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2012年8月18日土曜日

ネット(FacebookだのTwitterだの)に呑まれないために

ケータイ電話やインターネットが普及しはじめてからそうだけれど、とくに最近のFacebookだのTwitterだのmixiだのソーシャルメディアが爆発的に普及するにともなって、四六時中ネットのことばかり気になってケータイやスマートフォンが手放せない、という人が増えている。
その一方で、反動なのだが、ネットとのつながりをすっぱりと切ってしまってストレスがなくなった、と苦しく喜んでいる人もいたりする。
どちらにしても、あまりにネットに振り回されすぎている。


私もネットはかなり使うほうで、パソコンは常時ネットに接続しているし、iPhoneもいつも手元に置いている。
私がネットを利用するようになったのはかなり古く、1985年のニフティサーブのサービススタートの直前、いわゆるパソコン通信と呼ばれていた時代で、インターネットはまだ存在しなかった(もう30年近く前だ)。

パソコン通信にはかなりはまり、いまの人が「ネットにはまっている」という状態とかなり近い感じで、病的にのめりこんでしまっていた時期もあった。
多くの犠牲を払ったわけだが、得るものも少なくなかった。


現在はネットとの距離のコントロールはうまくできていると思う。
私がつかんだコツは、こうだ。

自分がネットで書く文章は、どんなつまらないささいなつぶやきであっても、全世界の人が読むのだ、という意識をもって流す。
それにたいするレスポンスに一喜一憂しない。
とくに知人からのレスポンスに過剰に反応しない。

反応があったときは、その内容よりも、その反応がどのようなニーズにもとずいて発せられたものなのかを推測する。

人の書きこみを読むときも同様。
情報を得るためのサイトはともかく、知人のTwitterやFacebookの書きこみを読むときも、そのメッセージがどのようなニーズにもとずいて書かれたのかを推測する。

もしレスポンスをするなら、内容にダイレクトに反応することなく、ニーズを推察しながら書きこむ。
常に相手のニーズを推察する習慣を身につけることで、ネット情報に対する客観性を身につけることができる。
客観性というのは、目の前の事象が世界のなかでどのような位置づけにあり、重大なことなのか、ささいなことなのか、自分自身の判断基準を冷静に持てる、ということにつながっている。