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2015年12月31日木曜日

年末あれこれ(4)共感カフェ「親密な関係」「富坂との合同開催」

年内最後のイベントは、30日(水)夕方から夜にかけての、ふたコマの共感カフェだった。

夕方16時から「親密な関係における共感的コミュニケーション」の勉強会を開催。
その前に個人セッションの希望があったので、おひとり共感ボイスコーチングをおこなう。

今回はさまざまなニーズ、立場の人が参加してくれて、バラエティに富んだ内容になった。
独身の男女のために敷居の低い出会いの場を作りたいとかんがえている人、共感を拒絶して連絡を絶ってしまっている人を心配している人、ゲーム依存症のパートナーを心配している人、ご自分でもエンパシーカードを使ったワークを開催している人、社会的には不適切といわれる恋に迷っておられる人など、いろいろ。

後半は深い共感とつながりを感じられる時間になり、参加者の方からもうれしい感想をいただいたりした。

夜は富坂キリスト教センターでみむぅや栗山のぞみさんたちがやっている勉強会との合同開催で、最初のほうだけ私が進行したが、あとはのぞみさんにワークをファシリテートしてもらった。

のぞみさんのワークは、フィーリングとニーズのカードを使って今年一年を振り返るというもので、最初にフィーリングカードを選んでそれを見ながらひとりひとりが今年のトピックをみじかく話し、そのあとでみんなからニーズカードを贈られる(共感される)という内容だった。
シンプルだが、共感の場が生まれ、場のみんながあたたかくつながった感じがあって、締めくくりにふさわしく場が満たされた。
のぞみさんに感謝。

共感的コミュニケーションについては、私はこの年末に来ていくつかのクリエイティブなアイディアをつかんでいて、来年はそれを実現していきたいと思っている。
お付き合いいただければ幸いである。
年明け最初の共感カフェは下北沢〈Stay Happy〉でのそれとなる。

共感カフェ@下北沢ステイハッピー(1.13)
下北沢の旅カフェ〈Stay Happy〉にて共感カフェを1月13日(水)夜に開催します。だれでも参加できるオープンで気楽な雰囲気の勉強会です。参加費1,000円+1オーダー。


年末あれこれ(3)現代朗読の体験講座と基礎ゼミ

30日(水)の午前中は、現代朗読の体験講座と基礎ゼミの合同開催だった。
これは初の試みであり、またげろきょのイベントとしては年内最終のものだった。

いつもより参加者が多かったので、ある程度の人数がいないとやれないエチュードをやったりした。

参加者のおひとりは7歳と5歳のお子さんを連れてこられていて、ほほえましかった。
ちいさい子どもを見ていると、いつも気づきや学びをもらうことができる。
げろきょではお子さん連れの参加も歓迎している。

あと、うれしいのは、最近はすこしずつでもげろきょのことが知られるようになってきているのか、あるいはfacebookやウェブサイトであらかじめげろきょの主旨を読んできてくれる人が多くなったのか、ここがほかの朗読教室とはちがうかんがえ方や方法、方向性で学びあいの場を作っていることをあらかじめ理解して参加してくれる人が多くなってきた、ということだ。
今回もそうで、最初からなにか従来の朗読の方法とはちがうものを期待して来られた人ばかりだった。
そうなると、こちらもちょっとわくわくしてしまう。

昨日は、朗読にかぎらず表現するということは「自己をたえざる探求する」という行為にほかならない、ということを伝えた。
とくに朗読はそのなかでももっとも敷居が低く、また奥の深い表現行為であり、だれでも表現者の世界にはいっていくことができる。
多くの人がもっと気楽に現代朗読に興味を持って参加してくれるとうれしい。

現代朗読体験講座(1.24)
朗読をはじめてみようと思っている方、すでにやっているけれど物足りなさや壁を感じている方、その他表現に興味のある方、まずは進化しつづける現代朗読を体験してみませんか。1月24日(日)午前、羽根木の家にて。

年末あれこれ(2)韓氏意拳年内最終稽古と忘年会

29日(火)は内田秀樹先生による羽根木の家での初級講習会の年内最終回。
午前中は体験参加もできるクラスで、NVCつながりから剛ちゃん&ゆうこさん夫妻、みむぅ、田中真知さんらが参加してくれて、新鮮な顔ぶれとなった。

午後は会員向けのショートクラスとレギュラークラスのふたコマ。
野々宮も参加して、基本拳式を状態の集注から深く見ていく稽古をみっちりとおこなう。

夜はそのまま忘年会。
少人数ではあったが、大変楽しく、たくさん遊ばせてもらった。
とくに内田先生のお茶目な面がたくさん見られて、なんだかお得な気持ちになった。
最後の写真は、フィリピン武術で遊ぶ岸くんと内田先生。

韓氏意拳は武術なのだが、会員は「韓氏意拳学会」に所属していて、「学会」という名称があらわすように、たんに強くなるとか相手を倒すという目的だけでなく、おこないを通して自分自身や武術を取りまく文化、時代背景と深く向きあい、学んでいくという方向もある。
そこが韓氏意拳の魅力でもあり、私が魅かれるゆえんでもある。

今年も韓氏意拳の稽古をとおして学んだり気づいたりしたことは、ことばにできないほど豊かで、私にとって貴重なものとなっている。
来年2016年は羽根木の家という場をとおして、より広く韓氏意拳の魅力を知ってもらったり、武術をとおして自分自身に注目したり気づいたり、あるいは社会文化の変遷と向き合ったり、という機会を提供できればと思っている。

みなさん、どうぞ気軽に参加してみてください。
新年1月には「身体表現者のための韓氏意拳講習会」というイベントも用意しています。

身体表現者のための韓氏意拳講習会(1.23)
羽根木の家で「身体表現者のための」という切口で、内田秀樹準教練による韓氏意拳講習会を1月23日(土)に開催します。身体表現をおこなっている方、関心のある方など、どなたも参加できます。

年末あれこれ(1)オーディオブック収録とNVC宴会

今日は2015年大晦日。
この数日間はいろいろなことがみっちり詰まっていて、うっかりするとこぼれ落ちそうなので、振り返って簡単に書きとめておきたい。

28日(月)は早朝から大阪の窪田涼子(くぼりょ)がやってきて、オーディオブック「半七捕物帳」の収録。
半七唯一の長篇の収録で、この日が三日めの最終日。
午前9時半からスタートして、昼食をはさんで午後5時すぎまでかかる。

途中、北海道のトシちゃんと野々宮に交代してもらったけれど、ちょっとだけ。
長丁場は読み手も疲れるだろうが、オペレーションも疲れる。
こたつにケーブルを引きこんで、臨時のこたつスタジオにしたのはよかった。

くぼりょが終わってすぐに、今度はトシちゃんの収録。
芥川龍之介を読んでもらう。
遠方から来ているので、この機会をのがすとなかなか収録できない。

とりはじめてみると、思ったより長く、30分以上の作品になった。
収録時間も1時間以上はたっぷりとかかった。
お互いお疲れのところを、がんばりました。

夜はプライベートなつながりの仲間たちと宴会。
ホルヘも参加して、楽しかったな。
今年一年の振り返りをひとりずつやってシェアしたり。

年が明けると、2月からあらたにオーディオブックのコースがスタートするので、興味がある方はチェックしてみてください。

マウイでのNVC集中合宿を準備している剛さんに話を聞く

ハワイ・マウイ島在住で、NVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)のコアメンバーでもある後藤剛さんに話を聞きました。

剛さんは(後藤ゆうこさんと)ご夫婦でNVCの国際公認トレーナーをめざしながら、ワークショップや合宿のオーガナイズを積極的におこなっています。
2015年も日本でジム&ジョリのミディエーションWSや合宿をオーガナイズしましたが、今回はホルヘ・ルビオのワークショップのために帰国し、羽根木の家に滞在しているところをつかまえて、話を聞きました。
マウイ島で2016年2月に開催するIIT(国際集中トレーニング)についての話が中心です。

