ページ

2014年2月3日月曜日

ラベリングもしくはレッテル貼りについて

photo credit: David Blackwell. via photopin cc

人はひとりひとりちがう。
ただひとりとして自分とおなじ人はいない。
しかし、ものごとを理解するための方策として、人はものごとを分類し、ある特徴でひとくくりにし、そこにラベル(レッテル)を貼る。
哲学的にいえば「世界を分節」して理解をすすめる方法である。
昆虫や植物を分類して、知識を深めたりもする。
この「分類癖」が、ときに人のコミュニケーションを大きく阻害することがある。

男はこうだ、女はこうだ、血液型B型の人はこうだ、というようなもののいいかたを、共感的コミュニケーションでは「ラベリング」という。
「この人は私の敵だ」
「役人は融通がきかない」
「女に政治は向かない」
といった言質の背後に、ひとりひとりの存在が消えていく。

仮にそのような傾向があり、それが事実だとしても、個人を前にしたときそのラベルは人間性を奪う。
敵だと思っていた人にも人としてのニーズがあり、ニーズを満たすために懸命に行動しているのであり、その人の命の輝きがある。
そのニーズと命につながろうとするのが共感的コミュニケーションだ。

敵だとこちらが思いこんでいる人のニーズを真剣に推測してみよう。
なにが起こるだろうか。
ラベルがはがれ落ち、敵の「人としての顔」が見えはじめたとき、あなたと相手の関係性は変容していくだろう。

職場の同僚や上司・部下、あるいは取引先との人間関係で問題を抱えている社会人のための共感スキル講座を、2月9日(日)羽根木の家で開催します。
お勤めでなくても歓迎。
詳細と申し込みはこちらから