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2015年11月30日月曜日

北陸帰省、病院コンサート、語人・小林サヤ佳

先週は大阪での「袈裟と盛遠」公演のリハーサルのあと、そのまま北陸の実家に帰省した。
北陸だから、というわけではなく、全国的に冷えこんで、実家では今季初の薪ストーブに火をいれる。
あったかいにゃー。

木曜日、ひさしぶりに地元の蕎麦屋に行ってみようと思って出かけるが、木曜日は組合で申し合わせでもしているのか、一斉に休業。
やっとあいている店を見つけてはいったが、これがまあ残念な結果に。
欲求不満をかかえたまま東京に戻りたくなかったので、最後の日の朝から自家製手打ち蕎麦をいただく。
いつものように、大根のおろし汁で醤油を割っただけのだしと、薬味はネギだけで。
これは何度食べても絶品。
きみは食べずに死ねるか?

この日はさらに冷えこんで、うっすらと雪化粧。
福井県立病院で数か月おきにやっているボランティア・ピアノコンサートに行く。
あいにくの天候にもかかわらず、たくさんの人が聴きに来てくれて、気持ちよく1時間の演奏を楽しませてもらった。

福井駅からしらさぎと新幹線を乗りついで、名古屋へ。
名古屋駅から地下鉄の豊田市駅直通の便に乗って、豊田市へ。
語人・小林サヤ佳ちゃんの語りの会のリハーサルを、会場のとよた科学体験館小ホールでおこなう。

その夜は豊田のビジネスホテルに泊まり、翌日も朝からホールでリハーサル。
多くの人に支えられながら、しかし90分以上の語りをほとんどひとりで語りきるサヤ佳ちゃんの成長に、いまさらながら驚く。
彼女が私のところにやってきたのは14歳のときで、以来13年間、ずっとサポートをつづけてきたわけだが、あらためて感慨深いものがあった。

お客さんがたくさん来てくれて、予定していた席が足りなくなったほどだった。
プログラムも長尺にも関わらずみなさん集中して聴いてくれたし、お母さんやスタッフのみなさんにも喜んでもらえてうれしかった。
大変充実した会として成功だったのではないかと思う。

今後音楽面でサポートしてくれることになっているチェロ奏者の岩城さんや増田さんと、終わってからコーヒーを飲みながらすこし歓談してから、みなさんに別れを告げて名古屋に向かう。
名古屋からは新幹線であっという間に東京にもどってきた。

※朗読「袈裟と盛遠」
日時:2015年12月4日(金)19時半~
         12月5日(土)13時~、15時半~
会場:座・九条(大阪)
料金:前売1,500円、当日1,800円
予約:劇団クセックACTホームページ予約フォームよりお願いします

2015年11月26日木曜日

ひさしぶりの刊行準備『HiYoMeKi Vol.5』

げろきょのテキスト表現ゼミ(次世代作家養成ゼミともいう)では、毎回、お題を設定して短文を書いてきてもらうのだが、そのなかからおもしろい作品をピックアップして機関誌を出している。
『HiYoMeKi』というタイトルで、電子書籍と紙本の両方で出しているのだが、現在、Vol.4まで出ている。

しばらく間があいたが、いまVol.5の刊行準備に取りかかっている。
すべての作品に私のコメントをつける作業をしている。
そのいくつかを紹介しておきたい。
こんな感じ。

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 いつもしつこく書いていることだが、長く書くより、短く書くほうがずっとむずかしい。だれもが身に覚えのあることだと思うだろうけど、人は書きはじめるとどんどん書きたくなる。饒舌になって、自分が不要なことばを書きつらねていることにすら気づかなくなる。人に読ませるものを書く人間は、ここのところをきびしくいましめたい。
 百枚の小説を五十枚で書けなかったか。十枚のエッセイを三枚で書けなかったか。千字のテキストを三百字で書けなかったか。二十行の詩を三行で書けなかったか。佐藤ほくを見よ。
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結婚披露宴という「非日常」が接続してうんざりするほどの「日常」を、叔母の「茶寮」と叔母の存在そのものと対比することで、立体的に切りだすことに成功している。日常と非日常、うんざりする作業と静謐なたたずまい、これらがたんに対照的に配置されているだけではない構成に、テキストのほとんどが「説明」であるにもかかわらず小説として成立している。
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文体は身体である。もしその文書を読んでから書き手を見たとき、文体と身体の印象がずれていたとしたら、その書き手は文体もしくは身体のどちらかに、あるいは両方に、嘘をついているのだ。
 山口世津子の書いたものを読んでから実際の山口世津子に会ってみると、たいていの人は「ああ」というだろう。
 ちなみに、私・水城の文章を読んでから私に会った人の多くが「えっこんなおじさんだったんですか」という。
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照井数男はプロの数学研究者である。プロの、というのも変だな。数学研究者である。これでいいか。
 現在、パリ在住。パリの大学で現代幾何学の共同研究にいそしんでいる。それとこのテキストとどう関係があるのか。「ある」と書いて、その裏付けをひねりだそうと思ったが、やめた。関係があってもなくてもいいのだ。読み手はただその不思議な味わいをじっくりと味わい楽しめばいいのだ。書き手が小説家であろうが、主婦であろうが、ピアニストであろうが、女子高生であろうが、数学者であろうが、ただ前提や判断なく味わってみるということができるかどうか。そのことのいかに難解なことよのう。
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次世代作家養成ゼミ(11.29)
身体性にアプローチするという斬新な手法でテキスト(文章/文字)を使った自己表現を研究するための講座。11月29日(日)夜のテーマは「構成・プロットの立て方/そのエチュード」。単発参加も可。

2015年11月25日水曜日

私の身体観——昭和前半生まれ、田舎育ちの

劇団クセックACTの創立35周年記念誌をいただいた。
パラパラとめくっていたら、年譜に私が脚本を提供した事実も記載されている。
『エロイヒムの声』
なるほど、あれは1987年のことだったんだ。

ご存知の方はご存知だと思うが、クセックという劇団は徹頭徹尾、身体(肉体)に向かい合う。
これはあまりご存知の方は多くないだろうと思うが、劇団の基礎訓練というと、えんえん声を発しながらすり足を繰り返したり、足踏みしたり、つまり声と身体——とくに下半身から声を作ることを徹底的に訓練する。
それはもう壮絶な訓練で、こういう劇団にだれも入団したいとは思わないだろう(汗)。

『エロイヒムの声』上演時には私はすでに職業作家になっていて(30歳)、あまりに身体を使わない生活になってしまったものだから、危機感をおぼえて近所のプールに通いはじめたばかりだった。
危機感をおぼえたのは、重いものを運ぼうとしてぎっくり腰になったからだ。

しかし、もともと、身体を使うことは嫌いじゃない。
というか、いつも意識することなく、身体を使うことをやっていた。

それは、昭和32年という文明がまだ勃興する前の(笑)、しかも田舎の山間部という辺境の地で生まれ育ったということも関係するかもしれない。
文明がまだなかったので、遊びといえば外遊び。
野山や川で泥だらけになったり、虫を追いかけたり、マムシやスズメバチやアブに噛まれたりして遊ぶ。
おもちゃといえば、竹鉄砲や草笛、笹舟、せいぜい空き缶。
そういうもので街灯もない屋外で真っ暗になるまで、年齢のまちまちな子どもたちが入り混じって遊ぶ。

