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2018年6月30日土曜日

朗読に即興演奏をつけるということ(私のもっとも幸福な時間)

語人サヤ佳ちゃんが出演する7月28日の新美南吉生誕祭(半田市新美南吉記念館)と、11月25日の語りの会(豊田市産業文化センター)で、新美南吉の詩を何篇かサヤ佳ちゃんが朗読することになった。
それに私が即興でピアノ演奏をつける。

新美南吉は「ごんぎつね」や「てぶくろを買いに」など、童話やみじかいお話が親しまれている作家だが、じつは詩も書いている。
鈴木三重吉が主幹で北原白秋らも関わって大正から昭和にかけて発刊されていた児童雑誌『赤い鳥』に、南吉の詩がまず取りあげられ、やがて童話も掲載されるようになる。
「ごんぎつね」もそのひとつだが、その前に掲載された詩もなかなかすばらしい。

たとえば「光」という作品がある。

 畑の光のなかにゐる。
 黒い土をば耕かへしてる。

 町の光の中にゐる。
 馬をつないで売つてゐる。

 窓の光のなかにゐる。
 紡つむぎぐるまをまはしてる。

 くらい光のなかにゐる。
 鎚つちで金鉱たゝいてる。

 ――人は光りのなかにゐる。
   神も光りのなかにゐる。

南吉の詩はもうすこし注目されてもいいのでは、と思っている。
そんなことをかんがえていたら、ふと、以前、中原中也の詩を女優の岩崎さとこに読んでもらいながら、私がピアノを弾いて収録した一連の作品群があることを思いだした。
『みちこ』という朗読作品で、私がピアノをつけている。
電子書店パピレスでダウンロードができるようになっているが、
そのうちの一部の「みちこ」という詩の全編をYouTubeで紹介してみた。
よかったら、こちらからどうぞ。

朗読とピアノによるステージ表現に興味がある人がもっと増えてくれるとおもしろい。
朗読をボーカルととらえれば、そう特別なことでもないだろうと思う。


7月6日:動きと音の瞑想ワークショップ@渋谷
共感的コミュニケーションでつながった3人のアーティストとともに「自由」を探求する瞑想の旅へ。内的瞑想から、自由な形の瞑想へ。言葉や概念ではない「自由」を一緒に探り、体験し、表現してみませんか。19時スタート。

2018年6月29日金曜日

(Manabi JAPAN)光り輝く・霧降高原

まなびジャパン(Manabi JAPAN)で、
「ドローンが捉えた日本の風景 vol.5 光り輝く・霧降高原」
が公開されています。

音楽を私・水城雄が担当しています。
ぜひご覧(お聴き)ください。

視聴はこちらから。

釧路、弟子屈、札幌ツアー(4)

四日目、6月22日。
この日のハイライトは、なおみ〜ぬと車で札幌日帰り往復の弾丸ツアー。

午前6時半に出発すべえ、ということで、早起き。
よい天気だ。
なおみ〜ぬと車に乗りこんで、ほかのみんなを宿に残して、とっとと出発。

すぐに右手に硫黄山の異様な風景が見えてきた。
硫黄山の周辺は折しも、イソツツジが満開になっていて、白い花が一面に咲いている。
それもまた不思議な風景。

そんな風景もあっという間にとおりすぎ、一路札幌を目指す。
弟子屈から札幌まで、だいたい400キロくらいあって、車だと5時間くらいかかる。
かなり遠いが、私が毎月、東京=名古屋間を走破しているので、ほぼおなじくらいの感じ。
だから、それほど大変には思わない。
ただし、今回は日帰り。

昨夜、北見のきょんきょんから、札幌に行くならここのソフトクリームを! と大推薦されたパーキングに立ち寄る。
喜多牧場のソフトというものをいただく。
無添加で、大変おいしい。

運転を交代しながら、12時前には予定どおり札幌市内に到達した。
昼ご飯をどうしようということになり、他のメンバーなら絶対に「当地ならではのもの!」とこだわりを見せるところだろうが、ここは気楽さを優先して、車を停めやすい「びっくりドンキー」に。
みんなから突っ込まれそうだといいながら、長距離運転の疲れをゆっくりいやした。

市内にはいり、就労支援の事業所〈チトゥクチセ〉の人たちが借りているアパートの一室に行く。
そこで札幌での共感カフェをおこなうことになっていた。
一方なおみ〜ぬは看取り士(この字で合ってるかな)の研修のために別の場所へ。

札幌での練習会の人たちや、チトゥクチセの皆さんがやってきて、共感カフェをおこなった。
私が心を打たれたのは、弟子屈川湯の〈すずめ食堂〉での共感カフェでもそうだったが、共感的コミュニケーションの学びのベースとつながりがすでにしっかりとあって、いまさら私が乗りこんでなにか教えたり伝えたりする必要はまったくない、ということだった。

東京にいるとあたかもそこがNVCの中心のように感じてしまったり、海外で集中的に学んできた先進者がいて、中央と地方というランクの差を無意識に作ってしまっていたのかもしれない。
そんなことは傲慢極まりないことであって、むしろ地方にあってしっかりしたコミュニティで、もちろん苦労はたくさんあったと思うけれど学びと実践のベースを作りつづけている人たちがたくさんいて、大きな希望を感じた。

ここ数年、とくに今年になって、私も活動内容をだいぶ変えてきたつもりだけど、もっと思いきってもいいのかなと、うれしく感じるなかで思った。

写真は私がすわっていた位置から写した共感カフェのショット。
ね、私がいなくても全然かまわない感じでしょ?
これがうれしかったんだ。

札幌共感カフェを終えて、ふたたびなおみ〜と合流。
そして一路、弟子屈にUターン。
暮れゆく北海道の雄大な景色のなかを、ただひたすら走る。

そうそう、書きわすれていたが、行きも帰りもなおみ〜と北海道の地形やら歴史やら地名やらについてたくさん考察したり話したりして、道中忙しいほど楽しかったのだ。
心から感謝。

弟子屈居残り組みはすずめ食堂で夕食というか飲み会をやっているというので、そこに向かってひた走る。
すずめ食堂の閉店時間が21時半。
ナビの到着予定時刻は21時10分となっていて、どうやらぎりぎりすべりこめそうだ。
というんで、休まず走る。
とっぷり日が暮れ、星が出て、半月よりちょっと太った月が出ても走る。

