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2016年10月31日月曜日

実家での音読共感カフェ

私は毎月、北陸の実家に帰省しているんですが、実家にいる母がすこしずつ物覚えがにぶくなってきて、あまり外出もせずに一日中家のなかでテレビばかり見ているのが心配なのです。
自分にもなにかできないかとかんがえていたところ、2011年にスタートした音読療法協会でやっている音読カフェを実家の居間でやってみよう、と思いつきました。
そしてそれをさっそく実行に移してみたのです。

ちらしを何枚か刷って、知り合いや近所の人にくばってもらったところ、ちょうど10月の私の実家帰省日にタイミングがあって来てくれる、という人が数人あらわれました。
みなさん、私がなにをやるのか、興味しんしんです。
なにしろ、たまに帰ってくるようだけれど私が東京でどんなことをやっているのか、まるでわからない、小説を書いているとかピアノを弾いているとかいうけれど、本がベストセラーになった話も聞かないし、テレビやラジオで演奏しているのを聴いたこともないし、というわけでしょう。

当日になって、ひとりが来れないということで、結局参加者は三人となりました。
私もちょっと知っている人だったので、最初の挨拶と世間話からいきなり、共感を必要とする話が出てきました。
知り合いの家ということで安心していたのかもしれません。
しかし、田舎の場合、私の思いこみかもしれませんが、知り合いの家だからといってなかなか本音を出すような話はしないものです。
こちらが信頼されている感じがあって、うれしかったんですが、音読ワークに行く前にご主人との関係の悩みやら、 退職してから自分がなにをやりたいのか、なにをやっても持続できずにやる気が出ない、といったことについてうかがいました。

音読カフェは音読ワークと共感的コミュニケーションをベースにしたおはなし茶会をやることが多いんですが、たいていは音読ワークを先にやります。
呼吸法、発声、音読エチュードとやるわけですが、実家カフェでは変則的でした。
たっぷり一時間以上、共感的に話を聞き、途中で、
「これってカウンセリングみたい」
という感想が出てきたりしたので、キリのいいところで音読ワークにはいっていくことにしました。

終わってから、みなさんから「また参加したい」といってもらえて、スケジュールもみなさんの都合のいい日程にすることになりました。

これをお読みのみなさんのなかにも、実家の部屋があいていたり、あるいは自分の家のリビングでやれそうだったり、親兄弟を巻きこんで近所の人や知り合いの人と気楽に音読療法を口実につながり、共感の場を持つことが簡単にできることに興味を持ってくれる人もいるんじゃないだろうかと思っています。
音読カフェをファシリテートする音読トレーナーの養成講座を音読療法協会では開催していますので、気楽に問い合わせてもらえたらありがたいです。

私は実家で来月も開催しますし、実家だけでなく、帰省先の周辺でも開催するチャンスがあればいいと思っていて、音読トレーナーの育成も行政の補助金をうまく使いなどして進めていこうと計画しています。
仲間になってくれる人、大歓迎です。

介護予防に最適な音読療法ワークを指導する「音読トレーナー」の資格を取得する1泊2日の合宿形式の講座を11月5日(土)と6日(日)の二日間にわたって、都内近郊の会場で開催します。

2016年10月30日日曜日

「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演参加者の感想

10月23日にキッド・アイラック・アート・ホールのギャラリースペースで開催された「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演にご参加された方々の感想を、抜粋してご紹介します。
ちなみに、そのときの朗読テキスト「編む人」(作:水城ゆう)はこちら「水色文庫」で読めます。

◎二年前に97歳であの世に旅立ったお袋のことをずっと思い出して居ました。母は人形作りをずっと続けていましたが、その人形はとても完成度の高いものでした。その人形がある時を境に形がくずれ出して来て、認知症だと云うことが分かりました。その母からただ生きていると云うだけで人は良いんだと云うことを学びました。

◎やっぱり淋しいおばあさん(老女)の世界なのでねー。とてもきれいな匂いのするおばあさんだなといつも思っております。かすかな木の香りみたいな。少しホコリの匂いもありますがきれいなホコリというか……。

◎こまあみがハッキリときこえて、さすがだなーと。かわいくない! が、びゃーっと糸をほどくのが見えました。題名でずんっときました。くらやみでははじめて立って踊れました。いやーもっとやりたいですね、ハハハ。

◎私の胸にひびいてくる、というより、私の丹田にひびいてくる! ……という様な感じがぴったりの、今回もここち良い公演でした。リラックスできて、本当によかったです。有難うございました。

◎太鼓のようなリズムをなぜか感じ、そうこうしているうちに、水城さんがピアノに足を打ちつける音がして、ああ、太鼓だ、やっぱりそうなのか、と不思議に思った。太鼓の次にカマキリの緑のイメージがやってきて、狂気を感じたり、動きたくなったりした。

◎自分の身体と離れずにいることは本当に難しいなと思った。じっとしていると分離しそうになるので、闇の中でうごめき、四つん這いで散策してみた。

年内閉館のキッドで深い沈黙とのびやかな瞑想

2016年10月23日、日曜日の夜。
明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉のギャラリースペースにて、何回めになるんでしょうか、数えたことがないのでわかりませんが、たぶん12回か13回めだと思います、「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演をおこないました。

この東京でももっとも歴史の古いといわれるキッドは、年内で閉館されることが決まっています。
残りすくないチャンスを大切にしようと臨んだ公演でした。
参加者はいつものように少なかったのですが、とても深いつながりと濃い体験を共有することができたように思います。

残りすくないチャンスを大切にしたいといっていた割には、この日のための新作テキストがなかなか仕上がらず、実際にこの日のためのテキスト「編む人」を朗読の野々宮卯妙に渡せたのは、公演当日の午後1時をすぎたころでした。
私は原稿が早いほうで、たいていは事前に余裕をもって渡すことができるのですが、長年のライブパフォーマンスの相方でもある野々宮はギリギリに原稿を渡しても読んでくれる、そのクオリティにはまったく心配はない、という信頼があるので、甘えてしまうのです。

書き手はできるだけぎりぎりまで時間を稼いで粘りたいという心理があります。
そして粘ったときはそれだけのものが生まれることがあるのです(もちろんないこともありますが)。

夕方、国立在住で参加してくれるという藤田さんもいっしょに、明大前に移動。
会場入りしてみたら、ピアノの位置が移動しています。
前回も移動していました。
前回はそれはそれでおもしろかったので、そのままやったんですが、今回もおもしろいのでそのままやることにしました。

今回のピアノの位置は階段の下。
それを背後から囲むように折りたたみ椅子の客席。
吹き抜けの上の階である4階にも席があります。
オーディエンスは椅子から立ちあがったり、移動したり、階段を昇り降りして3階と4階を行き来できるようになっています。
朗読者の野々宮もそのように動きます。

時間が来て、まず沈黙の朗読パートからスタート。
朗読からはいるのか、ピアノからはいるのか、なにも決めていません。
どういうふうに読むのか、どんなふうに演奏するのかも、決めていません。
ただただ、いまこの瞬間の自分自身と相手と、参加のみなさんと空間と、漏れ聞こえてくる街の音を身体のなかにとおし、そこから生まれてくるものに耳をすまします。

今回は朗読からスタートしました。
それを聞きながら、私もはいれるタイミングでからんでいきます。
自分がどんな音を出すのか、予測もできません。
完全にいまこの瞬間の、瞬間が点、点、点とつづいていって連続した線になっていくような濃密な時間感覚のなかにいます。

このフロー状態からさらにゾーンへとはいっていく感じは、いつも独特です。
自分が自分でないような、自分の細胞一個一個が独立した生命になっているような、それでいて全体が空間と接続しているような、不思議な感覚もあります。
野々宮が読んでいるのは私が書いたテキストにちがいないのですが、まるで初めて聴くことばのようにも聞こえます。

気がついたら前半の沈黙の朗読パートが終わり、濃厚な沈黙の時間。
二、三分でしょうか、そのあと音楽瞑想パートへ。
瞑想しながら演奏するというのは、一種の動揺禅のような感じです。
参加者のなかにも身体を動かしていた人がいたようです。

私にとっても、参加してくれたみなさんにとっても、現代生活のなかにはまずない時間と空間の体験だったのではないでしょうか。
しかしひょっとして、人が文明化する前の時代、人が自然と共存し持続可能な生活を送っていた時代には、このような時空体験は日常的にあったのかもしれません。
現代ではわざわざこのような時空をしつらえないとなかなか体験しにくいものです。

いつも不思議なのですが、今回も終わったらぴったり60分が経過していました。
時間をはかっているわけでもないのに、不思議です。

終わってからささやかなつまみと飲み物を出して、みなさんと談笑。
この時間がまた楽しいんですね。
私にとって、この公演の準備も、本番も、終演後の語らいも、すべて貴重で大切なものです。
ご参加いただいたみなさんには本当に感謝を申し上げます。

ひょっとして今回が最後になるのかなと覚悟していましたが、ホール側のはからいでもう一回、やらせていただけることになりました。
ありがたいことです。
そして今後こそキッド・アイラック・アート・ホールでの最後の公演となります。

12月12日、月曜日の夜です。
平日の夜ではありますが、お越しいただけるとうれしいです。
ただしあまり大きな空間ではないので、人数次第では受付を終了させていただくこともありますので、ご了承くださいますよう。