映像はこちら(画像をクリックしてください)。

2015年12月28日月曜日

私たちの生命の最深部にあるニーズとコア

今日も朝からホルヘにおいしいお茶をたててもらう。
そして一日、濃密で深いNVCの学び。

築80年の静かな羽根木の家で、ドラマチックなことがつぎつぎと予測不能のなかに起こりつづける。
私は掘りごたつに座ったまま、ホルヘがいうところのヴィヴェンシアがイキイキとするのを自分のなかに見ながら、さらにその奥には静かなコアのような場所があることを感じつづけていた。
そこにつながっているかぎり、自分のまわりになにが起きようと静かにすわっていられることが、今日はくっきりとわかった。

人間の存在の一番外側には、言葉や行為が表現としてあらわれ、その表現をもたらすのは感情であったりニーズであったりする。
表現をもたらすのは人の状態で、その身体の表面には感情があらわれる。
感情をあらわす表層の奥にはニーズがあり、ニーズは生命と直接つながっている。

感情とつながって(あるいはつながらずに)表現するか、ニーズとつながって(あるいはつながらずに)表現するかでは、だいぶちがうことが起きる。

ニーズは生命そのものであり、それは満たされていようが満たされていまいが、いずれにしてもイキイキと人のなかに息づいているものだ。
それが人の中心部分にあって、行動や感情をもたらしているのだというのが、マーシャル・ローゼンバーグの提唱しているNVCの原理だ。

私はその中心部分(コア)の生命存在もまた、さらに多層構造を持っていることを、自分のなかに最近発見した。
コアの表面はニーズが絶えず移りかわりイキイキと息づいているが、その中心部分にはなにか静かな、揺らがないものがある。
揺らがないといってもまったく不動というわけではなく、ゆったりと動いている。
ただ、形は大きく変化することなく、生命体が動的平衡をたもっているそのコントロールセンターのような、しかし虚空のような存在を、私はコアの中心部に感じている。

自分のニーズに深くつながったとき、自分のもっとも深奥部にそのような沈黙もしくは虚空のような静けさを感じ、自分が動じないでいつづける可能性に気づく。

これはごく最近気づいたことで、ひょっとしてホルヘがそれに気づかせてくれるきっかけになったのかもしれないし、本当はずっと前から気づいていたのに意識に顕在化していなかっただけかもしれない。
自分のなかにこれがあることに気づいたとき、私はどこか長い旅の終着点にたどりついたような気持ちがした。

2015年12月27日日曜日

沈黙は命(人生)の行きつくところ

今月の初旬からNVC国際公認トレーナーのホルヘ・ルビオが羽根木の家に滞在していて、やがて一ヶ月がたとうとしている。
とくに下旬からは毎日のように顔をあわせていて、冗談をいいあったり、彼の好きな日本の文化(書道や料理)を教えたり、あるいは逆にNVCそのものを生きる彼のありようから学んだり、といった貴重で濃密な時間をすごさせてもらっている。

こういうチャンスをもらえたことに、関わりのあるすべての人に感謝したい。

ホルヘがいったことで、とても私に響いたことばがあった。

 Silence is the purpose of life.
 沈黙は命(あるいは人生)の目的である。

人はみな、静けさを必要としている。
静けさは安全や安心、人とのつながりの質、自分のニーズに深くつながってそれを表現することを保証する。

人間を含むすべての生命は、自分の生存が保証された安全なスペースを必要としていて、それは孤独であったとしてもイキイキさは損なわれていなくて、自分のニーズを満たす喜びに満ち、そこには静けさ・沈黙がある。

私自身を振り返ってみたとき、これまであまりにそのようなスペースと時間を持てなかった痛みがあり、またそのことにいま気づけたお祝いがある。
私の人生の残り時間は限られたものかもしれないけれど、その気づきをもって一瞬一瞬を生きられることに喜びを感じている。

ここ十数年、直感的に「沈黙」を自分のテーマとして表現活動をしてきたけれど、その直感がまっすぐに自分のありようやニーズにつながっていたことをいま知ることができて、力強さ(パワー)を感じている。

以上、うまくテキストで表現できたかどうかわからないけれど、チャンスがあればこの感じをだれかとシェアできるといいなと思っている。

親密な関係における共感的コミュニケーションの勉強会(12.30)
共感的コミュニケーションでもとくにやっかいだといわれている親密な関係であるところのパートナーと、お互いに尊重しあい、関係性の質を向上させるための勉強会を12月30日(水)夕方におこないます。

共感カフェ@羽根木の家(12.30)
12月の羽根木の家での共感カフェは、12月30日(水)19〜21時です。

2015年12月26日土曜日

1月17日:PIESSネットワーク東京の会のご案内

鈴鹿のアズワンコミュニティのありように心打たれたり、カレッジやスクールに参加した人が、それぞれの地域でも持続可能な社会作りをめざしたいという思いを持ちつづけ、おたがいにつながりつづけるために作られたPIESSネットワーク。
その東京地区での集まりが、このたび、世田谷の古民家「羽根木の家」で開催されることになりました。

持続可能な社会の実現、お互いに思いやりをもてる人間関係、トランジションタウン運動、非暴力コミュニケーション(NVC)あるいは共感的コミュニケーション、ギフト&シェアエコノミー、自然農、エコビレッジ、子育て支援といったことに興味を持っている方なら、どなたでも参加できます。

ご友人、知人をお誘いあわせの上、どうぞいらしてください。
築80年の掘りごたつのある古民家で、ゆっくりと安心してお話しましょう。

ピースネットワーク東京 水城ゆう

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『日常の自分を振り返って、本来の自分・人・社会
について話し聴き合う会』@ピースネットワーク東京
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◆日時:2016年1月17日(日)
 ●10時~12時半(サイエンズスクール、探訪ディ参加者)
 ●12時半(お昼)~16時(誰でも参加自由)

◆参加:
・サイエンズスクールやアズワンコミュニティ探訪ディの参加者(午前中)
・自分や人を知る・聴く、心(内面)の話し合いに関心のある知人の方など、どなたでも(お昼~午後)

◆参加費(会場費):500円
◆お昼:持ち寄り、または、自分の分を持参ください

◆場所:現代朗読協会「羽根木の家」
 京王井の頭線 「新代田駅」 徒歩2分
 世田谷区羽根木1-20-17
 環状7号線を渡って、線路沿い(吉祥寺駅方向)に進んで橋を
 右折後、すぐ左折して、道を右折した左側にあります。

◆連絡:現代朗読協会「羽根木の家」
  電話 090-9962-0848
  Mail desk@roudoku.org

2015年12月24日木曜日

2015年、クリスマス・イヴ

今日は朝からみっちりつまっていた。

午前中はママカフェこと「お母さんのための音読カフェ」だったのだが、ファシリテートする予定の音読療法士・野々宮が腰の(たぶん)筋を傷めて、絶不調。
代わりに前半は私が担当することになった。
幸い、というかなんというか、参加予定の人が子どもも含め発熱で何人かキャンセル。
結局、参加者はひとりだけということになったが、ラッキーといえないことはない。

前半はプチ瞑想からはじめて、ボイスセラピーの呼吸法、音読エチュードを少しやってから、中間で音読トレーナーの片岡まゆみが準備してくれたスイーツ&お茶タイム。
NVCの国際公認トレーナーのホルヘが、風邪をぶりかえして部屋でおとなしくしていたので、呼んでいっしょにお茶。
彼は今日は中国茶をいれてくれた。

そういえば、ママカフェがはじまる前に荷物が届いて、ハワイの療養から帰国したばかりのゆっきーからみんなへのハワイ土産だった。
私宛のものもあって、感無量。
いろんな思いが交錯して、とてもここでは書ききれないので、あらためて機会を作って書きたいな。

ママカフェ後半の共感的コミュニケーションの部は、野々宮と片岡に任せて、私は食材の買い出しに。
午後のランチを任されていた。

もどってきて、台所で調理をはじめようとしたら、ホルヘがやってきて、調理に興味しんしん。

まずは野菜スープ。
生姜を炒めて、玉ねぎを炒めて、水を加え、じゃがいもを入れて、塩・胡椒・酒で味を整え、ピンクペッパーを散らす。
とっても簡単でシンプルなスープに、味見したホルヘは感嘆している。