そして21時すぎ、すずめ食堂到着。
あとはいつものように仲間たちと心を許した宴会。
強行軍だったけれど、最後は疲れもなにもかも吹っ飛んでリラックスしまくった。

2018年6月28日木曜日

語人さやかちゃんの打ち合わせと語りレッスン

語人・さやかちゃんが打ち合わせとレッスンのために国立まで来た。

来月7月28日(土)の午後、愛知県半田市にある新美南吉記念館で、新美南吉生誕祭イベントにいっしょに出演することになっている。
さやかちゃんの持ち時間は45分くらいで、南吉の作品をいくつか語る予定だ。
私はそれに即興演奏でピアノをつける。

東京からキーボードを持っていくことにした。
なので、当日の朝に車で出発して、半田に向かう。
いっしょに行きたいという人がいたら、ご一報を。
ただし、帰りの予定は未定。
そのまま東京に取って返すかもしれないし、一泊して翌日になにか中京方面で講座やレッスンをするかもしれない。
もし私にご用がある方がいたら、相談に乗ります。気楽にお知らせを。

11月25日(日)にはいわばワンマンの語りの会を豊田市の産業文化センターのホールでやることになっている。
こちらは野々宮卯妙も出演予定だ。
私は音楽と作品構成を担当することになっている。

これらのための語りのレッスンをした。
といっても、さやかちゃんは元々耳がよくて即興音楽にもよく反応できるし、長年の信頼もあるのでレッスンといってもなにか特別なことをするわけではない。

私のレッスンは「読み方」「語り方」を指導するのではなく、その人にどのような「読み方の可能性」があるのか、本人すらまだ気づいていない可能性が隠されていないか、まだ発揮されていない能力が埋もれていないか、それを指摘したり、実際にやってもらうことで本人に気づいてもらうという方向性がある。
それは私自身が即興演奏家であり、武術の稽古を日々やっている者である立ち位置から見えてくる、個々の身体の可能性のことだ。

そのようなレッスンを重ね、最終的にはおなじステージに立ち、共演する。
私にとってもこれほど喜びに満ちたことはない。

6月30日:現代朗読ゼミ
朗読や群読などの身体表現を用いていまこの瞬間の自分自身をのびやかに表現するための研究の場・現代朗読ゼミ、終了後は気楽なカフェタイムも。6月の開催は30(土)10時半から約2時間。

(Manabi JAPAN)快晴の奥日光・戦場ヶ原

まなびジャパン(Manabi JAPAN)で、
「ドローンが捉えた日本の風景 vol.4 快晴の奥日光・戦場ヶ原」
が公開されています。

音楽を私・水城雄が担当しています。
ぜひご覧(お聴き)ください。

視聴はこちらから。

釧路、弟子屈、札幌ツアー(3)

三日目の6月21日。
この日のハイライトは、なんといってもカヌーでの釧路川源流下りだ。

トシちゃんの知り合いの〈ナヌーク〉橋田夫妻にガイドしてもらって、まずは屈斜路湖から釧路川が流れだしているところに行く。
湖でしばらくカヌーに慣れたあと、いよいよ釧路川を下っていく。

カヌーはカナディアンカヌーで、FRP製のものだ。
私は学生時代からヨットに乗っていて、この手の小舟もそこそこ慣れているのだが、今回は橋田さんにすべてお任せして自分は楽することにした。
カヌーをあやつることも楽しいのだが、それより源流の自然をしっかりと味わうことにしたのだ。

湖からいよいよ源流をくだっていく。
水量は思ったより多く、流れもそこそこ速い。
とくに川幅が狭くなっているところでは、とうとうと流れている。
川底にウグイが群れて、真っ黒にうごめいているのが見える。

カヌーの川下りは、水面すれすれの目線で岸辺や森の風景と一体化しながら移動していくのが醍醐味だ。
水の音、木々の葉ずれ、鳥の鳴き声、そして信頼できる仲間と交わすことば。

橋田さんはガイド歴20年ということで、私の質問にも適確に答えてくれて、好奇心がたくさん満たされた。
そういえば、前日の夜は、橋田さん夫妻のお子さんたちと群読遊びをやったのだった。

たっぷり釧路川を堪能したあとは、〈丸木舟〉というアイヌ料理の店で昼食。
鹿肉の丼などをいただいた。

この日のもうひとつのハイライトは、弟子屈町立和琴小学校での表現教室。
トシちゃんが毎月やっているものだが、今回私と野々宮が行くというので、朗読パフォーマンスを子どもたちに体験してもらう時間を作ってくれたのだ。
全校生徒が12人、教職員もみんな体育館に集まって、ピアノと朗読で「沈黙の朗読」を体験してもらおうと思いたち、やってみることにした。
小学生相手に「沈黙」をやったことはなく、チャレンジだったが、予想どおりみんな集中して参加してくれて、私たちも大いに楽しませてもらった。

パフォーマンスのあとのトシちゃんの表現遊びにも、即興演奏で加わって、一番楽しかったのは私だったかもしれない。
最後は更科源蔵作詞の校歌をみんなで歌ってくれた。
楽譜があったので、私が臨時に伴奏させていただいた。

そのあと、砂湯に行ったり、川湯に移動して足湯を楽しんだり。
この日から宿が変わって、川湯温泉のホテル川湯パークになったのだった。

チェックインして、夜は近くの〈すずめ食堂〉で共感カフェ。
トシちゃんが毎月、弟子屈で共感的コミュニケーションの勉強会を開催しているのだが、今回は私たちも参加することになった。
ナヌークの橋田さんとお子さんも来てくれた。

弟子屈のみなさんとNVCについて話したり、練習したりしたのだが、とくに私は文学者でもある木村和史さんとゆっくり話ができてうれしかった。
木村さんは弟子屈で自宅を自力建築中とのことで、ものを書くことのほかにもいろいろと楽しい話を聞かせてもらえた。

共感カフェのあとは、近くの居酒屋に移動して、みんなで飲み食いしながら、楽しく語りあったのはいうまでもない。

2018年6月27日水曜日

音読ケアで取り上げたテキスト、唱歌「海」の歌詞

昨日の午後は、富士見台の高齢者介護施設で、毎月恒例の音読ケアをおこなってきた。
こちら、もう五年以上つづいているはずだ。
参加されるみなさんもおなじみの方が多い。
一方、こちらから参加する音読トレーナーは、新人が多く、よい研修の場となっていて、ありがたい。

昨日取り上げたテキストは唱歌「海」の歌詞。
音読療法では参加者や場の目的に応じてさまざまなテキストを用いるが、ここでは季節にからんだ唱歌の歌詞を使うことが多い。
「海」はつぎのような歌詞だ。