「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@明大前(12.12)
深くことば、静寂、音、そして空間とご自分の存在そのものをあじわっていただく「体験」型公演です。年内閉館が決まっているキッド・アイラック・アート・ホールでの最終公演となります。

2016年10月28日金曜日

風邪ひきかけたけど踏みとどまって回復

今週のアタマごろだったかな、とくに朝晩が冷えこんで寒い日がつづきました。
秋の土用という、いわゆる季節の変わり目で、若いころから寒いのが苦手だった私はこのころに体調を崩すことが多かったのです。
今年も秋の花粉症や冷気刺激性過敏症でひどい鼻炎の症状が出たりしたところへ、急に気温がさがったことで風邪を引きかけてしまいました。

喉の奥が痛くなると同時に、私の場合、右耳の奥のほうに偏頭痛のような痛みが生じることが多いのです。
私にとっての風邪のはっきりした予兆です。

これが起こると、何年か前まではどうにもしようがなく、そのまま熱が出て寝こんでしまったんですが、ここ数年はこの予兆をとらえてなんとか踏みとどまることができるようになりました。
年の功といえばそうなのかもしれませんが、私にははっきりと身に覚えがあります。
それは音読療法の呼吸法と瞑想によるマインドフルネス、そして韓氏意拳の身体への深い気づきの稽古が、健身法として有効に働いているのです。

いまこの瞬間の自分のありように気づくこと、自分の身体の声に耳をすまし、いまなにが必要なのか、なにが不要なのかを身体に教えてもらうこと。

今回も身体をあたため、休めることが必要だと身体が教えてくれたので、水分を十分にとって早めに就寝しました。
こんなとき、無理に食べるのは逆効果です。
消化吸収はけっこうエネルギーを使うので、免疫系に負担をかけてしまいます。
つまり、回復が遅くなります。
風邪をひきかけたときは、食事をひかえめにして、水分を十分にとり、できるだけ睡眠を多くとることです。
そのためには呼吸法によって副交感神経をしっかりと亢進させ、身体を休息・回復モードに持っていって、免疫系を十分に働かせてやる必要があります。

今回もうまくいって、翌日には喉の痛みも耳の奥の痛みもほとんど引いて、ほぼ平常の健身にもどっていました。
この方法は風邪だけでなく、さまざまな病気やガン予防などにも有効なのではないかと思っています。
日常生活の役に立ちますよ。
とくにすぐに調子を崩しやすい人、心身の状態が不安定な人、ガンをはじめとする病気にたいして不安を持っている人にかなり役に立つと思います。

ボイスセラピー講座@国立(11.3)
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を、半日で学び身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。

なごやかに、にぎやかに、深く、しんみりと、国立共感茶会

10月26日水曜日の昼、ランチ付きの共感茶会を国立の春野亭で開催しました。
参加してくれたのは三人で、いずれも私の勉強会に何度も参加してくれているリピーターでした。
なので、導入はなしで、最初からお互いの話を深く聴き合うことからスタート。

ところで、どんな深刻なことや、人にいいにくいような気がかりを、相手が完全に聴いて受け取ってくれるという安心感のもとに話せる場というのは、本当に貴重で大切だと思います。
そのような場が国立に引っ越してきても作れていることを、私はうれしく思いますし、みなさんに感謝です。

その前に、今回はランチ付きだったので、私は朝から買い物や下ごしらえなどの準備をしてました。
ひとりでだれかのための食事の準備をするのは、自分自身につながるよい時間ともなります。
雑念を捨て、いまこの瞬間の自分自身の身体やおこないに目をむけ、丁寧に準備します。

献立は二種類のキノコのパスタと、豚肉と玉ねぎとクレソンの生姜スープでした。

今回の話は三人三様で、気づきあり、活力あり、お祝いありの、いきいきした場になりました。
ひとりは、自分にやりたいことがあり、ほかの人がそれをやっているのを見るとうらやましかったり、できていない自分がもどかしかったりしているけれど、よくよく自分を見てみると、そこには成長やつながりのニーズがあることに気づきました。
そして自分でもこれまで気づかなかった、自分自身への信頼のニーズという大切なことに気づいたことが、大きな収穫でした。

また、家族との長年の気がかりがあって、それは停滞していたんだけれど、共感的コミュニケーションをきっかけにすこしずつなにかが動きだし、思いがけない不思議な体験を経たりして、自分へのゆるしや家族とのつながりを取りもどすきっかけが生まれつつあるというお祝いもありました。
聞かせてもらっているこちらも、じーんとするような、わくわくするような、うれしい気持ちになりました。

三人三様、全部が私がまいた種だとは思いませんが、きっかけのひとつとなって人生がいきいきと動きはじめているのを見るのは、私にとっても本当にうれしいことで、勉強会をつづけてきてよかったと思えた日でした。

次回の国立での共感茶会は11月25日(金)の昼を予定しています。
ご都合があう方はご参加ください。
ランチメニューのリクエストも受付けています。

国立での共感おはなしカフェ(11.25)
おたがいに深く聴きあうことのできる場で自分自身の価値とニーズにつながるためのサポートを水城ゆうがおこなう、国立でのおはなし&勉強会です。ミズキランチ付き。カフェタイムからの参加もオーケーです。

2016年10月27日木曜日

いま読んでる本:白隠禅師の読み方

国立の治療師・藤田俊紀さんと瞑想やマインドフルネスの話をしているとき、ふと藤田さんから、
「水城さんは白隠禅師を読んだことがありますか?」
といわれたのです。
名前は聞いたことがありますが、読んだことはありません。

白隠は「白隠慧鶴」といって、江戸時代中期の禅僧で、臨済宗中興の祖と称される人です。
臨済宗において坐禅のときに唱える白隠の「坐禅和讃」は、多少有名なので聞いたことがある人はいるかもしれません。
私ですら、その文言を読むと「ああ」とうなずく箇所があります。

白隠には著書も多いのですが、なにしろ漢文、古文ですから、とっつきにくい。
藤田さんにすすめられて、とりあえず入門書のようなものはないかと探したところ、これがありました。

 『白隠禅師の読み方』栗田勇/祥伝社黄金文庫

副題に「今に甦る「心と体の調和――内観法」の極意」とあります。
ちなみに栗田勇は非常に著書の多い多彩な著述家です。

読んでみると、白隠は若いころ、禅に打ち込むあまり「禅病」と呼ばれる難病で瀕死の窮地におちいるも、白幽という実在が疑われる(実際には実在したらしい)仙人からさずかった「内観の秘法」で健康を回復し、仏法の悟りを完成するにいたったとのことです。
そして、厳しい修行で似たような病気におちいる若い僧侶を、自分が体得した秘法でたくさん救い、人望を集めたというのです。

その「内観の秘法」とはどういうものか。
どうやら呼吸法の一種らしいのです。
そしてその呼吸法がめざすのは「いまここのありのままの自分に気づきつづける境地」らしいですから、まさにブッダの「ブッパサナー瞑想」であり、めざすは「サティ」の境地ということでしょう。

私に引きつけるのもなんですが、私がおこなっているマインドフルネスのワークや音楽瞑想も、まさにこれをめざすものです。
そして私自身、この本の著者の栗田勇氏のように、呼吸法や瞑想によって病弱からみごとにいまの心身の安定的健康を得たと、自信をもっていえます。

もうひとつ、白隠禅師について興味を感じたのは、もともとインドから中国を経て日本に渡ってきた禅仏教が、いつしか形骸化してしまったとき、日本古来の修験道や土着の信仰をも取れいれつつも禅の原点に立ちかえり、日本の禅仏教として独自の再生を実現した、という点です。
たとえば、欧米に広く禅を紹介した鈴木大拙が、白隠禅師を紹介している文章に、このようなものがあります。

「白隠以前にありては、まだ支那の禅を学んでをるという感じが抜けていないかしらんと想われる。ところが、白隠になると、禅は元から日本のものであったというような心持ちが出る。すなわち禅がわがものになってきた」

私はこの境地を、NVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)に応用できないかとかんがえているのです。
マーシャル・ローゼンバーグが提唱し、体系化したNVCのスピリッツと方法を、日本本来の精神性や文化を取りいれつつ、こなれた形で日本語化できないものか。
もちろん私など白隠禅師にはおよびもつかない非力な者ですが、方向としては白隠の生涯に心強さを感じているのです。

2016年10月26日水曜日

水色文庫新作「編む人」

水色文庫の新作「編む人」を登録しました。

このテキストは2016年10月、明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉のギャラリースペースでおこなった「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演のために書きおろした作品です。

2016年10月23日日曜日

音楽:ブッゲ・ヴェッセルトフト「Somewhere In Between」

1964年生まれのノルウェー人。
最初にこのピアニストに出くわしたのはYouTubeでした。
キース・ジャレットをはじめとするソロピアノ演奏をブラウズしていて、見つけたのだと記憶してます。

頭つるつるのでっかい猫背おじさんが、ステージに置いたピアノとラップトップのあいだを行ったりきたりして、ループでリズムと音響を重ねていくライプパフォーマンスをやっていました。
それがなかなかおもしろかったのです。
アコースティックのピアノをループ音源に突っこんでいるところもおもしろかったし、音そのものもおもしろかった。