夏は水遊び、冬はソリやスキーばかりやっていた。
中高生になって色気づいたころから、ブンガクだのエンゲキだのにはまっていったが、それでも公共交通機関のない田舎町で毎日、自分の足で走りまわっていたにはちがいない。
釣り好きだったし。

そんな田舎カラダニンゲンの私が、身体から遠ざかってしまったのは、30代以降、職業作家になってからだ。
せいぜいプールには通っていたが、意識としては「運動不足の解消」程度で、自分の「身体」に目をむけていたとはいえない。

ふたたび自分の身体に興味を持ちはじめたのは、50歳をすぎてから、朗読表現と向かい合ったり、即興演奏で朗読と共演するようになってからだった。

最初は自分の身体の使い方が気になった。
アレクサンダーテクニークによって、ピアノの音色がいきなり変わったのには驚いた。
また、朗読演出では、朗読者に身体の使い方を変えてもらったとき、その声や表現が劇的に変化するのもおもしろかった。

ヨガや合気道もかじってみた(職業作家時代にすこしだけ極真空手に入門したこともある)。
そのたびにすこしずつ気づきがあった。
が、もっとも大きな変化と気づきがやってきたのは、韓氏意拳に出会ってからだった。
これは万人に向いているかどうかとなると断定はできないが、すくなくとも私には向いていた。
それまで経験したボディワークや武道がすべて「雑」に感じた(たぶんそれは事実ではなく、自分の姿勢が雑だっただけだろうと思う)。

韓氏意拳では緻密に、非常に深く、念入りに、注意深く、自分の身体にアクセスしていく。
それまでまったく見えていなかったリアルな身体が見えてくる。
リアルな身体は、じつはまったく手ごたえがなく、空虚ですらある。
そこからなにが生じるのかは、自分自身にすらわからない。
それが真実であり、本当の身体なのであるということを、思い知ることになった。

自分が「こう」であり「こんな感じ」と思っているものとはまったく別のところに、本当の自分の身体があり、運動の生じるきっかけがある。
それを知ったのは大きかった。
なんについて大きかったかというと、私の表現行為にあたえる影響が大きかった、ということだ。

書くものも、演奏するものも、演出すなわちコミュニケーションにおいても、すべてが大きく変わった。
変わった、というより、それはそもそも私のなかにあるものだった。
見えなくなっていたそれが、ふたたびかすかに見えるようになってきている、といったほうがいいかもしれない。

北陸特有の重たいボタ雪が吹きすさぶ河川敷を、母親が編んでくれた毛糸の帽子を目深にかぶり、しもやけの手でストックを握りしめてスキーで滑りまわった感覚が、わずかずつながらやがて60に手が届こうという男の身体によみがえってくる。
これが「武術」だというんだから、おどろきだよね。

羽根木の家で韓氏意拳初級講習会(11.29)
内田秀樹準教練による韓氏意拳の体験&初級講習会@羽根木の家を11月29日(日)に開催します。自分の未知の身体に出会えるユニークで注目の武術です。どなたでもご参加いただけます。

2015年11月24日火曜日

東海、北陸、海、川、湖

12月4日(金)と5日(土)に大阪でおこなう「袈裟と盛遠」3公演のリハーサルに、名古屋に行く。
朗読公演で、出演は名古屋の榊原忠美(バラさん)と大阪の窪田涼子(くぼりょ)。
私は音楽演奏で参加。

バラさんと私、あるいはくぼりょと私、という組み合わせではこれまでしばしば公演・ライブをおこなってきたが、この3人で、というのはひょっとして初めてかもしれない。

東京から名古屋にむかう新幹線のなかから、熱海の海を見ていて、突然ひらめいた。
私の東京・世田谷での生活も15年になろうとするが、どこか決定的にここが自分の場所という感覚を持てずにいた。
下北沢の近くの、羽根木という古くて静かな住宅街の、緑も多く、早朝に散歩するとここは軽井沢かと思うほど気持ちのいい地域なのだが、決定的に私には足りないものがある。
それは海だ。

海というより、水といってもいいかもしれない。
私が生まれたのは九頭竜川というとうとうと流れる河のほとりで、それはしばしば氾濫して災害をもたらしていたのだが、豊かな水量がもたらす恵みは大きかった。
学生時代は京都ですごしたが、学校にはほとんど行かず、琵琶湖にいりびたってヨットばかり乗っていた。

私は大量の水に接している生活が自分のベースになっている。
これは身体感覚としてあるようだ。
だから、プールで泳ぐのも好きなんだ。

しかし、最近はプールにも行っていないし、海も見ていない。
毎月のように実家に帰っても、その河は巨大ダムにせきとめられ、流量がコントロールされている。
湖でもいいのかもしれないが、世田谷には湖はない。

というようなことをかんがえながら、名古屋に移動し、それはそれとして「袈裟と盛遠」のリハーサルを楽しく終える。
借りた場所に楽器がなかったので、作曲家の坂野さんからお借りしたカシオトーンみたいなキーボード(ヤマハだけど)を使って音出しをする。
これがけっこう使えるやつで、立ち会ったみなさんからは「音楽がはいると全然ちがう」といってもらえた。
本番も(大胆にも)これでやろうかな。
会場にもピアノはないのだ。

夜は栄で飲み会。
これも楽しかったな。
朗読家の野崎紀子さんも参加してくれたので、バラさんとふたりで演劇論やら朗読論をまあ好き勝手にほざく、ほざく。
さぞかしうざいじじぃだったにちがいない。

そのまま名古屋に泊まって、今日は北陸の実家に移動。
今日はじつに冬の北陸らしい空模様。

※朗読「袈裟と盛遠」
日時:2015年12月4日(金)19時半~
         12月5日(土)13時~、15時半~
会場:座・九条
料金:前売1,500円、当日1,800円
予約:劇団クセックACTホームページ予約フォームよりお願いします

2015年11月21日土曜日

少人数講座をふたコマ、じっくりと

木曜日の夜はオーディオブック収録製作コースを、今日の午後はボイスセラピスト講座を、いずれも少人数でじっくりと開催した。
羽根木の家にやってくる人たちは、学びだったり好奇心だったり、あるいは自己の成長だったり、さまざまなニーズを持ってやってくるが、いずれにしてもそのニーズに深く貢献するためには、まずはつながりの質が重要なのだと実感している。
私の側にね。

私にもニーズがあって、それは貢献だったり、能力だったり、表現だったりするわけだが、それらをしっかりとホールドした上で参加者とのつながりの質をいかに確保するか、そこが最重要課題だ。
つながりの質が確保できれば、あとはなんでもできる。
どんなことで表現できるし、受け取ったり、贈りあったりもできる。
そこにはいきいきとした交換と創造性が生まれる。

少人数であっても、私と複数の参加者という一対他の構図がある。
ニーズの異なる参加者同士でつながりあうことが難しくても、ファシリテーターである私とそれぞれがつながることで、全員のニーズをホールドしたまま進めていくことができる(難しいけどね)。

木曜日のオーディオブックコースでは、オリジナリティとはなにかというテーマにそったエチュードをおこなった。
今日のボイスセラピー講座は最後にリアルな自分の感覚につながるための音楽瞑想をすこしやってみたりした。
いずれも私自身の能力をたくさん使って学びの場に貢献できたように感じて、いまは充実した疲れのなかにいる。

現代朗読も音読療法も、これからとくに力をいれてみんなとのつながりの質を確保していきたいと思っていて、そこからどんなことが生まれてくるのか、楽しみなのだ。


そこの部分にもっともっと力と能力を傾注していきたい。

2015年11月20日金曜日

げろきょ放送部発足!