 松原遠く消ゆるところ
 白帆(しらほ)の影は浮かぶ
 干網(ほしあみ)浜に高くして
 かもめは低く波に飛ぶ
 見よ昼の海
 見よ昼の海

 島山闇に著(しる)きあたり
 漁火(いさりび)光り淡し
 寄る波岸に緩くして
 浦風軽(かろ)く沙(いさご)吹く
 見よ夜の海
 見よ夜の海

夏の海の風景をいきいきと感じながら、みなさんといまこの瞬間の命を味わった時間だったた。

音読療法を用いたイベントは、明日夜、池尻大橋の〈アカシデカフェ〉で音読カフェを開催するほか、今週末の土曜日・30日にはボイスセラピー講座を国立春野亭で開催する。
どちらも参加歓迎。

駒場の住宅街の一角の、隠れ家のようなステキ空間「アカシデカフェ」にて、月1回の音読カフェを開催します。声をだす楽しさ、よろこびを味わいつつ、コアマッスルを鍛え、免疫力をあげていくレッスンです。毎月第4木曜日の19時半〜21時半。

呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を学び、身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。6月30日(土)14時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催。

日本みつばちの採蜜をした

町田のあした農場に置かせてもらっている羽根木みつばち部の日本みつばちの採蜜をしてきた。
羽根木時代にちょっとやったことはあるが、あした農場の巣箱は重箱式で、一段を丸ごと抜いていただいて採蜜する方式だ。
これは初めて。

みつばち部の重箱はすでに6段積まれていて、分封後も順調に巣がのびていた。
重箱式の採蜜は、貯蜜部屋である一番上の段から順次おこなっていることになっている。
だから、今回は最上段をひと箱いただくことにした。

巣箱全体を固定しているロープというかテープをはずしたら、まずてっぺんの蓋を止めているネジをはずす。
電動ドライバーが活躍する(昨夜忘れずに充電しておいてよかった)。

蓋をはずすと、最上段の巣のようすがあらわれる。
巣はびっしりと作られているが、最上部には貯蜜がない。
梅雨時期にはいって、足りない蜜が使われてしまったのかもしれない。
が、下部のほうを観察してみると、盛んに働き蜂が出入りしていて、蜜が足りないようすはない。
おそらく、長く伸びた巣の下のほうでは、産卵、幼虫育て、花粉や蜜の貯蔵がおこなわれているのだ。

とにかく、最上段をいただくことにして、固定していたビスをはずし、ピアノ線に取っ手をつけた道具で巣を切り離す。

ひっくり返してみると、下のほうには大量の蜜が貯められていた。
この分だとおそらく二段めには、もっとぎっしりと蜜が貯められているだろうと思われる。
糖度も十分にあがっているだろう。

このまま二段めも採蜜しようかと思ったが、ちょっと迷って、週をあらためることにした。
継ぎ箱の作業もしたいので、時間がかかりそうだったからだ。

最上段を抜き取り、また蓋をかぶせ、ロープを締めて、現地作業は終了。
あとは蜜の詰まった巣箱を国立に持ち帰り、みんなで蜜を採る作業。
巣を切りとって、蜜が垂れやすいように包丁で切り分け、ざるにいれてボウルで受ける。

こういうふうに採れた蜜のことを「垂れ蜜」という。
今日だけで、垂れ蜜が2キロくらい採れた。
来週、もう一段、採蜜することになったが、こちらは3キロ以上あると思われる。

蜂蜜が採れることも楽しいけれど、仲間といっしょにわいわいと作業することがこの上なく楽しい。
みつばち部への新入会はいつでも歓迎している。
年会費1,000円、賛助会員は10,000円でどうぞ。

釧路、弟子屈、札幌ツアー(2)

6月20日、午前3時起床。
3時20分、摩周湖に向けて出発。

この時期の弟子屈は日の出が3時40分くらいだ。
東京は4時25分くらいだから、だいぶ早い。
ただし日の入は同じくらい。
緯度が高いせいで、日が40分以上長い。
そして、この翌日が夏至。

摩周湖まで行かなくても、出発したときからすでに霧というか、霧雨が降っていて、視界は悪かった。
昨日の釧路湿原は奇跡のように晴れたのだが、この日はそうはいかない。
「霧の摩周湖」という有名な歌謡曲があるけれど、あれとおなじ感じになっている。
到着しても、「摩周湖」という看板はあるけれど、湖はまったく確認すらできない。
それはそれでおもしろかった。

宿泊先に取ってかえして、二度寝。
つぎに起きたのは午前7時ごろ。

のぞみさんが用意してくれた朝食をいただき、ドイツ在住の音読トレーナーの遠藤なおみさんがわざわざ送ってくれたダニリムーバーの使い方を予習した(結果的にダニはいなかった)。
道の駅「摩周温泉」に行き、偶然出あったトシちゃんの友人のアイヌのおじさんと奥さんが作っている作品を見せてもらう。

弟子屈の歌舞伎町を通過したり、つぶれた銭湯を見たりしたあと、昼食のために摩周観光文化センターへ。
ここのレストランの蕎麦がおいしいのだという。
そういえば、このあたりは良質の蕎麦の産地として有名だ。
そしてここには、弟子屈が輩出した文学者・更科源蔵の資料館もあった。

ここで北見の共感仲間・きょんきょんが合流する。
オンラインでは何度も会っているが、リアルにお会いするのはこれが初めて。
にぎやかになった。

午後は老人ホームに行き、音読トレーナー・なおみ〜ぬが音読ケアワークをおこなうのを見学する。
彼女はこちらで毎月のようにこちらの特別養護老人ホームの入所者たちを相手にワークをやっているのだが、この日はその方たちではなく、会場はおなじだが別のホームの方たちを相手に初めておこなうワークだった。

参加者がぞくぞくとやってきて、最終的に50人くらいになったのには驚いた。
しかしなおみ〜ぬは動じることなく、臨機応変に、いつもの軽妙で親しげなキャラクターのまま、音読ワークを進めていて、みなさんと意気投合していた。
音読療法がみなさんのお役に立っているのを目撃するのは、うれしく幸せなことだった。
なおみ〜ぬにも感謝&お疲れさん!

