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2013年5月19日日曜日

やっかいな承認欲求というもの

photo credit: striatic via photopincc

人から承認されたい、あるいは自分自身を承認したい、という欲求はだれにでもあって、しかしこれがいろいろやっかいなことをもたらす。

「承認された/みとめられたい」という欲求は自分自身を無意識に「依存する側」に置いてしまう。
たとえば仕事において上司に認められたいと思ってがんばっているとする。
上司とあなたは「認める側」と「認められる側」という、一種の上下関係であり、依存/被依存の関係である。
認められなければその関係は苦しいものになるし、認められれば甘い関係となる。
いずれにしても関係性は対等ではない。

あなたは自分の行動を「上司に認められるため」に規定してしまう。
それは「上司の価値基準にそって」自分自身の行動を規定することである。
自分の価値を大切にして自分自身がどうしたいのか、というようにふるまえないあなたは、自分自身をないがしろにしている。
それはあなたにとってとても苦しいことだろう。
たとえ上司に認められたとしても、苦しい関係はつづく。
なぜなら、一度認められても、またつぎも認められなければならないと、承認欲求は永遠につづくからだ。

こういう他者にたいする承認欲求は、親子関係や友人関係、夫婦関係にも存在するが、自分自身にたいする承認欲求も同様にやっかいだ。
「自分自身を承認する」というマインドは、無意識に自分のなかにもうひとりの自分を置いている。
そのふたりの自分に依存/被依存関係を作り、上下関係を作っている。
自分のなかにあるこの「ふたりの自分」の関係矛盾が、あなたに苦しさをもたらす。
たとえ自分自身を承認できたとしても、「ふたりの自分」の関係性は消えることはないので、前記の上司との関係性のように苦しさはその先へとずっとつづいていくことになる。

ではどうすればいいのか。
「承認する」というマインドではなく「共感する」マインドをそこに置けばうまくいく。
これについてはまたあらためて書くことにする。