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2011年6月20日月曜日

テキスト表現ゼミ秀作選「さそり座」

毎週日曜日の夜、羽根木の家でおこなっている「テキスト表現ゼミ」の習作から秀作を不定期に紹介していくシリーズ。
ちょっと間があいてしまったが、今回は三木義一の作品。テーマは「さそり座」に設定されていた。

三木義一は現実感のない「観念的」な文章を書くことが特徴である。それを「欠点」といってしまうのはあまりに軽はずみにすぎる。彼の「観念」の世界は、どこか青臭い肉体に閉じ込められたような苦悩の匂いがある。その匂いには懐かしさすらある。
だれもが身に覚えのある匂いではないだろうか。
もっともっと観念を追求してもいいのではないか、とすら思える。観念を貫きとおした先に、身体性をともなった情念が垣間見えたとしたら、三木義一はあらたな地平を獲得するのではないか。

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シーツの端から白い足がはみ出している。
めりはりのないラインは、全く筋肉の存在を感じさせない。
小麦袋のように軽薄なたたずまいだ。

皮膚は薄く、その表面に水分は残されていないようだった。
膝の外側からくるぶしの内側にかけて、薄い体毛が流れている。
青い血管が薄く透けて見えるが、それらは表面に何の起伏も及ぼしていない。
皮膚直下を無軌道に潜行するか細いラインが、幾重ものまだらなレイヤーを形成している。


ただ、静かだ。


私はそれに触れてみる。
弛んだ皮膚はさざめき、かすかな擦過音をたて後ろへ去ってゆく。
が、後には何の痕跡も残されず、指先にプラスティックを触った後のような感触が残っただけだった。


これにはいったい、重さというものがあるのだろうか。


綿のわずかな起毛だけで、それは受け止められているように見える。
くるぶしを持って引き上げると、いとも簡単に宙へ浮かんだ。
何とも言えず嫌な感じがする。
関節の回転が感じられず、ただそれだけで虚空に浮かんだようだった。

風が吹いて来る。
静止していた体毛がさわさわと流れている。
毛細血管はジャンクションでつながれ、さそり座、射手座、蛇遣い座・・・様々な星座が点滅して見える。
点滅はさらに激しくなり、遍く光と闇の連続であることがはっきりと見て取れた。
それらは同じ重力で私を捉え、深さのない穴へと私を引き込んでゆく。

風が止んだ。
私には重さがなく、空間には上下がなかった。
表面のみが支配するこの場所で、私とはいったい誰なのだろう。
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ちなみに蛇足だが、三木義一は重度障害者介護のアルバイトをしている。

※テキスト表現ゼミは、随時、参加者を受け付けています。
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