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2013年10月29日火曜日

楽器が弾けるようになるということ

ピアノでもギターでも三味線でもいいのだが、大人になってからあらためて楽器を弾けるようになりたい、という人はまずどうするだろうか。
たいていの人は音楽教室や個人レッスンに通いはじめるだろう。
そこにいるのは、従来からおこなわれてきた指導法を受けつぐ教師たちで、自分自身もその指導法を受けて楽器が弾けるようになった人たちだ。

さてここで問題。
従来からおこなわれてきた音楽指導法というものはどういうものなのか。

ところで昔から、日本人が中学校、高等学校、大学と10年間も高度な英語教育を受けていながら、会話ひとつもまともにできないばかりか、メールのやりとりすらまともにできないことが問題視されてきた。
それと似たようなことを私は音楽についてもかんがえる。
長年レッスンを受け、専門の音楽大学まで出たような人が、楽譜がないと童謡ひとつまともに演奏したり伴奏できず、またよくメロディを知っている曲をアドリブでアレンジして演奏することもできない。
私がかんがえる「楽器が弾ける」というのは、まさにそういうことができることだと思うのだが、そのかんがえはおかしいだろうか。

私が主宰している「音楽塾」では、演奏の練習に楽譜を用いない。
楽譜に書かれている曲をそのとおりに演奏するというのは、作曲者が作った音楽体験を「追体験」するということだ。
あるいは、だれかがその曲を演奏しているのを聴いて、自分もあの曲を弾いてみたい、ああいうふうに弾いてみたい、と思って楽譜を練習する、それもまた他者の音楽体験を追体験することだ。
つまり、過去をなぞる行為だといっていい。

音楽にはそういう側面もあるが、私がやりたい音楽は、いまこの瞬間に生まれ、また一瞬後には消えていってしまう、リアルな体験だ。
そもそも、楽譜を弾けるようにするという音楽練習法は、ごく近代になってから生まれたものだ。
バッハやモーツァルト以降の時代になって、楽譜出版が一般化し、だれでも楽譜を入手してその曲を練習できるようになった。
音楽の練習体系もそのころからととのい、ほとんど変わることなくいま現在にいたっている。
基本的には楽譜を読めるようにし、そのとおりに演奏できるように練習する、という訓練体系がいまだに存在し、それ以外の方法で楽器を習得する手段はほとんど皆無といっていい。
楽譜に書かれた曲をまちがいなく弾けるようにするために、パターン練習が生まれた。
運指パターン、ストロークパターン、リズムパターン、そういった決まったものを繰り返し反復練習する。
現代大衆音楽の時代になると、パターン練習はコード(和音)をおぼえたり、その展開形をおぼえたり、それを反復練習するということもおこなわれるようになった。
いずれにしても、練習体系としてはおなじ系列のものだといっていい。
しかし、近代のヨーロッパ音楽の世界で楽譜出版が一般化する以前からも、音楽は存在していたのだ。

たとえば日本の雅楽や邦楽にも、楽譜のようなものは存在するし、決まった曲をなぞって演奏されることも多いが、日本にも世界にも記譜法がない音楽もたくさん存在する。
ヒトは楽譜がなくても楽器を作り、楽器をあれこれ鳴らし、音を探したり作ったりして音楽を楽しんできたのだ。
いま、その方法で楽器を習得することはできないのか。
いま存在する音楽教室的楽器練習法とはまったくちがうアプローチの、音楽教育の方法はないものだろうか。

私は「ある」と思っている。
そしてそれを実践しはじめている。
音楽塾から「即興演奏ワークショップ」というものがスピンアウトして開催されようとしているが、そこでは従来の方法とはまったくちがう楽器習得法を、即興演奏というアプローチで試していきたいと思っている。

即興演奏とは、だれかの音楽体験をなぞることではない、いまここにいる自分自身からどのような音が出てくるのかわからない状態からスタートし、自分だけのあらたな音楽体験をつむいでいく、という意味だ。
それを楽しむ方法を伝授したい。

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