夜は藤原夫妻のリクエストで、近所の子どもたちに呼びかけて臨時の現代朗読子どもゼミをやることになった。
部屋を片付けて、子どもたち(保護者も数名参加)と朗読というより音読遊びをやらせてもらう。
身体を動かしながらはつらつと声を出してもらって、大盛り上がりだった。
私が一番楽しかった。

終わってからはきょんきょんも交えて宴会。
観光も楽しいけれど、なにより仲間とすごす時間が一番楽しく、大切だと感じた一日だった。
(つづく)

2018年6月25日月曜日

共感手帳術講座と身体文章塾を開催

昨日・6月24日は、国立・春野亭で共感手帳術講座と身体文章塾を開催した。

共感手帳術では自分の将来像、理想、行きたい場所、位置、就きたい仕事、学びたいことなど、遠景にあるニーズを実際にどのように満たすことができるのか、共感手帳術ならではの具体的な作業を通して、明日からやれる実行可能なスケジュールに落としこんでいくプロセスを体験してもらった。
体験してもらうだけでなく、実用としてすぐに使えることに取りくんでもらった。

共感手帳術の次期開催のスタートは7月18日から。
全回オンラインでの講座となっている。

7月18日〜:オンライン共感手帳術講座(全6回)
もやもやのない「いまここ」に集中できる自分であるための「エンパシーノート」の活用法を学び、自分に共感する習慣を身につける練習をします。ベーシック編、アドバンス編、それぞれ3日間の計6回講座です。


身体文章塾はそのまま残ってくれた人たちも入れて、「餃子」というテーマで各自が書いた短文を読んだり、長編チャレンジ中の知念さんと奥田くんの作品を楽しんだり、簡単なテキストエチュードにみんなで取り組んだりした。
北海道帰りの、まだすこし疲れが残っている感じの調子だったけど、楽しい一日となった。

身体文章塾の次回・7月1日のテーマは「蛍」。
小説でもエッセイでも詩でも、なんでもオーケー。

7月開催:身体文章塾
テキストで自分自身を伝えるために、自身の身体性とむすびついたことばや文体についてのさまざまな試みをおこなっています。7月の開催は1(日)/7(土)/22(日)、それぞれ19時より約1時間半程度です。

釧路、弟子屈、札幌ツアー(1)

釧路・弟子屈・札幌ツアーから国立にもどってきた。
今回の旅行では弟子屈在住のNVC仲間であるトシちゃんと音読トレーナーのなおみ〜ぬの夫妻に、本当に歓待していただいた。
昨年のIITの打ち上げだという、このふたりと東京組ののぞみ&まりに便乗して、私はくっついて行っただけなのだが。

これ以上ないという心使いの深いアテンドのおかげで旅を堪能できた。
北海道のみなさんとすごした時間も楽しく、子どもたちともいっしょにすごせて幸せだった。
本当にゆたかな時間だと感じている。
トシちゃんとなおみ〜ぬ、あらためてありがとう。

初日・6月19日は、国立を午前5時前に出発して、中央線、山手線、京急線と乗り継いで羽田へ。
羽田から1時間半くらいのフライトで釧路空港へ。

到着出口にはトシちゃんとなおみ〜ぬの藤原夫妻が出迎えてくれていて、うれしい再開。
といっても、ふたりとはオンラインミーティングでちょくちょく顔を合わせてはいるのだが。

レンタカーの手続きをして、車2台でまずは釧路市内の寿司屋へ。
順調すぎて昼の回転時間には早すぎる到着となったので、さてどうしようといっているところへ、私がレンタカー事務所に老眼鏡を忘れたとの連絡が。
さらにETCカードも借りられることがわかったので、いったん空港まで逆戻り。

レンタカー屋で手続きして、ふたたび寿司屋へ。
途中の湿原道路の景色を存分に楽しむことができた。

〈なごやか亭〉という回転寿司で昼食。
回転寿司ではあるけれど、おいしかったな。
なにより、気楽さと仲間たちとの楽しい時間がありがたい。

そのあとは、ノロッコ号に乗りなさいということで、あらかじめ国立のみどりの窓口で指定券を買ってあった。
釧路駅へ。
すこし時間があったので、釧路駅前の〈和商市場〉を冷やかす。
新鮮な魚介類をはじめとする釧路のさまざまな食材が売られていて、めずらしいものもたくさんある。
帰りにまたここに寄ろうよ、といっていたのに、結局寄らずじまいだった(あまりにいろいろ充実していたので)。

ノロッコ号に乗車。
これがまたレトロなディーゼル牽引の列車で、名前どおりゆっくりと湿原を横切っていく。
観光客や外国人がたくさん乗っていた。
地元のボランティアのガイドのおじさんの説明が、終始スピーカーから流れていて、ありがたいがちょっとうるさい。

細岡駅で下車。
車で先回りしてくれていた藤原夫妻とふたたび合流して、細岡の展望台へ。
釧路湿原を一望できる雄大な風景をたっぷりと楽しむ。
セミがかしましく鳴いていて、あとでわかったことだが、エゾハルゼミらしい。
コエゾゼミも多いらしいが、こちらは7月になると鳴きはじめるとのこと。

ビジターセンターを見学してから、塘路湖へ。
諏訪さんというトシちゃんの友だちのアイヌの人に会い、そのあたりを散策したり、芋団子を食べる。
芋団子というものは初めて食べたが、このあたりではよく食べるものらしい。
そういえば、和商市場では「いもでんぷん」という30キロ袋がどーんと売られていた。

いよいよ弟子屈に向かって走るが、途中のかや沼の温泉に寄る。
いい温泉なのだが、湯温がちょっと高かった。

弟子屈町の市街地にはいって、酒屋でビールなどを仕入れてから、宿泊のログハウスに到着。
楽しい酒盛り。
ではあるけれど、明朝は早い(摩周湖の夜明けを見るために3時起床)ということで、9時すぎにはお開きとなった。
(つづく)

2018年6月20日水曜日

OS(オペレーティングシステム)としての共感的コミュニケーション

標題のことばは私のまわりでよく聞く文言で、私もそれにはとてもしっくりくる。

私たちは社会的動物なので、人と関わって生きていく必要がある。
また、人間という動物の特性で、自分のなかに「他者性」を持っている。
自分を取り巻く「他者」と自分のなかにある「他者性」、そのいずれともうまく付き合っていけないと、けっこうつらいことになる。

それら他者たちと付き合う方法やかんがえかたはさまざまあるが、これは自分の時間——人生をどのように生きていくかという、基本的なオペレーティングシステムといっていい。
コンピューター用語だが「OS」と略されることが多い。

私がいまこれを入力しているのはコンピューターはラップトップのMacBookだが、これには「MacOS High Sierra」というオペレーティングシステムが動いている。
Windowsマシンを使っている人なら「Windows10」などが動いていることだろう。
また、スマートフォンのiPhoneやiPadなら「iOS」が、アンドロイド端末なら「アンドロイドOS」が動いている。
これらを基本ソフトということもある。
各アプリケーションはこの基本OSの上で動いている。