そこで、この人の別の映像をさがして、ただ奇抜なだけでなく、とてもしっかりした音楽性を持った音楽家であることを知ったのでした。
そして最新作がこのアルバム。

CDでは2枚組でしょうか。
全部で120分以上ある音源です。
さまざまな曲想の音楽が詰めこまれています。
さだめしブッゲの現時点での集大成といった観があります。
それでいて遊び心満載で、実験的でもある。

おもちゃ箱をひっくり返したようなアルバムです。
ジャズロックあり、ブルースあり、正統派の歌ものあり、バンドものあり、前衛あり、電子音楽あり。

もともと音楽活動のスタートがパンクロックだったというブッゲですが、お父さんがジャズギターのエリク・ヴェッセルトフト。
その影響をしだいに受けて、ジャズに傾倒していったようです。
とはいっても、いわゆる正統派のジャズの枠を何枠もはみだした音楽性が斬新。

ちょっとあたまがおかしいような、若干狂気を感じさせるようなあぶないところのある人ですが、それはそれは美しいソロを弾くピアニストでもあるのです。
このアルバムでも随所に美しいピアノが聴けます。

「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@明大前(10.23)
深くことば、静寂、音、そして空間とご自分の存在そのものをあじわっていただく「体験」型公演です。朗読と音楽、沈黙、そして音楽瞑想。明大前キッド・アイラック・アート・ホールにて、20時開演。

2016年10月20日木曜日

思いやっているつもりが相手を追いつめている

ある種の状況に置かれている人にとって、つぎのようなことばはつらく感じることがあります。
「あなたの本当の気持ちを聞かせて」
「あなたとつながりたいのよ」
「あなたのためを思っていってるのよ」
「あなたの好きなようにしていいのよ」
「私が悪かったわ」

だれか親しい人が元気がなかったり、調子が悪かったり、ふさぎこんでいるようなとき、こちらは相手のことを心配して、なんとか役に立てないだろうか、元気になってもらえないだろうかと、相手のケアを試みます。
こちらは相手の役に立ちたいと懸命になっているのに、弱っている相手にとってはそれは一種の「圧迫」でしかないことがあります。

そんなとき彼に必要なのは、自分がひとりでいられるゆったりした安心のスペースや時間だったりします。
だれかに心配してもらったり、つながったり、アドバイスをもらったりするのは、そこでゆっくりと落ち着き、余裕が出てきてからです。
だから、こちらができるのは、相手に余裕を確保する空間と時間を保証してあげることです。

ふさぎこんでいる人に役に立ちたいという気持ちは、よくよく見ると、相手に早く元気になってもらいたい、そのことで自分も安心したい、というところから生まれていることがあります。
ようするに、自分の安心のニーズのために、不必要に相手を追いつめてしまうのです。
相手にはいま、そんなことは必要ないのに。

自分には相手に元気になってもらって安心したいというニーズがたしかにあるけれど、相手はいまその余裕がない、そのゆとりとか、ゆっくりできる場所とか時間とか、自分がひとりでいることを選択できることのニーズがある。
それを尊重してあげる必要があります。
そのことを尊重することを相手に伝えると同時に、自分にもニーズがあることを伝えておきます。
相手が落ち着き、ゆとりが生まれたとき、あなたのニーズにも目を向けてくれるかもしれません。

時々、こういうことはないですか?
相手のことを思いやって、なにか役に立ちたいと思うあまり、冒頭のような質問をしてしまって相手が黙りこくってしまう。
あるいは心を閉ざしてしまう。
その場から立ち去ってしまう。
そういうことはないですか?
そんなとき、上記のことを思いだしてみてください。

国立での共感おはなしカフェ(10.26)
おたがいに深く聴きあうことのできる場で自分自身の価値とニーズにつながるためのサポートを水城ゆうがおこなう、国立でのおはなし&勉強会です。ミズキランチ付き。カフェタイムからの参加もオーケーです。

2016年10月19日水曜日

墨田区の小学校での音読授業ふたコマ

年に何回か依頼がやってくる小学校への出張音読授業に行ってきました。
墨田区の教育支援プログラムに現代朗読協会として登録していて、そちらをつうじて各小学校から依頼が来るのです。
これまで小梅小学校、中川小学校、第三寺島小学校、業平小学校、言問小学校など、いろいろ行きました。

内容は現代朗読の群読エチュードから発展し、いまは音読療法(ボイスセラピー)のワークといってもいいような内容になっています。
高齢者福祉施設でおこなっていることとおなじようなことですが、もちろん相手が子どもたちということで、より積極的に声と身体を使ったワークになります。

音読療法というものが実際にどのようなことをやるのかイメージできない、わからない、という人がいるようなので、今回の小学校でおこなった音読ワークの内容を簡単に紹介してみたいと思います。
記録映像も撮ってありますが、公開できないので、見てみたいという方は直接私にお知らせください。

今回は2年生ふたクラスが対象でした。
ひとクラスずつ、2時間めに1組を、3時間めに2組をやりました。
小学校なので、1時限が45分の枠です。
ひとクラスはだいたい25人くらいです。
サポートに唐ひづると岩崎さとこが来てくれました。

まずはご挨拶、自己紹介。
みんなの調子を聞くと、ひとりだけ風邪気味の子どもがいましたが、あとはみんな元気そうです。
もうこの時点で子どもたちがかわいくてしかたなく、私などはにこにこしてしまいます。

音読したりしゃべったりするときに、身体のどこを使うのか質問してみました。
口や喉だけでなく、いろいろなところを実際には使うんだということに、みんなはどんどん気づいていったようです。
そして「耳」という答えも出てきて、驚きました。

息を吸ったり吐いたり。
一定の速度でおこなうのが最初はうまくできなかったり、息こらえができずにすぐに吐きだしてしまったりしましたが、何度かやるうちにうまくできるようになります。

それから耳のトレーニング。
つまり、音をよく聞く練習。
1分間沈黙して、自分のまわりにどんな音があるのか、注意して音を聞きます。
これは子どもたちも大好きなようで、2度やったんですが、もっとやりたいという子が多かったです。
これはきっと、子どもの集中力を高めるのに効果があるでしょうね。
大人もそうだと思いますが。

そして音読エチュード。
今回使ったのは宮沢賢治の「風の又三郎」の冒頭の詩です。
みじかいものなので、一度は黒板に書きだしましたが、あとはおぼえてやってもらいました。
群読、リズム読み、輪唱読み、椅子を移動しながら、あるいは歩きながら、大きな声で、ささやき声で。
いろいろな読み方をして楽しみました。

45分はあっという間にすぎてしまいます。
これまでにもなかったわけではありませんが、今回はとくにどちらのクラスとも、子どもたちが私の身体に親密に触れてきて、手をつないだり、腕にぶらさがったり、服を引っぱったりと、距離感が近くてうれしかったです。
子どもたちが私のことを信頼しているようすが伝わってきたからです。
私が共感的コミュニケーションをベースに彼らを尊重しながら接しているからかもしれません。

音読療法では子どもたち相手でも、お年寄りでも障害者でも、あるいは成人でも、おなじようなワークをやります。
共感をベースにしたコミュニケーションのなかでワークは進行します。
だれもがのびのびと、いきいきと、自分を表現し、心身を整えていくことができます。
もっと多くの人に知ってもらいたいなと思います。
免疫力を向上させる音読療法は病気予防にも効果があります。

小学校での音読授業は、すこし先になりますが、年明け2月にもまた墨田区の小梅小学校でおこなう予定です。

ボイスセラピー講座@国立(11.3)
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を、半日で学び身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。

音読トレーナー養成講座合宿(11.5-6)
介護予防に最適な音読療法ワークを指導する「音読トレーナー」の資格を取得する1泊2日の合宿形式の講座を11月5日(土)と6日(日)の二日間にわたって、都内近郊の会場で開催します。

2016年10月18日火曜日

今週はイベント続きます

水城から臨時のお知らせです。
今週は連日のようにイベントがつづくので、まとめてご紹介させていただきます。
いずれかの機会にお会いできるとうれしいです。

まずは明日の午後、これは福井市でのイベントなので遠方の方には「ちょっと来てね」というわけにはいきませんが、お近くでお時間がある方は遊びにいらしてください。
約1時間のピアノ演奏で、私にはめずらしく「曲」を弾きます。

福井県立病院・秋のピアノコンサート(10.19)
2016年10月19日(水)午後1時半から、水城ゆうのピアノコンサートが福井県立病院で開催されます。秋の童謡・唱歌などの懐かしいメロディーやオリジナル曲を自由なアレンジでお送りします。無料。

毎月恒例のかまいキッチンの共感カフェですが、今月も先月につづいて音読療法士の野々宮卯妙がファシリテートします。
私は来月11月に担当の予定です。
子連れ参加、歓迎です。

共感おはなしカフェ@かまいキッチン(10.20)
安心して親子連れで行ける店として有名な下北沢〈かまいキッチン〉で、1コマ60分間×2部制で、共感的コミュニケーションの勉強会を開催します。10月20日(木)1部15時から、2部16時から。通しでも、どちらか1コマだけでも参加可。

