ページ

2012年7月3日火曜日

釜石訪問レポート(音読ワークボランティア)

あらましはすでに日記的に書いたので、ポイントを絞ってあらためてまとめておきたい。

【釜石の人たち】
今回、2か所の「談話室」で音読ワークをおこなってきた。
去年の石巻などでは「集会所」といっていたのだが、釜石では「談話室」といっていた。
石巻の集会所よりやや狭いが、基本的にはおなじ造りと機能だ。

初日の談話室に集まった人たちは、ばらばらの地域から抽選でやってきた人たちで、最初、隣近所にはほとんど顔見知りがいなかったという。
しかし、それではいけないということで、名簿作りから始まったという。
大変な作業だったが、おかげで徐々に結束していって、いまでは集会所を中心に顔見知りになり、いろいろなことに協力しあう地域コミュニティになっているようだった。
これは努力して地域のコミュニティを作り上げた例。

二日めの談話室に集まった人たちは、ほとんど同じ地域の人たちがそのまま仮設に移って来た人たちで、幼いころから顔見知りの人たちばかりだ。
そのせいか、気楽な雰囲気で、見るからに気を許し合った仲間という感じがした。
こちらは努力せずとも作り上げられたコミュニティの例。
どちらがいいのかはわからないが、最初の人たちがかなりの苦労と努力をされたことはまちがいないことだ。

いずれにしても、皆さん、思った以上に明るくて、感覚も開いていて、こちらの提案したエチュードを積極的にやったり、どんどん声を出してくれたりした。
音読ワークとしてはとてもやりやすかった。

【釜石の状況】
街や漁港や周辺の被害状況は、がれきこそ片付けられているものの、復旧はほとんどまだ手つかずという印象があった。
市街地はさら地が多く歯抜け状態で、大変寂しい風景だ。
港は復旧工事が進んでいるが、離れた湾の港はまったく手つかずで、巨大な防波堤がひっくり返ったままになっているのがちょっとショッキングな光景だった。

建物も津波の被害にあったそのままがまだ取り壊されずに残っているものもあれば、修復されているものもある。が、市街地では流されてしまった建物が多い。

夜、食事にはいった居酒屋には、タレントなどの「がんばれ」みたいなメッセージの色紙がたくさん貼ってあった。
元市役所だった建物は、修復され、いまはショッピングセンターになっていたが、なんとなくがらんと寂しい雰囲気はいなめなかった。

【行程】
東京から釜石は大変遠かった。
今回、10人乗りのワゴン車に9人が乗りこんで行った。
東京から埼玉県、栃木県、福島県、宮城県を通りぬけて、岩手県に入ってからは一関をすぎ、花巻の手前で東北自動車道を降り、遠野を通って、海側の釜石に出る。
500キロ以上はある。
途中、休憩をはさんではいるが、9時間以上かかった。
これを二日間で往復するのはかなりきつかった。
もちろん、運転をしてくれた三谷産業の戸平さんと高木さんがさらにきつかったのは当然だが。

【音読療法協会のボイスセラピストたち】
今回は2級ボイスセラピストが2人、音読療法マスターコース修了者が3名という布陣で出かけた。
これだけのボイスセラピストがいると、大勢のワークでもかなりきめ細かくひとりひとりの状態を見ながらサポートできるように感じた。
ひとりではきついだろう。
こういうワークは複数名でおこなうのが理想的だ。

【三谷産業株式会社のサポート】
今回も車、宿泊など、全面的なサポートをいただいた。
高木さん、戸平さん、石橋さんのお三方には感謝するとともに、そのバックで支援してくれた三谷産業の皆さんと会社自体に感謝したい。
ハードな行程を安心して任せることができたので、我々は音読ワークに集中することができた。
おかげで釜石のみなさんにも喜んでいただけたのではないかと思う。

ついでに、といっては失礼だが、今回のツアーに参加できなかったけれど気持ちでサポートしてくれた現代朗読協会とボイスセラピストの仲間たちにも、応援について感謝したい。