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2017年4月30日日曜日

新刊:『祈る人5 舞踏病の女』(Kindle)発刊しました

新刊 短編作品集『祈る人5 舞踏病の女』が、電子ブック・Kindleから発刊されました。

水城ゆうがラジオ番組のために書きおろしたスクリプトや、朗読パフォーマンスのためのテキストなど、ここ十年来書きついできた短編作品集ですが、この第5弾はここ数年の比較的あたらしい作品が収録されています。
また冒頭の「はじめに」は、あらたに書きおろしました。

全テキストは水城ゆうに著作権が帰属しますが、朗読(音読)についての著作使用権は開放します。
朗読会、朗読ライブ、朗読教室、その他音声表現活動などで自由にお使いください。

ダウンロード価格300円です。
Kindle unlimited(読み放題)にも登録しています。
こちらからどうぞ(画像をクリックしてもジャンプします)。

ネットとマインドフルネス

パソコンに向かっていたり、スマートホンやタブレット端末を操作していたり、そんなとき、私たちはついつい自分の身体とのつながりを忘れてしまいます。
しかし、それはなにも、パソコンやスマホの操作をしているときだけではありません。
現代人はなにごとをしていても、たとえばただたんに電車を待っているだけでも、あるいは家事を片付けていても、歩いていても、なにをしていても、自分の存在自体を忘れがちなのです。

とにかく意識が思考に向かい、自分の存在は頭か、せいぜい肩のあたりまでしかありません。

マインドフルネスということばが知られるようになり、さまざまなワークがおこなわれるようになってきました。
自分の身体への意識を取りもどすもっとも簡単な方法は呼吸だといわれ、実際にそうだと私も実感していますが、その質が問題です。

たしかに呼吸に注目すれば、身体がすこし見えてきます。
しかし、それもせいぜい胸や腹のあたりまでだったりするし、認知もどの程度のものなのかその深さが問われます。

とにかく、深く自分の身体、存在とつながり、頭も身体もこころも一致し、統合していきいきした状態でありたいわけですが――これを私は「活体」と呼んでいます――、パソコンやスマホの操作をしているときにかぎらず、日常生活のなかでいつもそのようにあることが理想です。

「デジタルデトックス」などということばがあります。
ネットとの接続を切り、デジタル機器を使わない時間を確保しようという意味ですが、まるでネットやデジタル機器が「悪」のようにとらえられていると感じることがあります。
たしかに、ネットやデジタル機器を使っているとき、私たちは本来のいきいきした「生身」の自分自身を見失いがちな傾向にあることはたしかです。
しかし、それはネットやデジタル機器に接しているときに限らないのです。
現代社会における生活のなかでは、つねにそれが起こっています。

ネットにつながっているときでも、マインドフルネスの意識を持つことはできます。
それは、電車を待っているときでもマインドフルネスの練習ができるのとおなじことです。
パソコンやスマホの操作をしているときでも、マインドフルネスの練習はできます。
ようは、どのようなタイミングで自分自身の身体と存在を思いだし、身体につながって活体になり、それをホールドできるか、ということです。
これにはかなりの練習がいります。

練習方法はたくさんありますが、私もいくつか、実用的な方法を提供しています。
興味があればいっしょに練習しましょう。

連休に自分とつながる五日間連続講座(5.3-7)
不安定で行き詰った時代を乗りきるために自分とつながり、見失わず、安定しながら、あなた本来の活力を発揮することをめざすためのヒントを探すための講座です。単発参加も可。

2017年4月29日土曜日

自分を生きる/居場所を作る

どこにいても、どんな状況にあっても、いつも自分自身につながっていきいきしていたり、落ち着いていたり、集中できたりするのは理想ですね。
私は韓氏意拳という武術をやっていますが、武術においてもこのようなことが厳しく要求されます。
とくに武術においては、いつどのような状況で危機に立ちむかうことになるのか想定できない、という仮定があるので、つねに自分自身につながって、自分のことに徹していられる必要があるのです。
そのことを稽古します。

日常のなかではそうそう生命の危機に遭遇するような場面はありませんから、武術ほど厳しく向かう必要はないかもしれませんが、日常においてもいつでも自分自身につながり、集中できたり、能力を発揮したり、落ち着いていられたりすることは、とても役に立ちます。

どこにいても自分につながれるようになったら、つぎは自分の居場所をどのように作るか、についてかんがえるのが楽しくなります。
いま、断捨離とかミニマリストとか、ものを持たない生活や、最小限の装備で移動生活することがたくさん提案されていますが、私は「自分の居場所」という観点からじっくり検証してみたいと思っています。

共感的コミュニケーション(NVC)には「スペース」というニーズがあります。
自分がひとりで落ち着ける場所――そこには自分の心地よさがあって、他人との距離があって、邪魔されない環境です。
そこがどんな場所で、最低限どんなものがあれば、ずっとそこに心地よくいられるでしょうか。
そういう場所をどこに行っても作ることができれば、外出や移動も苦にならなくなります。
自分の家が立派である必要もなくなります。

現代人は立派な家を確保するために、どれだけの時間と労力と資金を使うことでしょう。
もちろん資源も使います。
それが立派である必要がなくなったとき、自分のエネルギーをそれ以外のものに費やしたり、余裕が生まれたりするかもしれません。

「居場所」はいくつかの想定があります。
まず、自分の家(立派である必要はありません)。
一時的な外出先――たとえば会社とか電車のなかとかカフェとか。
移動先――たとえばみじかい旅行とか出張とか。
長期滞在の旅行など。
または生活や仕事の拠点をいくつか平行して持っていて、それらを移動しながら生活する他拠点生活。

それぞれの想定において、自分のニーズを確認し、そのニーズを満たす手段としての持ち物や環境について検証してみたいのです。
いま、そんな本を書いてみたいな、あるいはそんなワークショップをみなさんとやってみたいな、なんて思っています。

2017年4月28日金曜日

オンラインでも可能なものは遠隔参加を受け入れます

国立・春野亭のネットワークおよび会場の環境向上を受け、これまでオフラインでのリアル参加しかできなかったイベントも、可能なものはオンライン参加を受け付けることにしました。
遠方の方、また外出がままならない方など、自宅やつごうのいい場所からオンラインでご参加いただけます。

オンラインでも参加できるおもなイベントは、つぎのとおりです。

・オンライン共感カフェ
・連休に自分とつながる五日間連続講座のうちつぎの3コマ
 「共感断食で自分とつながる」
 「共感的コミュニケーションで自分とつながる」
 「自分とつながるテキストライティング」
・自分とつながるテキストライティングWS
・親密な関係における共感的コミュニケーションの勉強会
・国立での共感カフェ
・ボイスコーチング

どうぞ気軽にご利用ください。

連休に自分とつながる五日間連続講座(5.3-7)
不安定で行き詰った時代を乗りきるために自分とつながり、見失わず、安定しながら、あなた本来の活力を発揮することをめざすためのヒントを探すための講座です。単発参加も可。

5月28日:世田谷・韓氏意拳初級講習会

世田谷での韓氏意拳の初級講習会、2017年5月のお知らせです。

◆講師 内田秀樹師

◆日程 5月28日(日)
9:30~12:00 (初級教程・体験可)
14:00~16:30 (初級教程・会員限定)

◆会場 烏山区民センター
◆会場 京王線 千歳烏山駅北口徒歩1分

◆定員 10名
◆会費 1コマ 3500円 / 2コマ 6500円
◆持物 動き易い服装、筆記用具

※お申し込みはこちら

2017年4月27日木曜日

三日間断食道場、もうすぐはじまるよ

ご好評をいただいている三日間共感断食道場が、連休中の五日間連続講座の初日からスタートします。
何度か実施してみて、はっきりしたことがいくつかあります。

 三日間の断食はだれにでも達成できる。

 参加者同士で共感しあえればさらに達成しやすい。

 三日間の断食はダイエットではなく、リセットである。

この断食道場の特徴は、なんといっても、共感的コミュニケーションをベースにしているということです。
まず初日に、断食を敢行したいという自分のニーズにきちんとつながります。
それを確認しながら、二日目、三日目と断食をつづけていくのです。
深いニーズにつながっていれば、より浅いレベルの目先の欲求をはねのけることができます。

参加者同士が共感しあったり、あるいは私が個別に共感したり、それぞれのニーズにつながるサポートが三日間あります。

ただし、この断食で体重がいちじるしく落ちるといったダイエット効果はありません。
それは期待しないでください。
しかし、それ以上のものを得られることがはっきりしています。

ひとつには短いとはいえ、一種のショック療法としての効果があるのではないか、ということです。
食事の量を著しく減らしてしばらくすると、身体の感じが変わってきます。
感覚が鋭敏になり、動きのキレがよくなります。

それは当然なのです。
「餌」が取れていない状況というのは、動物にとって一種の危機的状況です。
そのとき餌を確保するための身体能力がもっとも高まるようにできています。
人間もおなじです。

ほかにも、身体の危機的状況に対応するためのさまざまな潜在能力が高まります。
免疫力もそのひとつです。

このように一種のショック療法を経過することによって、たとえ三日間であっても身体が目をさまします。
これが気持ちいいのです。

たった三日間なら、忙しい現代社会生活をいとなんでいても、家族といっしょにすごしていても、なんとか確保できる期間でしょう。
また、達成しやすいので、成功体験も得やすいといえます。
一度成功体験を得ておくと、二度、三度とつづけて挑戦するための気持ちのハードルがさがります。