参加した方には大変びっくりしつつ好評をいただいている講習会です。
現代人の私たちにとってまったくあたらしい身体観へのアプローチと、そのトレーニング方法を教えてもらえます。
身体を鍛える、心身を整える、ということについて自分が相当まちがった固定概念を植え付けられていたことに、ちょっとショックを受けるかも。

身体表現者のための韓氏意拳講習会@東松原(10.21)
「身体表現者のための」という切り口で、全身の連動や運動の緊密さ、身体のありように緻密にアクセスし、本来の自分のなかにある可能性に気づいていく武術講習会です。アート表現をおこなっている人や表現に興味がある人におすすめ。

平日の日中ですが、ご都合のつく方はご飯を食べながら、お茶を飲みながら、ゆっくりじっくりお互いに深く聞きあい、自分自身につながる時間を持ちましょう。

国立での共感おはなしカフェ(10.22)
おたがいに深く聴きあうことのできる場で自分自身の価値とニーズにつながるためのサポートを水城ゆうがおこなう、国立でのおはなし&勉強会です。ミズキランチ付き。カフェタイムからの参加もオーケーです。

このところ大変盛り上がっています!
リッチコンテンツがあふれるネット時代ではありますが、表現・伝達の出発点ともいえるテキスト表現を学び、自分のことば・ストーリーを探っていくことは、いまこそおもしろいといえます。

10月開催の次世代作家養成ゼミ(10.22)
身体性にアプローチするという斬新な手法でテキスト(文章/文字)を使った自己表現を研究するための講座。オンライン(zoomシステム使用)のみのクラスで、単発参加も可。

これ、絶対来てほしい!
年内で閉館が決まった歴史あるキッド・アイラック・アート・ホールでは、いま駆け込みイベントが続々とおこなわれています。
閉館を惜しむ声があがっていますが、私もそのひとりです。
この公演がキッドのギャラリーでの開催に落ち着いたのは昨年のはじめでしたが、それが今年にはもう最後になってしまうなんて、残念でしかたがありません。
キッドでの数少ない最後のチャンスを味わいに来てください。
新作テキストを用意してお待ちしてます。

「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@明大前(10.23)
深くことば、静寂、音、そして空間とご自分の存在そのものをあじわっていただく「体験」型公演です。朗読と音楽、沈黙、そして音楽瞑想。明大前キッド・アイラック・アート・ホールにて、20時開演。

2016年10月17日月曜日

現代人の私にとって武術が必要な理由

効率を求められる競争社会である現代では、多くの人が緊張とストレスにさらされています。
そのために、というと逆説的ですが、それを解消するための多くの手段やサービスが生みだされ、提供されています。
鍼灸マッサージ、整体、ヨガ、さまざまなセラピーや心理療法、ボディワーク。
私がおこなっている音読療法や共感的コミュニケーションもそのひとつかもしれません。

それらの多くが、緊張とストレスを「ゆるめる」「開放する」という方向を持っています。
たしかに過緊張やオーバーストレスは、いったんそれをゆるめたり開放する必要があります。
そのままにしておくと人は壊れてしまいますし、実際に多くの人が壊れつつあったり、壊れてしまったりしています。
壊れかかったり、壊れてしまうと、あとは矛盾した表現ですが力技で無理やりゆるめるしかありません。
たとえば薬物治療のようなことです。

しかし、ゆるめたところからはふたたび「まとめて」いく必要があります。
ふたたび活気を取りもどし、いきいきと活動できるようになるためには、心身のまとまりが必要です。

私がここ4年くらい取りくんでいる武術の韓氏意拳では、この心身のまとまりのことを「状態」と呼んでます。
状態は意識できないほどうすいものもあれば、とても深くていつでも拳を発動できるようなものもあります。
たとえば歩いているときも、歩くという運動を継続するにちょうどいい「状態」があります。
技撃を発動するときにも、それにふさわしい状態が必要です。

このように、私たちは生活のなかで、あるいは仕事中に、それにちょうどいい状態をつかんでそこにとどまっていられることが必要なのです。
これが過度だったり、足りなかったりすると、いろいろ齟齬が生じるわけです。

自分がいつでも、どのくらいが「ちょうどよい」状態なのか、心身の緊張やまとまりがどの程度必要なのかは、自分自身に聞くしかありません。
自分の身体の声がそれを教えてくれるのです。
その声をどれだけ緻密に、丁寧に、注意深く聞くことができるか。
この練習に、武術はとても有効です。
なぜなら、武術は生き死にをかけた切迫した状況での自分の心身の使い方を稽古するものだからです。

自分の命がかかった状況で、いちばんちょうどよい状態で心身の働きを発揮させること。
これが自分を生きのびさせることになります。
もしこれがすこし足りなかったり、あるいは過度だったりすると、たちまち命を落とすわけです。
このような切迫した状況を想定したなかで、厳しく心身の声を聞いていく。
これが日常生活や共感的コミュニケーションなどにおいても、緻密さや注意深さをもたらしてくれると私は感じています。

自分をゆるめること、開放することと、自分をまとめること、緊迫感のなかへとはいっていくこと、この両方があってはじめて、のびやかに生命活動をおこなっていくことができるのです。

身体表現者のための韓氏意拳講習会@東松原(10.21)
「身体表現者のための」という切り口で、全身の連動や運動の緊密さ、身体のありように緻密にアクセスし、本来の自分のなかにある可能性に気づいていく武術講習会です。アート表現をおこなっている人や表現に興味がある人におすすめ。

2016年10月16日日曜日

ありふれた一日(でもないか)

この前の水曜日はなかなか楽しくすごせた一日でした。
国立在住の先輩である治療師の藤田さんが、約一か月のインド滞在からもどってこられて、土産話を持って遊びに来てくれました。
その話をいっしょに聞きたいと、世田谷からファスティング・アドバイザーのすみれさんもわざわざ来てくれました。
すみれさんが国立・春野亭に来るのはお初。

まあびっくりするような話をたくさん聞かせてもらいました。
藤田さんは移住したいくらいインド滞在がよかったそうです。
そのあと、すみれさんと、あとで参加した野々宮の治療会になりました(案の定)。

藤田さんは不食の人、すみれさんはファスティング(断食)の人なので、お昼ご飯はどうするのかなと思ったんですが、おずおず聞いてみると今日は普通に食べるということで、いっしょにランチに出ることに。
すみれさんが〈JIKKA CAFE〉に行ってみたいというので、三人でぶらぶらと歩いて出かけました。

JIKKAでは野菜たっぷりソースの油淋鶏のランチをいただきました。
ここではカフェをやってくれる人を募集していて、私はカフェもいいけど、夜にお酒を出す「共感バー」をちょっとやってみたい。
すみれさんは料理ができるし、寿司も握れるので、なにかやれるといいのにね、という話をしてました。

いったんもどって、先日来やっているNPO法人の事業所移転と定款変更の手続きのための書類作り。
こんなのは司法書士にたのんだらあっという間に終わってしまうんでしょうが、そのお金を節約するために自分で苦労しながらやっているわけです。
おかげでいろいろなことがわかっておもしろいといえばおもしろいんですが、まあめんどくさいです。

夜は中野まで韓氏意拳の稽古に行きました。
金野くんとか上原くんとか長さんとか、私が韓氏意拳に引っ張りこんだ人が来ていて、ちょっとにやにやしてしまいました。
そしていつものごとく、内田秀樹先生の指導は入念かつ丁寧で熱のはいったもの。

今回は「一動」ということについてとくに念入りに稽古。
「一動」のなかには「不動の動」と「動」があるということ、そこに深く向かいあうのが站椿であり、試力であるということ。
基礎試力の四式を体認しながら稽古を進めました。
みなさん、お疲れ様。
内田先生、ありがとうございました。

身体表現者のための韓氏意拳講習会@東松原(10.21)
「身体表現者のための」という切り口で、全身の連動や運動の緊密さ、身体のありように緻密にアクセスし、本来の自分のなかにある可能性に気づいていく武術講習会です。アート表現をおこなっている人や表現に興味がある人におすすめ。

2016年10月15日土曜日

来月の音読療法の講座と合宿をおすすめします

すでに告知をしていますが、11月3日にボイスセラピー講座を、そして11月5日と6日では1泊二日の音読トレーナー養成合宿をおこないます。
そのことについてブログにも書きましたので、よかったら読んでみてください。
「音読療法の講座に自治体から予算が出た」
行政から予算が降りたり、個人的活動がはじまったりと、いろいろ動きが生まれています。

ところで、ボイスセラピー講座は一度受講し、音読療法協会の正会員になると、何度でも無料でリピート受講ができます。
これは、なかなか一度では理解できなかったり、とくに日常生活のなかで習慣的に使えるようになる「身体化」まで進みにくかったりする人が多いので、なるべくしっかりと身につけていただきたいという意図で作られた制度です。