げろきょこと現代朗読協会にはさまざまなニーズを持った人がやってくる。
朗読はもちろんのこと、テキスト表現、音楽、共感的コミュニケーション(NVC)などなど、いずれにしても学びと好奇心のニーズに満ちみちた人たちだ。
もちろん私もその一員だ。

げろきょの活動拠点は世田谷・羽根木にある築80年の古民家で、この季節になると、なんと掘りごたつが設置される。
掘りごたつのなかには猫アイドルのムイちゃんがいる。

猫、古民家、掘りごたつ、学びと好奇心、共感的につながった仲間たち。
いいでしょう?

というような話をしたいのではなくて、標題について書きたいのだった。

朗読といっても、みなさんのやりたいことはさまざまなバリエーションや温度差がある。
バリバリにライブや公演をやりたい人もいれば、オーディオブックを作りたい人、ただなんとなく参加している人、おもしろそうなことがあれば首を突っこみたいけれど自分からは積極的に動きたくない人。
いずれの参加方法もげろきょでは「あり」で、許容されているし、なにかを強制するようなこともない。
それぞれがそれぞれのやりたいことを、やりたいようにやるというスタイルで全体が動いている。

最近、ラジオドラマを作りたいという人たちが何人か出てきた。
実際に収録をやってみたりしている。
また過去にはネットラジオを定期的に放送していたこともあって、そのときのコンテンツが「アイ文庫オーディオブック・ライブ」としてダウンロードサイトで販売されている。

ライブ表現とはちがって、録音・収録される音声コンテンツを作りたいという人は多く、また私も嫌いではない。
ただ、これをやろうとすると、これまで機材の扱いから音響のセッティング、編集、マスタリング、そして演出や企画・制作にいたるまで、すべて私ひとりの仕事としてのしかかってきていた。
そのために息ぎれしてやめてしまったものが多い。

このたび、それら私ひとりが担当していた技術を、みんなで共有して、私だけでなくだれかが何人かいれば収録コンテンツを作れるようにしよう、ということになり、げろきょ内で「放送部」を立ちあげることになった。

放送部は「げろきょチャンネル@羽根木スタジオ」としてさまざまなコンテンツを送出していくことをめざす。
予定としてはいまのところ、

 オーディオブック
 公開録音ライブ
 ラジオドラマ(シナリオライティングを含む)

などをかんがえている。

高品質のオーディオブックを収録製作するノウハウを、読み手とディレクターの両面からサポートしているのが、「オーディオブック収録製作コース」だが、こちらのアウトプットとしてどんどんオーディオブックを作っていきたい。

以前おこなっていたネットラジオ放送を、公開録音ライブとしてある程度定期的におこない、そちらで収録されたおもしろいコンテンツはどんどんオーディオブック化したり映像化していきたい。

次世代作家養成コースから生まれてくる書き手や作品とリンクし、随時ラジオドラマを製作し、ネット配信していきたい。

これらに興味のある人は、一度げろきょゼミに体験参加してみるべし。
どなたも歓迎なのだ。

2015年11月19日木曜日

四茶のげろきょオープンマイク、最終回マイナス1

2015年11月18日、夜。
毎月恒例の三軒茶屋の〈四軒茶屋〉でのげろきょオープンマイクを開催。
今回は参加者がすくなく、事前に私は寂しさを感じていたのだが、はじまってみるとなんだかゆったりと暖かな雰囲気があって、とてもリラックスして楽しませてもらった。

毎回、参加者にそれぞれエントリーしてもらって、名前と演目ジャンルをにらみながら、出演順を私の独断で決めて、
「つぎはだれそれさんです」
みたいにその場で発表してすすめるのだが、今回は、
「つぎにやりたい人は?」
と、参加者たちに希望を聞きながら、やりたい人からやってもらうことにした。

トップバッターはめずらしく野々宮卯妙が積極的に手をあげて、私のテキスト「エロイヒムの声」の一部を、私のピアノ演奏といっしょに。
ミニマルミュージック的な音を、というリクエストがあったので、そんな感じではじめたのだが、やはり途中から反応が起きてきて、私は大変スリリングで楽しくやらせてもらった。

ポエトリースラム・ジャパンで準決勝まですすんでつよい印象が残っていた笹田美紀さんが初めて参加してくれた。
ポエトリーリーディングとはまたちがった、ピアノを演奏しながらの語り、そして力強い歌を聞かせてくれて、びっくりした。

ゼミ生のてんちゃんが連続朗読シリーズの『武装せる市街』を、私のテキスト「ミラグロ」と合体させてやってくれて、これもおもしろかった。

何度か参加してくれている梓ゆいさんが、今回もお父さんについてのしんみりしたり、クスッとしたり、暖かかったりする詩を読んでくれたが、私もピアノでからめて楽しかった。

二度目の参加になるのかな、あかつきえにしさんが安定した朗読を聞かせてくれて、私にしてはめずらしくストーリーに思わず聞きいってしまうという不覚(笑)をとられてしまった。

小さいお子さんがいるために(前回はいっしょに来てくれた)夜は出にくいというなかを、今回も都合をつけて手伝いに来てくれた森沢幸さんには感謝。
彼女といっしょに一年間やってきて、だれもが安心して無防備にのびのびと表現できる共感の場を作りたいという実験は、あと一回をもってひとまず区切りをつけることになった。

来月16日(水)夜がこのオープンマイクの最終回となる。
とはいえ、げろきょは今後も共感的な表現の場作りから離れるわけではなく、さらに力を集中して場作りを進めていく予定である。
よかったら、四茶では最後になるオープンマイクイベントに、みなさんお越しください!