このところ私もちょっと身体が重く、キレが悪い感じがしているので、今回はみなさんといっしょに私も三日間断食をおこなう予定です。
今回から遠方の方や自宅を離れにくい人にも、最初からオンラインで参加できるようになりました。
ぜひいっしょにチャレンジしましょう。

連休に自分とつながる五日間連続講座(5.3-7)
不安定で行き詰った時代を乗りきるために自分とつながり、見失わず、安定しながら、あなた本来の活力を発揮することをめざすためのヒントを探すための講座です。単発参加も可。

2017年4月26日水曜日

映画:パンドラム

2009年公開のドイツと合衆国の合同制作映画。
監督はクリスチャン・アルヴァートという人らしいけれど、まったく名前を聞いたことがありません。
ドイツの新進気鋭の監督だということですが。

そのかわりに、といってはなんですが、プロデュースにベテランのポール・アンダーソンが加わっています。
こちらは超有名映画人で、ちょっとあげてみただけでも「イベント・ホライゾン」「バイオハザード」「エイリアンVSプレデター」「三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」など、そうそうたるタイトルがならびます。

舞台は西暦2174年の恒星間輸送船らしき巨大宇宙船の船内。
この設定だけで私はけっこうしびれます。
エイリアン的な設定ですね。
どのくらいの時間なのかわからないけれど、主人公がコールドスリープから目がさめたところから話がはじまります。
もうひとりのクルー(上司)と船内の探索をはじめるんですが、エネルギーシステムが不安定で、いろいろと不具合が生じています。
そして、船内にはなにやらえたいの知れない存在が……

密室宇宙エイリアンものの王道のような作りですが、そこここにオリジナリティのつよいアイディアと味つけがしてあって、なかなか見応えがあります。
そして物語は思いがけず大きな話へと展開していきます。
長い宇宙旅行のあいだに、この巨大輸送船になにがあったのか、そもそもこの輸送船の目的はなんなのか、そして人類の行く末は……?

ハードSF的な味つけ、ホラーSFの味つけ、心理SFの味つけ、そしてオリジナリティのあるビジュアルエフェクトや美術、個性の強いキャラクターなど、この手の映画の醍醐味があますところなく詰めこまれています。
それらが意外なことに消化不良を起こすことなく、バランスもいい感じです。

ラストも意外な結末が用意されています。
ひさしぶりの骨のあるSF映画を堪能しました。
私の個人的SF映画ベスト20くらいにはいれてもいいかもしれません。

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2017年4月25日火曜日

音読カフェはひとりでもふたりでもたくさんでも

先週4月21日(金)夜の国立での音読カフェは、参加者がふたりと、こじんまり、親密な感じでおこないました。

音読療法における心身ケアワークの方法を使って、呼吸と声を整え、それから音読エチュードをやりました。
ふたりだったので、ふだんはあまりやらない身体接触をともなうエチュードもやってみました。

宮沢賢治の「星めぐりの歌」を使って一行ごとに、「問いかける側」と「受け答える側」として交代で読んでいくことからはじまって、一行ごとではなく、一行をふたつに分けてもっとタイミングを接近させて親密に問いかけ、受け答えるエチュードへと進んでみました。
ちょっといそがしくなるけど、思考をはたらかせている余地がだんだんなくなって、感覚と身体に任せていくことによってより自分自身につながり、「いまここ」の自分に近づいていく効果があります。

さらにこれを立ってお互いに手を合わせ、声とことばだけでなく、身体全体で問いかけ、受け答える、という身体接触ワーク(ソマティックリーディングと呼んでます)に進みました。
声とことばだけの交換をやるだけでも、意味だけではない大量の情報交換がおこなわれることが実感できるんですが(つまりコミュニケーションです)、身体接触があるとさらに別次元のレベルの情報交換がおたがいにおこなわれることがわかります。
信頼がない関係だとこれは安心しておこなうことはむずかしいんですが、先日はふたりともお互いを受け入れてくれたので、とてもうまくいったように感じました。

このワークのあとは、独特の安心と親密感と充実感、そしてマインドフルネスがおとずれるのです。

音読療法のワークでは、ひとりでもできること、ふたりでできること、三人でできること、四人でできること、それ以上でできること、大勢でもできることなど、さまざまな方法が用意されています。
参加者の人数や状況にあわせて臨機応変にケアワークを進めていくことができるのです。
興味のある方は気軽にご参加ください。

4月開催:音読療法協会の音読カフェ(4.29)
ボイスセラピーの手法を用いつつ、お茶を飲んだり共感的に対話しながら進める心身調整健康法を実践する場を、あらたに音読療法協会主催で開きます。4月の開催は29(土/昭和の日)14時から約2時間です。

5月24日:国立・韓氏意拳養生功講習会【受付終了】

定員に達したので、受付を終了させていただきました。

国立での駒井雅和中級教練による韓氏意拳・養生功の韓氏意拳学会公認講習会、2017年5月のお知らせです。

◎日時 2017年5月24日(水) 19:30〜21:00(ショートクラス)
◎参加費 2,500円(講習会費、会場費、講師交通費を含む)
◎場所 国立駅から徒歩5分の会場
◎持物 動きやすい服装・筆記用具・メモ

参加予約はこちらから。

もしくは直接私・水城まで、あるいは現代朗読協会コンタクトフォームからお知らせください。 

国立・春野亭が共感パワーアップした

共感カフェや音読カフェをはじめとするさまざまな講座やワークショップ、個人セッションなどに、昨年から国立駅近くの〈春野亭〉を使っていますが、この四月から荷物の大整理を敢行していて、場としてかなりのパワーアップがおこなわれています。

メインの二階のスペースがかなり広く使えるようになり、楽に10人くらいの勉強会はやれるようになったほか、4面ある襖をホワイトボードとして使えるようになるシートも貼りました。
またいままで使えなかった階下の部屋も使えるようになって、こちらでは少人数のワークや勉強会、個人セッションなどがおこなえるようになりました。

昨日もこの階下のワークルームで共感カフェを開催しました。
私をいれて6人での勉強会だったんですが、十分なゆとりをもっておこなうことができました。
二階のリビングよりクローズドな雰囲気なので、より親密感が増して、共感セッションにはよい効果があったような気もしました。

今日は共感的コミュニケーションがまったく初めての人と、何度か受けたことはあるけれど私の共感カフェには初めて参加する人がいました。
初めて接する人、何度か体験している人、長くやっている人と、経験値にばらつきがあったにもかかわらず、昨日は参加のみなさんが共通して共感的な態度でつながりをもってそこにいてくれたことがありがたかったのです。
そのおかげで、とても深いニーズへと旅することができました。

昨日のトピックは、「これが自分のニーズだ」と思っていても、時としてそれは本当のニーズではなく、より深いところにある――あるいは別のところにある別のニーズに気づけるかどうか、ということでした。

たとえば、自分は評価や序列を手放して、より平和で共感的な世界に生きることを求めていると思っていたのに、だれかから評価されたり序列をつけられたりしたときにとても心が乱れてしまった。
ひょっとして、平和で共感的な世界に生きることを求めていることとは別に、より自分の能力を活かしたり影響力を行使したりまわりに貢献したりすることにいきいきとする自分がいるのかもしれない。

相反するニーズが自分のなかで見え隠れしていて、そのどちらか一方を自分の思いこみやなんらかの刷りこみによって「ないもの」としようとしていないか。
そのことに気づけるかどうか。

気づきはじめたとき、人は自分の半分しか生きていなかった場所から、全体を生きる場所へとシフトしていきます。
それは急激に起こることではなく、徐々に、場合によっては長い時間をかけて起こることかもしれませんが、とても大切なことで、丁寧に扱う必要があることなのです。

そんなことを、昨日はあたらしいワークルームで、親密なつながりのなかで深く確認しました。
参加してくれてみなさん、ありがとうございました。

来月の国立での共感カフェは5月21日(日)の午後4時から開催します。
ご都合のつく方はどうぞお越しください。

国立での共感カフェ(5.21)
5月21日(日)16時から、おたがいに深く聴きあうことのできる場で自分自身の価値とニーズにつながるためのサポートを水城ゆうがおこなう茶話&勉強会を開催します。

2017年4月24日月曜日

ソーヤー海くんと初コラボ@アースデイ永田町

先週4月23日(金)は、参議院議員会館でおこなわれたアースデイ永田町に参加してきました。
そこで私はふたコマのワークショップをファシリテートさせていただきました。

前半のでは共生革命家のソーヤー海くんといっしょに共感的コミュニケーションのワークショップをやりました。
たくさんの人に参加していただき、とても楽しく盛り上がりました。

海くんとは何年も前からのNVCの仲間として付き合いはあったんですが、いっしょになにかやるというのはたぶん今回が初めてでした。
ただ、しっかり打ち合わせする時間を持つことはむずかしく、事前にざっとした流れを電話で軽く打ち合わせしたくらいでした。
でも、おたがいに信頼があって、その場の流れや参加者のエネルギーを尊重しながら、自分たちのいきいきしているものにつながってなにかやろう、というコンセプトはしっかり共有していたので、なにも心配はなかったのです。

実際はじまってみれば、共生革命家としてNVCを実践的に使っている海くんが、最近取りくんでいる千葉の平和道場作りの話や、彼や私の夢や、そしてみなさんともいっしょに取りくんだワークやそれにともなう質疑応答などで、参加のみなさんと熱くつながりながら、いきいきとした場が生まれたのでした。

共感的コミュニケーションをまったく知らなかった人は、これほどふたりの男が熱く語るのを見て興味を持ってくれただろうし、知っていた人もあらたな側面を垣間見て興味をあらたにしてくれたようです。
実際に終わってからそのようなメッセージをいただきました。