以下の条件を満たす方は無料で受講できます。

・過去に一回以上、ボイスセラピー講座もしくは2級ボイスセラピスト講座を受講したことのある方。
・音読療法協会の年会費を納入ずみの正会員であること。

また、音読トレーナー養成講座も同様で、以下の条件を満たす方は無料で受講できます。

・過去に一回以上、音読トレーナー養成講座もしくは1級ボイスセラピスト講座を受講したことのある方。
・音読療法協会の年会費を納入ずみで正会員であること。

なお、音読トレーナー養成講座には受講資格が必要で、それは以下のどちらかの要件を満たす方です。

・すでに2級ボイスセラピスト講座を受講し資格認定を受けている方。
・もしくは、ボイスセラピー講座を受講修了している方。

今回の11月の講座は、ボイスセラピー講座と音読トレーナー養成講座をつづけて一気に受講できます。
短期間で音読トレーナー資格を一気に取得したい方におすすめです。

音読トレーナー養成講座は一泊二日の合宿形式ですが、今回は遠方からの受講参加者がすでにおふたりいます。
この講座は、すでに参加したことのある方はご存知でしょうが、毎回とても楽しく充実した学びの場となっています。 興味のある方は都合をつけて、ぜひご参加ください。

ボイスセラピー講座@国立(11.3)
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を、半日で学び身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。
⇒ http://www.voicetherapy.org/blog/info/161103_vtl

音読トレーナー養成講座合宿(11.4-5)
介護予防に最適な音読療法ワークを指導する「音読トレーナー」の資格を取得する2泊3日の合宿形式の講座を11月4日(土)と5日(日)の二日間にわたって、都内近郊の会場で開催します。

2016年10月13日木曜日

映画:インディペンデンス・デイ:リサージェンス

今年2016年公開のアメリカ映画。
監督は前作に引きつづきローランド・エメリッヒ。
エメリッヒといえば超大作を監督する人として有名で、私がいうところのハリウッド超大作バカ映画の巨頭のひとりです。

これを観るにあたって、前作の「インディペンテンス・デイ」を観なおしてみたんですが、確認するまでもなく超大作バカ映画でした。
観ていない人はいないと思いますが(そんなことはないか)、簡単にいえば、
「エイリアンが侵略してきた!」
「戦った」
「しかしボコボコにやられた」
「人類にもう希望はない」
「しかし起死回生の(ありえないバカげたトリックを使った)逆転で勝利!」
というストーリーです。

それに輪をかけたバカっぷりで、頭のなかをからっぽにしたい人におすすめ。
もちろん、映像はゴージャスです。
あらたなエイリアンの母艦が地球に突っこんできたときの破壊映像たるや、これまでの破壊 CGの最高峰といえるもので、破壊シーンマニア(そんなものがいるかどうかは知りませんが)にはこたえられないでしょう。
そう、いまの映画界には、たしかに「破壊CG」というジャンルがありそうです。

それにしても、前回同様、敵の弱点というのがあまりに弱点すぎます。
弱点をやられれば全体が崩壊するなんて、システムとして脆弱すぎる。
そんなシステムを超高度進化をとげた文明が構築維持しているはずもない。
などと突っこみどころ満載の映画です。

しかし、さすがに危機につぐ危機、打つ手なしの人類を救う最後の手段はあるのか、という点で、前半のストーリーは牽引力があることは否めません。
もっとも、「その手かい!」とへなへな感をともなう展開は、さすがのバカ映画と脱帽せざるをえません。

ストーリー、映像、キャラクター、予算、どれをとっても超大作、超一流映画のはずですが、ぐるっと一周まわって超B級映画の極みにいたっているところがおもしろいですね。

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2016年10月12日水曜日

音楽:ジョン・ルーサー・アダムズ「Become Ocean」

現代音楽の巨匠(といってもいいよね?)ジョン・ルーサー・アダムスをつづけて何曲か聴いています。
「The Wind in High Places」にしびれて、そのあと「Become Ocean」を聴いてしびれて……どちらかのレビューを書こうと思ったんだけど、まずはピューリッツァー賞もとった「Become Ocean」ですかね。
「The Wind ……」も近いうちに書くかもしれませんが。

演奏はルドヴィック・モルロー指揮のシアトル交響楽団です。
初演が2013年というから、あたらしいですね!
つい最近の曲といっていい。
ビートルズとかストーンズとか、ボブ・マーレイとか、あるいはマイルス・デイビスとか、そういうものよりあたらしい、まさに「いま」の音楽です。
文字どおりの「現代」音楽です。
コンテンポラリーです。

ジョン・ルーサー・アダムスはこの曲をジョン・ケージの書いたテキストの文言に触発されて書いたそうです。
それが「Become Ocean」。
タイトルがしめすとおり、また聴いてわかるとおり、「海」を音楽にしています。

海をテーマにした曲はたくさんあります。
が、この曲ほど「海そのもの」を表現した音楽はないんじゃないでしょうか。
海の豊かさ、美しさ、シンプルさ、複雑さ、その生命力、パワー、静かさ、荒々しさ、そういったことをすべて表現しようとしたアダムスの情熱を感じます。
その情熱が、熱に流されることなく、注意深く音響として構成され、42分13秒という1トラックの途切れることのない曲になっています。

私はただそこに身を投じ、波間に浮かぶときのように海のバイブレーションに任せて漂います。
ときに荒々しくもみこまれたり、静かに沈んだり、海面から差しこむ太陽の光線を海底から見上げたり、あるいは海鳥の視線になって空から見下ろしたり。
42分の音楽の旅を楽しみます。
いや、楽しむという軽いことばはふさわしくない感じがします。
それは一種の時間体験です。

私も自身が演奏者となって、たとえば「音楽瞑想」という60分前後のコンサートをおこないます。
そのとき願うのは、聴いているみなさんにある種の体験を提供したい、ということです。
ひょっとしてアダムスもそのような思いでこの曲を書いたのかもしれない、などとちょっと自分を重ねあわせてみたりしました。

「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@明大前(10.22)
深くことば、静寂、音、そして空間とご自分の存在そのものをあじわっていただく「体験」型公演です。朗読と音楽、沈黙、そして音楽瞑想。明大前キッド・アイラック・アート・ホールにて、20時開演。

2016年10月11日火曜日

ピアニストがピアニストにピアノを習いに行く

私がひと前で職業的にピアノを演奏するようになったのは二十代前半のことで、いまにいたるキャリアは作家生活より長く、三十五年以上になるわけですが、白状すれば正式にピアノを習った経験はほとんどありません(べつに「白状」しなくてもいいんだけど)。
つまり、ほとんど独学といえば聞こえはいいけれど、我流《がりゅう》。

小学三年生から六年生まで、田舎のごく普通にある個人レッスンのピアノ教室に通っていました。
そこでは典型的に、バイエル、ハノン、ブルグミュラー、ツェルニーと進んで、六年生くらいにはソナチネくらいまで行ったかもしれません。
いまから思えば、ただたんに技術的に曲を弾けるようになるだけのレッスンだったのです。
でも、素敵な先生で、当時は男の子のレッスン生はほとんど私ひとりという四面楚歌のような状況のなか、六年生までつづけられたのはその先生のおかげだったと思います。
結婚前の若い女性の先生でしたね(だからか、とそこで膝を打たないように)。

中学生からはレッスンを受けずに、ただ自分の好きな曲を好きなように弾いて遊んでいました。
それがよかったといまでは思いますが、やはりそこには欠落があります。

よかったのは、音楽を嫌いにならなかったこと。
音楽にはクラシック以外にもたくさんあって、民族音楽のすばらしさにも、ジャズやポップスの楽しさにも、踊りだしたくなるような身体性があることを知ることができたこと。
欠落は、クラシックという西洋音楽の伝統のなかで深く脈々と築きあげられていった演奏技法を、正統な方法で学べなかったこと。

中野の〈Sweet Rain〉というライブハウスにフリージャズの演奏者と朗読をからめて出演していたときに、クラシックピアニストの美しい酔っ払い女性がよく聴きに来てくれていました。
彼女はクラシックピアニストのなかでも、現代音楽の初演などを得意とする、その分野では知られた超一流の演奏者であることをあとで知るわけですが、とにかくお酒が好きで、音楽が好きで、とてもキュートな方だったのです。

現代朗読の野々宮卯妙と彼女(中村和枝)が、現代音楽と現代朗読のコラボライブを、その店で企画してくれました。
トロンボーン奏者や評論家や作曲家や、朗読者たちが集って、大変楽しいライブイベントになりました。
そんなこともあって、もし私が自分に欠落しているクラシックピアノ的なアプローチの演奏法についてレッスンをあらためて受けるなら、中村和枝さんにお願いしようと思っていたのです。

そして先日、ついに思いたって、和枝さんに相談してみたら、こころよくまずは体験レッスンをしてくれるということで、行ってきました。

「まずハノンをやりましょう」
といわれて、げえっとなったけれど、これまで教えてもらったことのないようなことを次々と教えてもらって、びっくりしました。
なるほど、ハノンには、というよりピアノという楽器を演奏するためには、こんなさまざまなアプローチの練習法があるんだな、と教えてもらいました。

つぎに、これからなにか簡単な曲を練習していきましょうということで、モーツァルトの「きらきら星変奏曲」をすすめられました。
こちらもまた新鮮な解釈や練習法を教えてもらいました。
あらためて練習しなおすのは、あたかも外国語をひとつ習得するような、身体のなかにもうひとつまったく別のルートを作るような作業で、きっと大変だろうと想像できるんですが、これをこつこつとやっていくことで即興演奏がメインの私の音楽にもきっとなにか変化が生まれるだろうと思って、楽しみなのです。

