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2010年7月2日金曜日

朗読の快楽/響き合う表現 Vol.3

いつしか私はクラシック音楽の魅力にどっぷりとはまっていた。父が買ってきたレコードをすりきれるまで繰り返し聴いたし、福井の楽器店に行ってオーケストラのスコア(総譜)を買ってきて、それを見ながら聴いたりもしたので、交響曲がどのように作られているのかわかった。

ピアノ協奏曲のスコアも買ってきた。これはピアノパートがあるので、自分も弾いてみることができる。それが楽しくて、またピアノに向かうようになっていた。ある程度弾けたので、難しい協奏曲にもどんどん挑戦し、しかも先生に怒られることもないので楽しくてしかたがない。

レッスンに通っていないので、弾けようが弾けまいが、弾きたい曲だけ弾けばいいし、いくら難しい曲にもどんどん挑戦したりもする。そうやって私のクラシック音楽の知識はどんどん増えていった。バロックから現代曲まで、実際に弾いて曲構造を確かめていたようなものだ。

とくに私のお気に入りは、ムソルグスキーの「展覧会の絵」だった。ラヴェルが編曲した交響楽バージョンが有名だが、もともとはピアノ曲だ。しかも相当の難物だった。左手がオクターブで激しくスケールを鳴らしたりする部分もあったりして、そのままではとても弾けない。

そこで私は勝手に曲を簡単に弾けるように書きかえ、しかしちゃんと元の曲の雰囲気は壊さないようにして、家や学校で弾いてみせてみんなを驚かせていた。それが快感になっていた。ブラスバンドはやめたが、中2からは合唱団の伴奏をするようにもなっていた。

合唱の伴奏は、ひとりで好き勝手にピアノを弾くのとはまた違ったおもしろさがあった。合唱伴奏は結局、中高を通して続けたのだが、団員は女の子しかいない事実上の女性合唱団だった。男は伴奏の私ひとりという、なんともくすぐったい感じだったが、これは楽しかった。

ほとんどのアンサンブル音楽がそうであるように、合唱もコミュニケーションといっていい。とくに伴奏者にはそれが求められる。この経験を通して、私は音楽でコミュニケートすることの楽しさを覚えたのだと思う。また、音楽を作ることのおもしろさも知った。

合唱団の伴奏だけでなく、クラス対抗の合唱コンクールのときの伴奏も、6年間を通じてやった。中学は7クラス、高校は8クラスあったので、コンクールはけっこうにぎやかで、各クラスとも力がはいった。課題曲と自由曲があり、私たちは自由曲に工夫をこらした。

難曲を勝手に書きかえたり、我流で器楽曲をピアノで弾いたりしていたので、自然に曲のアレンジができるようになっていた私は、合唱用にもいろいろな曲をアレンジして、クラスに提供し、コンクールに臨んだ。その結果、私のクラスは何度も優勝をかっさらった。

そうやって私は自由に音楽すること、自分で音楽を作ることの楽しさを覚えていったのだった。そんな思春期のまっただなか、私はジャズという音楽に出会うことになる。そのころの私の音楽試聴はもっぱらLPレコードが中心だった。そしてFMラジオの存在を知った。

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