もちろん、私自身も存分に楽しませてもらったのです。
このあとも私はひとりで「Active Body Communication」と銘打ったタイトルをひとコマやらせていただいて、アースデイ永田町での役割を終えたのでした。
海くん、参加してくれたみなさん、そしてスタッフのみなさん、ありがとうございました。

2017年4月23日日曜日

せいせいとした日常を取り戻す

いま自分的に、表題のことばがヒットしています。
「せいせいとした日常」
これを取り戻したいのです。

日常がせいせいしているとは、どういうことかというと、毎日がすっきりしていて、ごちゃごちゃと複雑なことはなにもなく、クリアでクリーンでシンプルである、ということです。
逆にいえば、いまはそのような状態にないと感じているということでしょう。

毎日なにかしらやることがあって、それがクリアでシンプルでないと感じている。
複雑な人間関係のなかで突発的に飛びこんでくる用事があったり、複雑な都市での生活スタイルのためにやらなければならないことがたくさんあったりします。
大切な友人からなにかを誘われても――たとえば演奏会とか旅行とか――ほかの用事が複雑にからまりあっている日常のなかでその時間を捻出するのはなかなかむずかしいと感じてしまいます。
あるいは疲労がたまっていたり、疲労を恐れて、生産的でない(と自分が社会的基準にとらわれてジャッジしてしまう)ようなことにエネルギーをさけなかったりします。

子どもの時はどうだったでしょうか。
いまの子どもはどうなのかわかりませんが、私の子どものころは基本的に、子どもは「ひま」でした。
毎日なにかおもしろいことはないか、楽しいことはないか、ひまを持てあましていましたし、何時間でも釣りに没頭したり、友だちとあてどなくどこまでも自転車で冒険に出かけたりしました。

いま、私の友人が何人も、国外や、国内の遠方で生活しています。
そういうところにしばしば訪ねていきたくなります。
彼らがどのような生活をしているのか興味があるし、異国の地にも興味があるし、また誘われたりもします。
でも、さまざまな理由をつけて私はなかなか動けません。

時間、お金、ほかの用事、さまざまに余裕がないことをあげつらって、動けないのです。
本当は動けないのではなく、動かないだけなのかもしれません。

シンプルに自分自身につながり、生活を整え、すっきりさせ、本来自分自身にあたえられているはずの多くの時間を取りもどす。
いまこの瞬間の自分の手のなかにある時間こそが、すべての人に平等にあたえられた財産といってもいいでしょう。
その有効活用をたしかに私はおこたっています。
つまり、自分の人生を浪費しているのです。
もうそんなに時間が有り余っているというわけではないのに。

どうすればせいせいとした日常を取り戻すことができるのか。
そのことにこれから真剣に取りくんでみたいと思っています。

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2017年4月22日土曜日

「ランク」について

「ランク」ということばがあります。
「階級」とか「順位」といった意味でごく普通に使われていることばですが、心理学や社会学ではある心理要因をあらわすのに使うことがあります。

共感的コミュニケーションのベースになっているNVCでは、ランクというと無意識にある人やグループにたいして働いてしまう、一種のラベリングに似た心理をあらわします。

NVCには、すべての人が対等であり、お互いを思いやってそれぞれのニーズを尊重しあうという前提があるんですが、その「対等」がランクによって無意識に崩れることがあります。
たとえば、NVCのトレーナーと接するとき。

もちろんトレーナーはNVCについて多くの学びと知見を身につけ、それは尊重されてしかるべきものですが、それを超えてこちらが「引け目」のようなものを感じてしまうことがあります。
自分のほうがランクが下だと無意識に感じてしまうのです。
無意識ですから、本人はまったくそんなつもりはないんですが、言動にそれがあらわれてしまってやっかいなことになります。

トレーナーなど有資格者だけでなく、人にはさまざまなランクの意識が、無意識下に多重構造として存在しているのが普通です。
それはパイ生地のように、あるいはミルフィーユのように折りかさなっていて、なかなかそこから逃れることはできません。

逆にいえば、こちらが相手からランク意識を持たれてしまっている状況もあります。
こちらがいくら対等に接しようとしても、相手が無意識にこちらをランク上として接してくるので、関係がやっかいになることがあります。

私は今年、60歳になります。
このような年齢になってくると、たいていの年下の人は「年長者」というランクを私にかぶせてきます。
また、私にはほかにもさまざまなランクが設定されてしまうことを自覚しています。
いまはそうでもありませんが一時は大手出版社から何冊も本を出していた作家であること、プロのピアニストであること、表現者の団体であるNPO法人の主宰者であること、共感的コミュニケーションの本を書き場の主催をしている者であること……
ほかにもあるでしょう。

自分がランク上にまつりあげられていることを喜ぶ人もたしかにいます。
名刺にたくさん肩書きをならべているような人も、おそらくなにかニーズがあるのでしょう。
しかし逆に、私が生きている表現の世界ではランクは邪魔だし、ランクという一種の先入観や色眼鏡抜きで交流したいのです。

自分のランクを人々に感じさせないような方法はいくつかあります。
しかし、それらは自分を安売りしているように見えてしまうことがあります。
自分を軽んじているように見えることもあります。

結局、人がこちらのランクをどのように感じ、受け取るかについては、こちら側にはコントロールするすべがないのです。
だから、ただありのまま、自分らしくあるしかありません。
まったくシンプルに、自分自身とつながって、自分らしくいつづけること。
それが簡単にできるなら苦労はしないんですけどね。

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2017年4月21日金曜日

ものごとを進める/進めないの板挟みになったとき

会社などチームであるプロジェクトを進めているとします。
会社でなくても、町内会やPTA、ボランティア活動のグループ、あるいは家族などのチーム行動でも似たようなことがあります。
プロジェクトもさまざまに応用できます。
なにかイベントを企画実行する、ものを作って売る、ある活動を計画して実施する……

そんなチーム内に対立が起こります。
プロジェクトを立案した側は、自分たちのプロジェクトのすばらしさを強調し、ぜひとも実現したいと思っています。
そのプロジェクトの実行隊は、そのすばらしさをいまいち理解できず、実行してもうまくいかないのではないか、このプロジェクトは思いきっと取りやめて、別の計画を検討したほうがいいのではないかという気持ちになっています。

あなたはその間に立つ立場で(チームリーダーかもしれません)、板挟みになっています。
そしてあなたはどちらかというと、プロジェクトを立案した側に立場が近く、できれば実行隊に協力してもらってぜひともプロジェクトを実現したいと思っています。

さて、どうすればいいでしょう。

あなたはすでに共感的コミュニケーションを学んでいるので、だれかに「共感する」ことのパワーを知っています。
なので、尻込みしているプロジェクトの実行隊に共感して、彼らがなにを大事にしているのか、彼らのニーズを聞き、その上で自分のニーズも伝えることはどうだろうか、と思っています。
そのことをかんがえると、仕事が終わってからも、休日にも、気になって落ち着かない気分になってしまいます。

さて、ここで冷静にチェックしてみたいんですが、あなたが落ち着かない気分になっているのは、実行隊に共感しなければ、と思っているからでしょうか。
ひょっとしてあなたが落ち着かないのは、チームにつながりがなく、このプロジェクトの問題を「進める/撤退する」という選択の問題ではなく、そもそもどういうニーズからこのプロジェクトが生まれたのかについてみんなの共通認識もなく、お互いに正直に懸念を表明できる安心の場がないことが原因なのではないでしょうか。

プロジェクトを推進する側は、あなたを含めて、推進するためにはどうすればいいのか、対立する相手に「かけひき」として話をしてしまいます。
相手もプロジェクトを撤退するための「かけひき」として話をしてしまいます。

そうではなくて、全員がチームとしてそのプロジェクトがうまくいく/いかないを含めた共通の自分たちの問題として、つながりを持っている必要があるのです。
チーム内グループの対立ではなく、チーム全体の問題として全員がプロジェクトの問題に向かいたいのです。

あなたにできるのは、まずは全員がどのような立場であれ、自分が大切にしていること、問題にしていることを、非難されることなく安心して話をできる「安全な場」を作ることです。
そのために、まずあなたは正直に、無防備に、自分が大事にしていることをみんなに表現する必要があります。
あなたの無防備さや正直さがチームに伝わったとき、全員がつながれる場をそこに作れる可能性が生まれてくるのです。

連休に自分とつながる五日間連続講座(5.3-7)
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2017年4月20日木曜日

今週はイベント目白押し

「目白押し」で画像検索すると、かわいい写真がいっぱい出てきます。
ところで、一般的に「ウグイス色」といわれている色は、じつはこのメジロ色だったりします。
私もそう思っていました。
でも、ウグイスはもっと地味な色ですね。

本題ですが、今週は私がかかわるイベントがつづくので、紹介させてください。
四つあります。
どこかのチャンスでみなさんにお会いできるとうれしいです。

アースデイ永田町での共感ワーク(4.21)
共感的コミュニケーション(NVC)のワークをふたコマ、前半は共生革命家のソーヤー海くんとのコラボ、後半は「Active Body Communication(ABC)」という自己共感のための身体ワークをおこないます。午後から。

音読療法協会の音読カフェ(4.21)
ボイスセラピーの手法を用いつつ、お茶を飲んだり共感的に対話しながら進める心身調整健康法を実践する場を、あらたに音読療法協会主催で開きます。4月の開催は21(金)19時/29(土/昭和の日)14時、それぞれ約2時間です。

