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2013年5月1日水曜日

音声表現のクオリティ

昨日の午前中はオーディオブックリーダーの個人セッション、そして午後はオーディオブックリーダー・矢澤亜希子による収録をおこなった。
このふたつの経験をつうじて感じたことを書きのこしておく。

矢澤亜希子には数年前から新美南吉のあまり知られていない短編をいくつか読んでもらっていて、今回もメジャーな作品ではないけれど私の好きな「一年生たちとひよめ」とか「ゲタニバケル」「ウサギ」などを収録した。
収録前には個別演出をさせてもらったが、それはあくまで私のイメージや解釈を押しつけるものではなく、いっしょに「この作品、どう読んだらおもしろいんだろうね」と探る作業だった。
その作業を経ることで結果的に矢澤亜希子がどのような読みをしてくれるかについては、私は基本的にすべて受け入れることにしている。
だってそれは結果的にかならずおもしろいものになるからだ。
その点にかんしては絶対的な自信がある。
矢澤亜希子にたいする信頼であると同時に、私の間接的ではあるが演出力についての自信でもある。
そしてもちろん、昨日もそうなった。

午前中の個人セッションの方も、10年くらい朗読の活動をしてこられて、読みは悪くないのだが、それはあくまで「意味を伝える読み」であって、アイ文庫オーディオブックがめざす「音声表現作品」としてのクオリティとしては及第点をあたえることができないものだった。
そのことを丁寧に説明し、朗読テキストはストーリーとしての意味、センテンスとしての意味、そして文節としての意味がある以前に、音節という「音声単位」の連続で成立していくことの意識を持ってもらいたい、ということを伝えた。
それについてとてもしっかりと受け止めていただき、理解してもらえたと思う。

で、午後、矢澤亜希子の収録をおこなった。
収録はスタジオで彼女が読む声を、マイクとこちら側にあるモニタースピーカーを通してこまかくチェックしながら、おこなっていく。
読み間違いは当然のこと、ノイズや音声のクオリティを厳しくチェックしながらおこなう。
その際気づいたのだが、矢澤亜希子の読みは音節・音素レベルですみずみまで意識が行き届いており、クオリティが高い。
これは経験のある者にしかわからないことだが、たとえばワイン通がクオリティの高いワインを一口飲んですぐそれとわかるように、音声表現も私にはクオリティが高いものはそれが一発でわかる。
彼女の音声表現のクオリティの高さについて、今日、あらためて認識したわけだが、これまでそのことをきちんと受け止めていたのかどうかについては、ちょっと自信がない。

いずれにしても、すばらしい音をプレゼントしてもらった以上、あとは私がそれを大切にして、最高のオーディオブック音源として世に出していく責任があると思っている。
矢澤亜希子にかぎらず、唐ひづる、玻瑠あつこ、KAT、てんトコロ、そして野々宮卯妙といったすばらしい音声表現者の音源を預かっているし、またこれからも収録していきたい。

厳しい世界だが、我々の仲間になりたいという人はいつでも歓迎である。
次回オーディオブックリーダー養成講座は5月28日に開催予定。
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こちらに参加できない方は個人セッションでも対応します。