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2011年8月24日水曜日

次世代作家養成塾:習作&講評「伝説」船渡川広匡

すげーばかばかしいアイディアを思いついたとき、それを書くべきか捨てるべきか、迷うことはよくあると思います。
自分のなかの見えない無意識の闇に釣り糸を垂らしていると、泡沫のようにくだらないイメージや言葉が湧き上がってきます。それらを拾いあげたり、捨てたりして、ものを書くわけですが、ばかばかしいからといって書くに値しないということはありません。
どういうものに書く価値があって、どういうものに書く値打ちがないのか、それぞれ一定の価値基準のようなものを持っていると思いますが、いったんそれを捨ててしまうのも大事なことです。
自分が持っている価値基準は、いったいなにを根拠にしているのか。ひょっとしてその価値基準は、だれかから与えられたものなのではないか。社会的基準として外側から与えられたものなのではないか。自分の価値基準だと思いこんでいるだけではないか。
そういうことを疑って、価値基準をいったん捨ててみる。そのためには、自分の価値基準にそぐわなくて捨ててしまうようなアイディアを拾いあげて、書いてみる。
つまりは私たちはなんらかの価値基準にそってなにかを書くのではなく、「書く行為」そのものが重要だということです。「なにを」書くのかではなく、「どう」書くのかが重要なのです。どんなくだらないアイディアでも、書きかたによってなにかを人に伝えることはできます。たとえばこの船渡川広匡の「伝説」のように。

本当にくだらないアイディアだと思います。
ようするに「高木ブー」一発です。あとで聞いたところでは、筋肉少女隊の曲からタイトルも思いついたということです。
まったくばかばかしい内容ですが、大事なのは船渡川広匡の文章としてこれを書けるかどうか、ということです。それができれば、内容のばかばかしさは逆に驚愕の共感作品となります。
そういう意味で、船渡川広匡は大変おもしろい可能性を秘めながら、いつもあと一歩の詰めが弱いのです。アイディアも思いついたところからさらに切りこんで濃縮させたいところです。
たとえば、電車の空席のエピソード。これはありきたりすぎる。もっとキレのいい「ギャグ」がほしいところです。
また、「私」がなぜタクシーの中でパソコンを広げて報告書を作成しているのか。こういうディテールについては「ただそう思いついたから」で終わらせてはいけません。こういう部分を詰めていくことが「創作」という行為なのですから。

(以下、講評つづきと作品本体は養成塾のメールマガジンで掲載しています)

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