朗読を指導するための講師の方たちは、どういう経緯で講師になったのだろう。
ほとんどが、
「自分も朗読をやっている」
「声優やアナウンサーやナレーターという声の仕事についている」
といった方だろうと思う。
それ以外に私が知っているかぎりでは、放送作家や演劇の演出家という方もおられるが、ごくまれである。
ほとんどの朗読指導者が、自分の豊富な実践経験にもとづいて指導にあたっている。ご自分がよいお手本となって、どうすればこのように読めるようになるか指導するわけだ。
私も朗読指導をおこなっているが、私自身は朗読家でアナウンサーでもないので、お手本を示すことはない。というより、できない。そういう人間が朗読指導にあたっているというと、事情を知らない人はたいていびっくりするのだが、指導者/コーチが実演者である必要はかならずしもない。たとえば音楽の世界ではすぐれたピアニストがかならずしもすぐれた指導者であるとはかぎらない。ピアニストとしては大成しなかったが、指導者となってすぐれたピアニストをたくさん育てたというような人はたくさんいる。
音楽の世界ばかりではない。演劇、美術、文学、スポーツなどの分野でも、実演者と指導者/コーチは別の仕事としてかんがえられることが多くなっている。そのほうが都合がよいことがわかってきたからだろう。
どういうふうに都合がいいかというと、自分もやれてしまえる実演者が指導にあたると、どうしても自分の経験則にもとづいた方法を生徒にも押しつけがちになる。自分はこうやってうまくできたんだから、あなたもこういうふうにしなさい、というふうに。それがうまくいけばいいが、表現の世界では指導者のコピーが大量生産されても意味がない。それぞれの個性が生きてこなければおもしろくない。
その観点から、私は「現代朗読」という方法を研究してきた。
それは特別な方法ではなく、考え方と観察力といくらかの経験を積めば、だれもが指導者になれる方法だと思っている。
私の提唱している「現代朗読」の方法をひとりじめしようなんて思っていない。むしろ多くの人に理解してもらい、実践してもらいたいと思っている。そうすれば、朗読の世界がもっともっと自由になり、楽しくなり、特別な人でなくても自分自身を朗読という行為を通してイキイキと表現できるようになるからだ。
もっと朗読を(聴く人もふくめて)楽しむ人が増えてほしい。これほど手軽で、しかし奥が深い表現はほかにない。
12月26日は1月10日に一日講座というものをやるのだが、ここで現代朗読を学んだ人は自宅に持ちかえって、どんどんそれを広めてほしい。
一日講座なので、継続的に来れないような遠方の人もこの日だけ都合をつけて来てもらえばいいし、遠方でなくても現代朗読協会への継続的な参加ができないような人も、一日だけあけて来てくれればいい。
一日で可能なかぎり、現代朗読のエッセンスをお伝えし、習得してもらおうと思っている。
現代朗読一日講座の詳細はこちら。