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2013年12月31日火曜日

大晦日、マインドフルネスについてかんがえる

あと数時間で2013年が終わる。
といっても、2013年と2014年のあいだになにか段差のようなものが設置されているわけではなく、「区切り」は人間が勝手に制度的思考でそう決めつけたり思いこんだりしているだけで、時間はなめらかに不可逆的にすすんでいく。
いまこの瞬間の時間も、年が変わる瞬間の時間も、年が変わってからの時間も、おなじように連続的にすすんでいく。
その普遍的な時間のながれのなかを自分がどのようにすごすのかは、その人の意識次第、ということになる。

時間の流れとそのなかにある自分自身の存在について、ここ数年で驚くほど意識が変わった。
いまここにいる私のなかに流れる時間と、数年前までの私のなかに流れる時間とは、およそ異質なものであるといっていい。

「マインドフルネス」という考え方に触れ、実践しはじめたときから変化が起きはじめた。
マインドフルネスは日常生活のなかで実践されるのが理想的だが、最初からその意識をもってすごすのは難しい。
初期のころはマインドフルネスにはいるための儀式のようなものが必要だった。
それは瞑想であったり、呼吸法であったり、ヨガであったり。
それが表現をおこなう時間に意識して実践したり、やがて日常生活のなかでも意識できるようになってきた。

私はピアノを弾くが、そのような時間軸のなかで行なわれる表現行為において、マインドフルネスは革命的といっていい変化をもたらしてくれた。
思考と企みを手放し、いまここの自分自身とともにありつづけることで、次の瞬間なにが起こるか、自分がなにをするのかわからないという偶有性を怖れつつも楽しめるようになった。
怖いけれど楽しい、という子どものころの未知の体験をするときの感覚を、一瞬一瞬得られるようになってきた。

6月から韓氏意拳をはじめたが、この武術はマインドフルネスにおける自分自身の身体性を非常に緻密に注目していく方法を持っていて、私のマインドフルネス体験をさらに深めてくれた。
その深まりは底知れない井戸の底のように思え、まだまだやればやるほど自分の身体と意識の深層へと降りていくような怖さと楽しさがある。

あと数時間ではじまる2014年もまた、マインドフルネスの深まりをさらに緻密に探求していきたい。
そしてマインドフルネスは自分自身とつながること、自分自身への共感の道でもあり、それを外側に向けることでこれは他者への共感の矢ともなる。
共感的コミュニケーション(共感スキル)についてもまたさらに探求し、共有していきたい。
こういったことを純粋に、妥協なく、徹底してやりたい、というのが私の気持ちで、それは日々強くなりつつある。

お付き合いいただければ幸いである。
みなさん、よいお年を。