インターネットを閲覧するためのブラウザソフト、文章を入力するためのテキストエディタやWORD、表計算ソフト、メールソフト、写真を整理したり動画を編集したりするソフト、そういった便利なアプリケーションはすべて基本OSの機能を利用して動いている。

私たちがだれかと会話したり、仕事したり、表現したりするとき、そしてそれらの行為をアプリケーションを実行しているとかんがえたとき、基本OSはなにが動いているだろうか。

私はこの10年くらい、さまざまなことをするときに基本OSとして自分のなかに共感的コミュニケーション(NVC)を走らせておくことが多い。
もちろん、基本OSにはさまざまな種類があって、そのつど、自主的に選択することができる。

共感的コミュニケーションはNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)ともいうけれど、逆に暴力コミュニケーションをOSとして走らせておくこともできる。
あるいは哲学的なかんがえかた——実存主義だったり、構造主義だったり——を自分のOSとして走らせている人もいるだろう。
心理学的なかんがえかた——アドラー心理学だったりカール・ロジャースだったり——を基本OSにしている人もいるだろう。

さまざまなスピリチュアルなものや、宗教的なものをよりどころ——つまりそれが基本OS——にしている人もいる。

選択肢はさまざまだ。
さまざまだが、私自身は表現活動をおこなったり、自分を知ったり、だれかとつながるときに、基本OSとして共感的コミュニケーションを採用すると、いろいろなことがうまくいくことが多いと感じていて、採用頻度が多くなっている。


基本OS上で動くアプリケーションにあてはまるのは、私たちの日々の行為だ。
だれかと会話したり、仕事したり、表現したり、通勤したり旅をしたり、買い物に行ったり、といった個々の行為。
これらの行為をおこなう(アプリケーションを動かすにあたって)、そのときどんなOSが基本ソフトとして走っているかによって、アプリケーションの挙動や結果が変わる。

たとえばだれかと会話するとき、基本OSに暴力的コミュニケーションを採用しているのと、共感的コミュニケーションを採用しているのとでは、まるでちがったことが起こる。
子どもと接するとき、教育的保護者OSを採用しているのと共感的コミュニケーションを採用しているのとでは、まったくちがったことが起こる。

なにかをおこなうにあたって、どんな基本OSを採用するかということがどれほど重要であるか、よくわかる。

問題がひとつある。
コンピューターとちがって、私たちはヒトという生命体だということだ。
つまり、ハードウェアが生身であり、それはつねに変化しつづけているということだ。

コンピューターのハードウェアは機械であり、そうそう変化しない。
しかし、人間のハードウェアである身体は一瞬一瞬変化しつづけ、流動的だ。
身体はその状況や時間、環境によってさまざまに変化する。
基本OSもその変化に応じられる柔軟なものでなければならないし、また基本OSが変化に柔軟に対応できるようなインターフェースをみがいておく必要もある。

コンピューターにもこの部分がある。
I/O(Input/Output)と呼ばれる部分だ。
いくらOSが優秀でも、アプリケーションの機能がすばらしくても、またハードウェア性能がハイスペックでも、I/Oが適切に働いていなければコンピューターは性能を発揮できない。
人間も共感的コミュニケーションをすばらしく学んでいて知識や経験が豊富であったしても、自分自身の刻一刻の変化を適切に観察し応じることができなければ、うまく働かないだろう。

共感的コミュニケーションを学ぶにあたっては、その方法やめざすところを知ると同時に、自分自身のこともしっかりと観察する練習が必要だ。
その方法には、マインドフルネス瞑想や呼吸法、ヨガなどボディワーク、武術を利用する方法など、さまざまあるが、もっとも簡便でだれもが気軽にそして効果的に用いる方法として私が提供しているのは、音読療法というものだ。


6月30日:ボイスセラピー講座@国立
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を学び、身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。6月30日(土)14時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催。

2018年6月18日月曜日

YouTube:朗読とピアノ「水仙」窪田涼子と水城雄

猿川西瓜氏の短編「水仙」を、大阪在住のナレーター・窪田涼子が朗読し、水城がピアノの即興演奏で共演しました。
2018年3月に収録した映像ですが、編集がのびのびになっていたものをあらためて公開します。

 朗読 :窪田涼子
 ピアノ:水城 雄

映像はこちら

こちらの番組は音声のみのラジオ番組としても聴けます。
PCやスマホ、タブレットから、直接こちらで聴けるほか、「Himalaya」という専用アプリでも便利に聴けます。

専用アプリで聴く場合は、アプリ内で「radio u」と検索してみてください。
無料です。

鈴鹿で勉強会ふたつをサポートした

2018年6月13日、水曜日。
福井から鈴鹿市に移動して、午後と夜の2コマ、勉強会のサポートをしてきた。

世話人の恵理子さんとは、最初はオンラインでの共感カフェで知り合い、その後、昨年のガイアエデュケーションの一般公開講座の講師で鈴鹿を訪れたときに、初めてリアルにお会いできた。
そのときに、公開講座とは別に、彼女が世話人となって共感カフェを主催してくれて、鈴鹿の人たちを中心にみなさんとつながることができた。

今年もガイアエデュケーションの一般公開講座があるのだが、それは来月だ。
その前に、読み聞かせのボランティアをやっている人たちを中心に音読講座をやってもらえないか、という話をいただき、よろこんで応じることになったのだ。
午後はその音読講座。
ついでに(といってはナンだが)夜は会場を移して、共感的コミュニケーションの勉強会を少人数でお願いしたい、ということになり、こちらも喜んでサポートさせてもらった。

いずれにしても、恵理子さんが全部セッティングしてくれて、まことにありがたかった。
あらためて、ありがとう、恵理子さん。

午後は箕田公民館という、田んぼの真ん中にある新しい施設の和室で、音読講座。
参加者は8人で、内おひとりが男性。
本の内容やストーリーに引っ張られてついおろそかになってしまいがちな自分自身の身体に気づきつづけながら読むということはどういうことなのか、全身が呼吸や発声、ことばを発することに参加し、いきいきとした身体性で音読するとき、どんなことが起こるのか。

さまざまなワークを実際にやってみながら、自分自身につながり、全身で表現することの検証をやってみた。
好奇心いっぱいのみなさんが、いきいきとワークをやっているのを見るのは、こちらも楽しいことだった。