「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@明大前(10.23)
深くことば、静寂、音、そして空間とご自分の存在そのものをあじわっていただく「体験」型公演です。朗読と音楽、沈黙、そして音楽瞑想。明大前キッド・アイラック・アート・ホールにて、20時開演。

2016年10月10日月曜日

共感カフェの世話人をやってみたい方へ

私は定期的に、あるいは不定期に、定点で、もしくはさまざまな場所に出張して、NVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)をベースにした共感的コミュニケーションの勉強会(共感カフェ)をサポートしています。

自分が主催のものもありますが、主催者がべつにいらっしゃるものもあります。
共感カフェでは場を主催してくれる方のことを「世話人」、みなさんの話を聞いたり進行したりする役のことを「ファシリテーター」と呼んでいます。
私はそのファシリテーター役です。

もしご自分でも世話人をやってみたい、共感の場を作ってみたい、ホールドしてみたい、という方がいらしたら、気軽にご相談ください。
そういう方のための開催マニュアルを用意しています。
どなたにも差しあげます。

共感的コミュニケーションはそれを伝えたり教えたりするほかに、安心・安全の場を作りホールドするという大事な役割も必要です。
それを世話人にお願いしています。
もちろん最初から完璧にできる人はすくないので、そのこともいっしょに勉強しながら開催していきます。
そのためのサポートを私がしているので、ご安心ください。

そして世話人はかならずその場にいるわけですから、学びも深まることでしょう。
またファシリテーターが不在でも自主的に勉強会(共感カフェ)を開催できるようになるでしょう。
そこは共感的につながりあえるちいさなコミュニティといってもいいでしょう。

私の願いは、そのような場がたくさんできること、そういう世話人がどんどん名乗り出てくれること、そしていつしかコミュニティ同士がつながりあって大きな共感的世界が実現すること、なのです。

ちなみに、共感カフェのほかにも「音読カフェ」という場作りもしています。
こちらは音読療法(ボイスセラピー)にもとづいた音読ケアワークを使って、介護予防や免疫向上による健康法、日頃の活力アップなどのためにおこなう集まりで、ワーク自体が共感的コミュニケーションによる安心・安全な進行ですが、終盤にはお茶を飲みながらおたがいに共感的に話を聞くという「癒しの場」としても作られています。
興味がある方は一度ボイスセラピー講座にご参加ください。

ボイスセラピー講座@国立(11.3)
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を、半日で学び身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。

2016年10月9日日曜日

音楽:アンネ・ソフィー・フォン・オッター&ブラッド・メルドー「Love Songs」

ひさしぶりに音楽CDのレビューを書きます。
そういえば、10年くらい前、FMラジオでジャズ番組を作っていたときは、毎日たくさんのCDを聴いて、たくさんのレビューを書いていたなあ。
ということを思いだしたりしてますが、音楽のレビューを書くのは本当にひさしぶりです。

とはいっても、全然音楽を聴いていないわけではありません。
昔ほど浴びるようには聴かなくなっているし、ジャンルもジャズにかぎらずさまざまなものを聴くようになっていますが、聴かない日はありません。
自分が演奏する日もありますけどね。

今回、iTunesでなにげなく聴きはじめたアルバムがあまりによかったので、きゅうに書きたくなったのです。

クラシック界のアンネ・ゾフィー・フォン・オッター(ソプラノ)という歌い手と、ジャズピアニストのブラッド・メルドーのデュオアルバムです。
フォン・オッターは私がふだんから聴くような人ではありませんが(そもそもあまりボーカルは聴かない)、ブラッド・メルドーはそのデビュー当時から大ファンでした。

ジャズという枠におさまりきれない音楽性と、もちろん即興音楽ではあるんだけど、天才的なひらめきとたしかなテクニックに裏付けされた斬新なものです。
そういう意味では、キース・ジャレットやゴンサロ・ルバルカバといったバーチュオーゾもいるんですが、メルドーの特徴はその複雑さといっていいでしょう。
ときに心地よさだけを求める聴き手を拒絶するような毒のある緊張感をぶつけてくることがあります。
一瞬、だれもが持っている生命の闇の部分を垣間見るような気がして、ぞっとします。
そこがいいのです。

そのアルバムでは、前半がメルドーのオリジナル曲、後半がフォン・オッターが選んだ世界のさまざまな名曲、という構成になっています。
そのオリジナル曲のおもしろいこと。
もちろんアルバムなので、ある一定の色合いにまとめられてはいるんですが、これはなんといっていい音楽なんだろう、やはりブラッド・メルドーの音楽としかいいようのない音作りなんですね。
そこにフォン・オッターという深みのある歌い手が、深々とした、しかし十分に抑制された情感を乗せて語っていく。

後半のさまざまな曲も楽しいです。
ジョニ・ミッチェルやビートルズの曲もあれば、ミシェル・ルグランやシャンソンの曲もあります。
ここでもメルドーは一筋縄ではいかないアレンジでピアノをつけています。

すごいなー。
私もこういう音楽をやれるようになりたい。
こういう音、という意味ではなく、既成の音楽の枠組みを慎重に、丁寧にはずしていって、そこに残った自分の身体から響いてきた本当にオリジナルな音だけで作る音楽。
いつかそのような音が出せるようになったらいいなと、いま、切実に思います。

福井県立病院・秋のピアノコンサート(10.19)
2016年10月19日(水)午後1時半から、水城ゆうのピアノコンサートが福井県立病院で開催されます。秋の童謡・唱歌などの懐かしいメロディーやオリジナル曲を自由なアレンジでお送りします。無料。

2016年10月8日土曜日

音読療法の講座に自治体から予算が出た

すべての自治体にあるわけではないと思いますが、地方の自治体に「ふるさとづくり人材育成事業」というものがあるそうです。
いまグーグルで調べてみたら、ずらっとたくさん出てきました。
つまり、各自治体がふるさとづくりのための人材育成に力をいれているというわけです。

ひとりの女性がまちの広報に載っていたその事業のことを知りました。
広報にはまちづくりに必要な技術を習得するのに、行政から補助金が出るとありました。
彼女は音読療法の講座に出ることにたいして、補助金が出ないかどうか問い合わせ、それをゲットできたのです。

補助金はボイスセラピー講座と音読トレーナー養成講座(計3日間)の受講費と、彼女が住んでいる地方から東京への交通費、宿泊費にたいして出ます。
音読トレーナーの資格を取得すれば、介護予防や未病のための健康法などに有効な音読ケアワークをおこなうための技術を身につけられます。
これはまさに、高齢化や、からだ・こころの病気の多様化がすすむ地方にとって、ふるさとづくりに有効なワークで、そのリードができるトレーナーを育成するというのは、地方自治体の人材育成事業としては適切なものでしょう。

同時に、これまで多くの実績をかさねてきた音読療法が、ようやく自治体にその正当性・有効性を認められることになって、オーガナイザーの私としてはうれしいかぎりです。
これを手始めに、多くの自治体に音読療法のケアワークが取りいれられるようになればうれしいと思います。
とくに介護予防の分野で大きな力を発揮することでしょう。

地方の自治体では、いま、住民の極度な高齢化によって、介護保険の予算が逼迫しています。
それをすこしでも減らすべく力がいれられているのが、介護予防運動です。
ここにはすでにさまざまなワークが取りいれられ、民間とも協力しあいながら介護予防教室などがスタートしている自治体も多いのですが、まだまだ行きとどいていないといっていいでしょう。
音読療法はこの分野で大きな力を発揮できるはずだと思っています。
それを自分の仕事とする人も出てきていいのです。
社会貢献を仕事としたい、そういう人も多いようです。

さて、音読療法協会ではひさしぶりに音読トレーナー養成講座を開催します。
二日間の連続講座で、音読療法の全貌と音読ワークの技法、共感的コミュニケーションを身につけていただきます。
受講後は実際に音読ワークを実施していただき(サポートします)、レポートを何回か提出してもらう必要がありますが、その後は音読トレーナーとして正式に認定を受けます。
自治体から予算を引きだすなり、自分でワークや教室を開催するなど、積極的に動いてもらえればと思います。

音読トレーナーは事前にボイスセラピー講座を受講修了しておく必要がありますが、養成講座の前にボイスセラピー講座も開催しますので、合わせて一気に受講することもできます。
気がかりがある方は遠慮なくお問いあわせください。

ボイスセラピー講座@国立(11.3)
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を、半日で学び身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。

音読トレーナー養成講座合宿(11.4-5)
介護予防に最適な音読療法ワークを指導する「音読トレーナー」の資格を取得する2泊3日の合宿形式の講座を11月4日(土)と5日(日)の二日間にわたって、都内近郊の会場で開催します。

映画:アバター

2009年公開のアメリカ合衆国とイギリスの合作映画。
監督はジェームズ・キャメロン。
キャメロンといえば「タイタニック」が有名ですが、私は「ターミネーター」「エイリアン2」、そして「アビス」が好きです。

この「アバター」は大ヒットして数々の記録を塗りかえたことでも有名なんですが、映画好きの評価はまちまちでした。
とくにSF映画ファンからは、「すばらしかった」と「クソだった」の両極端の声が聞こえてきて、私もとまどったおぼえがあります。
そして私自身はどのようにこれを観たのか。

