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2020年8月16日日曜日

出発式のお知らせ/8/13〜15のレポート

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本日18時半から水城ゆう出発式(告別式)をとりおこないます。

オンラインでご参列いただけます。時間になりましたら、現代朗読協会のFacebookページにあるイベント「水城ゆう旅立ちフェス」にお入りください。


また、出発式終了の19時半ごろから、水城ゆうを偲ぶオンラインミーティングをもちます。

水城に贈るパフォーマンス発表、そしてまた水城への想いをかたりあう場としたいと思っております。

ご参加には事前登録が必要です。参加希望の方はこちらからご登録ください


以下、栗山のぞみさんによる8/13〜15のレポート(Facebook):

8月13日午前

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=3269542793093732&set=a.173937972654245&type=3


8月13日午後

https://www.facebook.com/nozomi.kuriyama1/posts/3270715956309749


8月14日の記録

https://www.facebook.com/nozomi.kuriyama1/posts/3273343612713650


8月15日の記録

https://www.facebook.com/nozomi.kuriyama1/posts/3276610549053623

2020年8月15日土曜日

旅立ちフェス開催

 8月15日未明、水城ゆうがこの世を旅立ちました。


是非現代朗読協会のFacebookイベントページに、水城へのメッセージをお書きいただければ幸いです。

また、水城にゆかりあるみなさまにご自宅から見送りにご参加いただけるよう、「出発式」のオンライン中継、つづいてzoomにてみなさまのパフォーマンスや送る言葉などで水城の旅立ちを見送る会を催したく、お誘いいたします。

旅立ちフェス@8月16日(日)


【第1部:出発式 18時30分〜】

キリスト教式で水城を見送る式をとりおこない、Facebookライブで中継します。みなさまでお見守りください。

【第2部:水城旅立ちフェス 19時30分ごろ〜】

zoomルームにご参加いただき、みなさまそれぞれの水城への思いを表現し分かち合いましょう。
(出発式終了までは待機室でお待ちいただきます)

◉登録が必要です!

オンライン旅立ちフェスに参加される方は、こちらのリンクから必ずご登録ください。
折り返し、zoomルームへのアクセスURLおよびパスワードが届きます。

◉詳しくは「水城ゆう活動支援プロジェクト」をごらんください。


◎フェススタッフより

スペースの関係および時節柄もあり、春野亭への弔問はお控えいただき、それぞれの場所でぜひ、オンラインフェスにご参加ください!

2020年8月13日木曜日

これまでの状況(8/4〜12)

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水城見守りフェス、つづいています。

毎日4〜5人が春野亭に詰めてくれており、見守りやオムツ替え、ベッドを整えたり洗濯や掃除をしたり、出入りする人たちのために賄いをしたり買い出しをしたり……をしてくれるので、私はベッドそばで見守ることだけに徹することができ、仮眠もとることができています。

夕方から朝にかけてが変化が大きいので、泊まり込みや早朝から来てこうした作業をしてくださる常連メンバーもおられ、彼らのケアも大事です。

配慮とサポートをよろしくおねがいします。

力も強く、吸い込む力もあり、誤嚥もありませんが、本人のバイタルは徐々に低下していて、今朝の訪問看護においては、急変の可能性および週末はどうかという話題になってきています。

その時がくるまで、フェスは楽しく明るくつづける所存です。


以下、栗山のぞみさんによる8/4〜12のレポート(Facebook):

8月4日〜8日までの記録
https://www.facebook.com/nozomi.kuriyama1/posts/3254177874630224

8日から9日朝 
https://www.facebook.com/nozomi.kuriyama1/posts/3256011444446867

9日の記録
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=3257975110917167

9日から10日朝
https://www.facebook.com/nozomi.kuriyama1/posts/3259252580789420

10日の記録
https://www.facebook.com/nozomi.kuriyama1/posts/3260571730657505

10日夜〜11日朝
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=3262456457135699

11日の記録
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=3265178393530172


12日の記録
https://www.facebook.com/nozomi.kuriyama1/posts/3268532579861420


2020年8月8日土曜日

本日朝までの状況〜大変だけどすばらしい

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5日の午後、ふたりの青年がやってきてくれた際、朗読に反応してピアノを弾いた。奇跡。