ボイスセラピー講座@国立(4.22)
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を学び、身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。4月22日(土)10時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催。

国立での共感カフェ(4.22)
4月22日(土)16時から、おたがいに深く聴きあうことのできる場で自分自身の価値とニーズにつながるためのサポートを水城ゆうがおこなう茶話&勉強会を開催します。

2017年4月19日水曜日

武術の稽古は人間関係の稽古にもつながる

この前の日曜日は韓氏意拳の世田谷初級講習会でした。
内田秀樹教練をお招きして、午後と夜のふたコマ開催しました(私は世話人)。

この日は技撃の教程をひととおりやる予定でしたが、体験参加の人がいたので(私の知り合いですが)内容がすこし変更になりました。
平歩站椿《へいほたんとう》から技撃椿《ぎげきとう》へ。
道具を使って身体の深度を見る稽古など。

とくにこの日はいったん緊迫感から拳の「状態」にはいってから、さらに身体への注目を低く深め、身体がさらに沈んでまとまりが深まることを体認していきました。
これがなかなかにきつい……
とくに体勢が斜めになる技撃椿での体認はことさらきつくて、ひとつの試みが終わると息があがって倒れそうになります。

きついんですが、それはけっしていやなきつさではなく、なぜか一種のよろこびをともなったきつさです。
身体がよろこんでいるんです。
マゾじゃないですよ(いやマゾでもいいんだけど)。

昼のコマと夜のコマのあいだの休憩時間に、近くのカフェに何人かで行ってコーヒーをいただきました。
そのときに出た話題。

人がだれかに対してなにかといらいらしたり、怒りをおぼえるのは、おもに「待てない」ことに原因があるのでは、ということ。
私も武術の稽古をやるようになって、日常のなかでも人を見る目が変わったり、あるいはもっと重要なこととして自分自身との付き合い方が著しく変化したり、といったことを経験しています。
これはとても役に立っています。
自分自身としっかりと付き合えるようになれば、他人とも自分の身勝手ではなくその相手の都合やペースを待ったり見たりすることで、じっくりと付き合えるようになる感じがあるのです。

つぎの私が世話人をつとめる韓氏意拳の講習会は、駒井雅和教練をお迎えして、国立での開催となります。
興味のある方は私にご一報ください。

国立・韓氏意拳初級講習会(5.12)
駒井雅和中級教練による国立での韓氏意拳初級講習会の2017年5月は、12日(金)午後にJR国立駅徒歩5分の会場にて開催します。

2017年4月18日火曜日

即興ピアニストが楽譜を学び発表会に出るまで

2017年4月15日、土曜日。
中野ZEROの小ホールでおこなわれた〈ぴあの・ぷらすstudio〉の発表会で私も演奏してきました。
ぴあの・ぷらすというのは、私が師事している中村和枝先生たちがピアノ指導をしているグループです。
今回の発表会には小学生もふくめ20人あまりの生徒さんが演奏しました。

ピアノをはじめて間がない初々しい小学一年生から、武満徹をおどろくほどの集中力で演奏しきった大人の女性まで、さまざまなレベルと性別・年齢の人たちが出演して、発表会自体とても楽しかったのです。
私はモーツァルトの「きらきら星変奏曲」全曲に、自分の即興アレンジを潜ませて、発表させていただきました。

オリジナル即興をまぎれこませるのは、和枝先生のリクエストでした。
和枝先生とは、私が主宰していた現代朗読のライブで知り合いました。
中野の〈Sweet Rain〉というジャズライブバーでけっこう頻繁に朗読ライブをやっていた時期があるんですが、そこにお客さんと来てくれ、おもしろがってくれたのが最初だったと思います。
その後、即興と朗読と現代音楽をコラボさせたイベントを〈Sweet Rain〉でやったりしました(楽しかったな)。

すでに書いたことがありますが、私は小学三年から六年までピアノ教室に通っていたことがあります。
普通の田舎のピアノの個人レッスンで、先生は音大出身の若い女性でした。
六年生まで習って、けっこう進んだんですが(ソナチネくらいまで行った)、どうしても練習がつらくてやめてしまいました。

その後、ピアノはひとり練習をつづけていて、好き勝手、自由気ままに弾くことを極めていって、いまおこなっている即興ピアニストにいたるわけですが、とくに朗読やダンス、映像など、異分野との即興コミュニケーションにおいては、この広い世界のなかでも私のように演奏できる者はそう多くないんじゃないかと自負しています。
共演に興味がある方は気軽に声をかけてね。

ただやはり、作曲家が緻密に計算して楽譜に残した音楽を置きざりにしてきたことはずっと気になっていて、去年の暮れから現代ピアニストとして最高峰の演奏家であることはだれも異論をはさまないであろう中村和枝先生に入門することにしたのです。

この半年近く、想像していたよりずっと多くのことを学ばせていただきました。
あまり学ぶことが多すぎて、まったく消化しきれていない状態です。
今回の発表会も、もうすこし時間があって、もうすこし消化した状態でやれればと思いましたが、それはそれ、それもまたいまの私の状況ということで、課題として次のステップにつなげればいいんだと思っています。

とにかく自分が学び、なにごとか進んでいって変化し、課題が見え、またそちらに向かっていくこと、そして子どもも大人もおなじように学んでいる仲間がいるということ、これが楽しいのです。

つぎはシューマンにチャレンジすることになっています。
またモーツァルトとはちがった学びがあることでしょう。
そしてまた、私の課題も山積しています。
和枝先生にまたお手をお借りして、目の前の山にじっくり取りくんでいきたいと思っています。

4月開催:音読療法協会の音読カフェ(4.21)
ボイスセラピーの手法を用いつつ、お茶を飲んだり共感的に対話しながら進める心身調整健康法を実践する場を、あらたに音読療法協会主催で開きます。4月の開催は21(金)19時/29(土/昭和の日)14時、それぞれ約2時間です。

2017年4月17日月曜日

北陸=東京ドライブ紀行170414

このタイトルで月に2回、定期的に書こうかな。
冗談半分、本気半分。

北陸の実家への毎月の帰省を、電車と飛行機から、車での移動に切り替えました。
実家の母が要介護者になったので、頻繁に、いつでも臨機応変に動けるようにして起きたいということです。
それがきっかけではあるんですが、なんとなくそのほかの「移動」についての自分の心持ちも変化しています。

「移動」というのは、自分の「居場所」が変わるということです。
どこにいても、ここが自分の居場所だと思える心持ちと、ここは自分の居場所ではない一時的な仮置きの足場だと思っているのとでは、人のありようはずいぶん違うと思います。
生まれ故郷があり、しっかりした学生の街・京都で学生時代と最初の社会人生活をすごし、また故郷に帰り、そしていまは友人の好意で東京国立に居心地のいい拠点を持てている私ですが、車移動へのシフトを機に我が身の「居場所」について、すこし突っこんでかんがえてみたくなっています。

というようなことは置いといて、ともあれ先日は車移動の初めての体験でした。
北陸の奥越前にある実家から、母がもう使うことはないだろう車を使って、東京国立へ自分でころがして移動しました。

それに先立って、まずは任意保険の加入。
身体文章塾の塾生で、いつも車で仕事に行ったり、日常的に運転しているふみさんに訊いたら、ネットで申し込める保険を教えてくれたので、さっそくそれで見積もりをとって、チャットや電話でサポートしてもらって加入。
店舗を持たず、その分人件費などの経費もあまりかかっていないので、保険料も安いんでしょうね。
かなり安くあがりました。
ふみさん、ありがとう。

車は日産の小型乗用車のノートという車種。
ハッチバックの5ドアなので、荷物もたっぷり積めます。
畑の野菜を積みこんで、午前10時前に出発。

まずは福井のオートバックスに行って、ETCの装置を取りつけてもらいました。
作業が混んでいて、終わったのは12時。
福井北インターから北陸道に乗って、一路滋賀県の長浜へ。

2年前に大阪で、窪田涼子と榊原忠美がおこなった朗読公演「袈裟と盛遠」で、すばらしい織物のインスタレーションを担当した京都在住の造形作家・中村えい子さんの個展を観に行きました。
大阪では私は音楽を担当したのでした。

会場に着くと、えい子さんがいらして、歓迎してくれました。
そして会場には、生き物のような不思議な織物――というか造形、というか、生成物というか、糸や布を使って産み出された作品が配置され、見る者は自然にその「胎内」に取りこまれるような形になります。

どのようにこの作品を産み出したのか話を聞くうち、私はこれらがえい子さんというニンゲンのDNAから複写された別の生き物のように見えてきました。
そうやってかんがえると、あらゆる表現は、その表現者のDNAのコピーなのかもしれません。
私の書く小説や、演奏する即興曲も、きっとそうですね。

2時半くらいまで中村えい子さんのインスタレーションのなかでゆっくりさせてもらってから、おいとまを告げ、ふたたび長浜インターから北陸道に乗りました。
南下し、米原ジャンクションで名神高速へ。

琵琶湖東岸は平野が広がり、北陸の山間部とはうってかわっておだやかな風景がつづきます。
起伏もなだらかで、平地の街なみにはソメイヨシノの淡いピンクいろがところどころこんもりと見え、丘陵の山腹にはヤマザクラの白が煙っています。
その白を包みこむように、萌黄色の春の芽吹きの雑木林が見えると、なぜかにやにやしてしまいます。

