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2011年8月5日金曜日

テキスト表現ゼミ習作選「親指」奥田宏二

毎週日曜日の夜、羽根木の家でおこなっている「テキスト表現ゼミ」の習作を不定期に紹介していくシリーズ。

とにかく奥田宏二は文章が達者である。わかりやすく的確な描写技術、話運び、アイディア、どれをとってもそつがない。
問題はそのレベルが「そつがない」レベルにとどまっている、ということだ。
とはいえ、悲観することはない。そのレベル、つまり一般的な活字商業作品のレベルを超えていけるポテンシャルの片鱗は見えている。
破綻を怖れずに書いてほしい、と思う。ストーリーやイメージにリミッターをかけないこと。「このくらいだと成立するだろう」という枠を外すこと。


「親指」奥田宏二

ブレーキランプが何度か点滅すると その光は 遠く他の光と交じり合い 次第に見えなくなった。
洋介は 呼吸の中に 遠く読経の声が聞こえた様な気がして
道の向こうに見える生家に目をやった。
葬儀屋の仕事は見事なもので、すでに 葬儀の名残は 跡形も無かった。
これで洋介は 父 母 共に失ったことになるが、洋介にその実感は まだ沸いてこなかった。

東京の一戸建て。とはいえ東京都下の田畑に囲まれた一軒で、
近隣の目標物が洋介の生家という、大きいだけが 取り柄の家である。

ひときわ大きな庭の柳が、ここからでも風になびいているのがよく見える。
柳がゆれる度 青い生家の屋根が見え隠れするのだが、あらためてよく見ると、
洋介は自分の記憶より 屋根が幾分か 古く 煤けていることに気が付いた。

相続問題は一切もめることなく、洋介が引き継ぐということで あっけなく片付いた。
喪主は洋介だったが 取り仕切ったのは殆どのところ 叔父だった。
今後やる事を 一通り説明し終えた叔父は、日が傾き始めたころ、黒塗りのBMWで帰っていった。

「隆、早くおいで」
叔父の車追いかけていた息子は、いつの間にか道端にしゃがみこんで 何やらゴソゴソ
やっている。
息子の興味はすでに、叔父の車から 道端の小石に切り替わっている様子だった。

まぁ急ぐことも無いか―
何かに夢中になっている息子をぼんやり眺めながら 洋介は胸のポットからタバコ
を取り出し火をつけた。
これは 父の部屋から拝借した 最後の一箱である。
ハイライトはいつものマルボロと違い、洋介の肺に重く圧し掛かって来たが、次第に
その重さも心地よくなってくる。
洋介もまた 父と同じく 愛煙家だった。

道端にしゃがんでいた息子はいつの間にか洋介のそばで木の枝を振り回していた。
「隆」
そう呼ぶと 洋介はわざと息子が自分の親指を握るように手を差し出した。
洋介は不意に 昔この道を父の親指を握って歩いたのを思い出していたのである。
息子はそれが当たり前の様に洋介の親指を握ると 体を傾かせながら
洋介に引きずられるように歩いた。

ゆらゆらとしばらく歩いていたが、息子は突然家のほうに向って大声を出した。
洋介は声の先を見ると
いつの間にか庭に出ていた妻が こちらに向って手を振っている。
 
ああ、この光景もみたなぁ―

しみじみとその光景を感じていると 洋介は煙の先に父の気配を感じたので

そこに行くのはまだまだ先だよ―

何となくそう呟いた。
親指で繋がれた親子の見上げる先には 
タバコを燻らせる お互いの父の姿があった。
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