つぎはキノコともやしとワカメのナムル。
これもちゃっちゃっと作って、ホルヘは自分も作ってみるといって、熱心にメモを取っている

メインに取りかかる前に、デザートのサンタいちご。
いちごをふたつに切って、ホイップを乗せ、チョコペンで目を描きいれるだけのものだが、クリスマスっぽくておもしろい。
ホルヘは写真を撮りまくって大盛り上がり。

メインは鶏ムネ肉と野菜の生姜炒めと、納豆オムレツ。
これらも簡単で、あっという間にできるものだ。
とくに難しいものではないが、ホルヘにはめずらしかったようで、熱心に食いついていた。
私も彼といっしょに台所で遊べて楽しかった。
とても楽しかった。

夜はオーディオブック収録製作コースの今期4回め。
といっても、いつもの参加者のほとんどが都合で参加できず、和子さんとみぞれちゃんのふたりだけで開催。
しかし、しっかりとやる。

基礎トレーニングをやり、和子さんが差し入れてくれたおいしいケーキをいただき、予定の講義内容をやり、最後にふたりのそれぞれの生命力に満ちあふれた読みを聞かせてもらって、私もたくさんのエネルギーをもらったような気がした。

盛りだくさんな2015年のクリスマス・イヴだった。
明日は明日でまた楽しみなクリスマスパーティー@羽根木の家の予定だ。

2015年12月22日火曜日

グレート角煮デー(ホルヘへの感謝をこめて)

羽根木の家に長期滞在中のNVC国際公認トレーナー、ホルヘ・ルビオと今日はたくさん遊んで楽しかった。
彼がいうところのヴィヴェンシア(命のイキイキさ/活力)に満ちあふれた一日だった。

ホルヘは日本に来てからずっと早起きで、日本茶が大好きなので、起きたらまず自分でたてて一服いただく、という日課を通している。
今日も(いつものように私も早起きして)台所に行ったら、ホルヘが煎茶をいれて飲んでいる。
私にも一杯サービスしてくれた。

日本茶だけでなく、彼は中国茶にも興味をしめしていて、昨日はどりちゃんもいっしょに四川料理の店に行って中国茶を何種類か飲んだりした。
なぜなら、彼は明日、横浜でNVCのワークショップをやることになっていて、それが終わってから中華街の中国茶専門店に行くことをとても楽しみにしているからだ。

羽根木の家には中国通で何度も中国に渡り、そのたびに高級茶を買いこんでくる野々宮卯妙の妹さんのお土産の中国茶がけっこうキープされていて、せっかくだからホルヘに飲んでもらうことになった。

東方美人というなかなかよい烏龍茶があったので、それをいれてみる。
これはなかなかおいしかった。
そこから漢字の話題になり、日本では子どもが学校で墨をすって筆で書き取りをやるというではないか、本当か、と聞かれた。
そうだ、と答えると、おまえはできるのか、というので、もちろんできる、といばってみた。

ふと思いだして、ここに墨と筆もあるぞ、といったら、おれに教えてもらえるか、というので、全然オッケーだ、いまからレッスンするか、というと、とても喜んだ。
本格的な墨と硯を出して、しかし筆がどうしても見つからなかったので絵を描く用の水筆を出してきて、スケッチ用紙で書き方のレッスン。

一番最初に彼が書きたいといったのは「フグ」という字。
なぜなら、彼は自分のオリジナルで、NVCでいうところの自己共感のスキルとして「フグになる」という方法をとてもユーモラスに教えていて、私たちの多くがそのファンであり、みんながフグ仲間になったり、過去の来日でホルヘが帰るときにフグの帽子をプレゼントしたり、といった思い出があって、フグにはとても思い入れがあるからだ。

フグは「河豚」とも「鰒」とも書くけれど、最初のほうの字を「river pig」と説明したら、ものすごくウケた。
これはしかし難しい字なので、後回しにして、ほかに書きたい字はあるか、と聞いたら、なぜか「house」という。
これもちょっと難しいけれど、「家」という字をいっしょに書いてみる。

そのあと、「一」「二」「三」「四」「五」「六」と書いたり、象形文字から変化する「鳥」「魚」「目」「口」などを書いたりしておもしろがっていた。

昼に献ちゃんが来て、いっしょに近所の〈香家〉で中華ランチを食べたのだが、店内に甲骨文字のカーテンがかかっていて、私も今日まで気づかなかったのだが、おもしろがって写真を撮っていた。

私たちは香家の売りの担々麺を食べたのだが、ホルヘは角煮定食みたいなのを食べて、今度は豚の角煮にものすごく感動していた。

夕方、私は明日のげろきょ忘年会(ロードクパーリー)のための買い出しに行こうとして、献ちゃんから、ホルヘが豚の角煮を食いたいといっていて、たぶんスーパーマーケットに豚の角煮のレトルトパックがあるからそれを買ってきて、といわれた。
そういうものがあるとは私は知らなかったのだが、行ってみて、店員に訊いてみたら、確かにあった。
買って帰って、それをホルヘといっしょに湯通しして、食べてみたら、たしかにかなりうまかった(伊藤ハム製)。

というような、最後はホルヘは「グレート角煮デー」といいながら自室にもどっていったのだが、私は楽しかったと同時に、じわじわとホルヘにたいする感謝の気持ちがわいてきている。

前にも書いたように、NVCの学びから落ちこぼれかけていた私に、献ちゃんがホルヘを引きあわせてくれて、そして一気に私もNVCをベースにした共感的コミュニケーションを人に伝えるようになったり、本を書いたりするようになった。
それだけホルヘショックは(いい意味で)大きかった。

その後もIITや今回の来日でのワークにも参加して、NVCそのものの学びも大きいが、なによりおなじ屋根の下でともにすごす時間があることが私にとってはありがたい。

いっしょに暮らしてみるとわかるのだが、一見「がはは」で幼稚園児みたいにわがままな彼も、じつはとても繊細で、こまやかな気配りがあって、弱く、優しい人があることがわかる。

彼が羽根木の家にやってきたとき、家猫のムイが警戒して寄りつかなかったのだが、そのことを気づかって「猫はだいじょうぶか」ときいてくれたり、ムイの前ではそっとゆっくり動こうとしたり。

台所の洗い物も、自分の分以上にやってくれたり、私が彼の分をやってしまったりするととても感謝したり。
大勢の人が出入りすることで出る大量の生ゴミを私がひとりで出していると、声をかけてくれたり。
コロンビア人の彼には古民家はとても寒いだろうに、ホットカーペットやガスヒーターをこまめに消して節約に協力してくれたり。

私が自分の部屋で仕事してたり、和室でワークショップをしているときには、けっして声をかけないばかりか、とても静かにしていてくれたり。
それでいて、顔を合わせると、愉快で、ユーモアたっぷりで、楽しくて。

そうそう、今日ちょっと驚いたことがある。
書き方のレッスンを終え、こたつでお茶を飲んでいたとき、彼は自分が子ども時代のボゴタの話をしてくれた。
海より川が好きで、子どものころはよく泳いでいたらしいが、いまやコンクリートでかためられ、水も汚れてしまって、泳げない。
それは私が生れ育った九頭竜川も同じだ。

九頭竜川を漢字で書いてみせた(見たいといったので)。
とても興味を持ってくれた。
これは余談。

ボゴタは高地にあって、森も川も山も空気も、尾根すじを渡っていく鹿の姿も美しかったのに、夕日もすばらしかったのに、いまは大気汚染が進み、見る影もない。
そのことを話すとき、ホルヘの目に涙が浮かんでいるのを見た。

肉やラーメンばっかり食って、不健康で、浪費家で、わがままなホルヘ、というその奥にある本当の彼は、とても繊細で優しく、ナイーブな姿なのだ。
お金を持っているとすぐに全部使ってしまうと思っていたのに、今回は長期滞在だから節約したいといって、自分の好きなラーメンがスーパーで安売りしているのを見てさっと買いこんで、それに野菜やゆで玉子を加えて、工夫して朝食にしている。

それにしても、たくさん英語で話した。
これほどまとまった分量の英語の会話を、いままでしたことはなかったかもしれない。
ホルヘがこちらを気づかってゆっくり話してくれるということもあるのかもしれないが、なんだか英語で話すことのハードルがどんどんなくなっていく。

