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2014年8月14日木曜日

音読こくご塾夏休み特別編が終わった

一昨日につづいて昨日も午前中は「音読こくご塾」の夏休み特別講座を開催した。
一昨日とおなじ小学二年生と五年生の子どもたちが参加。

昨日は、一昨日に下準備をした夏休みの作文の宿題を終わらせてしまおう、という目標をもってスタート。
その前に、呼吸と発声で自分の身体に意識を向ける時間。
今日は菜穂子お姉さんが呼吸法のリードをしてくれた。
みんなで一生懸命息をたくさん吐いたり、できるだけ長く声を出したり。

音読エチュードは「いちめんの菜の花」という詩を使って、卯妙さんがリード。
いろんな読み方をしたり、気持ちカードを使って自分の気持ちを見つけたり、作者の気持ちを推測したり。
これは共感的コミュニケーションの練習でもあるが、自分の内側で起こっていることに目を向ける練習が、作文にはとても役に立つのだ。

後半は宿題の作文を書いてもらった。
が、なかなか集中できない。
作文を仕上げるこということにたいする自分のニーズへのつながりが希薄なせいだろう。
「学校の宿題だから作文を書かなきゃ」
「お母さんにおこられるから書かなきゃ」
「原稿用紙に3枚は書かなきゃ」
といった、自分の外側にある「義務」やルールしか見えてないときは、自発的なモチベーションは生まれにくい。

これは大人もおなじで、私も子どもたちについ、
「せっかく塾に来たんだから、今日中に宿題を仕上げさせて、お母さんたちの期待にも応えさせたい」
といった、いわば不純な「道スジ」に誘導しようとしている自分がいることに気づいた。
もちろん子どもたちはこちらのそんな態度を敏感に受け取る。
だから、最後は「今日中に仕上げなくていいよ。書きたくなければ書かなくてもいいんだよ」といった。
するとおもしろいもので、子どもたちはちゃんと書きはじめるのだ。
もっとも、宿題を終わらせられたのはひとりだけだった。
しかし、それでいいのだ。
自分のニーズにつながれたとき、子どもはちゃんと能力を発揮する。
大人はそれを「邪魔しない」ことを心がけるだけだ。

じつはそれがむずかしい。
というのも、大人は自分の都合をついつい、自分より下に見ている子どもにそれを押しつけようとしがちだからだ。
そこにはお互いの尊重はない。

いろいろな学びのあった二日間だった。
そして子どもたちはかわいくて、羽根木の家に子どもがいるのはとても楽しく豊かな時間だった。
来月からぜひとも定期開催に持っていきたいと思っている。