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2012年10月23日火曜日

表現者の独立性とネット利用

photo credit: Stuck in Customs via photopin cc

リア充とかいう言葉に象徴されるように、ネットやデジタル環境にどっぷり浸らない、それらに距離を置く生活が、人生を豊かにするという価値観が、なんとなく共有されている空気感がある。
たしかに毎日パソコンやケータイ電話にしがみついて、マインドフルネスではない時間を多くすごしていると、あまりに貧困な人生だという印象がある。
私もそれを共有認識とした上で、あえて今回は、ネットやデジタル環境はすばらしいではないか、という話をしてみたい。

音楽をやったり、小説を書いたり、朗読をしていると、ライブや発表の場が必要になる。
音楽の場合は、ライブをやるとき、フライヤーを作り、あちこちバラまいたり、持ちこんだりして、なんとかたくさんの人に知ってもらい、来場してもらえるようにがんばった。
新聞社やラジオ局に持ちこんで、取り上げてもらえるように努力したりもした。
もちろん一番効果的なのは、メジャーなレコード会社に持ちこんで、CDを出してもらうことだ。
いわゆるメジャーデビューだが、それは大変な労力と、コネと、運が必要だった。

小説の場合も出版社に持ちこんだり、新人賞を狙ったり、多大な労力を必要とした。
実際、私もそうやってきた。
つらく、悲しい道だった。

ネットが普及して、なにか表現をやっている人は、いつでも自分の表現作品を発表できるようになった。
工夫しだいでは、多くの人に見てもらうことができる。
たとえば、なにか音楽作品を完成させたら、それをYouTubeなどに公開し、自分のブログでアピールする。
だれかが聴いて、気にいってくれたら、Facebookやツイッターで拡散してくれるかもしれない。

たくさんの人が聴いてくれるようになったら、ライブにその人たちの一部が来てくれるかもしれない。
CDを販売すれば買ってくれるかもしれない。
これらのすべてが、個人の、自分の時間と、技量を使って実現できる可能性がある。

環境はすでに整っている。
大手のレコード会社も、大手の出版社も、もはや必要ない。
一個人がやる気さえあれば、全部自分ひとりでやれるし、その環境はすでに整えられている。
ならば、なぜだれかに頼る必要があるだろうか。
自分ひとりで始めればいい。

そのためには、ネットにどっぷりひたること、コンピューターにどっぷりと向かい合うこと、それをまずはいとわないことが必要かもしれない。
中途半端にかっこつけて、せっかくここにあるすばらしい環境を利用しそびれてしまうことが、自分の人生にとってどれほどの損失をもたらすのか、検証してみる価値はある。
時代はまったくあたらしいフェーズに突入している。