そしてもちろん、NVCをその存在そのもので体現している彼とずっといっしょにいられるということも、ありがたい。
風邪がうつるように、体臭が混ざるように、私にもホルヘの共感体質がしみこんでくるような気がしている。

ホルヘには、さまざまなことに感謝したい。
この感謝をどのように表現すればいいのか、それをかんがえることに、いま私はわくわくしている。

2015年12月21日月曜日

わたくしごとの年内スケジュール(2015年の終わり)

(写真はツリです)
明日は冬至で、そのあとにクリスマスがあって、そしたらもう大晦日で、2015年が終わろうとしている。
今年はいろいろあったなあ。
歳を重ねるごとに充実していくのは悪くない(お金だけはいっこうにはいってこない)。

自分のための整理整頓もかねて、年内のイベントをならべてみる。

草加〈Jugem〉共感カフェ(12.22)
明日の夜だけど、参加者が少ないようなので、オンライン開催もしくは休講になる可能性あり。
今年も主催の実雪さんにはお世話になりました。
毎月、はるばる草加までよく通ったなあ。

ボイスセラピー講座(12.25)
毎月開催している講座の、年内最終。
音読療法をより広めるためのストラテジーをいろいろと詰めていて、年明けはいくつか実行に移していこうと思っているのだが、いかんせん、音読トレーナーがあまり育っていないことが悩み。
みなさん、来てね!
12月25日(金)10:00-15:00、羽根木の家で開催。

次世代作家養成ゼミ(12.27)
先日はひさしぶりに機関誌『HiYoMeKi』をリリースできた。
いまは参加者が少ないんだけど、このゼミ、ほんとおもしろいから、朗読に興味がない人でも気楽に参加してくれるといいな。
さまざまな発見に満ちたテキスト表現ゼミです。

親密な関係における共感的コミュニケーションの勉強会(12.30)
今年の6月にスタートして、毎月開催、思った以上に好評をいただいて、つづけてこられた。
共感的コミュニケーション(NVC)はさまざまなアプローチがあるけれど、親密な関係に限定したワークは、日本ではたぶん私だけ。
12月30日(水)夕方、羽根木の家にて。

羽根木の家で韓氏意拳初級講習会(12.29)
午前中のクラスは体験参加ができます。
そして夜は韓氏意拳忘年会。
講習に参加できない人でも、韓氏意拳に興味がある人は忘年会のみ参加してもオーケーだそうです(1品差し入れお願いします)。

現代朗読体験講座(12.30)
アート表現としての、あるいは身体表現としての朗読に興味がある人、どうぞ。
ここでしかやっていない朗読を体験できます。
12月30日(水)午前、羽根木の家にて。

共感カフェ@羽根木の家(12.30)
年内最後の羽根木の家での共感カフェです。
この回は、みむぅたちが中心になってやっている富坂キリスト教センターでの勉強会のメンバーとの合同開催になります。
12月30日(水)19〜21時、羽根木の家にて。

気になるものがあれば、予約へゴー!
さて、今日はこれから、共感戦士・ホルヘといっしょに中華ランチ。

2015年12月20日日曜日

ポジティブな評価(ことば)という暴力

昨日は南青山で、今日は世田谷・新代田で、NVCの国際公認トレーナーであるホルヘ・ルビオによるツーデイ・ワークショップが開催された。
ホルヘは羽根木の家に滞在していて、私は毎日顔を合わせているのだが、なかなかワークショップに参加するチャンスがなくて、今日の午後、ようやく時間が取れたので顔を出してきた。

ホルヘは私がNVCから落ちこぼれそうになっていたとき、献ちゃん(安納献)が「きっと水城さんなら彼を気にいる」と招聘してくれた(もちろん私だけのためではないけれど)トレーナーで、そのとおり、ホルヘに会い、彼のワークショップに出て、私はNVCの本質を一発で体感できたような気がした。

NVCへのアプローチはさまざまにあって、トレーナーもいろんなタイプがいる。
一度だけワークに出て、自分には合わないとあきらめてしまう人がいるが、とてももったいないと思う。
いろいろなワークショップや勉強会に出てみることをおすすめする。
トレーナーとの相性も、これはたしかにあると思う。

私はホルヘにズキュンとして、以来、自分でも勉強会を積極的に主催できるようになった。
それについてはいまでも多少のためらいはあるが、そのたびにホルヘの存在にはげまされているような気がする。

今日は午後から、それも遅れての参加だったが、大きな学びを得ることができた。
これについては勉強会でみなさんにもシェアしたいと思っているが、いま簡単に書いておくことにする。

標題にあるように、私たちはなにか自分にうれしいことをしてくれた人にたいして、感謝をのべると同時に、ポジティブな評価のことばを伝えようとしてしまう。

たとえば、仕事を手伝ってくれた人にたいして、
「あなたはなんて協力的な人なんだ」
「いい人ですね」
といった言葉だ。
その表現を、ホルヘは「とてつもなく暴力的だ」という。

「みなさん、すばらしいよ」
「あなた、ハンサムだね」
「才能ありますね」
「優しいですね」
一般的にポジティブとされ、一見相手を尊重するようなことばも、それはお互いのつながりを断ってしまう、とても暴力的な表現だというのだ。

いわれてみればたしかに、私もひと前でピアノを弾いたときに、
「すばらしい演奏でした」
「ピアノが上手ですね」
などといわれて、とても居心地が悪い気分になることが多い。

それは相手からの「ジャッジ(評価)」であり、静的な(動きがない)表現なので、こちらとのつながりをもたらさないのだ。

では、どうすればつながりをもたらす表現になるのか。

「あなたの演奏を聞いて、私はとても心を動かされました。なぜなら、私は華美に走らない、自分を飾らない誠実で正直な表現を大切にしていて、あなたの演奏からはそのような感じを受けたからです」

たとえば、ね。
ここにはNVCでいうところの「フィーリング(感情)」と「ニーズ(価値/大切にしていること)」を表現することばがある。

私たちはえてして、相手をほめたたえる表現(それは一種のジャッジなのだが)を、相手とのつながりを保持する気持ちのあらわれとして安易に使ってしまうことがある。
その習慣的表現を、ほんとうに相手につながるための、心からの正直で誠実なことばに置きかえていくことができれば、どれだけ人との関係性に豊かなものが生まれるだろうか、と思う。

親密な関係における共感的コミュニケーションの勉強会(12.28)
共感的コミュニケーションでもとくにやっかいだといわれている親密な関係であるところのパートナーと、お互いに尊重しあい、関係性の質を向上させるための勉強会を12月28日(月)夜におこないます。

初参加、ピースネットワーク東京の集まり

昨日からNVCトレーナー・ホルヘのツーデイ東京ワークショップをやっていて、今日の会場は新代田駅すぐ横の代田区民センターだった。
早朝からきくあつが羽根木に来てくれて、ホルヘの朝食やらなにやら、なにかとサポートしてくれた。
理子ちゃんが来たので、私もいっしょに区民センターに行って、けやきネットのカードで会議室使用の手続き。
そのまま電車に乗って、大塚に向かった。

鈴鹿のアズワンコミュニティのスクールや探訪などで関わりができた人たちのゆるやかなつながりをキープしたり、お互いに安心して聞き合える場作りをするために2年くらい前に立ちあがった「PIESS NETWORK 東京」のミーティングに、初めて参加してきた。

存在は知っていたのだが、つながるきっかけをトランジション世田谷 茶沢会のメンバーである足立美和子さんと林悦子さんが作ってくれて、今回参加することになった。

行ってみると、初めてにもかかわらず、とても暖かく迎えていただいてうれしかった。
さすがアズワンに関わるみなさんだけあって、お互いの話をとても丁寧に聞き合う姿勢と雰囲気がそこにあり、私の話もしっかりと聞いていただいた感じがした。

