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2012年7月1日日曜日

被災地・釜石での音読ケア・ボランティアツアー2日め

午前6時、起床。釜石ベイシティ・ホテルにて。
シャワーを浴び、日課の「音読日めくり」ブログを更新してから、荷物をまとめて朝食を食べに降りる。
和定食。みんなといっしょに食べる。

チェックアウトして出てみたら、三谷産業が借りた車が、夜、駐車場にとめてあった間に何者かに当て逃げされたとのこと。
見ると、左側のドアのところがかなりへこんで傷がついている。
幸い、走行に支障はないし、だれも怪我しなかったが、おかげで三谷産業のみなさんは朝食にありつけなかった。

今日は釜石市の港から北に行った海沿いの唐丹湾という地区の仮設住宅に行く。
リアス式になった湾の奥にある、美しい場所だ。
しかし、その地形のおかげで津波も被害も甚大だった。

その地区の担当者のはからいで、談話室には最初、男性ばかり来られた。
みなさん、仲良くて元気。
聞けば、この仮設住宅はおなじ地域から来た人が住んでいて、みんな幼なじみなのだという。
道理で。

これまで被災地でのボランティアには男性の参加は少なかったが、今日のように男性ばかりというのは初めてだ。
それも定刻よりかなり早い時間(1時間以上前)に集まってこられたので、始めてしまうことにした。

音読療法においては、ワークの内容をあらかじめ固定してカリキュラム化することはない。
来られた人の様子、開催場所の条件、コミュニケーションを取るなかで受け取った印象、その他を元に、音読療法士が即興的にプログラムを組みたてていく方式をとっている。
今回もそのとおりで、まずは音読療法士が「いまここ」を大切にしてマインドフルにあり、ありのままにふるまうことが望ましい。
クライアントもそれを受け取ってくれるし、音読療法士の心身の状態にシンクロしていくのだ。

今回も私たちは、ありのままに、その場でのコミュニケーションを大事にしながら、「癒してあげる」とかなにかを「してあげる」ということではなく、共感し、いっしょにワークを楽しんでみる、という方式で進めていった。
参加のおじさんたちも、みるみる血色がよくなり、笑い声をあげて気楽な体勢になっていくのがわかった。

おじさんたちの次は、女性ばかりがやってきて、さらににぎやかになった。
音読ワークでは大変盛り上がり、近所の人がなにごとかとわざわざのぞきにくるほどだった。
サポートをしてくれたNPOの方々も興味深そうに見学していた。
最後はみんなで唱歌「夏は来ぬ」を気持ちよく歌って、終了。

予定より早い時間に終わったが、東京に戻るのが深夜にならずにすむということで、ありがたく撤収。
車に荷物を積みこんで、みなさんに挨拶しながら、小雨の降るなかを帰路につく。

正午ごろに出発し、途中、食事、休憩を何度かとりながら、東北自動車道を約500キロ走って、夜に東京に入る。
午後10時すぎ、無事に羽根木到着。

この二日間の音読ワークの詳細レポートは、明日にでも書くつもり。
ひとまず、ツアーに同行してくれた音読療法士の皆さん、三谷産業のお三方、そして応援してくれたげろきょや三谷産業のみなさん、ありがとうございました。