そのあとは椅子から動けないまま、訪問看護あり。麻薬の量を95%にする。痛みよりクリアな時間を、という願いからだったが、かなわず。看護師のすすめで、夕方からおむつにする。その後はもう意識も朦朧としてきて、吐いたりしながらもなんとかその夜は眠った。

6日、のぞみさんが明け方5時頃帰宅した後、私ひとりだけの6時すぎに急変。早い呼吸で、動こうとして倒れる繰り返し。意識は飛んでいる。白目をむいて何か話すのだが聞き取れず。これはもうだめかと思い、身近でサポートしてくれる友人たちに「だれかきて」とメッセージを送る。

その後はあまりにも怒涛の時間で、もう記憶が飛んでます。


絶対にわたしがひとりにならないようにしてほしい、と友人たちにおねがいしたら、絶対にしない、と毎日誰かがつめてくれている(また、何人もが水城だけでなく私のケアにもきてくれる)。

水城は数時間おきに嘔吐して黒色の吐瀉物を出す。最初は数百mlほどの大量を日に2〜3回だったが、徐々に減っていき、色も黒から深緑になっていった。昨日の夜あたりからは、ついに液体ではなく粘度の高い痰になった。また洟水がつづいてもいる。なんとか液体が口に入れば、それだけの量がまた吐瀉物として出てくるのだが。

おむつ替えは3人がかり。本人まだ体力がある、痩せてはいるがそれなりに体も重い、しかも自分の意思(?)で多少は体を動かそうとする。これを御すのは慣れない女3人ではかなりきつい。

(たまに本人が立ち上がろうとするので、それにあわせてやると、しばらくワナワナしながらしがみついて立っていてくれ、その隙におむつをはずしたり尿取りパッドを取り替えたりシーツを替えたりその他もろもろカバー類をどどどと取り替えられる。こうした連携プレーは、手際とアイディアと経験をもつ女性たちがいてくれることで、大変な作業が「すごい!」「やった!」とバレーボールの試合で点数が決まった時に皆が喜び合うような光景が生まれて充実感もある)

人手があるので、昼夜を問わず洗濯機をまわし、夜でも干す。梅雨が明けたのはありがたい。

毎日本人の状態が変わるので、その都度対応も変わり、必要なアイディアも変わる。マインドフルでいなくてはとても無理だ。

今はなんとなく元気な気がする。意識はほとんど(今皆で共有していると思っている世界には)ないようだが、掛け声のような声が出たり、ベッドから足を下ろしたり、お尻をずらしたり、といった運動をおこなう。目に意識が戻り、しっかりとこちらの顔を見ることができる瞬間もある。意味のある文章が口から出ることもある。
もっとも、昼は比較的おだやかで安定していることが多い。
夜遅くから明け方にかけて不穏になりがちで、頻繁に嘔吐や汚れ騒ぎや大きな動きが起こっている。泊まり込みができる人は限られているが、私を含めて3人は必要だ。そんな状況ができるだけ続いてほしいというのだから、介護というのはやはり無理ゲーだ。でも、汚物の容器はいつのまにか消毒されて戻され、濡れタオルや汚れ拭きが必要なときにさっと差し出され、お腹が空いたら食べ物が出てくる。そんなふうに影に日向にはたらき助けてくれる人たちがいて、介護はさながらフェスになる。
水城見守りフェスには、休み時間はない。
水城が声を出したといえば、今はなんと言ったのだろうと皆が集中し、なにが必要だろう、いまどんなきもちだろうと寄ってたかって推測され、バカ話に水城が苦笑しているだのうるさがっているだの言っては数分間みんな静かになるが、すぐにひそひそ声が再開し、また笑い声がおこる。
ふだんなら絶対見せることのない股間も大公開で清拭されて。
無防備でありのままをさらしながら、いま、水城は生きている。
水城さんはなんてしあわせなんだろうね、と皆が言う。
本当に、なんてしあわせなんだろう。
と思っていたら、水城から
「すばらしい、すばらしい」
という声が出た。なにに対してかわからないけれど、「おお〜〜」とみんなからお祝いの声があがった。

