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2014年12月18日木曜日

教えない教えかた、仕切らないファシリテート

IITではホルヘ・ルビオというトレーナーが台風の目だった。
彼がおこなうセッションは初日から大人気、話題沸騰で、毎回たくさんの参加者が来て盛況だった。
私は彼が2011年に来日したとき、招聘チームの一員だったのと、買い物に付き合って東京を案内したこともあったりして、親しく感じている。
今回も、コロンビアのボゴタにいる彼の病気のお父さんのために、日本の歌をみんなで歌ったりコロンビアの有名な曲をホルヘが歌うのに伴奏をつけたりして、とても喜んでもらえたのが私もうれしかった。

彼からは本当にたくさんのことを学び、また影響を受けたのだが、今回のセッションのなかでもっとも印象に残った教えのひとつを紹介したい。
それは「教えない教えかた」であり、「仕切らないファシリテーションの方法」だ。

彼は「Vivencia(ヴィヴェンシア)」ということをとても大事にしていて、それはちょっと言葉で説明するのはむずかしいのだが、いまこの瞬間の自分自身のいきいきした感じ、感情とニーズがいきいきとしている状態とでもいおうか、とにかくうれしいも悲しいも、怒りも喜びも、全部ふくめて自分の生命が発している活力のことで、そこにいつもつながって自分と相手に正直に生きることを、ホルヘは教える。
NVCを伝えるときも、彼はまさにそれを体現していて、テーマはあってもこまかいカリキュラムや進め方は決まっていない。
参加者と彼のあいだで起こるリアルタイムのいきいきした感覚やできごとをぱっとキャッチして、そこからレクチャーが動いていく。

これはやろうとしてもなかなか難しくて、いつも自分自身のいきいきした状態につながっている必要があるし、また参加者のその状態もキャッチできるとても鋭敏な感受性と技術が必要になる。
たとえ参加者が無口で、無反応で、どよんとしているように見えても、その内側でうごいているヴィヴェンシア(ひょっとしてなにかに対して非常に怒っていて、その怒りを必死に抑えているのかもしれない)をキャッチする能力が必要になる。
相手のヴィヴェンシアをキャッチするためには、自分自身のヴィヴェンシアにしっかりとつながり、また感受性が外にむかって無防備にひらいていることが必要だ。
これはやってみるとわかるが、とてもこわいことでもある。
相手を信頼できる大きな勇気がいる。

自分のよく知っている知識や技術を教えようと、ある種の高みから人にものをいっても、けっしてそのことは相手に伝わらない。
自分が相手とおなじレベルに立ち、無防備で、相手を信頼し、自分自身を差し出したときにはじめて、相手は自分を受け取ってくれるのだという。

ファシリテーションにおいてもそうで、ものごとを仕切ろう、人をコントロールしようという意識がすこしでも働くと、人は動かないし、おたがいにつながることもできない。
ファシリテーターが正直で、無防備で、自分の弱みや不安をさらけだしたとき、その場につながりが生まれ、いきいきと動きだすのだという。

ひと前に出たとき、我々はつい、格好をつけたり、自分を有能に見せようとしたり、欠点や弱みを隠そうとする。
それは自分が批判されたり攻撃されたりすることが怖くて、いわば防御の姿勢にはいっているわけだが、防御のかまえをしている相手に人はつながることができるだろうか。
防御をとき、かまえを開いたとき初めて、人はだれかとつながり、正直で誠実な交流が生まれるのだ。

ホルヘの教えを聞いたとき、私は、自分ができない、わからないことがたくさんあっても、それを正直に差しだして相手に教えをこう姿勢を持つことで、教える場に立つことができると思った。
一時は共感的コミュニケーションを教えることをやめようと思ったこともあったし、いまも「教える」のではなく「ともに学ぶ」場にしたいと思っているが、ともかく自分が持っているものをただ差しだし、自分の知らないこと、できないことも正直に開示し、受け取る準備をした上でその場に向かいたい。

IITからもどってすでに何度か「現場」に立つ機会を持てている。
ホルヘからもらった気づきを心がけながらその場に立ったつもりだが、どうだっただろうか。
まだまだ練習はつづく。

NVCをベースにした共感的コミュニケーションの勉強会「共感・声カフェ」は、年内にあと3回ある。

12月25日(木)15〜17時(昼の部)/19〜21時(夜の部)@羽根木の家
12月26日(金)夜の横浜共感カフェ@神奈川県民センター