私もみなさんが大切にしておられることを丁寧に教えていただくことができた。
メンバーのひとりの方の自己紹介のなかに気になったことばがあって、それについて聞かせてもらったとき、正直さとお互いを思いやる感じがそこにあって、安心できた。
つながりや尊重される感じもあって、うれしくそして楽しかった。
NVCをベースにしている共感的コミュニケーションともとても近くて共通したかんがえかたであり、またそれを実践に移しておられる方々とつながることができたのは、大変ありがたいことである。

年明けには羽根木の家でもミーティングをおこなうことになって、ピースネットワークやアズワンの人たちとのつながりがますます深まるかもしれないことを喜んで歓迎している。
ピースネットワークのミーティングは、アズワンつながりではない人もどなたも気軽に参加できるようなので、興味がある人はいらしてください。
開催についてはあらためてご案内します。

共感カフェ@羽根木の家(12.30)
12月の羽根木の家での共感カフェは、12月30日(水)19〜21時です。

韓氏意拳・ひさしぶりの光岡講習会

昨日は沼袋の区民活動センターまで光岡英稔導師の韓氏意拳講習会に行ってきた。
会員のみのクラスだった。

試力から入って、基本拳式まで、じっくり丁寧に稽古する。
現代人は自分の身体が観えなくなっている。
とくに下半身は全体とのつながりがうすい。
なぜなら、人工的な環境のなかで、ケータイを見ながら(頭しか使わずに)歩いていてもべつに死ぬことはないし、高低差の移動もエスカレーターやエレベーターが自動的にやってくれる。
移動も車や電車、飛行機などがやってくれる。

掃除機、洗濯機、冷蔵庫、テレビ、インターネット、そういうものに囲まれた暮らしのなかで、自分の身体をマインドフルにとらえながら
すごすことは不可能といってもいい。
私もそれを痛感する。
だから、韓氏意拳の稽古でいざ自分の身体と丁寧に向き合おうとすると、困難と大変さに直面するわけだ。
それをおもしろいと思える人には韓氏意拳は向いているかもしれない。
私はおもしろくてしかたがないのだが。

昨日の稽古で私がもっともおもしろいと思ったのは、手の行為で下半身を見ていく、というアドバイスだった。
ふむふむ、と思うのだが、これが難しく、そしておもしろい。

あと、光岡先生のことばで、人の身体をジャングルにたとえたのもおもしろかった。
身体を観に行く、それはたとえばジャングルに探検にはいるようなものだ。
はいっていくと川があって、なにか動物がいる。
それを観察し、もどってくる。
つぎの日に行ってみると、川はあるのだが、そこには昨日の動物はいない。
いつもおなじことが起こるとはかぎらない。
川の様子だって毎日変わる。
身体はそういうものだ、というたとえだ。

みっちり3時間の講習を終え、光岡先生を含む何人かといっしょに、内田先生がご存じの近所のラーメン屋に行った。

年内はあと1日、羽根木の家で韓氏意拳の講習会を開催する。
内田秀樹準教練をお迎えして、12月29日(火)の午前中に体験参加のできクラスを、午後は会員向けのクラスを2コマ開催。
夜は忘年会をやることになっていて、日中のクラスに参加できない人も忘年会だけの参加もありとのことで、その際はなにか1品、差し入れをお持ちください。
会員でなくても韓氏意拳に興味がある方ならだれでも歓迎します。

羽根木講習会の詳細はこちら

2015年12月17日木曜日

げろきょオープンマイクの最終回を盛会のうちに終了

2015年12月16日、水曜日、夜。
三軒茶屋のライブカフェ・レストラン〈四軒茶屋〉にて、げろきょこと現代朗読協会が主催するオープンマイクイベントをおこなった。
今年の1月からはじめて、ほぼ毎月1回開催してきたが、今回が最終回となった。

定員を超える参加申し込みをいただいて、大変盛況であった。
盛況だけでなく、内容もバラエティに富んで充実していたのと、とてもなごやかな共感的交流ができて楽しかった。

以下、参加者リスト。

 1. 川崎満里菜(with 水城P) 朗読
 2. アトゥール・イノウエ 謡とケーナ
 3. TASKE(with 水城P) ポエトリーリーディング
 4. 柏井喜代恵 詩と歌
 5. 梓ゆい(with 水城P) ポエトリーリーディング
 6. 黒坂瑞穂 オートハープと歌
 7. ガトー ギター
 8. 響 ギターと歌
 9. 小坂 オートハープ
 10. KAT(with 水城P) 朗読
 11. 松原あけみ(with 水城P) 朗読
 12. てんトコラ 朗読
 13. 野々宮卯妙(with 水城P) 朗読

これまでご参加いただいた皆さん、初回からずっと司会アシスタントとして付き合ってくれた森沢幸、アシスタントを手伝ってくれた川崎満里菜、主催のひとりとして、またスタッフとしてサポートしてくれた野々宮卯妙、そしてげろきょのゼミ生のみなさんに心から感謝する。

今回の模様は近いうちに、抜粋映像を公開する予定です。

2015年12月16日水曜日

泳ぐ生活、水のある日々

今月にはいってから「泳ぐ生活」を再開している。
朝起きて、ひと仕事してから、早いうちにプールに行って泳ぐ。
いまのところ、週のうち3回くらいのペースをたもてている。

ひさしぶりに行ってみてびっくりしたのは、人間の身体というのはおどろくほど衰退するのが早く、確実である、ということだ。
よくおぼえているのだが、ちょうど30歳になったときに近所のプールに通うようになって、以来、50歳になるまで、多かれすくなかれだいたいプールに通う習慣をつづけていた。

それがここ何年か、いろいろ理由はあるのだが、まったく泳がなくなっていた。
もっとも、その間にまったく運動しなかったわけではない。

ここ数年は中国拳法(韓氏意拳)もやっている。
しかし、「泳ぐ身体」にかんしてはびっくりするほど「失って」しまったようだ。
泳ぐのに必要な筋肉群がごっそり消失したような感じがする。

かつては1,000メートルを日常的にかるく泳いでいたのに、ひさしぶりに行ったら、200メートルで息と腕があがらなくなって、それ以上泳げなかった。
けっしてがっつり泳いだわけでなく、かるく流す程度のペースだったのに。
これはかなりショックだった。

2日めは、しばらく泳いでみたら、身体がもう「泳ぐ身体」への立て直しをはじめているのがわかった。
250メートル泳いで、それほどつらくなかった。
しかし、それ以上は泳がず、そこでやめた。

以後、毎回、50メートルずつ増やしていって、昨日はちょうど500メートルまで距離をのばした。
1,000メートルになったらタイムアタックに切り替えていこう。

プールを再開したのには理由があって、先日突然、私には「水のニーズがある」と確信したからだ。
それについてはこちらのブログ記事に書いた。
⇒ http://juicylab.blogspot.jp/2015/11/blog-post_24.html

べつに泳がなくてもいいのだが、水のある生活が私にはのぞましい。
海のそばに暮らせたら一番いいのだろうが、いまは近くに海がないのでプールで代用している。
ついでに運動もできるので、泳ぐ。

海の近くに暮らせたら、どんな日常になるだろうか。
夢想してみる。
よい浜があれば、いまさらながらだけど、一度サーフィンというものをやってみたいかもしれない。
磯だったら、釣りやダイビングかな。
港があれば、廃船寸前の漁船とかでもいいから、入手して、船遊びをしたい。
私は一級小型船舶の免許を持っているのだ。

というようなありもしない想像は置いておくとして、泳ぐ生活はとにかく、身体の調子がととのって大変よろしい。
私に合ってるんだろうな、泳ぐ生活、というか、水のある生活が。

2015年12月15日火曜日

声帯を傷めない発声法

げろきょゼミ生のひとりが声帯を傷めてつらい思いをしていた。
幸い、もうすでにほぼ回復しているのだが、一度ひどく傷めると回復するのにとても時間がかかる。
日常生活や仕事にも差しつかえる。
できれば最初から傷めないほうがいいし、すこしでも異常を感じたらそれ以上悪化しないように気をつけて、初期のうちに治療するほうがいい。

以下、やや私見がはいっているのだが、日本人は喉を傷めやすい発声をしている人が多い。
西洋人で喉をからしている人を見たことがあるだろうか。
私はない。
歌手なのに、煙草は吸うわ、お酒は飲むわ、しかもライブの最中に、そして喉をいたわるようなことをなんにもしていないのに、平気な顔をしている人を知っている。