2009年公開当時、たしかに観に行ったんですが、なぜかどう感じたのかまったくおぼえていないのです。
そこで今回、もう一度見直してみました。
そしてまたあらためてびっくりしたのは、
「ストーリーをまったくおぼえていない」
ということです。
これはなにを意味しているんでしょうか。

まあしかし、ストーリーは単純明解です。
ヨーロッパからアメリカ大陸にわたった白人が、ネイティブアメリカンを虐殺し侵略した歴史を皮肉って裏返してしたストーリー、と受け取ることもできます。
でも、あらためて見ると、映像はすばらしい。
そしてアバターの世界観であるパンドラという惑星の生態系、ネイティブ住人であるナヴィの哲学や価値観など、かなりユニークに作りこまれています。
たぶん、こちらに目がいって、ストーリーが頭にはいらなかったんでしょう。
あらためて観ても、ストーリーはどうでもいいような感じです。

もちろん全編セットはCGで作られていて、動きもキャラクターもCGなんですが、もはやそれはもうどうでもいいでしょう。
むしろこれが7年も前の作品なのだということに、あらためて驚きます。
映画自体の評価云々より、まずは「目が喜びます」。

なんと、「アバター」は続編が作られていて、来年の末には公開される予定だそうです。
しかも続編はさらに3本あって、どのような世界観が広がるのか、ちょっと楽しみです。

10月開催:朗読生活のススメ「朗読本の世界」編全3回(10.8/15/22)
すべての人が表現者へと進化し、人生をすばらしくするために現代朗読がお送りする、3回完結の講座です。2016年10月は「朗読本の世界」というテーマで8日/15日/22日の3回、それぞれ土曜日の午後6時半から、世田谷区内某所にて開催します。

2016年10月6日木曜日

【YouTube】げろきょネットライブ 2016.10.3

2016年10月3日。
国立の春野亭スタジオからお送りしたネットライブの2回めの模様を、全編ノーカットでお送りします。
リアルタイムで見逃した方は、こちらでお楽しみください。

朗読 野々宮卯妙『趣味の遺伝』第5回(夏目漱石作)
朗読 てんトコラ『赤日の曠野』第7回(水城ゆう作)
司会進行 水城ゆう

次回のネットライブは10月13日(木)夜です。
現場での観覧・出演をご希望の方は現代朗読協会までお問い合わせください。

映像はこちら(画像をクリックしてください)。

2016年10月5日水曜日

へしことキャベツの炒め物

「へしこ」という食材について知らない方はネットで調べてみてください。
お取り寄せもできるようですよ。
ようするに、鯖の塩ぬか漬けです。
うまみがギュッと凝縮されていて、大変おいしい食材です。
ちょっとアンチョビに似ていますが、もっと複雑な味です。

【材料】二人分
・へしこ……切り身2センチくらい
・キャベツ……葉5~6枚くらい
・にんにく……ひとかけ
・松の実……あれば少々
・塩、こしょう、オリーブ油

へしこはぬかをざっくりと落として半身にしたものを、幅2センチくらいの切り身にします。
かなり塩がきいているし、うまみが凝縮されているので、少量でいいのです。
それをできるだけ薄く(2ミリくらい)スライスしておきます。
キャベツは食べやすい大きさに指でちぎっておきます。

みじん切りにしたにんにくをフライパンに入れ、オリーブ油(大さじ1)といっしょに弱火にかけます。
火がとおりはじめたら、スライスしたへしこを投入します。
松の実を投入します。

香りたってきたら、キャベツを投入し、ざっくりと炒めあわせます。
塩、こしょうで味をととのえます。
キャベツに完全に火が通ってしまわないうちに、火をとめて、皿に盛りつけたら、完成です。

国立での共感おはなしカフェ(10.22)
水城ゆうがファシリテートする共感おはなしカフェ、国立での初開催です。おたがいに深く聴きあうことのできる場で自分自身の価値とニーズにつながるためのサポートをおこなうおはなし&勉強会です。ミズキランチ付き。

2016年10月4日火曜日

ひさしぶりにちょっとにぎやか次世代作家養成ゼミ

このところ常連の奥田浩二くんと知念満二さん、ごくたまに野々宮卯妙の三人で開催することがつづいていた次世代作家養成ゼミですが、前回はめずらしく新規参加者がふたりいて、五人での開催と、ちょっとにぎやかになりました。
作品も増えて、「栗ごはん」というテーマで書かれたショートテキストが4編、集まりました。
どれも個性豊かで、楽しかったのです。

新規参加のひとり・山浦一朗くんは、商業ライターの経験もあるということで、なかなか緻密で達者な筆つかいの作品を読ませてくれました。
ひとり、栗ごはんを炊いて食べる男の、そのこだわりに満ちた食べ方の描写を丹念に、しかしユーモラスにおこなっている作品で、それはたぶん山浦くん自身を投影したものだろうと思いますが、やや皮肉っぽい笑いを含んだ俯瞰した客観的視点がおもしろい作品でした。

終わってからメッセージをもらって、
「想像以上に面白かったです。また参加したいと思います」
とあったのがうれしかったですね。
だからこのゼミ、おもしろいんだって!

もうひとりの新規参加者・ふーさんは、どのくらいの執筆歴をお持ちなのか聞きそびれてしまったんだけど、詩作につうじるとても軽妙なリズムの文章が心地よく、たとえば日本文学史的にはあまり高く評価されてはいないけれど私にしてはめずらしく日本人作家として好きな片岡義男の、まったく重厚ではないけれど読んでいてとても心地よくてまるで海辺のベランダで風に吹かれているような気分になれるテキストのような感じがありました。
もっと読んでみたい書き手のひとりです。

常連の知念さんと奥田くんは、もうこのところほんとにクオリティの高さとそのユニークさには信頼がある感じがあって、わざわざ書かなくてもいいくらいです。
でも書いておくと、知念さんのは驚くべきことに、
「Story based on truth」
ということでひっくり返ってしまいました。
まったくおそるべき底知れぬ作家です。

奥田くんのは昔話の猿蟹合戦の設定を借りた「前回までのあらすじ」という作品で、これはもうコンテンポラリーというか、純文学の域をこえているシュールな作品で、わけのわからなさと、しかしそれでいて気持ちのいい落とし所を兼ね備えた秀作でした。

みなさん、すごいなー。
私も小説家を30年やってますが、世の中にこれほどの才能がたくさんあるのだと知ると、愕然としつつも、すべての人は表現者として優れた存在になりうるという自分の確信が強まって、うれしくなるのです。
あなたも参加してみませんか?
ほんとにおもしろいですよ。

10月開催の次世代作家養成ゼミ(10.16/23)
身体性にアプローチするという斬新な手法でテキスト(文章/文字)を使った自己表現を研究するための講座。オンライン(zoomシステム使用)のみのクラスで、単発参加も可。

2016年10月3日月曜日

国立《くにたち》散歩

音読療法と朗読の活動をともにしている野々宮卯妙の娘が国立に遊びに来たので、国立散策に付き合いました。
なんでもなかしましほさんという有名なお菓子作りの人の店〈フードムード〉に行ってみたいということなのでした。

フードムードは国立駅から西南西に向けてまっすぐにのびる富士見通りのほぼどんつきにある店で、私が住んでいる国立東からは歩いて20分くらいかかります。
まあ、散歩にはちょうどいい距離です。
あいにく涼しい空気でしたし。

富士見通りはすでに何度かあるいたことがありますが、なかなかおもしろい店がたくさんあって、毎回発見があります。
駅から東南東にのびている反対側の旭通りという商店街もあるんですが、こちらは富士見通りとはなんとなく雰囲気がちがう。

富士見通りにはチェーン店ではないカフェや食べ物屋、雑貨屋、美容室、その他さまざまな店がならんでいます。
途中、「アゲハの幼虫をとらないでください」と注意書きが出ている家があって、よく見ると植え込みの柚子の低木にたしかにアゲハの幼虫や蛹が何匹かくっついています。
羽根木の家の庭でもよく見かけました。

フードムードは行列ができるほどの人気店で、お菓子のテイクアウトと、そこでお茶が飲めるカフェになっています。
そこでシフォンケーキをいただきながら、紅茶を一杯。
お客さんは若い女性が多い。
そのすぐ近所にも行列ができている店があって、なんだろうとのぞいてみたら〈甘味ゆい〉とありました。
けっこう駅から遠い立地なのに、よほど評判の店なんでしょう。

フードムードの上に、移転してあらたに開店したばかりの網かごの店〈アミカゴドリ〉があって、そちらものぞいてみました。
日本国内はもちろんのこと、世界中の網かごが売られていて、こちらも私にとっては興味しんしんです。
私はかご編みはしませんが、編み物はするので、編んだものには目がないのです。

素材や編み方、技術、仕上げの質など、さまざまなものがあって、おもしろかったです。
質の高い鑑賞にも耐えるようなものが多くならんでいて、もちろんそういうものは価格も高いので、ひょいと買えるようなものではありませんが。

駅にむかってぶらぶら歩いてもどる途中に、前から気になっていたけれどなんとなくはいるのをためらっていた店がありました。
連れがいたのを幸い、思いきってはいってみました。
〈アブサラクリコ〉という編み物の店です。