2020年8月6日木曜日

今朝の状況について

明け方、かなり危険な状態になりました。

今はなんとか落ち着きましたが、意識がもはや保てない状態です。
傍から動けません。

お見舞いのご予定をいただいている方は、お迎えできませんので勝手にお上がりいただき、顔を見るだけでお帰り願います、失礼をあらかじめお詫びいたします。
これからのおつもりだった方は、しばらくご連絡できませんのでお待ち下さいますよう。

友人たちが家のことなどやってくれながら隣室に控えていてくれています。

風が気持ちいいね、と話しかけると、時々首を動かしたり、目を見開いたりします。

ひろしまに思いを馳せながら。

2020年8月5日水曜日

essay 20200803 白鳥の歌



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これが最後なのか、こんどが最後になるのか、とひとつひとつの行為に思いながらの日々。

この3日間ほどは昼夜を分かたずトイレに頻繁に立つ。
支えると倒れやすくなるようなので、椅子や壁を支えに自力で動いてもらう。
ケアのありようが問われる。
浮腫んでパンパンに膨らんだ両脚をあげるのも自分で、とおねがいする。
ひょいとあげられるときもあれば、手でもちあげないとあげられないときもある。
せめてもの浮腫対策にと、たっぷり時間をかけて両脚のマッサージ(圧)。足の指の下に私の足の指を入れてリズミカルに持ち上げては落としてやると「気持ちいい」といって喜ぶ。こんなのが気持ちいいんだ……という発見。
他人にはそのくらいしかできないし、しないでいいのだろう。

夕方、ふたたび黒い液体を大量に吐く。
「遺言書を書く」と言って書く。遺言書は書き間違えるとだめらしいからもういいよ、と何度か止めたが、「絶対書く」と机にしがみつくので、書き終えるまで見届ける。黒く塗り潰したあとがいくつも残る遺言書。使えないかもだが本人の思いとして。

ものを食べなくなって数日。それが昨夜、いただいたメロンを「食べる?」と聞くと「食べる」と言うので少し出したら、「もっと」と言うので驚き喜び、さらに数切れ出したら平らげた。どんなに美味しかっただろうか!

明け方、みたび黒い液体を大量に吐く。
トイレの場所を何度か見失う。
水分がどんどん失われていく。入れるより出すほうがだんぜん多い。
枯れはじめたということか。

夜が明ける。
「体の中、どうなってる?」と聞くので、「あなたにしかわからないかなあ。ピアノ弾く?」と聞くと「うん」と言う。
でも動かない。

2020年8月4日火曜日

essay 20200802b 美しいおと



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aに続いてすぐ弾き始めた曲。
とても美しくて、しかも後半は同じ音の繰り返しになるのに、ずっと聞いていたい、もっと鍵盤を押してほしいと思った。一音一音がしぼりだすようにだされているからだろうか。音が出ているあいだはたしかに生きているからだろうか。

essay 20200802a やってみる



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水城がパソコンを操作できないので、私が代わりにやることに。
電子ピアノからオーディオインターフェースを経由してMacbookにつなげ、Logic Proで収録する。
音を編集することは無理だが、とりあえず音をいじらずにwavファイルにバウンス、それをYoutubeにアップする。
そんな些細なことの方法もわからなくて、友人に泣きついて教えてもらう。
やれ音が出ない、やれカットがわからない、やれミックスができない……
収録作業はこれまですべて水城がやってきた。
オーディオブックを収録するために何度か収録作業の講座もやってもらったが、ついぞ私が覚えることはなかった。

