ページ

2010年6月5日土曜日

読み聞かせ:聞いてくれない子をどうすればいいか

mixiの知人の日記にこのような書きこみがあった。
小学校で読み聞かせのボランティアをやっている方の日記。その一部を勝手に引用させていただく。

----------
朝の授業前の10分間、こどもたちは机を後ろに押し詰めて 空いた床に体操座りして
聞いてくれます。
どのクラスにも一人や二人、みんなの輪からはみだして 後ろや端っこに座る子がいますが、
そのこたちが おはなしがすすむにつれて、ずりずりとお尻を動かし 近づいてくるのをみると、しめしめ と思います。

でも、木曜日は 一人のおんなのこ 後ろに下げた机に座って こっちを向こうともしなかったわ。 
チュー先生が せっかく治療してあげたおおかみに食べられちゃうんじゃないか!って
前に座った子たちは真剣な顔してページをみつめているのに 
そのこは そっちのほうをみてあくびしてました。

絵本 きらい? おばちゃん きらい?  ともだち きらい?

でもね やっぱり 前においでよ。  と 言いたいんです。
----------

この方の残念な気持ちは痛いほどわかる。
私も現代朗読協会で小中学校を訪問し、似たような状況に直面することがよくある。
こういうとき、こちら側・大人はどう対処すればいいのだろう。

内田樹氏なども主張しているが、現代の子どもたちがそのような態度を見せるにはそれなりの理由がある。
詳しくは割愛するが、近代以降の効率主義、経済主義、報酬主義的なシステムで「経営」されている学校や家庭生活のなかで、子どもたちがそのような「かったりー」という態度を示すのは当然のことなのだ。
子どもに限らないことだが、そのような「高効率が最大目的」とされる社会においては、当然のことながら「最小労力で最大の効率をあげる」ことが良しとされる。
これは、「なんの目的も報酬もない」ことについては労力を割いてはならない、という、裏返せばそういう価値観でもある。
「読み聞かせ」とか、「洗い物などの家事手伝い」といった、目的も報酬も得られないことに対して子どもたちは、
「自分はほかに高目的で高報酬のためにやるべきことがあるんだよね。だからこういうのはかったりーんだよねー」
というせいいっぱいの抵抗姿勢を見せることになる。親や教師も、そういわれればそのとおりで、自分たちもそのように子どもを教育してきたものだから、反論はできず、ただ沈黙するのみなのだ。
「いいから黙ってやれ」
というかつての親や教師の言葉は、現代の子どもたちには通用しない。目的と報酬を示さなければ彼らは動かないし、そのようにしたのは親や教師にほかならない。もっといえば、資本主義というシステムそのものでもある。

では、読み聞かせのときにふてくされた態度でこちらを無視し、お話を聞いてくれない子どもがいたら、どう対処すべきか。
彼女はおそらく、せいいっぱいの「演技」で、自分は「読み聞かせなどには関心がない」というメッセージをこちら側に送ってきているのだ。
一所懸命に聞いている子どもたちに勝るとも劣らない強いメッセージを、こちらに送ってきていると理解したい。
そういう子どもに対しては、こちらから声をかけたり、引っぱりこもうとするのは逆効果である。こちらがとるべき態度は、「なにもしない。しかしきちんと存在を認めてやり、見守っておく」である。
こちら側のその態度は、かならず彼女にも伝わっている。
彼女が「読み聞かせ」に参加してくれるようになるかどうかはわからないが、こちらが彼女のありようをしっかりと見守って認めつづけている、ということへの認識が、彼女を救うだろう。