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2010年6月30日水曜日

朗読の快楽/響き合う表現 Vol.1

アイ文庫twitterでは、現在、水城雄によるドキュメント「朗読の快楽/響き合う表現」を連続配信中です。ハッシュタグが「#roudoku」で、通しナンバーがついてます。
すでに配信を終えたものを BLOG にも掲載します。


「朗読の快楽/響き合う表現」の連載をスタートします。創造と共感の場である「現代朗読協会」がいまの形になるまでの経緯を、私の思考過程の変遷をたどりながら正直に、誠実にたどってみたいと思っています。おつきあいいただければ幸いです。

私(水城)はときおり、現代朗読協会のいまのありようを「奇跡のようだ」と表現することがあるけれど、その理由はこのドキュメントを読んでいただければわかると思う。次世代のアートコミュニティのありかたのひとつを提示しているのではないだろうか。

私はいま、小説家/音楽家と名乗っている。が、活字出版のための、とくに商業出版のための小説はもう書いていない。書いているのはケータイの公式サイト「どこでも読書」での連載長編(しばらく中断しているが)と、朗読のためのショートストーリー、そして詩だ。

音楽についても、単独の活動はほとんどおこなっていない。朗読との共演、語りのサポート、オーディオブックのための音楽、たまに演奏でライブをやることがあるが、それも自分主体ではない。20代初期のころは自分のバンドを持っていたし、演奏で生活していたこともある。

こういう者が、なぜいま朗読に関わることが自分の表現の中心となっていったのか。そして、私の意志とは関係なく自然発生的に生まれて育ってきた現代朗読協会というコミュニティについて、できるだけ時系列を追いながら振りかえってみたい。

私は1957年に福井県の山間部にある勝山市というところに生まれた。私的なことだが、しかしこれは現在の状況を語るためにどうしても必要な基本情報なので、明らかにしておかなければならない。この田舎で生まれ育ったということが重要なファクターとなっているからだ。

学校といういわば被保護の立場から、社会と直接関わるようになった最初の仕事は、祇園のバーテンダーとしてであった。そこはいまもあるが〈バードランド〉という名前のジャズバーで、京都を中心とする関西のバンドマンがマスターの人柄を慕って集まってくる店だった。

私は彼らに刺激を受け、独学でジャズ演奏を学び、やがてバンドマンの仲間入りをしつつ、自分のピアノトリオを結成してライブハウスなどにも出演するようになった。このような道すじは、私が田舎で生まれ育ったことと無関係ではないのである。

私の父親は高校教師であった。つまり、田舎のインテリ階級といってもいいだろう。そういう家庭だったので、私の4歳下の妹がまだ3、4歳のころから「音楽教室」とやらに通いはじめた。それからしばらくして、我が家にピアノがやってきた。私は8歳か9歳だったと思う。

妹がピアノを弾くのを見ていた私は、自分もやってみたいと思い、親に頼んでみた。するとあっさりと許可がおりたのだ。あとで聞いたことだが、父親は「男がピアノを弾く」という姿にあこがれを持っていたようなのだ。父は戦中に拓殖大学で学生時代をすごしている。

父は福井県の松岡町というところの出身で、学生時代は東京の福井県人会の寮に寄宿していた。その寮にピアノがあり、他大学の学生だったがときおりそこで演奏している姿を見て、父は非常に感銘を受けていたのだ。父も田舎者だったが、クラシック音楽を愛していた。

そんな父ゆえに、息子がピアノを習いたいといいだしたときには、しめしめと思ったに違いない。私が個人レッスンでピアノを習いはじめたのは、小学3年生のときだった。ピアノ教室はいまもそうかもしれないが、当時はさらに輪をかけて生徒は女の子ばかりだった。

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