やらないからできない。やってみればそのうちできるようになる。
そんなことを人に言ったり言われたりして、ようやく事ほど左様に単純だと納得するまで何年かかっただろう。
ただやればいいだけなのに。
やらない理由をさがすのは未来への恐れといいつつ、それは未来でもなんでもない、過去の痛みが“ストーリーお化け”になって後ろ髪を引っ張っているだけだ。
同時に「責任の回避」をやっている。悪の凡庸さ……

なんてことはさておき、8月2日のこの演奏、bと2曲つづけて弾いていて、その切れ目はほとんどなかったので全体で長い一曲だと思っていたのに、あとで2曲であること、曲の切れ目はここ、との明確な指摘があり、音への意識はかなりクリアだなとおどろいた。

3回、トイレの行き来の際に倒れた。うち2回は力が入らず崩れ落ちるように座り込んでしまった。
85歳の認知症の舅を介護していた頃の記憶がリアルに蘇る。こんなふうに痩せてごつごつして骨の重さがこたえた。180センチ超えの舅と比べれば、水城はまだ抱えられるけれど。そして浮腫。低反発枕はもう使わないだろう。

2020年8月3日月曜日

essay 20200728 神は跳ねる



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この演奏は、仲間たちとともにオーガナイズした2017年NVC国際集中合宿(IIT)の、初日=マーシャル・ローゼンバーグの誕生日に生まれたちせちゃん(2歳)の曲をといって即興で弾いたもので、あとで「神は跳ねる」というタイトルを水城がつけた。
2歳の活発な女の子が、猫をおいかけたり、散歩で見つけたセミのぬけがらを見せに来たり、唇をすぼめながら手作りジンジャーエールを飲んだりしているようすを思い浮かべてみてください。
2歳児は神、というよりきっと神は2歳児みたいなのではないか、無防備で正直でやりたいことしかやらないで、そこに「在る」。

この翌日、7月29日水曜日、待望のMacbook Proが到着。「届いたよ!」とすぐに開けて渡したときの満面の笑み。
(記名支援者の方にお送りした報告メールには写真を掲載させていただいた)
しかし……同じ29日、麻薬の量が2割増量された。
痛みは緩和されたが、譫妄が甚だしくなった。体力もがくんと落ちた。麻薬のせいなのか、それとも他の要因があるのか。
水城は29、30日と新Macの設定に余念がなかったが、「うまくいかない」という。設定途中でうとうとしてしまったり、画面の文字が読めなかったりしたようだ。新しいオーディオインターフェースをつなげようとするが、何をどうすればいいのかわからない。急遽私が音楽家の友人にヘルプを出して画面をみせながら二時間かけてなんとか設定完了。さっそく試し録りを、とやってみるが、「わからない」といってギブアップ。
「新しいMacのことを考えるとめっちゃワクワクする」と待ちきれないほどだったのに、理解が追いつかなくなっていた。
痛みの緩和と創作のためのクリアな理解力と、どちらをとるのか。迷わず後者で、そう伝えていたはずだったのだが、医療の常識は前者だったようだ。ぎりぎり痛みとのバランスをとりながらクリアでいたい、というのは無茶なのぞみだったのか。
いま、文章は書けない。
それでも、なんとかピアノだけは、「わからない」と言いながらもピアノの前に座ってしばらく静かに話していると、「弾く」といって弾き始めた。昨日(8月2日)のことだ。今日もなんとか弾けた。
「『わからない』ならとにかくやってみればいいんだよ」とピアノの前に連れていった。からだがきっとおしえてくれると信じて。からだは応じてくれた。
いつまで応じてくれるだろうか。