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2012年1月9日月曜日

若さゆえの硬直性(私の場合)

自分の成人の日になにをしていたのか、まったく記憶にありません。とにかく、成人式に出なかったのは確かです。
 20歳の成人の日には、京都にいたことは確かです。ほとんど学校に行かない不良学生をやってました。住んでいたのは出町柳。当時はまだ京福電鉄の叡山電車の駅がまだ古い駅舎で、京阪電車もここまで延びていませんでした。駅前には小さな商店街があって、コーヒーショップ〈カミヤ〉もありました。カミヤはいまはどうなったんだろう。
 私が住んでいたアパートというより下宿部屋は叡山電車の線路に面していて、首を出せば出町柳駅の構内が間近に見えました。古い下宿で、共同玄関で靴を脱いで下駄箱に預けてあがる方式でした。古い廊下の突き当たりに共同炊事場がありました。もちろんトイレも共同。風呂はなし。風呂は百万遍の銭湯まで歩いていきます。
 いまから思えばとてもレトロで貴重な環境だったと思いますが、当時はその古臭さがいやなばかりでした。田舎から出てきた若者にとっては、京都といえどもその程度の感覚しか持っていなかったんでしょうね。振り返ってみれば、若さゆえの無感覚やもったいない経験をたくさんしてきました。
 いまの人はどうかわかりませんが、若いというのはむしろ思考や感覚が硬直していることが多かったような気がします。