お店の人がやさしく対応してくれて、この店ではどんなものをあつかっているのか、またニットカフェでは初心者にもやさしく教えてくれること、ユニークな糸や商品がたくさんあることを教えてくれました。
ここもなかなか興味深く、今度は自分の編み棒を持って来てみようと思いました。
私も編み物をしますが、ほとんど独学というか我流でやっているので、一度きちんと教えてもらおうと思っていたのです。

だいぶ歩いて疲れましたが、家にもどってオイルサーディンと甘唐辛子のペペロンチーノを作ってお昼ご飯としました。
楽しかったな。

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2016年10月2日日曜日

私がこつこつとやっている音読療法の活動

音読療法(ボイスセラピー)はすでに高齢者福祉施設でのケアワーク、介護予防、子どもたちとのワーク、被災地での音読ケアワークなど、多くの実績がありますが、それとは別に個人的な活動としてもおこなうことができるので、ご紹介したいと思います。

具体的には私が個人的にはじめたばかりの活動です。
やがて85歳になろうという私の母が認知症になったのをきっかけに、その進行をすこしでも食いとめられないかと思ってはじめたことです。

認知症の対策としてよく知られているように、軽度の運動や趣味を持つこと、そしてなによりコミュニケーションです。
母にかぎらず、子どもたちが自立して都会などに出ていった「実家」には、お年寄りだけが残ってコミュニケーション不足におちいりがちです。

私の母は五年前に肺がんの摘出手術を二度受けて、運動はあまりできません。
歩くことすらすこし長い距離だとつらいようです。
そこで、せめてコミュニケーションの機会を積極的に増やせないかとかんがえたのです。
思いついたのが、実家で音読カフェを開催し、それを母に手伝ってくれるようにお願いする、ということでした。

私は東京に住んでいますが、月に一度は帰省するようにしています。
すると、毎月一回は音読カフェを開催できるわけです。

母に参加者を集めてくれるように頼み(二人か三人でもいいのです)、その出入りがあり、お茶やお茶菓子を出す手伝いをしてもらったり、もし興味を持ったら音読ワークに参加してもらったり。
そういうことを「たくらんで」いるわけです。
だれも出入りがない、たまに友だちとあたりさわりのない話をする、出かけるといっても近所の買い物くらい、そんな生活をしている高齢者にとっては、そこそこ刺激になるでしょうし、音読ワークに参加してくれれば確実に介護予防効果は期待できます。

音読カフェを開催するには、音読療法の知識と音読療法によるケアワークのファシリテーションを習得している必要があります。
そのためには音読療法協会が開催している音読トレーナー養成講座を受講し、資格認定を受けるのがもっともいいのですが、残念ながら私はその資格を持っていません。
しかしまあ、音読療法は私が中心になって体系化したケアワークですし、ケアワークは毎月のように実地でおこなっているので、お許しいただきましょう。

そんなわけで、ちまちまとこんなちらしを手作りしてみました。
そしてこれをさっそく、実家の近所の知り合いに見せたところ、ヨガの講座を受けている人たちや、そのヨガ講座を開催している公民館でくばってくれたのです。
このへんは都会とはちがって、イベントがすくない田舎町のいいところですね。
すぐに何人かが「参加したい」といってくれました。
こちらとしては最初だし、二人か三人でいいんですが、それより多くなりそうな勢いです。
定員をもうけたほうがいいかもしれません。

来月は音読ケアワークによる呼吸法や音読ワークを組みこんだ音読カフェを、実家の居間で開催します。
お茶とお茶菓子を準備して、自由に会話しながらの気楽な集まりにするつもりです。
そしてそのなかで共感的コミュニケーションについても興味を持ってもらえたらいいなと思っています。

できれば音読トレーナーに興味を持ってくれる人が出てきてくれるといいですね。
そうすれば、私がいないときでも音読カフェをファシリテートしてもらったり、私の実家以外にも公民館や職場や福祉施設などでも開催してもらえます。

このようなことに興味がある方がいらしたら、気軽に私にご相談ください。
まずはボイスセラピー講座で音読療法の全体像を知ってもらうのもいいかと思います。

ボイスセラピー講座@国立(11.3)
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を、半日で学び身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。

音読トレーナー養成講座合宿(11.4-5)
介護予防に最適な音読療法ワークを指導する「音読トレーナー」の資格を取得する2泊3日の合宿形式の講座を11月4日(土)と5日(日)の二日間にわたって、都内近郊の会場で開催します。

2016年10月1日土曜日

暴力は人間の本質なのか

標題のテーマはこれまでさまざまに議論され、研究され、解釈されてきたものだけれど、結論は多岐にわたって「これ」というものはいまだありません。
しかし、私のなかでは「これかな」という「腑に落ちる」感覚があったので、それを書いておきます。
おことわりしておきますが、あくまでも私の「身体感覚」としての解釈です。

腑に落ちる感じを得られたのは、共感的コミュニケーション(NVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション))を10年近くにわたって学んだり実践したりしつづけたことに加えて、四年前から韓氏意拳という中国武術を私にしてはかなりまじめに取り組むようになってからです。

武術というと、暴力をイメージする方が多いかもしれません。
実際に多くの武術が殴ったり蹴ったり、ときには失神したり大怪我をするほどの試合をおこないます(試合ではルールにのっとっているとはいえ、死にいたる事故もあります)。

ここで暴力という言葉の定義をしておかなければなりません。
暴力とは、なんらかの力を行使して相手に死をふくむ損傷をあたえること、というのが私の定義です。
なんらかの力には素手や蹴りなどの武技もあるでしょうが、刃物や銃などの道具を使ったものも「力」といっていいでしょう。
その力の強大なものとして、爆弾やミサイル、はては核兵器などというものもあります。
これは国家や武力集団が行使する強大な「力=暴力」です。

「ことばの暴力」という表現もあります。
ことばは相手に物理的な損傷をあたえませんが、ときには相手を死(自死ですが)にいたらしめることもありまし、精神的損傷をあたえることはしばしばあります。
私はこれも広い意味での暴力といっていいと思います。
武術家はこの点にも注意を払う必要があるでしょう(私見ですよ)。

いずれにしても、人間は他人にたいして暴力をふるうことが多々あります。
さて、他人を傷つけたい、損傷したい、ときには殺したい、そのような衝動を人間はもともと生まれつき持っているものなのでしょうか。

人はどんなときに暴力を行使するのでしょう。

武術をやっているとわかるのですが、自分がある程度できるようになったとき、武術の心得のない人間をただやみくもに痛めつけたくはなりません。
むしろ逆で、むやみに暴力を行使することに歯止めがかかります。
自分が暴力を行使することで確実に相手が傷つく、自分が相手より力を持っていることが自明であるとき、戦わずして問題を解決する方法をさぐります。
それでもやむなく武技を行使しなければならないとしたら、自分もしくはだれか――あるいはなんらかの状況を守らなければならない事態が生じ、それが暴力をもってしか対処できないとわかったときです。

人は生命や生存を確保するためにのみ、暴力を行使するのです。
それは他の動物ともおなじことです。
ライオンは自分の力が強大だから暴力を駆使して草食動物をあやめるのではありません。
自分や一族の生存のために、ぎりぎり必要な暴力を使うにすぎません。
不必要な暴力は決して発揮しません。
もし彼らに十分な肉があたえられたとしたら、彼らは狩りをおこなわないでしょう。

人も本来、自分の生命や生存のために狩りをおこなっていたことでしょう。
また、そのための争いもあったことでしょう。
そのなかで自分たちを守るために敵を殺したこともあったでしょう。

人が暴力を行使するのは、自分の生命や生存をおびやかされたときです。
そしてもうひとつ、重要なことは、人には過大な想像力があり、自分の生命や生存が「おびやかされるのではないか」と想像したときにも、暴力を行使したくなるということです(それが妄想である場合が多々あることが、人のやっかいなところです)。

現在、世の中にあふれている暴力のほとんどは、テロや戦争も含め、自分の安全をおびやかされることに対する恐怖におびえきった人々が、ヒステリックに引き起こしているものだといっていいでしょう。
人は自分の安全や安心が保証されているとき、だれかにむやみに暴力をふるいたくなったりはしません。

しかし、たしかに、思春期のときなど、むやみにものを壊したくなったり、だれかに喧嘩を売ったりしたくなったことがあるかもしれません。
私もそうでした。
それはしかし、別のニーズがあったと解釈できるでしょう。
たとえば性衝動であったり、成長のニーズであったり、それが暴力衝動という形で「表出」したとかんがえたほうがいいでしょう。

暴力は生命活動の本質ではありますが、それはとても限定的な形でしか発動されないものであり、本来人はおもいやりをもっておたがいをいたわりあう社会的つながりの動物であろう、というのが、私のこのところの身体感覚です。
逆説的ですが、そのことは本来人をあやめるための技術である武術を学んでいくことで、腑に落ちてくるのです。

カフェ・オハナ(三軒茶屋)で共感的コミュニケーション(10.4)
10月4日(火)夜7時半から、恒例の三軒茶屋〈カフェ・オハナ〉での共感的コミュニケーション・ワークショップを開催。朗読と音楽のミニライブ付き。参加費1,000円+ワンオーダー。