そのような景色は米原から関ヶ原を抜けるまでつづき、やがて濃尾平野へとはいっていきます。
しだいに車の量が増えます。
八割以上が貨物トラックです。

養老ジャンクションで東海環状自動車道と合流するとき、みじかい渋滞が置きましたが、やがて大垣、岐阜羽島、一宮を抜け、名古屋市街地を北にかすめて、一瞬東名高速に乗ったあと、すぐに小牧ジャンクションで中央道に乗りかえます。

写真をクリックするとYouTube動画が起動します。
もしくはこちらをクリック。

あとは高速道路にしてはカーブとトンネルの多い山中の道になります。
多治見、土岐、恵那、中津川とすぎ、やがて神坂の長いトンネルを抜けます。
長野にはいると飯田の大きな市街地を見ながら、南側に南アルプスの峻険な山嶺を見ながら進みます。

さすがに眠気をおぼえて、SAで休憩。
10分ほどの仮眠を取り、食事と飲み物を補給してから、飯田線にそって駒ヶ根、伊那、岡谷まで北上します。
岡谷ジャンクションでは長野道に接続しているんですが、そちらはパスして、今度は南下。

茅野、北杜、韮崎、甲斐、甲府のあたりまでくると、かなり日が落ちてきました。
山嶺が夕日にそまっています。
正面に富士山が大きく見えてきましたが、白くかすんで輪郭がぼやけています。

大月、上野原と通過するころにはあたりはすっかり暗くなりました。
あとひと息。
八王子から、最後は中央高速の均一料金区間にはいり、国立府中インターで下車。
無事に国立の家にもどってきました。
午後8時前。
長岡から5時間弱かな。
どこにも立ちよらずに走ると、5時間ちょっと。
休憩取りながらで6時間くらいといったところでしょうか。

NVCの仲間でもある安納献くんから教わったアレクサンダー・テクニークを意識して、運転時の姿勢を気をつける習慣が身についているので、車の運転で疲れたことはまったくありません。
今回も快適に楽しく、無理なく運転して帰ることができました。
よかったね(自分)。

アースデイ永田町での共感ワーク(4.21)
共感的コミュニケーション(NVC)のワークをふたコマ、前半は共生革命家のソーヤー海くんとのコラボ、後半は「Active Body Communication(ABC)」という自己共感のための身体ワークをおこないます。午後から。

2017年4月16日日曜日

4月21日:アースデイ永田町で共感ワークをやります

今年も日本の政治の中心地である永田町の参議院会館で「アースデイ永田町」が開催されます。
「地球を語ろう」と「地球を感じる」のふたつの部屋がありますが、私は「感じる」のほうでワークショップをふたコマやらせていただきます。

いずれも共感的コミュニケーション(NVC)のワークで、前半は共生革命家のソーヤー海くんとコラボします。
なにが起こることやら、ご期待ください!

後半は「Active Body Communication(ABC)」と銘打って、自分につながる(自己共感)ための共感的コミュニケーションと身体ワークをおこないます。

参加にあたっては完全予約制なのでご注意ください。
参加申し込みおよび内容詳細は、こちらをご覧ください。

みなさんのお越しをお待ちしてます。

2017年4月15日土曜日

年老いた親の愚痴を聞く

年老いた両親、あるいは母または父といっしょに住んでいたり、同居していなくてもたまに帰省して話を聞いたりしたとき、愚痴を聞かされてうんざりしてしまう、という人がたくさんいます。
私の共感カフェや親密な関係の勉強会でも、しばしばそのような問題が出てきます。
心あたりのある人が多いんじゃないでしょうか。

物忘れがひどい。
体力が衰えて、身体がしんどい。
持病がつらい。
夜眠れない。
親しい友だちが亡くなって落ちこんでいる。
自分なんかいなくてもだれも困らない。
なにをやっても楽しくない。
ご飯がおいしくない。
もう死にたい。

こういうことを繰り返し聞かされると、だれでも気が滅入ってしまいます。

でも、ちょっと待ってください。
なぜ年寄りはこのようなことを「繰り返し」「あなたに」聞かせるのでしょうか。
そこにはなにか理由=ニーズがあるはずです。

話を聞いてもらいたい。
大事にしてもらいたい。
見てもらいたい。
いまの自分の状態を理解してもらいたい。

あなたとのつながりを切実に必要としていて、ヘルプのサインを出しつづけているのかもしれません。
そんな年寄りの話を、あなたはきちんと、興味を持って、とことん聞いてあげたことはありますか?

幸いなことに私には経験があるんですが、一度でもきちんと、興味を持って、覚悟を決めてとことん話を聞くことをすると、「聞いてもらえた」という経験記憶が年寄りに残ります。
「また聞いてもらえる」という安心も生まれます。
もしこちらに余裕がなくて聞けないことがあったとしても、「いまは聞けないけど、今度時間があるときにゆっくり聞かせてね」と伝えると、安心して引きさがってくれます。

おたがいに尊重しあっていることが必要なのです。
こちらも年寄りを大事にしたい、話を聞いてあげたい、相手も大事にされたい、話を聞いてもらいたい。
共通のニーズがあって、しかしこちらに余裕がなかったり、あせりの気持ちがあったり、あるいは過去の関係性の痛みの記憶があったりするとつながりを大切にできなくなります。

どうすればお互いに大事にしあえる関係になるのか、いま一歩深いところに踏みこんで、思いきってみることが必要ですね。

4月開催:水城ゆうのオンライン共感カフェ(4.17)
自宅や好きな場所にいながらにして気軽に参加できる、ネットミーティングシステム(zoom)を利用した共感的コミュニケーションの60分勉強会、4月の開催は17(月)20時/25(火)20時です。

2017年4月14日金曜日

にぎわった実家音読カフェ

毎月、北陸の実家への帰省時に開催している実家のリビングでの音読カフェを、昨日も開催しました。
毎回参加してくれるリピーターの人と、初参加の人二人、私もいれて七人での開催でした。
昨年末からはじめて、だんだんにぎやかになってくるのがうれしいです。

おおげさかもしれませんが、ちょっとしたコミュニティの感ができはじめています。
多くの地方がそうだと思いますが、私の田舎も高校を卒業した若者はどんどん都会へ出ていき、帰ってきません。
高齢化が進展し、街もさびれ、人口減少に歯止めをかけることができません。
残っている人たちは多かれ少なかれ、寂しさを感じています。

自分たちが集まる場所といえば、行政がやっているカルチャーサービスとか、温泉施設とか、プールとか、ショッピングセンター。
それもどんどん寂れていってしまいます。

私の街には公民館でヨガ教室をやっている若い先生がいます。
そこに参加する人はけっして多くないんですが、地域のなかでもある意味の意識のある人たちのように見えます。
畑を借りて無農薬で野菜を作ったり、山歩きを楽しんだり、お茶を習ったり、と田舎での生活をせいいっぱい楽しもうとしているような人たちです。
そういった人たちが、なにか自分の心身の健康に役立つことをしたいと思ったり、そういう人たち同士でつながって話をしたいと思っても、なかなかそのような場がないようです。

音読カフェはそういった人たちに喜んで受け入れられる、一種のコミュニティの場となるチャンスかもしれません。

呼吸法による心身の調整や健康法からはじまって、文学作品や唱歌の歌詞を音読したり群読で楽しんだりという知的なトレーニングがあったり、共感的コミュニケーションをベースにしたお互いにさまざまな日常の話や悩みを聞き合う時間があったり、ひょっとしていまの田舎や地方都市が必要としているある種のことを提供できる場になっているような気がします。

このような場は、音読療法を学んだ人ならだれでも作れます。
自宅や、実家のリビングを使って、何人か集まればいいのです。
高齢になって、できれば介護予防にいそしんで元気なまま齢を重ねてもらいたい自分の親も巻きこみたいところですが、すぐにはそれが難しくても、
「お茶出してくれない?」
とか、
「近所の知り合いに宣伝してね」
という協力を頼むこともできます。
きっと喜んで協力してくれることでしょう。

昨日参加してくれた人は、全員、
「つぎはいつ?」
と聞いてくれました。
まだ決まっていなかったのでみなさんの都合を聞いて日程を決めました。
全員がまた参加してくれる気まんまんなのがうれしいです。
私もまた次回、みなさんにお会いできるのがとても楽しみです。

ボイスセラピー講座@国立(4.22)
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を学び、身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。4月22日(土)10時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催。

2017年4月13日木曜日

相手のニーズを知ることよりも、知ろうとする態度のほうが大事

共感的コミュニケーション(NVC)では「相手のニーズを知り、相手のニーズにつながる」ことをもって、相手とのつながりを質を確保する、というふうにいいます。
それももちろん大切なんですが、そのこと自体を目的としてしまうと、もっと大切なことが抜けおちてしまうことがあります。

だれかに共感する、というのは、結果ではなくその過程であり、態度/ありようが重要なのです。

「この人はなにを大切にしているのだろう?」
と相手に興味を向けるとき、あなたのその態度/ありよう/身体性が変化しています。
その変化しているあなた自身のようすのことを「共感的」というのです。

私たち人間は、想像以上に非言語的情報をたくさん交換しています。
朝、知り合いからなにげなく、
「おはよう」
と挨拶されたとき、こちら側は「おはよう」ということばの意味ではなく、そのことばがどのように発せられているのか、声のニュアンス、相手のようすなどを、無意識に、微細に見ています。

人はすぐれたセンサーのかたまりといっていいほどの生き物です。
全身がセンサーに包まれ、さらに視覚や聴覚といった鋭敏なセンサーも備えています。
それらを駆使して、相手の状態を敏感に受け取っています。

