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2013年5月15日水曜日

朗読するときは基本的に受け入れてもらえると信じて読む

朗読にかぎらず、なにかを表現するとき、いや、表現にかぎらずなにか行動するとき、人はかならず他人の批判の目にさらされることになる。
そのことを恐れるあまり、表現することをやめてしまったり、自分の行動に抑制をかけてしまうことがある。
それはとてもつまらないことではないだろうか。

先日、初日を迎えた現代朗読基礎講座で、私が、
「朗読とは伝達ではありませんよ、表現ですよ。自分自身を正直に誠実に相手に伝える手段のひとつですよ」
と、いつものように現代朗読のかんがえかたを示したら、
「それって自分をさらけだすことですよね。怖い」
という人がいた。
たしかに自分をさらけだしたとき、思いがけない非難や攻撃を受けることがある。
「怖い」と思うのは自分の安全がおびやかされるのではないかという怖れからやってくる。

たしかに物理的な危険がある場合はそこから退避したり、自分を守る必要があるが、表現の場においては物理的な危険はそうそうない(まれにあるから、そういう場合はただちに身を守ってください)。
あるのは心理的な危険だ。
心理的な危険にたいしては、心理的な防御や退避が必要だし、有効だ。
このあたりのスキルについては、ここではくどくど述べない。
興味がある方は拙著『共感的コミュニケーション〔入門編〕』をご覧ください。

自分の表現クオリティを最高にあげる方法のひとつは、オーディエンスを完全に信頼すること。
聴衆が自分のことをすべて受け入れてくれると信じてパフォーマンスをすること。
批判や攻撃を受けることを事前に想定しないこと。
そうすれば、みずからの表現のリミッターがなくなり、のびのびイキイキと表現できる。
自分とオーディエンスを信頼して思いきり表現できることこそ、表現することの喜びであり、目的でもあろう。