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2012年2月29日水曜日

第2回「槐多朗読」の来客感想

ご来場いただいた方からいくつか感想を手書きやメールでいただいていたのに、どこへやっちゃったのかと思っていたら、ちゃんと自分で入力しなおしてデジタル化してあったのをすっかり忘れていた。
 遅まきながら、いくつか抜粋して紹介したい。
 感想をいただいた皆さん、ありがとうございました。
 ライブ終了後も「うまく感想をいえない」という人が何人かいらして、私は「しめしめ」と思ったのだった。すぐに言語化できないというのは、私にとってひとつの成功の印なのだ。

◎物語の内側から這い出てくる朗読の深みをじっくり味わうことができました。

◎最後にクジラの声みたいな音がきこえたんですよ。駅が近いから車輪の音/ブレーキの音なのかななんて。近頃の自分は「shita」という響きが好きで、2作目に「した」ってあって嬉しかったです。

◎朗読はテキストの伝達でもあるけれど、同時に語り手の表現の自由の回復、また聴き手のそれがむしろ大きな目的であると感じました。つっかえたらつっかえたこと自体をリズムとして活かすまたむしろ完全な沈黙を共有するという瞬間こそ大切なのだと。

◎最後の方の「この凍りを割らないと全て滅びてしまう」という感じや、「死と遊んでいる」という感じは何となく共感できると思った。

◎朗読会という場所に参加したのは初めてです。歌のライブには時々行きます。村山槐多さんのことも知らずに参加。本は好きですが、文学が好きかはわかりません。歌をききながら景色が浮かぶ歌手の人がいます。それとは少し違うようでした。(中略)こちらで朗読会がある時はまた参加してみたいと思います。やはり、上手く感想は書けそうもありません。すみません。でも今日は、良かったと思います。

◎ブックカフェの場所は思ったより狭く、大盛況だったので、どこを向いていいのやらで、最初の演目では、野々宮さんに背を向けたまま、聞いておりました。野々宮さんの息が頭に降りかかるような臨場感でした。槐多、ダヴィンチ、サライノの霊魂が降りてくるような狂気を感じました。サライノという初めて聞いた名前が、脳裏に刻みこまれました。2番目の演目は、雪国の話が出てきたので、水城さんの作品だとすぐにわかりました。槐多の作品とのコラボも立体的に構成されていたと思います。「死とあそぶ」というフレーズが印象に残りました。最後の沈黙は、これは、試されているのか?と思ったのですが、そう思ったこと自体、わたしは、まだ邪念がありますね。目を閉じ、沈黙に身をゆだねていると、表のバイクの音が聞こえ、でもこれは、水城さんのPCから出ている音かな?とも思って、それもまた邪念ですね。薄目を開けると、野々宮さんが気持ちよく目を閉じて、沈黙を楽しんでいらっしゃいましたね。横にいた数学者の青年が、あの沈黙の中、カプチーノのカップをゆっくりと手に取り、飲み干している情景が、ちょうどスポットライトの下、舞台の中のワンシーンのように見えました。まったくの練習なし、音楽とのリハもないまま、あのクオリティの高いパフォーマンスには驚きました。テキストからも自由でいて、自分自身からも自由でいることが、表現者としてあるべき
姿なのですね。帰宅して、いつもの地下鉄の駅が、違った風景に見えました。ありがとうございました。

◎わたしは現代詩が大好きで、なんか、懐かしいような、いい空間で、うれしかったです。大切なお仕事をしてくださり、ありがとうございます。遅れてしまいましたのに、後半を楽しめて、よかったです。またぜひ、聞かせていただきます。

◎槐多作品の方は、むつかしい単語が多いからか、恥ずかしながら。意味がわからない部分がたくさんあり、けど、言葉遊びのようで、活字を見て口に出すというのっておもしろいだろうなあとやりたくなりました。んで、頭からっぽの中で、”うれしい”とか、そういう、スポットで、感情を感じられたのはうれしかったです。今考えたら、その場の皆で共感できたのではないかと、後付で思ったことですが。それも、あたたかいことだとおもいます。なんですけど、私は物語や空間を頭の中に映像のように感じたいという部分もあり、もちっと意識して聞くバージョンもやりたかったなあ(自分で)と思いました。ということで、頭からっぽで、ラク~♪に聞いて、泣いたり笑ったりするのと、物語を見に行くのと、2回くらいは聞きたいなあ~。と思いました。
2月の、雪のテキストは、水城さんですか?書かれた時代とか、言葉の難しさの違いなのかなんなのか、こちらは、こんなにもしっくりと、同じように聞いていても、まるで自分が動いているかのように感じられ、自分が書いたかのようにすっと、馴染みのある感覚でした。これはなんだかねえ、共感を得られた時のようなうれしさがありました。
最後に、卯妙さんが、沈黙の後に小さく 「おわり」と言ったのがかわいくて、うわっ!かわいい!!と、自分がしたくて拍手をしたので、拍手しなくていいですと言われてたらちょっと困りました。よ?私はいつも、もしあんまりだったら、拍手をしないか、申し訳程度に(音小さい)拍手するくらいなので、やりたい時は盛大にやりたいです。
録画のものを見るより、朗読と、演奏と、その場の空間が融け合っていて、やっぱりその場がいいなあと思いました。当たり前ですか。なんかやっぱり、録画と全然違うなあと思いました。