詳細と参加申し込みはこちらから。

決定版『共感的コミュニケーション』(電書/紙本)発刊しました

決定版ともいうべき電子書籍(Kindle)『共感的コミュニケーション』が発売になりました。

すでに刊行ずみの〔入門編〕と〔応用編〕を合わせ、さらにそれぞれとおなじくらいの分量の加筆と修正を加えたもので、紙本にすると260ページくらいになります。

Kindle版のみの発売となります。
価格490円ですが、アマゾンのプライム会員なら無料です。
こちらからどうぞ(画像をクリックしてもジャンプします)。

紙本は1,500円です。
共感的カフェなどで販売しますので、必要な方は直接お知らせください。

2015年11月18日水曜日

他人のニーズに手を出すな

昨夜は草加でのJugem共感カフェだった。
いつもの参加者数人に加え、ひさしぶりの人、初めての人などが参加して、ひときわ楽しくやらせていただいた。

ひときわ、というのは、昨夜は私は体調はいまいちだったのだが、なにか自分のなかでいきいきしているものがあって、それはもちろんNVCでいうところの「ニーズ」なのだが、満たされているもの、満たそうとしているもの、満たされていないもの、それらのニーズがたくさん息づいているのを感じて、活力に満ちていたのだ。
最近、こういうことが多い。
マインドフルネス/気づきの状態が平常で継続し、深まることが増えてきたからのように思う。

昨夜もいろいろな話が出たのだが、博子さんが持ちだしたトピックで、相手のニーズを満たそうと気遣うあまり自分のニーズがおろそかになりがち、そういうときはどうしたらいいのか、ということが話題になった。

私たちはだれもが人の顔色をうかがう天才で、最近ではそれを「空気を読む」などといって要求されることもあるが、幼いころから親の、先生の、友だちの、上司の顔色を無意識にうかがってしまう癖を身につけてしまっている。
不機嫌そうな人がいると、なんとなくそれを自分の責任のように感じて、なんとかしようとご機嫌をとる行動に出たおぼえはないだろうか。

そんなとき、相手のご機嫌をとる前に、まずは自分自身につながる必要がある。
自分が感じている不安、落ち着きのなさ、もやもやした気持ち、それらはいったいなんのニーズから来ているのか探り、つながる必要がある。
そうした上で、相手のニーズを推測したり、実際に聞いて共感してみる。

相手のニーズにつながったとしても、そのニーズを満たすことに責任を感じる必要はない。
相手のニーズは相手にしか満たせない。
相手のニーズを知り、尊重することは大事だが、自分のニーズと相手のニーズとは別のものであって、切りはなしておく必要がある。
もし自分のニーズに、相手のニーズを満たすためのお手伝いをしたい、というものがあればそういう行動に出ればいいが、なければ相手の不機嫌さに責任を感じる必要はないのだ。
しっかりと自己共感して、マインドフルになって自分の落ちつきのなかにいたい。

そんな話をみなさんと共有して、楽しくいきいきとすごさせてもらった。
帰りはがら空きの電車のなかで、途中まで参加者といっしょにおしゃべりしながら、そしてあとはのんびりとひとりでひさしぶりに音楽を聴きながら帰ったのだった。

2015年11月17日火曜日

羽根木みつばちの蜜蝋クリーム作り

今日・火曜日は羽根木みつばち部の定例活動の日だが、来れる人がいなくて、それでもみおぎさんが来てくれた。
みおぎさんは蜜蝋クリームの作業をしに来たのだが、その前に養蜂箱の作業を手伝ってもらう。

数日前に後藤さんのところから借りてきた日本みつばちの群を、弱体化した羽根木みつばちの群の上に乗せ、網で仕切っておいたのだが、その網を撤去する作業。
これを「合同」といって、弱った群を復活させるテクニックのひとつとして用いられる。
うまくいくかどうかはまだわからない。
とにかく、やれることはやってみる。

そのあと、蜜蝋と蜂蜜を使って、それらをひまし油やマカデミアナッツオイルと合わせて、蜜蝋クリームをみおぎさんが作る。
小さなケースに充填して、みなさんにお分けできるようにする。
これはハンドクリームやリップクリームとしてとても安全で使いやすいものだ。

ちょうどその作業の合間に、注文してあった養蜂のバイブルともいうべき書籍『近代養蜂』が届いた。
じっくり読みこんでみよう。

自分の命を使いつくしたい/輝かせたいというニーズ

NVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)を体系化したマーシャル・ローゼンバーグは、NVCの目的を「人生をすばらしいものにする」とよく述べていた。
「人生」も「すばらしい」も、これらの言葉は日本人の私にはなんだか翻訳調で、ちょっとこそばゆくて使いにくいように感じるときがあったのだが、たぶんこの記事の標題とおなじことを表現したいんだと思う。

NVCでいうところのニーズ(ひとりひとりが持っている価値、大切にしていること、必要なこと)のなかに「命の祝福(celebration of life)」というのがあって、なんのこっちゃと思っていたんだけど、あるときコアメンバーの女性たちが「もったいないというのは命の祝福のニーズだよねー」と話しあっているのを聞いて、自分にも腑に落ちるものがあった。

私にも「もったいない」という気持ちがあって、それはせっかくこうやって世に生まれてきたんだから、自分自身の生命を生かしきりたい、自分の楽しみはもちろんのこと、人の役にも立ちたい、社会のつながりのなかで自分自身がいきいきと輝ききりたい、そして最後はまばゆく燃えつきていきたい、というようなニーズが自分にあることがわかったのだ。
それに共感してくれる人はすくなくない。

いまの私のなかには「命の祝福」のニーズが強くあって、しかもそれは満たされていない感じがある。
たしかにいきいきとあるのだが、自分で祝福できていない。

私が50代をすぎて体系化してきた現代朗読にしても音読療法にしても、また音楽瞑想やあたらしい表現への挑戦にしても、まだまだやりきれていない。
この「やりきれてない感」をかかえたまま老いていき、この世からおさらばするのは、それこと「もったいない」と感じる。

人々に貢献したい、という気持ちは、べつのいいかたをすれば、みなさんに自分を使いきってもらいたい、利用しつくしてほしい、ということでもある。
いまの私は、もっともっと知ってもらって、使いつくしてほしい、利用しきってほしいという切望でいっぱいだ。
おなじような気持ちを持っている人たちとつながっていけたらうれしい。
みなさん、どんどん声がけしてね。

「沈黙[朗読X音楽]瞑想」10月公演の当日パンフ

なにごとかを突き詰めて探求していくと、しだいに理解者の少ない世界へとはいっていく。
 たとえば、骨董品の世界はどうだろう。私にはどう見ても、ただの古ぼけた欠けた茶碗にしか見えないものが、何百万円という価格で売買されていたりする。私にはわからないが、骨董品を探求しその価値がわかる人にとっては、貴重なものらしい。
 私にわかるのはせいぜい、日用品の世界。これは使いやすい茶碗だね、とか、模様がいいね、とか、軽くてしかも割れにくいね、といったレベル。
 表現の世界でもおなじようなことがいえることがある。たとえば音楽の世界では、だれもがわかる歌謡曲やポップス、童謡や唱歌がある。ある曲が演奏されれば、それがだれがどのように演奏されていたとしても、聴き手はまず「知っている曲」として受け取る。たくさんの聴衆に受け入れられる。
 その音楽も突き詰められていくと、難しい構成、聴いたこともないサウンド、よほどの聴き手でなければわからないスリリングなコミュニケーションや偶然性を求める即興演奏など、理解者はピラミッド構造の頂点にちかづいていくように少なくなる。
 表現をしていると――いや、なにごとをやっていても、自分はどの世界をめざすのか、という選択をたえず迫られる。多くの人に受け入れられる、わかりやすくて平易で表面的な世界をめざすのか、あるいは、だれもが到達しえないような孤高の世界をめざすのか。
 それは両立しえないものなのか。
 このジレンマに直面している表現者を見るとき、私はその苦しさと正直さに共感する。