夜はショッピングタウンのなかにある喫茶店の一室に場所を移して、共感カフェを開催。
もともと少人数でじっくりやってみたいという恵理子さんの要望があったので、途中から参加した人も含めて6人というメンバーで、個別の気がかりを取りあげたり、実際の問題をお互いにじっくりと聞き合ったり、という丁寧でゆったりした時間を持つことができた。

そのあと私はさらに、東京国立まで車で移動する、というハードスケジュールだったのだが、鈴鹿のみなさんと交流できたおかげで身体もこころも元気で、無事に帰りつくことができた。

来月も鈴鹿にお邪魔することになっている。
7月15日(日)午後は鈴鹿カルチャーステーションでガイアエデュケーションの一般公開講座があるのだが、その前日の14日の午後には、子ども共感教室や保護者も対象にした共感的コミュニケーションの勉強会もやることになっている。
みなさん、またお会いしましょう。


7月8日:朗読と共感のコラボWS@名古屋天白アロマファン
朗読と共感的コミュニケーションを両方体験し、実践を深めることができるワークショップを、午前と午後にそれぞれ、名古屋市天白区の古民家スペース〈アロマファン〉で開催します。

2018年6月17日日曜日

しつけと称する虐待

「しつけ」ということばや行為がいやでいやでしかたがない。
私のニーズはもちろん、子どもたちが守られ、安全にはぐくまれること、それによって私の安心があるということ。

幼い子どもが犠牲になった不幸な事件があるたび、「しつけ」ということばが親から出てくる。

事件でなくても、子どもが公衆の場で騒いだり、行儀がわるかったりすると、
「親のしつけがなってない」
「どういうしつけをしてるんだ」
と親が責められる風潮がある。

学校からも、
「家庭でのしつけをしっかりお願いします」
なんてことをいわれたりする(余計なお世話だ、学校の都合を押しつけないで)。

「しつけ」ということばや考え方を根本から見直してほしいと思う。
しつけというのは犬や動物に使うことであって、人間(たとえ子どもであっても)に使うものではない。

犬や猫などのペットは、たしかに、人間社会のなかで都合よくふるまうことを学ばせることによって、皆にかわいがられ、結果的に彼らも安心できたり、生存のニーズを満たせたりする。
人間の子どももそうだろうか。
社会的に都合よくふるまうことで、安心できたり生存のニーズを満たせるようになるのだろうか。

たしかにそういう側面はあるかもしれない。
しかし、自分の子どもにそうなってほしいと思う親はいるだろうか。

すくなくとも私は、自分の息子に、社会に都合よくふるまえるような人間になるのではなく、自分でかんがえ、自分の選択で行動し、自立し、また自発的に他者をたすけたり社会の役に立てるような人間になってくれることを望む。
自分自身もそうでありたいと思う。
社会の都合で「しつけ」られたりするのはまっぴらごめんだ(体制には逆らうよ)。

子どもに自発的で自立的な行動を身につけてもらいたかったら、「しつけ」ではなく「共感」によって、自分につながりみずからかんがえて行動する力を育てることが、大人のできるサポートなのだろうと思う。


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2018年6月16日土曜日

YouTube:朗読「貯金しても使わない人」勝木雪子

中国の作家、林志明氏の短編集『天使在人間』(鄧晶音・訳/河出書房)から短編を朗読するシリーズ、第3弾です。
「貯金しても使わない人」を、現代朗読のゼミ生・勝木雪子が朗読しました。

ハンセン病を扱った小説集である本書は、サブタイトルに「中国ハンセン病回復者の綴る17の短編小説」とあります。
ハンセン病について、そしてこの本についてすこしでも多くの人に知ってもらいたい、という思いがこめられた朗読です。

 朗読 :勝木雪子
 ピアノ:水城 雄

映像はこちら

こちらの番組は音声のみのラジオ番組としても聴けます。
PCやスマホ、タブレットから、直接こちらで聴けるほか、「Himalaya」という専用アプリでも便利に聴けます。


専用アプリで聴く場合は、アプリ内で「radio u」と検索してみてください。
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命令形という暴力

とくに親しかったり、年齢が下だったりすると、つい使ってしまう命令形。
「早くしなさい」
「約束守れよ」

相手に選択権をあたえない文型だ。
「早くしなさい」は、「早くしないとひどい目にあわせるよ」といっているにひとしい。
いわれた相手には「早くする」以外の選択肢はない。
それに従わなければ、罰が待っている。

ナイフを突きつけられて、「いうとおりにしないと刺すよ」といわれているのと、基本的におなじ文型である。
まちがいなく暴力である。
ことばの暴力も物理的な暴力も区別はないのだ。
おなじことなのだ。

私たちはつい、子どもにそんな暴力をふるってしまう。
自分より下だと思っているからだろうか。
子どもは自分の所有物だから好きにしていいと思っているからだろうか。
まさか、という人がいるかもしれないが、実際には無意識でそんなふうに感じているかもしれない。

子どもでなくても、だれかに命令形を使ってしまうとき、それはすべて暴力といっていいだろう。
暴力の定義は、物理的にせよことばにせよ、相手に選択肢をあたえないことだ。

「あなたが早くしてくれるとお父さんはうれしいな」
と自分の気持ちやニーズを伝え、「お願い」することはできる。
そのとき、相手にも選択肢はある。
そのお願いをきいてもいいし、きかなくてもいい。
いずれにしても、自分のニーズがある。

お願いをきいてあげたいかもしれないし、お願いされてもきくことができない別のニーズがあるかもしれない。
子どもであろうがなかろうが、すべての人がニーズを尊重され、選択肢をゆるされるのが、共感的な世界だ。

ただし、いくつか例外はあって、命令形を使ってしまうこちら側になんらかの痛みがあるとき、緊急避難のとき、ある程度の暴力が親密さの確認になるとき、などだ。
これについては項をあらためて書くことにする。


心身の健康向上・調整・未病・活力向上に力を発揮する音読療法(ボイスセラピー)と、人間関係や自分自身とのつながりの質を作ることに力を発揮する共感的コミュニケーションを組みあわせていいとこ取りをするカフェ形式の勉強会です。6月の開催は16(土)14時/18(月)11時、それぞれ約3時間です。

2018年6月15日金曜日

イベント情報リークいくつか

あたらしいイベントの企画がいくつか進行中で、ちょっとリークする。

ひとつは「共感男塾」の番外編で、「ノンバイオレント・クッキング(NVC)」という企画。
音読トレーナー(仮)の山縣理人くん(みっちー)はベジタリアン(ビーガン)をめざしていて、日々ビーガン・クッキングの研究に余念がない。
家畜を含む動物を食さない方向で、非暴力に生きていきたいらしい。

私も料理は好きなので、彼といっしょに、非暴力クッキングを楽しみながら、共感的コミュニケーションも学べるイベントをやろうという話になった。
そして、それはまず、男性に呼びかけてみたいな、と。

先日おこなった共感男塾が好評で、次回の開催も決まったのだが、その番外編としてノンバイオレント・クッキングをやってみようかということになった。
まずは男性に呼びかけて参加者を募集。
ただし、初めての試みなので、国立春野亭での開催として、定員は6名限定。
もし一定期日までに定員に達しなければ、女性にも参加を呼びかけてもいいかな、という段取り。

7月22日正午クッキングスタートで、13時くらいから食事をしながら共感的コミュニケーションについて学びあいの時間をもうける、というイベント企画だ。
興味ある人、いますか?