逆に相手にとってもおなじことがいえます。
相手はあなたのようすを鋭敏に受け取っています。
あなたが、
「この人はなにを大切にしているのだろう?」
と相手に興味を向けていることは、相手も無意識に受け取っています。
つまり、すでにあなたが共感的であることが伝わっているのです。

共感的であるあなたは、また、その身体性で発する声やことばもまた、自然に共感的になっていることでしょう。
そのこともまた相手に明確に伝わります。
すでにそこにはある種の「つながり」が生まれています。

ただしこれらのことは、まずこちら側が自分自身にすでにつながっていることが前提となっています。
自分自身が「活体」であることがなにより重要です。

自宅や好きな場所にいながらにして気軽に参加できる、ネットミーティングシステム(zoom)を利用した共感的コミュニケーションの60分勉強会、4月の開催は17(月)20時/25(火)20時です。

2017年4月12日水曜日

身体文章塾は「褌」がテーマだった

この前の日曜日は身体文章塾をオンラインで開催しました。
クローズドメンバーによる少人数の文章塾で、月に3回のペースで開催しています。
内1回はリアル開催で国立の家に集まるんですが、遠方で参加できない人、都合の悪い人はオンラインで参加します。

昨日は全員オンライン。
沖縄の知念さん、近所の奥田くん、これも近所の折江史さん……ですが、那須のログハウスからの参加。
先日のテキストライティング・ワークショップ参加者のひとりが見学参加だったんですが、外出先からうまく接続できなかったようで、こちらは残念。

オンライン接続に不安がある方はあらかじめ接続テストをおこなうようにしているんですが、スマホやタブレットがあれば、回線さえ安定していればだれでも簡単に参加できるので、最近はテストもほとんどやっていません。

この日のテーマは「褌」。
奥田くんが相撲取りを主人公にしたすばらしいエンタテインメント掌編を書いてきたので、みんなで絶賛。
もちろん私もびっくりしつつ堪能しました。
ただし、未完成とのことで、ぜひともつづきを書いて、完結させてほしいものです。
いずれ機関誌『HiYoMeKi』に掲載するかもしれません。

身体文章塾に参加するには、まず「自分とつながるテキストライティング・ワークショップ」に参加していただく必要があります。
その上で、私がやっている文章塾の方向性を確認していただき、興味を持って継続の希望がある方には、身体文章塾への参加方法をご案内することにしています。

先日のテキストライティング・ワークショップに参加してくれた方の感想を紹介します。

◎言葉という「最小公倍数」の共通語は、日常で思考を形にし、他者に何かを伝達するために用いています。そこには、いつも、自分のものではないような、ピッタリと言いあてていないような「すきま」を感じていました。その「すきま」をうめるヒントを探して参加しましたが、それ以上のものを頂きました。「体感をそのまま、言葉にすれば良い」のだと知りました。そんな発想全然なかった。いつも何か、言葉の限界を感じすぎていたと思いました。ツールとしての言葉をのびのびと使いたいと思いました。

◎ばくぜんと文章力ってよく使ってたことばだけど、どんなものかオリジナリティある文章なのかよくわかった。まだまだオリジナリティあふれる文章をかくことは、いままでうけた教育とはちがうこともあり、むずかしさを感じるし、「正しい」文章をかこうとしている自分がいることにも気付き、自分の中のカベも感じました。楽しかったです。

◎「自分とつながる」というタイトルにひかれて参加しました……が、自分って? の疑問が大きくなりました。自分の中で起きていることにフォーカスすることが、表現を豊かにしてくれるという事ならば、もっともっと、自分に目を向けて行きたいと思います。人の目、常識、思い込み、頭が自分をしばっているりと気付けたので、できるだけピュアな自分と仲良くなれることを目標にします。

以下のご案内は連続講座のものですが、この最終日の5日めにテキストライティングをやります。
こちらからも身体文章塾に参加できるようになります。

連休に自分とつながる五日間連続講座(5.3-7)
不安定で行き詰った時代を乗りきるために自分とつながり、見失わず、安定しながら、あなた本来の活力を発揮することをめざすためのヒントを探すための講座です。単発参加も可。

2017年4月11日火曜日

桜、国立、文章、共感、親密、タイ古式マッサージ

4月8日、土曜日。
雨のち曇。

「自分につながるテキストライティング・ワークショップ」と「親密な関係における共感的コミュニケーションの勉強会」の一日でした。
いずれも少人数でしたが、風通しのよい感じで、楽しくやらせていただきました。

テキストライティングではいつものように、自分自身の体感覚にいかにつながり、ことばという最小公約数的な社会的記号をもちいてどれだけオリジナリティを確保できるか、ということを試みるワークを、ステップを踏みながらおこなっていきました。
勘のいい人が多く、前半の段階ですでにユニークな表現をつかみ、楽しいテキスト交換となりました。

このワークショップではいつもそうですが、書きあげたお互いの文章を交換しあい、読み合いながら、味わい楽しむところが醍醐味です。
人がそれぞれユニークな存在なのだということを体感し、自分自身もまたユニークで貴重な存在なのだという証拠を目の当たりにします。

昼休みには国立駅前に行って、ランチをいただく予定でもうすぐ惜しまれつつも閉店になる〈伊藤屋〉という菓子店にはいったんですが、ランチはやってなかったので、ケーキとコーヒーに変更。
駅前はまさに桜が満開の真っ盛り。
人がたくさん花見に来ていました。

ケーキとコーヒーではお昼が物足りなかったので、それぞれ寿司やらパンやらをあらためて買ってもどり、食べながらテキストワークのつづき。
昼休みを含めて、ではあるけれど、6時間の長尺ワークショップだと思っていても、いつもあっというまに時間がすぎていって、最後は駆け足になってしまいます。
みなさんに「楽しかった」といってもらえて、私もたくさんのニーズが満たされて終了しました。

夕方6時からは親密な関係の勉強会。
テキストライティングから引き続き残って参加してくれたMさんと、初参加のKさんのふたりだけでしたが、ゆっくりじっくりと話ができました。
とくにKさんは私の同業のピアニストということで、本題のほかにもいろいろと興味深い話を聞かせていただきました。

前半は親子関係の話、後半は演奏などの表現を仕事にしている者にとっての共感的コミュニケーションの話。
強力なスキルであると同時に、仕事のあり方や生き方そのものを変質させるほどのパワーを持っている考え方なのだということを伝えることができたように思います。

終了後はさらにMさんが残ってくれて、仕事とは別に長年勉強をつづけているというタイ古式マッサージを施術してくれることになりました。
私は足つぼマッサージを除けば、マッサージというものをこの歳になるまでまったく受けたことがありません。
チャンスがなかったとしかいいようがないんですが、当然タイ古式マッサージも初めての経験でした。

もちろん最高に気持ちよかったんですが、私に施術しているMさんがいきいきとマインドフルで、繊細な気遣いがこちらに伝わってきて、それがもっともうれしくありがたかったのです。
だれかに大切に扱われるということがこれほど心地よく幸せなことなのだということを、今日は体験させてもらいました。
みなさん、ありがとう。

いまの時代こそ表現の根本である「ことば」が重要であり、私たちは自分自身を語ることばを獲得する必要があります。それを模索するワークショップを5月20日(土)に国立で6時間にわたって、じっくりとおこないます。

2017年4月10日月曜日

だれかに共感するとはどういうことか

いまさらですが、だれかに「共感する」とはどういうことなのか、あらためてかんがえておきたいと思います。

NVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)に基づいた共感的コミュニケーションでは、共感とは、
「相手のニーズを知り、それを尊重すること。お互いがニーズレベルでつながり、異なった価値観であってもお互いに尊重しあうこと」
というような理解です。

ニーズというのは、それぞれの人の価値観、大事にしていること、必要性、といったようなことです。
人の言動やあらわれる感情は、そのもとにすべてニーズがあります。
つまり、生命活動そのものといいかえてもいいかもしれません。

だれかに共感するとき、まずは自分自身に共感している必要があります。
つまり、自分のニーズを把握している必要がある、ということです。
頭で理解しているのではなく、「体感」している状態が理想です。
「私のニーズは○○である」
とかんがえていたり、言語化できているということより、
「こっち」
みたいな、「意」が自然に生まれている状態といっていいでしょう。
そのとき、私たちは身体がいきいきしていたり、あるいは落ちついていたり、まわりのことにも注意が向いていたりします。

自分につながっている状態、ともいいます。
このときはじめて、だれかにも共感できる余地が生まれます。
相手にもつながりたい、相手のニーズを知りたい、というこちらのニーズが生まれ、そこにつながったとき初めて、相手にも共感を向けることができます。
自分につながらないまま相手につながろうとしてもうまくいきません。

だれかに共感する、というのは、
「その人が自分自身のニーズにつながるお手伝いをする」
ということです。
相手のニーズを推測し、それを問いかけることによって、相手は自分自身に目を向け、自分のニーズを探り、それにつながります。
それをサポートするわけです。
それを共感といいます。

自分につながり、相手が自分につながるお手伝いをする。
お互いにニーズにつながった状態になったとき、初めて、お互いを尊重したり、対話がはじまったり、なにか生産的な手段に向かったりできるようになります。

Skypeを利用したリアルタイムでのオンラインボイスコーチングをおこなっています。対面でのリアルセッションも可能です。どなたもまずは気楽に無料相談で。

2017年4月9日日曜日

自分なんかいないほうがいい、といってる人がいる

なにかチームでものごとをやっているとき、なにごとかがうまくいかなくなったとき、ある人の行動が原因であることがあります。
ひとりが別の人を攻撃したり、ものごとの進め方に文句をいったりして、チーム全体のつながりが失われてしまって、進行が止まってしまったりします。
そんなとき、原因となった人の言動を控えさせたり、変えようとすることがあります。