2015年11月16日月曜日

音読療法についての確信と展望(まどか富士見台のケアワークを終えて)

今日は毎月おこなっている特別養護老人ホーム・メディカルホームまどか富士見台でのいきいき音読ケアに行ってきた。
音読トレーナーの片岡まゆみと松原あけみが行けるというので、私は休ませてもらおうと思ったのだが、直接話をしたくてやはり行くことにした。

実際にはあまり時間が取れなくてゆっくりふたりと話はできなかったのだが、これまでボイスセラピー講座を受講したみなさんと直接じっくりと話していきたいという気持ちがとても高まっている。
コミュニケーションベースがしっかりすれば、そこからきっと創造性のあるものがたくさん生まれてくるだろうと思うからだ。
私が主導でものごとを進めていくのではなく、音読トレーナーのみなさんが創造的なコミュニケーションをつづけていくなかで、仕事や事業が生まれていけばすばらしいと思うのだ。

まどか富士見台は先月も訪れたので、私のことをおぼえている人も何人かいるようだったし、あたらしく入所された方の顔もあった。
新規の方は最初はちょっと緊張ぎみだったが、話したり、ワークがすすんでいくうちに、どんどんほぐれてきて、後半では大きな声でワークに積極的に参加されていたのが印象的だった。

いつものことだが、ワークがすすむにつれ、みなさんの血色と表情がどんどん明るくなっていくのがはっきりとわかる。
みなさんの顔をビデオを写したものをお見せしたいほどだが、それができなくて残念。
本当ならこういうワークを毎日のようにやれたらと思う。
そしたらみなさんの健康状態の向上にどれだけ貢献できるだろうかと想像できる。
そのことについてはかなりの確信がある。

音読療法はほかにも、介護予防の分野で大きな貢献ができると私は確信している。
具体的な案もたくさんある。
これからいろいろなところに提案していきたいと思っているのだが、残念なことにそのような活動を継続するにも動ける音読トレーナーがあまりにすくない。
ボランティアのワークもあるが、今後独立した仕事としてやっていく方法もたくさんあるはずだ。
それらを試したくても、トレーナーがいなくて活動の場を広げられないのが、いまの最大のジレンマだ。

興味のある人はまずはボイスセラピー講座から来てみてほしい。
それから、すでに受講した人たちに動きがないのも寂しい。
せっかく知識と技術を得たのだから、自分自身とまわりの人の役に立てるチャンスをうかがってほしいな。
お待ちしてますよ。
まずはじっくりと話をして、あらたなステージへといっしょに進んでいきましょう。

ボイスセラピー講座(11.21)
11月21日(土)13:00-17:00は羽根木の家で音読療法協会のボイスセラピー講座です。呼吸、声、音読を使っただれにでもできるセラピーで、自分自身と回りの人を癒してください。

2015年11月15日日曜日

安心安全な場でそれぞれが成長していくのを目撃する幸せ

今日の午前中は現代朗読基礎ゼミを開催。
そろそろこたつを出そうかと思っているのだが、今朝は意外に暖かかったので、見送り。
しかし、そろそろ出したい。
こたつを囲んでのゼミや共感カフェはなかなか楽しいのですよ、みなさん。

基礎ゼミでは最初にじっくりいろんな話を聞き合う(雑談ともいうが(笑))。
こういう時間は大事。
それからいつも基礎トレーニング、そしてエチュード。
朗読エチュードはいつもあまりやらないコミュニケーションのエチュードをやってみる。
たくさんの気づきがあって、おもしろかった。

古くから来ているゼミ生も、最近はいったゼミ生も、それぞれ自分自身にたいする注意深さがあって、緻密になっていた。
その証拠ともいうべき現象として、実際に朗読してもらったとき、自分自身を読み飛ばさない注意深さのなかに、自然でたくらまない正直さがあらわれてきて、ちょっと感動した。

終わってから、てんちゃん・満里菜と3人で小春食堂に行って昼食。
そのあと、夕方の朗読ライブの稽古まで時間があるという満里菜と羽根木公園に行って、ビオキッズというイベントをのぞく。
カフェ・オハナや気流舎、くるくるマーケットが出店していて、挨拶してくる。
桃ちゃんのできたてカレンダーや、オハナの塩麹ビスケットを購入。
横浜シュタイナー学園のブースにもちょっと顔を出した。

夜はテキストゼミだったが、奥田くんひとりだったので、オンラインでやる。
来週、文学フリマとのことで、それに出す作品を読ませてもらう。
ファンタジー小説の王道を行くような設定で、私もとても好きな感じだ。
ちょっとだけアドバイスするが、奥田くんはもうほとんど余計なアドバイスは必要ない域にまで来ている。
どんどん書いてほしい。
できれば大作に挑戦してもらいたいな。

完全に安心して、好きなことを好きなように表現できる場として、現代朗読協会を整えることに腐心している。
そのような場があるとき、はじめて人はのびやかに、無心に、無防備に自分を試せて、そこに大きな成長があることを確信しているし、またそれが起こっているのを毎日のように目撃している。
これは本当に幸せなことだ。

朗読や小説執筆にかぎらず、さまざまな表現の研鑽の場としてより広がりを持たせることはできないだろうかと、私はかんがえている。
つまりそれは、私ひとりがリードするものではなく、みんながそれぞれ自分の場として自主的に活動していくということで、それをいつも夢見ている。

2015年11月14日土曜日

みなさんとNVCのワーク(アズワン探訪記その11これで終わり)

今回の探訪が決まったとき、せっかくなのでNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)のワークもやってほしい、という要望があった。
そしてアズワンのジョイメンバーの方たちに案内を流してくれた。

ジョイメンバーは70人くらいらしいのだが、そのうち25人くらいが平日の夜にもかかわらず集まってくれた。

これまで書いてきたように、アズワンにはNVCがめざす世界がすでに実践され、いわばその実証実験の場といってもいいようなものだ。
いまさらNVCをみなさんに伝えるというのもどうなんだろう、いったいなにをやればいいんだろう、という疑問が私たちのなかにあった。
結局、おなじ世界をめざす仲間として、その方法と言語がことなるNVCを紹介できるのはおもしろいことなのではないか、ということになった。
だから、とくにアズワンの人たちだから、ということではなく、いつものようにワークをやってみることになった。

とはいえ、やはりみなさんを前にすると、準備していたことより全然別のことをやりたくなる。
最初のパートは春野さんがリードして始めたのだが、NVCのプロセスや用語について解説するやりかたを、とっさにニーズカードを使った遊びのような方法でスタートすることになった。
うまくいくかどうか、こういう場合はいつも賭けになるのだが、アズワンのみなさんは反応がよく、また非常に注意深く自分自身とまわりをよく見ているので、NVCの本質部分へとすぐにアプローチできている感じがあった。

