じだった。
彼のまん前は若い男性で、スマホに顔をうずめている。

私はどうしようか、しばらく迷ったが、なんとなくこんな言葉が口をついて出た。
「どこまで行かれますか?」
すると男性はすぐに、
「あ、蒲田までです。大丈夫ですよ、ありがとう」
と答えた。

いってから気がついたのだが、私は「席を代わりましょうか」といったわけではない。
しかし、「遠方まで乗るなら代わりましょうか」という意味を含んでいる。
また、こういう場合、私が立って席をゆずったりしたら、横にいるスマホの若者はちょっと居心地の悪い気分になるかもしれない。
もし男性が「羽田まで」と答えたとしたら、「よかったら代わりましょうか」という話になったと思う。
そこにはコミュニケーションが生まれている。
そのタイミングでスマホの若者が気づけば、「自分が代わりましょう」と立つこともできる。
われながらうまい言葉かもしれないなと、あとで思った。
私が杖を持っているときも、そのように聞かれたらきっと答えやすい。

これはちょっとした共感的コミュニケーションになっていて、「まず相手のことを聞く」ということからコミュニケーションがスタートする原理だ。
「代わりましょう」はこちらの一方的言質である。
このものいいには「動き」はない。
「動き」が生まれることばをいつも唇に持っていたいな、と思う。


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