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2011年11月4日金曜日

げろきょ祭り「インターバルと当日パンフレット」

午前の第一部が終わり、いったん撤収。というのも、この日は音倉のランチタイムコンサートの予定がはいっていて、ピアニストのいまむらなおこさんの演奏のために私たちはいったん、会場を明け渡すことになっていたからです。
 南口のダイエーの跡地にあたらしくできた食料品売場に行ってお弁当を仕入れ、羽根木の家にもどりました。午後2時半まで待機です。
 このインターバルを利用して、今回の公演の当日パンフレットのために私が書いた「しもきた奇譚について」「現代朗読の聴き方」というテキストを紹介しておきます。

◎「しもきた奇譚」について
 まずは当公演に足をお運びいただいたことについてお礼を申し上げます。
 現代朗読協会ではこれまでにも大小さまざまな公演/ライブをおこなってきましたが、今回の公演には特別な思いがあります。
 私たちは朗読という表現にもう一度、生命を吹きこもうとしています。狭い場所に閉じこめられてしまっている朗読を、もう一度広い場所に引っぱりだし、ときにはジャンルを超えてのびやかで自由にみずからを表現したいと思っています。
 それは、きっちりと作りあげられ、たくらまれたものではなく、「いまここ」にある私たちとあなたがたの間に起こること、その手触りを大切にしていく行為です。どうぞみなさんも「いまここ」の手触りをじっくりと味わっていただけたら、と思います。
 これが私たちの表現であり、くびきから解き放たれた朗読です。

◎現代朗読の聴き方
 わざわざこんなことを申し上げるまでもないと思いながらも、あえて書いています。というのも、私たちは自分たちの成長ばかりでなく、私たちを支えてくれるオーディエンスのみなさんとともに表現の場を育てていきたいと思っているからです。
 まず、申し上げておきたいのは、
「私たちは観客に対する自分たちの〈優位性〉を誇示するためにステージに立っているわけではない」
 ということです。
 多くのパフォーミングアートが、演者の〈特別性〉〈優位性〉を観客に示そうとします。たとえばだれもが絶対に弾けないような難曲を完璧に弾きこなすピアニスト。だれも踊れないようなテクニックを披露するダンサー。複雑で困難な立ち回りを演じる役者。観客はそれを見て驚嘆し、自分には絶対にできないパフォーマンスに対して賞賛を送ります。
 しかし、私たちは違います。私たちは、自分の「いまここ」のありのままを誠実にみなさんに提示することから始めます。私たちとみなさんはおなじフロアに立ち、私たちが提示する生の声や動きを共有し、味わいます。
 みなさんから入場料をいただいてますが、それもパフォーマンスに対する「対価」としていただくのではなく、この場、つまり私たちとみなさんが朗読表現を通して共感するための場、を成立するために必要な「経費」としてお願いしています。
 このようなことにご理解いただいて、ともに「作品」を作るつもりでご参加いただければ、どんなにうれしいかわかりません。

(つづく)