するとその人は、
「自分なんかいないほうがいいんだね。必要ないんだ。いないほうがうまくいくんだ」
と、逆上したり、落ちこんだりして、不本意にもチームから去ってしまうこともあります。
どうすればいいでしょう。
どんなふうにすれば、つながりをもってチームをクリエイティブな状態に保っていることができるでしょう。

まず、自分たちのニーズを確認し、そのことにしっかりつながっている必要があります。
自分たちはチームがおたがいに思いやりをもって尊重しあい、攻撃したり、文句をいいあったりすることなく、安心しながら、いきいきと前進していき、目的を実現するニーズがあるんだ、ということを確認し、いつもそのことを身体にいれておく必要があります。
そのニーズを満たし、目的を達成するためには、さまざまな手段をあきらめずに行使するわけです。

自分たちのニーズを満たすためには、問題となっている人のことも尊重し、共感的につながる必要があります。
しかし、その人の言動を控えさせたり、変えようとするのは、その人を攻撃することとなにも変わりません。
その人にとっては、自分が受け入れられない、言動を変えようとされている、否定されている、と感じてしまうでしょう。
だから、自分なんかいないほうがいい、と悲痛な反応をしてしまうのです。

その悲痛な反応は、共感的に翻訳すれば、まさに、
「私を助けて」
といっているのです。
そのように翻訳して聞けるかどうかが大切です。

その人が「こちらにとって問題」と見える行動をとっているのは、なんのニーズがあるからでしょうか。
その人にとってもなにか切実なニーズがあってそういうことをしているはずです。
そのことをこちらが真剣に、ただありのままに聞くことができるかどうか。
それがお互いにつながれるかどうかを左右します。

その人のニーズを聞き、またこちらのニーズを相手に伝え、その上でおたがいのニーズを満たすためにはどんなことができるのか一緒にかんがえてみる。
ならんで、同じ方向を見ながらかんがえてみる。
そのとき、全員がチームとしてつながりあい、パワーを持つのです。
そうなったとき、どんな困難な問題が立ちふさがったと感じて絶望した瞬間があったとしても、きっとまたクリエイティブに前に向かって進んでいくことができるでしょう。

2017年4月7日金曜日

テキストライティング・ワークショップ参加者の感想

私の友人の栗山のぞみが、前回の「自分とつながるテキストライティング」ワークショップに参加して、感想をフェイスブックに書いてくれたので、それをご紹介します。
最後にワーク内で書いた素敵なショートショートがくっついてます。
とても楽しませてもらったので、おすそわけ。
(書式などは変更してあります)。

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水城ゆうさん主催の「自分とつながるテキストライティング」のワークショップに参加した。
この講座に参加したのには訳がある。
まあ、なんにしたってワケはあるワケだけれども。

2017年がはじまるにあたって、軽~く「今年やりたいこと」のリストをつくった。
その中の一つに「書くことを再び楽しみたい」というのがある。
仕事だろうがなんだろうが文章表現をするときに、「楽しい」というか「できる!」というか「狙いを違わず撃っている」「真芯に当たっている」という感覚を長らく得ていない。
どこか嘘くさい。
「なんとなく……」そう、なんとなくスペースを埋めている。
いま書いていてもそんな感じだ。
それが気持ち悪い。
下手でも荒削りでも、書いているとお腹の底がくすぐったくなるような、はやるような、ときには嬉し恥ずかしだったり、「あ、これで行ける!」というような、そんな感覚がなにかしら以前はあったのに最近は、ほとんどない。
無感動、無感覚に近い。

ところが、年末にふと思い立って参加した自分につながるシリーズのテキストライティングが思いがけずおもしろかったのだ。
そのトレーニングに再び参加した。
水城さんの教えてくれることをひとことで言えば、「書くときにいかに他人を排して自分に徹するか」。
つまり「自分のからだに起こっていることに意識を向けてそれを捕まえて表現せよ」。
唯一無二の表現を生むには、自分の身体感覚を研ぎ澄ませて書く。
「他者」「社会」「現象」等々外側に起こっていることが、自分の核、身体に何を起こしているのか。
それを捕まえて書け、ということだ。

ワークショップでは、描写(解釈を挟まない観察)だけを書く、例えを使って書く、物語の冒頭、終わり、中途の数行を書く等々、5分、10分と時間を区切られて短い時間で100~200文字を書いていく。
課題ごとに参加者それぞれが書いたものをシェアするのだが、それも徐々に固有の感覚が現れてきて面白い。
最後には、与えられたテーマで1編を仕上げることを求められた。

それがこれ。
テーマは「ブローチ」。
なぬ???
だが、書いてみたらこんなものが出てきた。
ので、貼ってみました。

(ブローチ)
 世の中は私の味方ではないと、たびたび自覚させられながら生きてきた。漢字の書き順にはじまり、急須、レードル、ドアノブ、そして自動改札のタッチパネル。全て私の寿命を短くしようと画策するヤツらだ。そして、こんどはこのブローチときた。薄いグリーンの木の葉のかたち、ガラスでできた繊細なデザイン、気に入っているのに、どうやっても、葉の先を上にしてちょうどいい向き、ちょうどいい位置に留めることができない。服を脱いで、留めて、それから着てみたらいいじゃないかって? とっくにやってます。でも、鏡の前に立つと、そこじゃないって思うのだ。脱いで、外して、つけて、やりなおし。もーぅ、イライラする。
 そう、人間一人じゃ生きていかれない。こんなにたくさんの物に命を狙われているんですもの。そういうわけで失礼ですけれど、このブローチ、この位置に、ピンとつけてくださらない?

自分とつながるテキストライティングWS(4.8)
いまの時代こそ表現の根本である「ことば」が重要であり、私たちは自分自身を語ることばを獲得する必要があります。それを模索するワークショップを4月8日(土)に国立で6時間にわたって、じっくりとおこないます。

自己紹介がめんどくさい

先日、知人のワークショップ(イベント)に参加したとき、参加者がほとんど知らない人同士だったので、おたがいの自己紹介からはじまりました。
こういうとき、だいたいの人は、
「○○から来ました。仕事は○○をやってます」
みたいな簡潔なものになるんですが、私はなかなか自分のことを簡潔に人に伝えるのはむずかしいと感じてしまうのです。

「ピアニストです」
というのはそうなんですが、そうすると、
「小説家です」
というのがこぼれ落ちてしまう。
「朗読演出をやってます」
「音読療法協会のオーガナイザーです」
なども抜けてしまいます。
自分ではどれも本業だと思っているので、困ってしまうのです。

相手を見て、なにかひとつだけ、一番ヒットしそうなものを伝えることもありますが、そうすると自分のひとつの偏った側面しか伝わっていないような気がして、落ち着かないのです。
なので、最近は居場所と名前だけ名乗るようにしています。

ある人のことをおおまかにでも理解するには、さまざまな側面から把握する必要があります。
逆にいえば、私のこともある一面からだけ見て「こういう人だ」と断じてほしくないのです。
かといって、「私のブログを全部読んだください」というのも乱暴な話です。

最近はなにか仕事をしていても、社会活動に参加していたり、ライフワークとする趣味を持っていたり、多面性を持って活躍している人が増えてきたように思います。
しかし、「二足のわらじ」とか「マルチタレント」ということばには、どこか否定的なイメージがつきまといます。
日本人はなにかひとつのことに打ちこみ、その道何十年、というような人を尊重する傾向があるように思います(私のひがみかもしれませんが)。

表面的にはいろいろなことをやっているように見える私ですが、幸いなことに、ここ何年かは私のなかでなにか筋が通ってくるような感じがあって、自分としてはこの道数十年、ようやくここにたどりついた、という気がしています。
ひとつのことを角度を変えてアプローチしたり、別の表現で伝えたりしています。

自分が自分であること、自分に徹して、自分としてそこにあること、恐れなくのびやかに自分の能力を発揮すること、これらを日々稽古することを試みているといえます。

それはそれとして、私をひとことでいいあらわせるうまい自己紹介の文言はないでしょうかね(絶賛募集中!)。

連休に自分とつながる五日間連続講座(5.3-7)
不安定で行き詰った時代を乗りきるために自分とつながり、見失わず、安定しながら、あなた本来の活力を発揮することをめざすためのヒントを探すための講座です。単発参加も可。

2017年4月6日木曜日

映画:モーガン プロトタイプ L-9

2016年公開の合衆国映画。
監督はルーク・スコット、製作はリドリー・スコット。
ん?
と思った方、正解。
ルーク・スコットはリドリー・スコットの息子です。
日本映画界でいえば、宮崎吾郎と宮崎駿の関係。

もっとも、それを知ったのは、映画を観終わった後でした。
なんの先入観もなく観始めて、もっとスケールの大きな展開を予想していたのに、こじんまりと終わってしまって、肩透かしを食らってしまいました。

人工知能、人造人間、人工生命体を扱った映画です。
このテーマはまちがいなく、これからの人類にとって重要なものになっていくでしょう。
この手の映画はこれからたくさん作られていくと思われます。
この映画の前に、私は「エクスマキナ」という映画を観ていますが、ちょっと重なるところがあります(エクスマキナについてはあらためて書きます)。