(多くの)日本人と(多くの)西洋人では、なにがちがうのだろうか。
ひとつには身体の構造がちがう。
日本人は声帯まわりの構造が虚弱な人が多いように思う。
体格の差がそのまま声帯まわりの構造にもあらわれているのかもしれない。

もうひとつは、声を出すときの身体の使い方がちがう。
バイリンガルの人が話すのを見ていると、英語を話すときは身体全体を使って、呼吸も深い。
おなじその人が日本語を話すときは、口先だけでしゃべっていて、いわゆる喉声になる。

西洋人が大きい声を出すときは、喉を開き、身体全体を響かせるようにする(オペラ歌手参照)。
日本人(東洋人)が大きい声を出すときは、喉を締め、声帯を通る呼吸の速度をかせぐことでボリュームを確保しようとする(市場のセリの人の声参照)。
この喉の使い方の傾向があることによって、日本人は喉を傷めやすいのではないか、という推測をしている。

なので、喉を傷めたくないとき、あるいは喉を傷めかけているときは、なるべく喉に負担がかからないような発声をこころがけたい。

声帯まわりに余裕をたもち、圧迫させないために、心がけるといいことがひとつある。
それは、軟口蓋を上に引きあげる意識を持つということだ。

軟口蓋というのは、口のなかの上の部分、喉の手前のやわらかい場所のことだ。
ここを意識的に引きあげるのはなかなかむずかしいのだが、自然に引きあげられるときがある。
それは「あくび」をするときだ。
意識的にあくびをしてみると、軟口蓋が上に持ち上がっている感じをつかむことができる。

そのまま声を出すと、ちょっとオペラ歌手みたいな不自然な発声になってしまうが、そこまでやらなくてもちょっと軟口蓋を意識してみるだけで、声帯まわりの圧迫はかなりなくなるはずだ。

喉を傷めかけていて、どうしても人と話す必要があるときには、これを意識してみると、だいぶ役に立つだろう。
というようなちょっとした悩み相談みたいなことも、げろきょゼミではおこなったり、検証したりしている。



従来の朗読とはまったく異なったアプローチで驚きを呼んでいる「現代朗読」の考え方と方法を基礎からじっくりと学ぶための講座。12月19日(土)のテーマは「スリリングな表現者になるための自分自身の理解/表現心理」。単発参加も可。

新作音楽アルバム「Music Meditation Vol​​.​​11 grain in ear」リリース

音楽の新作アルバム「Music Meditation Vol​​.​​11 grain in ear」が完成し、配信スタートしました。
全曲試聴できるほか、ダウンロード購入もできます。
こちら

2015年1月1日からYouTubeでほぼ毎日配信した「音楽瞑想(music meditation)」を、日本の24節季ごとに切り出したアルバムするプロジェクト、その第11弾です。
Bandcampのアルバム用に音源はリマスタリングしてあります。
Vol.11は「芒種(grain in ear)」です。

収録曲をリストしておきます。

 1. peak (2:13)
 2. corner (2:25)
 3. recollection (2:23)
 4. hurt (3:04)
 5. dance (2:02)
 6. flicker (2:20)
 7. boat (2:52)
 8. piece (2:29)
 9. marionette (2:14)
10. silk (2:29)
11. tadpole (2:04)
12. australia (2:07)
13. slope (2:16)
14. smoke (1:52)
15. sister (2:43)

2015年12月14日月曜日

本:『ジャズの聴き方 JAZZ BIBLE』(Kindle)発刊しました

ブックマン社から出版されて版を重ねた書籍『誰も教えてくれなかったジャズの聴き方』が、あらたに電子書籍(Kindle)『ジャズの聴き方 JAZZ BIBLE』としてアマゾンから発売になりました。

Kindle版のみの発売となります。
価格491円です。
こちらからどうぞ(画像をクリックしてもジャンプします)。

2015年12月13日日曜日

水色文庫新作「暗く長い夜、私たちは身を寄せあって朝を待つ」

水色文庫の新作「暗く長い夜、私たちは身を寄せあって朝を待つ」を登録しました。

このテキストは2015年12月、明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉のギャラリースペースでおこなった「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演のために書きおろした作品です。

2015年12月12日土曜日

横浜中華街での綿あめ文庫「貴婦人キウピイの朗読会」

みぞれちゃん主宰の綿あめ文庫朗読会「貴婦人キウピイの朗読会」に、横浜中華街まで行ってきた。
出演はゼミ生の梓、満里菜、そして菜穂子。
みぞれちゃんは今回、作・演出、その他裏方に徹していた。

中華街はひさしぶりのような気がする。
去年、ホッチポッチ横浜というイベントで行って以来かもしれない。
今年はホッチポッチからお声がかからなかったので行ってない。
横浜は毎月、共感カフェで通っていたり、白楽ビッチェズ・ブリューのライブに通っていたので、かなり頻繁に行っていたのだが、いまは行っていない。

その他、意識的に、昨日終わった「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演や、来週が最終回の四茶げろきょオープンマイクなど、定期的におこなっていた自主イベントを年内で終了させている。
来年は自分が主催のライブはひとつもいれていない。
しばらくしずかにさまざまなこと(おもにコンテンツ関係)をかたづけて、身辺を整理したり、力をたくわえたりして、ゆとりをもってつぎに臨もうと思っている。

朗読会は前半がお客さん参加型の、各人がそれぞれテキストを渡されて順番に読んだり、用意されている鳴り物を鳴らしたりして楽しむ形式のものだった。
私は朗読はしなかったが、鳴り物を持って音で参加。

あとで、なんで朗読しないのだと突っこまれて、返答に困っていろいろでまかせを答えたりしたが、そのなかで自分でも一番しっくりきたのは、昨夜の沈黙瞑想公演で出しつくしたし、朗読という形で表現欲求を漏らしたくない、というものだったような気がする。

後半は綿あめ文庫のメンバーによる群読。
みぞれちゃんが書いたマヨネーズ礼賛のテキストは、なかなか楽しかった。

終わってから、げろきょメンバー中心に何人かと中華街で食事。
これも楽しかったな。

路線がおなじ美子さんと、韓氏意拳やらハワイアンセンターやらの話をしながら帰ってきた。
みぞれちゃん、綿あめ文庫のみなさん、お疲れさんでした。
美子さん、帰りに付き合ってくれてありがとう。

写真のピアノは、昨夜、みぞれちゃんがプレゼントしてくれた鉛筆削り。
しっかりした作りで、とくに鍵盤と蓋のところがリアルにできていて楽しい。

月恒例の「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演、最終回

2015年12月11日、夜。
明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉のギャラリースペースでほぼ毎月おこなってきた「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演の最終回を開催した。
この一年間を通して、のべ10回になったろうか。

この10回を通して、私自身は毎回、かなりチャレンジングな内容だったし、そのことによる気づきや成長も大きなものがあったと感じている。
多くの人に興味を持ってもらえる内容のイベントではなかったかもしれないが、参加してくれた皆さんには心から感謝したい。
この経験をつぎにどうつないでいくかは、私のこれからの課題だ。

昨日はいつもよりさらに参加予約がすくなく、直前になってキャンセルが何人か出たりして、最後なのにちょっと寂しいな、などと思っていたのだが、行ってみたら思いがけない方が何人かいらしてくれて、大変うれしくありがたかった。

20時開演のところ、19時前に羽根木の家を出て、ひさしぶりに歩いて明大前に向かう。
このところいろいろと調子がよく、身体を動かすことがまったく苦ではないので、20分くらいの歩きだが、マインドフルの練習をかねて、それを選んでみた。

大げさだけど、このところ私ほどマインドフルネス、瞑想、フローを集中的に扱い、実践している者はいないんじゃないかと思うくらいだ。
昨夜は歩いているうちにいろいろと余計なものが抜け落ちていって、静かに流れる大河のような気分になった。

19時20分くらいに会場に着く。
早川くんと奥さんのKanaさん、工藤くんと雑談をかわしてから、ちょっとピアノを弾いてみる。
いつになく音がくっきりと身体を通っていく。
いい感じ。

