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2013年6月20日木曜日

粗雑なものへの嫌悪がある

photo credit: GuySie via photopincc

100円ショップというものがいつからあるのか知らないが、昔から私はあそこが嫌いだ。
100円ショップで働いている人にはすまないと思うけれど、あの空間とあの商売システムが嫌いなのだ。
いま調べたら、100円ショップが全国的におおはやりになったのは、1990年代初頭らしい。

生理的に嫌悪感をもよおすのだが、その原因がなかなかわからなかった。
論理的にかんがえてあのシステムはよろしくない、とは思っていた。
製造業者から安い商品を大量に買いとり、それを大量に売りさばくことによって、結果的に大きな利益を得る。
それはいいのだが、買いたたかれる業者はどこかで利益を確保しなければならないから、その商品を作るための原料や作業工程を極限まで安くあげようとする。
結果的に原料の生産者や下請け労働者が買いたたかれることになる。
産地や発展途上国の原料生産者や労働者が先進国の商社などによって生活を圧迫され、ますます貧困率を高めてしまう場合があることはよく知られている。
私たちが「こんなものが100円で買えるの?」と驚くような品物を手にいれることができているのは、かならず我々の眼に見えないだれかの犠牲の上に成り立っているという事実をかみしめておきたい。

というような話とは別に、生理的に100円ショップが嫌いだ、という話だ。
私たち日本人はどうやら、粗雑に作られたものを嫌悪する生理を持っているのではないか、と思う。
私はこまごまと手を動かしてものを作るのが子どものころから好きで、小学生のころから模型をたくさん作ったし、ミニカーや鉄道模型が大好きだった。
精密に作られた腕時計や万年筆、ラジオといったものも大好きで、大人になってからもその傾向はつづいていた。
盆栽を愛でる趣味なども、日本人の精密好きから来ているのかもしれない。

逆に粗雑に作られたものにはなんとなく顔をしかめたくなる。
安いけれどいかにも安っぽい文庫本、CD、スマホのケーブル、電池、食器、調理器具、家具、その他あらゆるもの。
そういったものしかならんでいないのが100円ショップだ。
しかめつらの連続だ。

私は自分が買うにしても作るにしても、きちんと手をかけて作られたものがいい。
たとえば私はオーディオブックを作るが、世の中にはじつに手軽に作られたオーディオブックもたくさんある。
ナレーターが自宅でハンディレコーダーをぽんと前に置き、なにかの用事の合間に朗読録音され、マスタリングもなにもされていないオーディオブックがたくさんある。
そういうものがならんでいる販売サイトを見ると、100円ショップに足を踏みいれたときとおなじ気分になる。

私が関わっているアイ文庫オーディオブックは入念に手間ひまをかけて作られている。
作品選定から始まって、読み手とのディレクション(演出)、収録のときのディレクション、収録後の編集とマスタリング作業、これらに多大な時間をかけ、大切に世に送りだされる。
聴き手はそんなことはあまり気にしないのかもしれない。
聴き手はおなじ朗読本を買うなら、多少粗雑に作られていても安いほうがいいのかもしれない。
多くの人が100円ショップを重宝がっているように。
しかし「私は嫌」なのだ。
自分の生理を無視したくない。

粗雑なものを作りたくない、という思いで、アイ文庫ではオーディオブックの読み手から育てることをしている。
多くはないが、すでに育ち、よい作品を残しつつある人が何人も出ている。
大切に読まれ、大切に作られたこれらのコンテンツは、読み手の「作品」として長らくこの世に存在しつづけることだろう。

次回のオーディオブックリーダー養成講座は6月24日(月)の開催です。
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