モーガンという人造人間が育てられ、成長しつつあったんですが、研究員のひとりが彼女の感情を刺激して左の眼球をえぐられるという事故が起こります。
そこへ本社から危機管理顧問の凄腕女性が送りこまれてきます。
なぜか研究員たちはモーガンの事故をかばい、モーガンを守ろうとします。
その抵抗のなかで、管理顧問の女性はモーガンの欠陥をあばき、「処分」へと持ちこもうとします。

映画の後半はアクションシーン、殺戮シーンとつづきますが、ちょっと安易で残念な展開。
そして最後にどんでん返しが用意されていますが、その仕掛けは前半部分で容易に予想できてしまっていたし、仕掛け自体がモーガンの開発チームの存在意義を薄くさせてしまうという、ストーリーの構造上の欠陥を持っています。

SFとしての「絵」も魅力的なものが少なく、かなり残念な映画と私は感じました。
リドリー・スコットのルークが、これからどんな映画を撮っていくのか、成長していってくれるのか、注目してみたいと思います。

2017年4月5日水曜日

四月の共感強化ウイーク

毎月の月はじめのほうに共感カフェや共感的コミュニケーションの勉強会が集まっているんですが、今月もつづきます。
どこかでみなさんとお会いできるとうれしいです。

とくに今月は新学期、新年度のスタートということで、自分自身も人間関係もあたらしいフェーズに変わっていく人が多いんじゃないでしょうか。
共感的コミュニケーションを身につけて、人生の荒波をサーファーのように楽しみながら乗りきっていきましょう。

そういう私もあたらしい局面にはいっていきます。
母の介護が必要になったので、東京と北陸の実家を車で往復することにしました。
四月はまず、いつもどおり飛行機で帰省して、車で東京にもどります。

その途中、知り合いの造形作家が滋賀県の長浜で個展をやっているということで、立ちよることにしました。
その周辺で興味のある方がいらしたら、共感カフェや音読カフェを開催できればと思っています。
お声がけください。

以下、直近のイベントをいくつか紹介させていただきます。
みなさん、来てね。

寿美ちゃんち共感おはなしカフェ@東松原(4.6)
東松原在住で自宅をイベントに開いている星寿美さんが、共感おはなしカフェを主催しています。おたがいに深く聴きあうことのできる場で自分自身の価値とニーズにつながるためのサポートをおこなうおはなし会です。

カフェ・オハナ(三軒茶屋)で共感的コミュニケーション(4.7)
恒例の三軒茶屋〈カフェ・オハナ〉での共感的コミュニケーション・ワークショップ。朗読と音楽のミニライブ付き。参加費1,000円+ワンオーダー。

自分とつながるテキストライティングWS(4.8)
いまの時代こそ表現の根本である「ことば」が重要であり、私たちは自分自身を語ることばを獲得する必要があります。それを模索するワークショップを4月8日(土)に国立で6時間にわたって、じっくりとおこないます。

親密な関係における共感的コミュニケーションの勉強会(4.8)
共感的コミュニケーションでもとくにやっかいだといわれている親密な関係であるところのパートナーと、お互いに尊重しあい、関係性の質を向上させるための勉強会を国立駅徒歩5分の会場でおこないます。

5月12日:国立・韓氏意拳初級講習会

国立での駒井雅和中級教練による韓氏意拳の会員向け初級講習会、2017年5月のお知らせです。

◎日時 2017年5月12日(金) 14:00〜16:30
◎参加費 3,500円(講習会費、会場費、講師交通費を含む)
◎場所 国立駅から徒歩5分の会場
◎持物 動きやすい服装・筆記用具・メモ

参加予約はこちらから。
もしくは直接私・水城まで、あるいは現代朗読協会コンタクトフォームからお知らせください。

2017年4月3日月曜日

国立での音読カフェ2回めを終えて

先週金曜日は国立・春野亭での音読カフェの2回めでした。
音読トレーナー・音読療法士をめざしてこのところ積極的に参加してくれている人、私の共感カフェをはじめとして共感的コミュニケーションの勉強を継続している人、そしてずっと私のメールマガジンを読んでくれていてお便りも寄せてくれていた人が初めて参加してくれました。

おたがいに軽く自己紹介。
この時間はゆっくりと場につながって落ち着いてもらう時間で、共感的コミュニケーションのベースになっているNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)の世界では「チェックイン」と呼ばれて、かならずおこなわれるものとなっています。
私はNVCでおこなわれるほどのフォーマルな感じにはしたくないので、ただふつうに「自己紹介」ということが多いんですが、目的はほぼおなじことです。

そのあと、音読療法の呼吸法。
ホールブレス、ストレッチブレス、ボトムブレス、そしてハミング発声と、今回は体系のなかでまとめてあるその順番と内容を忠実にやってみました。

呼吸法にはさまざまな効能があります。
古代から人はその絶大な効果や重要性に気づいていて、とくにヨガをふくむ東洋の健身法にはかならずといっていいほど呼吸法がふくまれています。
複雑な体系もありますが、音読療法では子どもからお年寄りまでできるようなシンプルな体系にまとめてあります。
いわば「いいとこ取り」です。

呼吸法の効果や神経系におよぼす作用について解説したあと、音読エチュードに進みました。
参加者の要望で太宰治の『走れメロス』の冒頭を読むことになりました。
群読からエチュードへ。
いろいろな読み方をして、自分の変化に注目してもらいます。

最後には詩を使って、表現のエチュード。
私も参加したくなって、ピアノの即興演奏で参加してみました。

カフェの終わりは、お茶を飲みながらリラックスした雰囲気で、おたがいの話を聞きあう時間となりました。

私が初参加の人からちょっとした気がかりについて聞いていたら、その人から、
「ひょっとしてこれが共感的コミュニケーションですか?」
と確認されました。
私がこたえる前に、ほかの参加者から「そうですよ」と返事があり、
「水城さんのクラスはほかの講座やワークショップと全然違うんですよ」
と教えてもらいました。

だいたいのNVCや共感的コミュニケーションの講座やワークショップは、講師やファシリテーターが主導してワークをおこなったり、解説したりします。
しかし、私はこのところ、ほとんどそういうことをしなくなっていました。
私はただ参加者の話を聞き、必要があれば解説しますが、ただ共感し、その人が自分自身につながるお手伝いをするだけです。
自分につながったら、おのずから解決法が見えたり、落ち着いたり、いきいきしたりします。
自分につながる、自分自身といっしょにいる、ということをまず体験してもらうことが大事だと思っているからです。

だから、ほかの講座と全然違う、といってもらったことは大きな喜びでした。
参加してくれたみなさん、ありがとう。
次回の音読カフェは4月21日(金)の夜です。

4月開催:音読療法協会の音読カフェ(4.21)
ボイスセラピーの手法を用いつつ、お茶を飲んだり共感的に対話しながら進める心身調整健康法を実践する場を、あらたに音読療法協会主催で開きます。4月の開催は21(金)19時/29(土/昭和の日)14時、それぞれ約2時間です。

2017年4月2日日曜日

映画:バイオハザード: ザ・ファイナル

日本では2016年末、全米は2017年公開のアメリカ映画。
日本のほうが公開は早かったのね。
いわずと知れたゲーム「バイオハザード」を原作とした映画シリーズの第6作にあたるもので、これが最後のエピソード。
と、いわれていますが。

私はゲームはやったことがないんですが、最初の作品「バイオハザード」(無印)を見たとき、その世界設定のスタイリッシュな印象とおぞましいゾンビたちとの対照や、ミラ・ジョボビッチという女優の魅力に、かなり好感度をもった記憶があります。
その後もたぶん全部観てると思いますが、この「ザ・ファイナル」はひょっとして、シリーズのなかでも一番好きかもしれません。

ちょっと「マッドマックス」に通じるような荒廃した風景が出てきたり、「ロード・オブ・ザ・リング」などのファンタジー映画に出てくるような凶悪なクリーチャーが出てきたりと、最近のエンタテインメントムービーのおいしいところをきっちり押さえている感じです。

人類を滅亡の危機へと追いやってきたT-ウイルスを駆逐する切り札の抗ウイルスワクチンを、アンブレラ社が開発に成功し、ラクーンシティの地下に保管されているそれを48時間以内に奪還して散布しなければ、人類は滅亡してしまう、という設定でストーリーが進んでいきます。
しかし、アリスも感染者なので(彼女だけがゾンビに変身しない)、抗ウイルスワクチンを散布すれば、彼女自身は死ぬことになる、というのがストーリーのキモといっていいでしょう。

大量のゾンビやら、クリーチャーやら、強大な敵やらをかきわけたり、追いかけられたり、脱出したりと、アクションにつぐアクションなんですが、脚本がよくできていて、エンディングでは不覚にも、ちょっと感動してしまいました。
さすがに6作観ると、もういいかな、という気にもなっていますが、「マッドマックス」や「ロッキー」や「ジョーズ」のシリーズが作品を重ねるごとにおのずと育っていったように、このシリーズも通してみると映画自体の成長の過程がうかがえておもしろいかもしれませんね。

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水城ゆうの現在の活動にかかわるすべてのものについて、テキストコンテンツとして毎日配信しています。長編小説『大きな川と雪のものがたり』連載中。
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2017年4月1日土曜日

YouTube:鈴鹿おふくろさん弁当の社長係・岸浪龍さんにうかがいました

2017年4月1日。
規則も命令も上司も責任もない会社として全国的に有名になった鈴鹿の「おふくろさん弁当」の社長係の岸浪龍さんが、国立の家に遊びに来てくれました。
おふくろさん弁当という会社がどのような組織なのか、なにを大切にしているのか、これからどんなことを目指していくのか、お話をうかがいました。

おふくろさん弁当のウェブサイトはこちら

映像はこちら