参加者がやってきた。
知らない人がふたり、来た。
聞いてみると、フェイスブックを見て来てみたのだという。
こういうことはめずらしく、予約もなかったのでちょっとびっくりしたけれど、うれしいびっくりだ。
あとで野々宮の中高の同級生だということが判明して盛り上がった。

NVCの仲間の実穂さんが引きあわせてくれたどりちゃんが来た。
共通の友人がいて、初対面だったけれどそんな感じがしない。

そうするうちに、すごくなつかしい顔があらわれて、またもやびっくり。
アイ文庫の最初期にいっしょに朗読の勉強会をやり、オーディオブックやラジオを作っていた仲間の大関くんが、何年ぶりかに来てくれた。
これも予約がなかったのでびっくり・うれしい。

ゼミ生のてんちゃんやあけみさんが、仕事帰りにも関わらず駆け付けてくれた。
みぞれちゃんも、翌日に自分のライブを控えているというのに、わざわざ駆け付けてくれた(かわいいピアノの鉛筆削りをプレゼントしてくれた、ありがとう)。
本当にありがたく、うれしい。

ホールの工藤くんやKanaさんも聴いてくれているなか、20時ちょうどにスタート。
前半は沈黙の朗読のパート。
テキストは私の新作「暗く長い夜、私たちは身を寄せあって朝を待つ」で、みつばちの話だ。

野々宮が完全に集中した身体性から発せられる声で、自在に動いていく。
彼女もまた深いマインドフルネスとフローのなかにいるのだろう。
私もはじまった瞬間にフローにはいり、あとは完全に思考を手放した感覚体として即興演奏で朗読とコミュニケートしていく。

彼女自身はこのところ、朗読に行き詰まりを感じているといっていたが、行き詰まっているのではなく、クオリティが高まってきたのでこれまでのようなやればやるだけ成長する変化が見える、という状況ではなくなってきただけのことだろうと思っていた。
クオリティが一定レベル以上に達すると、自分の成長はほとんど止まったように見え、ほんの薄皮一枚はぐだけでも大変な集中を要するようになる。
だからといって、日頃の努力をおこたると、すぐにずるずると後退してしまう。
もどかしく大変だけれど、薄皮一枚をはぎつづける努力は必要なのだ。
それが昨夜、一枚も二枚もぺろっとはがれたようだ。
その瞬間に立ちあえたのは、共演者の醍醐味であり、役得でもある。

後半は音楽瞑想のパート。
前半、後半という区切りの意識はなく、ひとつながりの流れのなかでピアノの即興演奏を感覚のおもむくままに展開していく。
参加者がそこにいることを感じてはいるが、それを気にしてはいない。
それをいうなら、自分自身のことも気にしていない。
ただ音を聴き、それに導かれるままにつぎの音をつむぎ、それらが感覚体としての私自身の体内を流れていくのを感じ、外来のすべての情報もまた同時に流れこんで大きな潮流を作っていくのを楽しんでいた。

たぶん、一番楽しんでいたのは私だろう。
もっとも気持ちよかったのは私だと思う。

ちょうど1時間でパフォーマンスを終え、持ってきたワインとつまみを出してみなさんと歓談。
これもまた楽しい時間だった。

定期開催はなくなったが、沈黙の朗読も、元はディープリスニングといっていた音楽瞑想も、ここ10年以上ずっと私自身のテーマとしてつづけてきたことだ。
この先もやらないということではない。
近いうちに、イベント形態は多少変わるかもしれないが、なんらかの形であらたに開催することになると思う。
そのときは、これまで参加できなかった方も、参加してくれた方も、会場でお会いしましょう。

2015年12月11日金曜日

調子あがってきた〜!(私の健康法)

今日も近所のプールへ。
夜中から土砂降りの雨だったのが、玄関を出ようとした瞬間にあがって、晴れ間が広がって夏みたいに暑くなった。
フェーン現象か?

韓氏意拳、音読療法、共感的コミュニケーション、マインドフルネス、瞑想、ひとさじのはつみつ、ゆるい糖質制限の食事、そしてプール、このあたりが私の健康法のまとめかな。

前田京子さんという人の書いた『ひとさじのはちみつ』という本が楽しくて、そのなかに書いてあったひとつを実践している。
それは寝る前と起きたときに、ティースプーン一杯の天然はつみつをなめる、というものだ。
はちみつの糖分は虫歯の心配をしなくていいそうだ。
だから、寝る前でも大丈夫。

これ、いいような気がする。
効いてる感じがある。
私にあっているのかもしれない。

あっているといえば、糖質制限の食事も私にあっている感じがある。
完全に糖質をカットするのではなく、ゆるーく、とくにでんぷん質を少なめの食事をこころがけるだけだが、このゆるさをゆるめると体重が増加し、ゆるさをややきつめにすると体重はすぐにもどにもどる。
糖質を摂らないと脳が働かない、というのは迷信に近いものらしい。
そういう体質の人がもしいたとしたら、縄文以前のとっくの昔に淘汰されてしまっているはずだ。
脳に必要な糖分は自分の身体のなかで充分に生成されている。

結局のところ、子どものころから身体を使って遊ぶことが好きだったんだなあと、いまさらながら気づく。
それに加え、いまは自分の身体とこころの不思議がおもしろい。
共感的コミュニケーション、マインドフルネス、瞑想などによって、身体とこころの深淵をのぞきこみ、自分という不確実性に満ちた自然生命に触れる毎日が楽しい。

今夜は「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演を明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉で。
これを最後に、「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演はしばらくお休み。

2015年12月9日水曜日

韓氏意拳・養生功(女子会)の2回め

昨夜は駒井先生を羽根木の家にお招きしての、韓氏意拳・養生功の講習会の2回めをおこなった。

私と駒井先生をのぞいて、参加者が全員女性という、「韓氏意拳女子会」みたいな集まりだが、これは参加者のほとんどがげろきょゼミ生であるせいだ。

昨日は行功という、健身功のつぎの段階でやる、移動をともなうものをおこなった。
型を忘れても、だれかが覚えていて教えてもらえばいい、ということで、今回も手分けして覚える。

養生功の型はたくさんあって、たぶん今回のような3回くらいの講習ではとても身につくものではないのだろうが、まずは親しんでもらいたいという駒井先生のかんがえがあるのだろう、工夫して3回で全体像がわかるような内容にしてもらっている。

そして、講習の最初のほうでは、韓氏意拳に触れたことのない者も多いので、ほかの武術や中国拳法とはことなる韓氏意拳の原理と、私たち現代人がどのように身体を使っているか(あるいは使えていないか)の実験のようなものをやってもらって、みんな興味深くためしてみていたようだ。

終わったあと、時間外ではあったが、次週の最終回にやる予定の修身八式のなかの「孤雁出群」という型を、予習として教えてもらったり、実際に打撃を受けたり打ったりすることについての体験を個人的にさせてもらったりした。
とくに打撃の体験は、自分がいかに習慣的な動きに縛られているか、もう3年も稽古していてもいかに「状態」や「抱《バオ》」にたいして甘さがあるのか、思い知ることになり、さらなる緻密な稽古の必要性を痛感した。
駒井先生、昨日も遅くまでありがとうございました。

羽根木の家で韓氏意拳初級講習会(12.29)
内田秀樹準教練による韓氏意拳の体験&初級講習会@羽根木の家を12月29日(火)に開催します。自分の未知の身体に出会えるユニークで注目の武術です。どなたでもご参加いただけます。

2015年12月8日火曜日

年末のオハナ共感カフェはフレッシュに

昨日の夜は隔月で開催している三軒茶屋〈カフェ・オハナ〉での共感的コミュニケーションの勉強会「共感カフェ」だった。

昨日は定員オーバーの方が参加してくれて、しかもほとんどが共感的コミュニケーションに初めて接する方ばかり。
学生さんも何人かいらして、年齢層が低い!
いつものことだが、私のことを女性だと思っていたという方もいらして、楽しくなってしまう。