感想を求めても、とっても深い自己共感をともなったことばが帰ってきて、びっくりした。

予定にはなかったが、ホールにピアノがあったことで、途中に音楽瞑想をはさむことを春野さんから提案され、私もよろこんでやってみることにした。
音楽瞑想によって、とかく「ことばが多い」ととられがちなNVCを、より自分自身の身体性や感覚に注意をむけてもらって、深く感じてもらおうという意図だった。

いつもやっているよりごく短い時間だったが、アズワンのみなさんと音楽瞑想の時間を共有するのはたのしかった。
深く聴いてもらっている感じがひしひしと伝わってきた。
終わったら涙を流している方が何人かいらした。
おひとりは直接私に、
「とっても大事にしていることがあって、それが自分にとってどれだけ本当に大切なのか、よくわかりました」
と伝えてくれた。
そんな大事なことを伝えてくれて、ありがとうをいうのは私のほうだと思った。

終わってからみなさんに感想を求めたが、だれひとりことばを発する者がいなかった。
しかし、それは拒絶されているのではなく、逆に深く受け入れられていて、自分の感覚をとても大事に見ていてそれをうかつに言葉にすることをやめていたからだ。
そのような沈黙がお互いに受け入れあうことのできる関係にみなさんがいるということに、私はまたおどろいていた。
そして感想を沈黙でもって送ってくれたことに、深い感謝をおぼえた。

後半は野々宮がリードして、比較的オーソドックスなNVCのプロセスを体験してもらった。
みなさん、全員が楽しんでおられて、時間がいくらあっても足りないような感じだった。
本当に名残惜しい時間がすぎていき、野々宮もかなり苦しかったかもしれない。
私も名残惜しかった。
もっといっしょにたくさんのことを経験したかった。

今回は3泊というごく短期間の滞在だったが、これを機にアズワンの人たちとはいろいろな形で関わりを持てればいいなと思っている。
私もまた行きたいし、あのピアノをまた弾きたい。
みなさんにまた会いたい。
私のこの文章を読んで興味を持った人がいたら、私にあれこれ聞くより、ぜひ一度アズワンの地に直接行ってみられることをおすすめする。
私が本を一冊書いて説明するより、そこに行ってみるほうが百倍もそのすばらしさ、貴重さがわかるだろう。
(おわり)

聞き合うことに十分に時間を使う(アズワン探訪記その10)

現代社会において多くの人は、自分のことを「聞いて聞いて」「大事にして大事にして」「お願いお願い」と叫びつづけている。
なぜなら、十分に聞かれていないし、十分に大事にしてもらっていないし、十分にお願いを聞きとどけてもらっていないからだ。
だから、共感的コミュニケーションやNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)では、自分自身の声も含めお互いに十分に聞き合うためのスキルやプロセスを練習する。

わざわざそんなことをいわなくていい社会が存在している。
アズワンではお互いが十分に聞きあい、尊重しあい、また自分自身の声も深く聞くことができている。
いや、できていない人もいるのかもしれないが、もしそういう人がいたり、自分が十分に聞けていないと思ったときには、サイエンズスクールにコースが用意されていて、だれでも受講できる。

スクールを実際に受講したわけでないので、具体的にどんなことをやっているのか私にはわからないのだが、みなさんの説明によれば、「自分のことを十分に見る」「こころの動きやしくみを調べる」「自分と他人、社会との関係について真実を見られるように学ぶ」といったことがおこなわれているらしい。
すべての人にそのような学びと練習の機会が保証されているので、アズワンのメンバーはお互いに十分に聞き合う姿勢ができている。

今回の探訪で私たちのお世話をしてくれ、案内してくれたのは、スクールと併設されているサイエンズ研究所のメンバーの北川さんと弘子さんだったのだが、案内されている間も、一日の予定が終わって談話会や懇談会になってほかのメンバーが加わったときも、いつも十分に聞いてもらえている安心感があった。
十分に聞いてもらえ、また大事にしてもらえた感じがあった。

どんなことを話しても、最初から最後までしっかりと聞いてもらえる。
どんな質問をしても、正直に誠実に答えてもらえる。
わからないことはわからないと正直に、そしてアズワンの内情や実情についても数字を含めてなにも隠し立てすることなく正直に教えてもらえた。
また私たちについても興味を持って、丁寧に接してくれたこともありがたかった。
本当に居心地がよかった。
そして飲み会も楽しかったな。

私といっしょに写っている子どものような人はサイエンズ研究所の小野さんだ。
この人は年中こんな格好をしているらしい。
けっして暖かいとはいえない気候だったのに、最初から最後まで半袖半ズボンだったのにはおどろいた。
そして、言動もまったく少年みたいな人で、いっしょにいて楽しかった。
探訪を終え、帰路につくときは、本当に名残惜しく、寂しい気持ちになった。
(つづく)

鈴鹿の里山で遊ぶ(アズワン探訪記その9)

アズワン探訪三日めの朝、「すずかの里山」に連れていってもらった。
ここは「未来の里山プロジェクト」として、アズワンやトランジションタウン鈴鹿が管理していることになっているが、実際にはこれまで書いてきたとおり、アズワンメンバーのなかで好きな人が好きなようにやっているという感じだ。
私たちが行ったときは、鈴木さんが迎えてくれて、説明してくれた。

鈴木さんは学生時代、山岳をやっていたということで、いつかやってみたいと思っていた炭焼きをここではじめた。
見ると立派な炭焼き窯だ。
私の子どもの頃は、まだ山に炭焼き小屋があって、炭焼きの人は簡便な小屋と炭焼き窯を作っては山を移動して生活している、という印象があったのだが、すずかの里山の窯は固定式の立派なものだ。

ここで2トン以上の木を使って600キロくらいの炭を作れるということだった。
火加減、空気加減、湿度の加減、さまざまことが炭のできあがりに影響する。
それがおもしろくて、不思議で、しかたがないらしく、鈴木さんは本当に楽しそうだった。

きのこ栽培もしていた。
しいたけの原木がならんでいて、きのこ狩りをさせてもらった。
採りたての生しいたけを炭火で焼いて、醤油をたらしていただくのは、絶妙だった。
しいたけのほかにもヒラタケやナメコも作っているとのことだった。

奥のほうに行くと、湿地があって、木道ができている。
湿地にはガマの穂が立っている。
まわりに鳥が多い。
トンボもたくさんいる。
山沿いに大きなビワの木があって、花には蜂などの昆虫がたかっていた。

柿や柚子が植えられていたり、ここでもさまざまな実験や収穫をおこなっているようだった。

炭焼き窯の横にはメインの広場があって、親子連れなどを受け入れている。
ブランコなどの遊具がある。
「注文を聞かない食堂」という炊事設備があって、カレーなら50人分くらい作れるのだという。

コナラなどのどんぐりの芽出しをしていて、苗を育てて植林する。
自然に芽が出たものもあちこちにたくさんあって、それらもいずれは日当たりのいいところに移植して苗として育てる。
ちいさな芽が出たところには、マークをつけて、踏まれないようにしてあった。

鈴鹿サーキットのすぐ近くで、鈴鹿の市街地からも近く、アクセスがよい。
午前中いっぱい、昼すぎまでここで子どもに返った気分でたっぷり遊ばせてもらった。
昼には、木漏れ日の下でおふくろさん弁当をいただいた。
(つづく)

奇跡のピアノ!(アズワン探訪記その8)

SCS(鈴鹿カルチャーステーション)のエントランスホールにヤマハのグランドピアノが一台、布カバーをかけて置いてあった。
聞けば、時々ここで演奏会をやるとのことで、先日もジャズのコンサートをやったそうだ。

ん? この脚はなんだ?
よく見ると、ピアノの脚がライオン脚(というのか?)になっている。
ほら、古いバスタブの脚みたいなやつね。
これはひょっとして古いピアノなのか?

