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2010年10月12日火曜日

朗読表現で「型」をどう扱うか

小説などを朗読するとき、セリフや話し言葉の部分をどういうふうに読めばいいのか、声音を使うべきか、あるいは使ってはならないのか、という質問を、実にしばしば受ける。
オーディオブックリーダー養成講座受講生からも受けるし、先日の読み聞かせ講座でも受けた。
こういう質問が発せられる理由ははっきりしていて、多くの人が「台詞はこう読まなければならない、という定型や決まりがあるのではないか」と無意識に求めているからだ。本人がみずから「求めている」というところが重要だ。
その希求が起こってくるわけははっきりしている。
「定型があればそれをなぞればいいので楽だ」
という無意識的経験からその希求が生まれてくる。
私は表現行為において「型」の扱いは慎重におこないたいと考えている。

「型」というのは他人が作った枠組みのことだといっていい。表現者はその枠組みに入ってもいいけれど、出ることにも自由でありたい。他人の枠組みに自由に出入りできる人は、自分の枠組みも自由に出入りしたり、作ったり壊したりもできるだろう。
朗読であれば、自分がマインドフルにそのテキストに向き合ったまさにその瞬間、どのように読むのか、どのように読みたいのか、が初めて立ちあがってくる。その瞬間のクオリティをつかまえるのが表現行為なのではないだろうか。