人数が多かったので、オハナの奥のスペースをぎっしり占拠して開催。
2〜3人ずつの組になっておこなうワークを、前半ではやってもらった。
みなさん、しだいに打ち解けてきて、「ニーズ」という言葉にもなじんでいくと、どんどん盛り上がっていく。

そのあと、レクチャーをすこし混ぜながら、ひとりの方のいま直面している具体的な事例を取りあげて、共感のプロセスをみなさんと共有してみた。
いままで解決しにくかった問題が、すっきりして、解決の糸口が見えたようで、その方のようすが徐々に落ち着いていくのがわかる。
それをほかのみなさんも共有して、その場がほっこりする。
しんみりした沈黙がやってくるのは、このワークで私がいちばん好きな瞬間だ。

そうやってニーズにとどいたあとは、深い自己共感が必要で、そこからあらたな行動が生まれてくる。
というようなことを自分自身にもいいきかせる時間でもあった。

最後に恒例のミニライブ。
野々宮卯妙が私の近作「待つ」の抜粋版を用意していて、それを読んでくれた。
私はミニマムライブセット(ミニキーボードをMacBookProに接続し、モバイルスピーカーから音を出す)で演奏共演。
みなさんには全身で受け取ってもらえた感じがあって、ありがたかった。

つぎのオハナ共感カフェは2月1日夜の開催が決まっています。
それまでにも何度か共感カフェがあちこちで開催されるので、興味のある方は参加してみてください。

共感カフェ@羽根木の家(12.30)
12月の羽根木の家での共感カフェは、12月30日(金)19〜21時です。

2015年12月6日日曜日

大阪「けさもり」公演はディープに楽しかった(3)

12月5日、土曜日。
さすがに前日の夜中近くに食べすぎたので、朝食は抜き。
ホテルをチェックアウトして、9時すぎに〈座・九条〉入り。
すでに仕込みは終わっているので、微調整と、客入れ前の整えのみ。

早めの昼食に、バラさん・杪谷と3人で近くの商店街まで出る。
うどんでも、といって出たのだが、うなぎのチェーン店があったので(私はこの店を知らなかったが、全国チェーン店らしい)、釣られてそこにはいる。
小ぶりのうな丼をいただく(とくにおいしいというわけでもなく)。

会場にもどり、12時半開場、13時開演。
これが2回めの公演。
入場者はいちばん多く、席がかなり窮屈になった。
私は音のセッティングを変え、初回とはちがう音作りで。
ちがう音をとくにねらったわけではないが、端的にいえば初回とおなじ風には弾けない、そもそも即興なので、ということだ。

バラさんも、初回のときに打ち合わせにないアドリブで出たり、大阪弁をまじえてフザケたりと、客受けしたものを「封印する」といっていながら、2回めもやはりアドリブやら大阪弁やら駆使してノリノリなのであった。
くぼりょも気合がはいっていて、身体を張ってがんばっていた(という感じがした)。

バラさんは客席をぐるりと取り囲むように動線を描き、ときに私が演奏しているすぐそばで朗読したりしていたのだが、途中で私がちょっとふざけて声にあわせてフレーズをからめたりしていたら、それとのやりとりをしたりはずしたりとちょっと遊んでしまって、思わず吹きだしそうになってしまう場面があった。
お客さんはだれも気づかなかっただろうが。
まあ、そういうことも本番の楽しみのひとつではある。

くぼりょとの距離は遠かったので、音以外ではほとんどからめなかった。
お客さんも私の存在はほとんど気にしていなかっただろう。
最後の挨拶でバラさんが私を紹介してくれたとき、初めて気づいたようにこちらを振り返る人が何人かいたくらいだ。

楽しく2回めを終え、客出し。
会場整理。
すぐに3回め、15時開場、15時半開演。

3回めも気のおもむくまま、自由に楽しくやらせてもらう。
3回とも非常にクオリティの高いパフォーマンスとなったが、それぞれ違ったおもむきがあって、私は大変楽しかった。

全部終わって、客出しもすんだら、なにごともなかったかのようにすばやく撤収。
私も楽器や機材をさっさと片付けて、あとは照明や美術の撤収を手伝う。
午後5時すぎにはきれいに片付いて、会場も現状復帰。
すこし名残り惜しかったが、さっぱりと解散して、私はひとりで新大阪に向かった。

新大阪からは新幹線であっという間に品川へ。
井の頭線に乗り換えの渋谷駅の窓からは、スクランブル交差点の手前の樹木にイルミネーションが点灯し、すっかり年末の風景になっている。

羽根木の家にもどったら、コロンビアからやってきたNVCトレーナーのホルヘとコアメンバーの何人かが来ていたが、ホルヘは時差ぼけですでにお休み。
ほかのメンバーも近くの銭湯に行ったとかで、以外にも静かだった。
私はそのまま自室にもどり、荷物を片付けてから早めに就寝。

楽しい大阪行きだった。
よい出会いもあった。
これを企画してくれたくぼりょこと窪田涼子には心から感謝したい。
ありがとう。

大阪「けさもり」公演はディープに楽しかった(2)

くぼりょがとってくれたのはなんばというか日本橋のスーパーホテルというところで、ここは私は知らなかったのだが、有名なホテルチェーンらしい。
そっけないけれど、さりげなく行き届いていて、泊まるだけなら十分にして心地いい。
ベッドも広くて、ぐっすり眠れた。

朝食も普通。
過不足なく、気を使わない。

12月4日、金曜日。
杪谷は仕込みのためにひと足先に会場に向かった。
私とバラさんとえい子さんの3人で、阪急だか近鉄だかわからない線で九条に向かう。
まずは美術(舞台)のセッティング。
それから照明。
客席のセッティング。
手練れが揃っているので、なんの心配もない。
私も自分の楽器のセッティングをすることにした。

スピーカーが使えないので、ホテルの近くのビックカメラまでもどって、外付けのスピーカーをゲット。
それをMacBookに接続して、無事に音出し成功。
MacBookの音源をMIDIでキーボードからコントロールし、かつキーボードのスピーカーからも別の音を鳴らすという、そこそこ使えるデュアル音源体制を作る。

セッティングが終わったところで、段取りの確認のためのリハーサルを兼ねた場当たり。
照明がはいると、中村えい子さんの舞台美術がとても映える。
一方、私は客席後方の、だれからも見えない位置で演奏。

あとで聞いたのだが、お客さんのなかには最後まで、演奏がライブだったと気づかなかった人がいたそうだ。
そして大部分の人が、即興演奏だとは知らなかっただろうな。

夕方になって名古屋から理子さんがやってきた。
知多から野崎紀子さんも手伝いに来てくれた。
ほかにも受付などの手伝いに何人か、スタッフは充実して、出演者も来客も安心できる体制だった。
げろきょの野々宮卯妙も東京から駆けつけてくれた。

19時に客入れ、19時半きっかりにいよいよ本番の1回めがスタート。
暗転。
オブジェへの照明。
演奏スタート。
暗転のなか、くぼりょが舞台へ。
音楽終わりでバラさんが客席後ろから入場、朗読スタート。

という段取りだったのだが、私が段取りを勘違いしていて、ちょっと手順が狂ってしまった。
というようなことは、しかし、お客さんはだれも気づかなかったであろう。
あとでさんざん笑い話にはなったけれど。

非常に濃密な音と空間の60分、お客さんも多くの方がずっと集中して参加していたようだ。
私も電子楽器という、身体的には不自由なものを扱う演奏だったが、集中してやれた。

音楽は空間と時間の質を変えることができる。
また、朗読者とのやりとりのなかで、パフォーマンスの質そのものに介入できるおもしろさがある。
これに信頼できる照明と、照明のなかで変化していく生きもののようなオブジェが加わって、おもしろくないはずがない。
いやいや、楽しかった。

終わって、お客さんたちとしばらく交流したあと、かるく片付けて、スタッフと知り合い、総勢12名でなんばへ移動。
最終日に打ち上げの時間が取れないので、初日に打ち上げてしまおうということになっていた。

お好み焼きの有名店〈千房〉へ。
飲み食いしながら、この日の話、昔の話、将来の話、11時半近くまで話に花が咲いた。


ホテル組はそのまま歩いて部屋にもどり、この日も私はぐっすり眠った。