ふたつめは、山梨県北杜市で音読カフェを開催するという企画。
7月の出張ワークは、8日に名古屋天白〈アロマファン〉での朗読と共感のコラボワーク、14日の鈴鹿での子ども共感教室と共感カフェ、15日のガイアエデュケーション一般公開講座の講師などあるが、それに加えて12日に北杜市の個人宅で音読カフェをおこなうことが決まりそうだ。

ほかにも7月29日には半田市の新美南吉記念館で、語人サヤ佳ちゃんとなにかやることが決まっている。

そしてこれはリークというより正式に決まったばかりなので告知するが、7月6日夜には渋谷の総合文化センター大和田で、オーストラリア在住のダンサーでNVCつながりの矢澤美穂さんと朗読の野々宮卯妙との3人で、動きと声と音楽の瞑想ワークショップ「Music Movement Meditation Workshop」を開催する。

いずれも興味を持っていただけたら幸いだ。

2018年6月12日火曜日

成長の季節、学びのとき

梅雨にはいって、植物がわさわさと成長している。
庭や田畑では雑草とのたたかいがはじまっているだろうが、友人からいただいた豆苗の切り株はずんずん伸びるし、友人が残していった玄関先の花は今年もまたもうすぐ咲きそうだ。
最近ときどき見かけるめずらしい種類の白い紫陽花も、満開になっている。

明日は鈴鹿経由で東京にもどる。
土曜日・16日の午前中は現代朗読ゼミ、午後は共感音読カフェ。
日曜日・17日は、変則的だが午前11時から身体文章塾。
月曜日・18日は午前11時から共感音読カフェ。

身体文章塾に定期的に参加したいという人が加わってくれた。
自動的にゼミ生となる(参加費は身体文章塾の月額費だけだが)。
ゼミ生は共感音読カフェも現代朗読ゼミも参加費免除なので、ずんずん学んでほしいし、私もいっしょに成長したいのだ。

この歳になっても、やればやるほど自分に足りないところが見えてくる。
そしてもっともっとやれるようになって、やりたいことをやりたいと思う。
参加してくれる人がいて、互いに刺激しあって、ともに学び成長できるということ、こんなにうれしいことはない。
いまの自分の境遇に感謝する。

これがいつまでつづくかはわからない。
命もかぎりあることだし。

共感!男塾、開催しました(好評につき次回決定)

2018年6月8日の夜、世田谷の代田区民センターで「共感男塾——共感的コミュニケーションで世界を味方につける」を開催した。
参加資格は男性もしくは「自分は男だと思っていてそこに問題を感じている人」。

共感的コミュニケーション(NVC)の勉強会は、参加したことがある方ならわかると思うが、女性の参加者が多い。
私の勉強会でも女性のみ、という回がしばしばあるくらいだ。
しかし、うれしいことに、ここ数年は男性の参加者もすこしずつ増え、ときには半分くらい男性ということもあるようになってきた。

そんな場で、しかし、なんとなく居心地が悪いような顔つきの男性がいることがある。
女性のいる場で発言に気をつかったり、自分の存在そのもの(ごつい身体や声、男性的しぐさなど)に肩身の狭い思いをしている男性がいるのだ。
実際、場に男性がいることに嫌悪感をあらわにする人もいたり、あとでそのことに共感を必要とする方が出てきたりすることもある。

そこで、異性を気にせず、男性性で肩身の狭い思いをすることなく、安心して発言し学びあえる場を作ってみようと思いたち、「共感男塾」を開催することにしたのだ。

もちろん、共感の世界では性差は関係ないとされる。
性差どころか、LGBTといわれるさまざまなマイノリティの人たちの多様性をも大切にしつつ、そういったものを越えてお互いに共感しあい、違いを尊重し、共存できる世界が、共感的コミュニケーションのめざすところだ。
男女差ばかりではなく、年齢差、人種差、職業的立場や社会的地位、障害のあるなし、こういったものをすべて越えて、人と人としてのつながりを大切にするのが、共感的コミュニケーションのめざす世界なのだ。

とはいえ、現実の場面ではいろいろ気になったり、引っかかったり、うまくいかなかったり、痛みがあったりする。
そういうことを遠慮なく話したり検証してみようというのが「共感男塾」のねらいである。

参加してくれた方々の感想には、
「安心して気遣いなく話ができた」
「さっそくすぐに実践的に使えるたくさんの気づきがあった」
など、こちらの貢献のニーズが満たされるものもあって、うれしかった。
またやってほしい、という声もあったので、いっしょに世話人をやってくれたくまさんこと大間哲さんと相談して、さっそく次回の日程と会場を押さえた。
今回参加できなかった人も、タイミングがあえば参加してみてほしい。

リピート参加も歓迎。
すこしずつ違うアプローチで自己共感や学びを深めていっていただけたらと願っている。

7月20日:共感男塾@世田谷
男性(もしくは男性と自認している人)限定の共感的コミュニケーションの勉強会を、7月20日(金)19時半から千歳烏山駅徒歩2分の会場で開催します。案内人は水城ゆうと、くまさんこと大間哲のふたり。男性ならではの共感の悩みに挑みます。

2018年6月11日月曜日

音楽:ケティル・ビョルンスタ「The Sea」「The River」

ちょっと時間があるときなど、Apple Music でランダムに音楽を聴くことがある。
知っているアーティストや曲を狙って聴くのではなく、知らない曲をあらたにリリースされた作品を中心にランダムに流してくれる「ニュー・ミュージック・ミックス」というサービスがあって、リストは私の視聴履歴に左右されるらしいのだが、いずれにしても私が聴きそうだとアルゴリズムが判断した新曲を連続で流してくれる。