蓋を開いて、一音、二音、そっと鳴らしてみた。
…………!
聞いたことのない音がする。
いま製造されているピアノは、メーカーによってさまざまな特色があるが、ヤマハのグランドは華やかで、しかし重たくないような、ちょっと着飾った美人のような印象のものが多い。
これはそういう音ではなく、太くて柔らかい、しかししっかりと芯を含んだ音色がする。
育ちのいい、しかしそのことをしっかりと自覚している落ち着きのある貴婦人のような感じ。

来歴を聞くが、これがだれも知らないのだ。
そのことがまたびっくりなのだが、カルチャースクールの坂井さんなら知ってるかもしれない、と聞いた。

あとで坂井さんに聞いたのだが、このピアノはあるところから寄贈されたものだそうだ。
その「あるところ」には何台かのピアノがあり、「これならあげてもいいかな」といってもらったものだそうだ。
古くて使いものにならないやっかいなものを押しつけられたかも、と一瞬思ったそうだが、手入れして調律してみるととてもよい状態によみがえった。

失礼ながら、アズワンのみなさんはこのピアノの価値をあまりおわかりでないようだが、私は心底びっくりしたのだ。
最後の夜にこのピアノを使って「音楽瞑想」をごく短くやらせてもらったのだが、それはそれはすばらしい体験だった。

製造番号を見れば、このピアノが昭和10年ごろの、ヤマハの最初期の作品であることがわかる。
日中は戦争をはじめており、太平洋でも戦火が近づいてくる緊迫した社会情勢のただなか、浜松の工場の片隅で職人さんたちがこつこつと丁寧に作りあげたのだろうと想像できる。
その職人さんたちもいまはだれも生きておられないだろう。
しかし、こうやってピアノが美しく残り、麗美な響きを奏でている。

アズワンのみなさんに私からのお願い。
どうぞあのピアノを大事にしてあげてください、そして活用してください。
そしてまた私にあのピアノを弾かせてくださいね。
(つづく)

休みたいときに休む、それあたりまえ(アズワン探訪記その7)

アズワンのグループ会社のなかでもっとも大所帯である「おふくろさん弁当」を訪れた。
配達の担当をしている林玲子さんにお話をうかがう。

鈴鹿市内に1000食以上を毎日配達し、社員とアルバイトを含めて70人以上が仕事にかかわっているという。
その全員がアズワンのメンバーというわけではないが、半分以上はアズワンコミュニティに属しているようだ。
しかし、アズワンメンバーであろうがなかろうが、すべての社員がひとりひとり大事にされている。

あたらしくおふくろさん弁当で働きはじめることになった人に最初に聞くのは、
「どのくらい働きたいですか?」
ということだという。
子どもを持っているあるお母さんは、その質問を受けて涙ぐんでしまったらしい。

通常「こちら」の世界では、社員の働き方は会社が決める。
何時から何時まで働いて、休みはいつ、といったふうに。
しかしおふくろさん弁当では、働き方は社員が自分で決める。
会社はそれに合わせてスタッフや仕事のやりくりをする。

たとえば配達係の人が同時に何人か休んでしまったとする。
そもそもそのように休んでしまえることが許されている。
人には個々にそれぞれの都合があり、子どもの行事があったり、自分や家族の健康状態の変化があったり、予期せぬできごとが起こったりする。
それは普通に生活していればあたりまえのことであり、突発的なできごとを予測したり、止めることはできない。
まずはそのことを「あたりまえ」のことととして会社が受け入れている。
そのときにどう対処できるか、それについて全員が自分の問題として共有して、工夫しているのだ。

配達係が同時に何人か休んでしまったとき、そのことがすぐにLINEでコミュニティ内に流され、都合のつく人がかけつけてくる。
配達係も相互に、自分の担当以外の地域も回れるように、日頃ルートを覚えておく。
こういった工夫がさまざまにされている。

もうひとつ、大変印象的なエピソードがあった。
ある配達員が30食という大口の注文を配達した。
それを車から運ぼうとしたときに、手がすべって30食すべてを地面にぶちまけてしまった。
あわてて会社に電話したら、ちょうどその日は休日でたまたま早めに家に帰って夕食のしたくに取りかかっていた社員が何人か、自分の家のご飯を持ってかけつけてきた。
お客さんには30分だけ待ってもらい、みんなで手分けしてすばやく30食を用意して、ことなきを得た。

そのとき、失敗した社員をだれも責める人がいなかった。
仕事をしていれば失敗することもある。
そんなとき、たいていは会社から叱責され、場合によっては始末書を書かされたり、減給されたりする。
そういう処遇はいっさいない。
ないばかりか、社員全員がいかにこの事態に対処できるかいっしょに楽しんで乗りきってくれた。
自分が失敗してもしかられない、ということがわかっている職場で、人はどれだけのびのびと自分の能力を発揮できるだろうか、と思うのだ。

好きなときに休める、好きなときに働ける、失敗しても責められることがない、思いつきはどんどんやってみる、うまくいかないことはみんなで調べて研究材料とする。

この会社には社長はいないそうだ。
「社長係」という人はいる。
対外的に会社の体裁をたもつためにそのようになっているそうで、社長係の人はなにをやっているかというと、みんなの話を聞き、困ったことがあれば手を差し伸べ、引越しの手伝いにかけつけ、といったことを喜びをもってやっているのだそうだ。
(つづく)

2015年11月13日金曜日

スープのさめない距離(アズワン探訪記その6)

昼食に「コミュニティハウス・えぐち」にお邪魔した。
コミュニティハウスと銘打っているが、普通の家である。
最近のいいかただと、「家開き」をしている江口さん宅、ということになる。

しかし、アズワンというコミュニティにとってえぐちハウスはとても重要な役割をになってきたことを知った。
まだ数十人でアズワンコミュニティがスタートしたとき、もちろんゲストハウスや研修所もない時期、あらたにアズワンのメンバーになろうという人や、アズワンを訪れた人は、このえぐちハウスに寝泊まりし、いっしょにご飯を食べて、学んでいった。