だいたいは聴き流しているのだが、時々「おっ」と思うような曲にたどりつくことがある。
今日は Anneli Drecker という人が歌っている「Mayflowe, New York」という曲に出くわした。
歌もいいのだが、伴奏のピアノが私の身体にはいってきた。
だれだろう。

クレジットにはケティル・ビョルンスタとある。
知らない人だ。
うかつなことに、ケティル・ビョルンスタを知らなかったのだ、私は。

調べてみると、ECMからたくさん作品をリリースしている。
そして彼はピアニストというだけでなく、たくさん小説を出版している作家でもあるのだった。
そのこともあって、がぜん興味がわいてきた。
残念ながら、日本語に翻訳されている小説はない。
1952年生まれというから、私より5歳上だ。

すこし古いアルバムだが(1995年)、彼の代表作といわれる「The Sea」を聴いてみることにした。
つづけて「The River」も聴いてみた。

どうやらビョルンスタは「水」をテーマにした表現を多くおこなっているらしい。
なんとなく親近感を覚える。
どちらのアルバムも、どこか映画音楽のような、情景やストーリーが浮かぶようなものだ。
「The Sea」のほうはディストーションのかかったギターサウンドなどもからみ、ちょっとハードな、前衛的な面もあるけれど、「The River」とともに通じるのは、けっして奇をてらったり、テクニックをろうしたりはしていない、ということだ。
むしろ実直で、口数の少ないサウンドといっていい。

聴いていて、これはジャズなのだろうか、と思う。
ビョルンスタは北欧ジャズのコンポーザーでありピアニストとして分類されているようだが、一般的な意味ではジャズではないよな。
それは一聴すればだれでもそう思うだろう。
クラシックのような曲想であり、現代音楽のようでもあり、映画音楽のようでもある。
が、即興性もある。

「これは」というアーティストに出会ったとき、その人がたくさん作品を残しているとなんだかほっとするのだが、ビョルンスタも幸いにたくさんのアルバムがある。
これからじっくり聴きこんでみよう。
その前に、 Anneli Drecker が歌っている「Mayflowe, New York」のはいっているアルバム「A Suite of Poems」をまず聴きこんでみることにしよう。

神宮前、新代田から福井へ、そして鈴鹿へ

先週金曜日の夕方、神宮前のラルテで髪を切ってもらって(担当は新人の森川くん)、夜は新代田に移動して共感男塾を開催して(楽しかったな)、いまは福井の実家に帰省中。
こちらも梅雨入りしたようで、気温はそう高くないが、湿気がすごい。
動くとすぐに汗ダラダラになる。

明後日・13日は午前中から鈴鹿に移動。
13時から鈴鹿市の箕田公民館というところで音読講座。
読み聞かせのボランティアをやっているお母さんたちを中心に、朗読や音読についていっしょにやってみたり、研究したりしてみる予定。

夜はおなじ場所で共感カフェを開催。
どちらも、どなたでも自由に参加できるとのことで、興味がある方は私に直接声をかけていただきたい。
世話人をやってくれている恵理子さんにつなぎます。
ただし、夜の共感カフェは参加枠があと2名だそうだ。
昼はもうすこし余裕があるらしい。

2018年6月9日土曜日

陽春の奥日光・湯ノ湖

まなびジャパン(Manabi JAPAN)で、
「ドローンが捉えた日本の風景 vol.3  陽春の奥日光・湯ノ湖」
が公開されています。

音楽を私・水城雄が担当しています。
ぜひご覧(お聴き)ください。

視聴はこちらから。

2018年6月7日木曜日

東京=中京=北陸、移動ルート

以前は東京と北陸の実家を飛行機で行ったり来たりしていたが、一昨年末から車での移動に切り替えた。
移動途中の名古屋や岐阜で私を必要としてくれる人たちがいて、立ち寄って勉強会の案内をするようになったからだ。

とくに名古屋天白の〈アロマファン〉の水野生惠さんと、岐阜各務原の〈カフェ花寧香〉の白狼澪さんにはお世話になっている。
アロマファンは一種のコミュニティのようになっていて、常連さんも増えてきたし、初めておいでになる方もそこが安心で、くつろげて、深い(本来の意味の)スピリチュアリティを体験できる場であることがすぐにわかるだろう。

カフェ花寧香は澪さんが苦労して皆が集える場に整えてきていて、これからアロマファンのようなコミュニティになっていくのではないかと思う。
すでに毎月マルシェを開催していて、毎回にぎわっているようだが、共感的なつながりの場としてのコミュニティとしても、私は希望を感じている。

東京の国立市から中央自動車道に乗り、名古屋や岐阜に立ちよる。
三重県鈴鹿市も、名古屋からちょっと足をのばせばすぐだ。
北陸へはあたらしく開通した東海北陸道を北上するか、北陸自動車道を経由。

今週末の土曜日・6月9日には、カフェ花寧香で共感的コミュニケーションの勉強会を開催する。
テーマは「親密な関係」。
私が羽根木の家時代からずっと追求してきたテーマで、夫婦などのパートナー、親子や兄弟といった、ごく親しい間柄においてしばしば困難な局面を迎えることのある関係性を、どのように扱い、つながりを深め大切にしあえるかを学び、練習するための勉強会だ。
興味のある方はぜひおいでいただきたい。

岐阜各務原は岐阜県はもちろん、愛知県、三重県、滋賀県あたりからもアクセスのいい場所で、会場には駐車場もあるので車で来られるのもいいだろう。
駅からも近い。

この6月はたまたまアロマファンでのイベントはないのだが、代わりに鈴鹿市で矢田恵理子さんが勉強会をお世話してくれる。
13日の午後に読み聞かせの活動をしているみなさんを対象にした音読講座を、夜は共感的コミュニケーションの勉強会を開催する。
興味のある方は私まで直接お知らせいただきたい。
恵理子さんに直接おつなぎできるかと思う。

最近、富山から共感手帳術講座に参加してくれている方と、富山でも勉強会を開催できるといいねという話になっていて、そうなるとまたルートが変更になるかもしれない。
そういうのを企画するのもなかなか楽しい。


6月9日:親密な関係における共感勉強会@各務原〈カフェ花寧香〉
共感的なコミュニケーション(NVC)は親密な関係ほどやっかいな面があります。親子、親友、兄弟、そして恋人や夫婦。岐阜各務原では初開催となる勉強会、豊富な経験を生かした水城雄がご案内します。