江口さんたちがおっしゃっていたことで印象的なのは、
「アズワンの初期からたくさんの人がここを訪れ、その人たちと触れ合ってこれたのが、私たちの財産です」

本当に普通の一般家屋なのだが、そこでの昼食のもてなしは暖かく、気が張ることがまったくなく、お腹一杯になった我々がちょっと横になって昼寝したり、だらだらしても、だれからもとがめだてされない安心感があって、ゆっくりとくつろがせてもらった。

その席に、市川さんが仕事の合間を作って来てくれた。
市川さんはアズワンに関わりながらも、ずっと企業に勤めていて、最近ようやくアズワンのメンバーに加わったという。
彼が東京世田谷の羽根木の家に最初に来たのは、アズワンのメンバーに加わったばかりのことだったらしい。

一般の人がアズワンに関わったり、躊躇したり、距離を置いたり近づいたり、そんなこころの動きがいろいろあることを教えてもらって、興味深かった。
そういう私も、いま躊躇なくアズワンの人たちに身を投じられるかというと、そこにはまだためらいやギャップがある。
鈴鹿のアズワンに身を投じたい気分も大きいが、いまいる東京でなにかやれないかとという気持ちのほうが、現時点では大きいような気がする。

江口ハウスは鈴鹿カルチャーステーションのすぐ裏手にある。
アズワンはメンバーに住む場所を強制していないが、なんとなく歩いて行ける距離内にみなさんが住んでいる感じがある。
鈴鹿市という行政区分の規模もちょうどいいのかもしれないが、なにかあればそれぞれが徒歩で駆けつけられる範囲に住んでいる、という感じ。

お互いの連絡や情報共有は、スマホのLINEで共有されているというひとを聞いてびっくりしたのだが、リアルな付き合いは歩いて行ける距離、スープのさめない距離にいることが、お互いの安心につながるのだろうと思う。
これを東京で実現させるとしたら、どんな風になるのだろうかと、しばし思いをめぐらせているところだ。
(つづく)

すべてを委ねられるオフィス(アズワン探訪記その5)

ジョイメンバーならだれでも使えるお金のいらない店〈ジョイ〉は、やさしい社会の検証実験を実現しているアズワンの中核部分の「目に見える形」だが、おなじ中核部分ではあるけれど目に見えにくいシステムとして「オフィス」というものがある。

オフィスは実際にジョイの隣にあって、見たところ普通の事務所。
机がいくつかならんでいて、コンピューターに何人かがむかって仕事している。
見かけにだまされそうだが、ここがアズワンという特別なコミュニティを維持しているエンジンなのだ。

ここではジョイの運営はもとより、「大きな財布」の管理をおこなっている。
ジョイメンバーはここにお金の管理をすべて任せることで、そのわずらわしさや心配、ストレスから解放されているのだ。

たとえば、家賃、食費、光熱費、年金、保険、子育てや介護の費用、学費といったことについて、メンバーはなんの心配もない。
なぜなら、必要ならオフィスが管理している大きな財布から出してもらえるからだ。

お金のことだけではない。
オフィスは、だれでも気楽に相談できることになっている。
また、ジョイにやってきたメンバーにオフィスメンバーが声をかけて、コミュニケートすることもある。

結婚、進学、就職、起業、貯蓄、老後の心配など、なんでも気軽に相談できる。
オフィスメンバーはもちろん、サイエンズスクールを受講して「共感的な耳」を持っているので、だれかの心配にたいして決めつけたり、非難したりすることはなく、相談者は安心してなんでもいえる。
甘えたいだけ甘えられるともいえる。

たとえば、引っ越ししたいと思ったとき、オフィスの人にそれを相談する。
すると、不動産関係に強い人を紹介してくれたり、引っ越し費用の不安を聞いてもらったり、手伝いの人を集めてくれたり、といった心強い相談相手となってくれる。

オフィスには経理が得意で、経済をまわすことが好きな人がいるらしい。
収入と支出のバランスや、収益と経費のことをいつもかんがえてくれている。
おかげで、お金のことが不得意な人も安心してオフィスに自分のお金関係のことを任せておける。

私だったら、自分の支出と収入を全部だれかが管理してくれて、税金や年金のことを代行してくれたら、どんなに楽だろうかと思う。
家賃、水道光熱費、年金、保険、通信費、クレジットカードの決済といった支出や、講座や印税収入といった収入を、だれかが一手に引き受けてくれて、確定申告もやってくれたら、いまそれに費やしているエネルギーやストレスをもっとクリエイティブな部分に振り向けられるだろうということは、容易に想像できる。

アズワンに活気があり、成長しているのには、そういうシステムの裏打ちがあることにもよるのではないだろうか。
なにか心配や困ったことがあれば、とにかくオフィスに行けばなんとかなる、そんな安心感があることによって、人々はのびやかに生活し、仕事し、活動していける。
(つづく)

お金のいらない店はひとりひとりが尊重される社会のシンボル(アズワン探訪記その4)

アズワンによる「やさしい社会」の中核部である(と私がかんがえている)ジョイとオフィスを訪れる。
ジョイは一見、八百屋というか雑貨屋というか、むかしは街の商店街にかならず一件はあった食料や日用品がなんでも手にはいる店だ。
いまはスーパーやコンビニに置きかわっているが。

一見そうなのだが、コンビニやスーパーとは決定的な違いがある。
それはここを利用するジョイメンバーなら利用するのにお金がいらない、ということだ。
つまり、ジョイにぶらっとはいっていって、ただ自分に必要なものをお金を払わずに取っていくことができる、ということだ。

と書いてもちょっとピンとこないかもしれません。
私も最初はピンとこなかった。
生活に必要なものを得るのにお金を払うということが、あまりに身体にしみついてしまっているせいだ。

ジョイにはいってしばらくあたりを見回し、
「ふんふん、けっこういろんなものが揃ってるな。便利そう」
などとかんがえているとき、ふと思いついた。
これら、ここにならんでいる商品というか品物は、すべて自由に持って帰っていいのだ、つまり私のものである、といってもいいのだ、と。

たとえば、スパゲティを作ろう、と思ったとする。
すると、ここへ来て、麺を必要なだけ取り、にんにくをひとかけ取り、オリーブオイルをすこしだけ小瓶に取り分け、といった具合に、必要なものを必要なだけ、お金を払うことなくここからもらって行けばいい。

私たちは通常、生活のなかで、麺なら麺を買いおきしている。
にんにくもひと玉買って、そこから必要な分を使い、残りはどこかに保存しておく(しばしば使いそびれて干からびさせてしまう)。
オリーブオイルもひと瓶保存して持っているし、ときにはスーパーの特売につられて何瓶かまとめて買ってあったりする。
そういうことが一切必要ない。

冷蔵庫だって必要ないかもしれない。
肉でも野菜でも、必要なものはその日にここに来てもらえばいいのだ。
特売日はいつだろう、とか、ティッシュペーパーの買い置きはまだあったっけ、とか、そういった買い物にかんするストレスから完全に解放される。
これってすごくない?

晩御飯を作るのが面倒な日には、ここに来てお弁当を人数分もらって帰ればいい。
そうやって解放された時間を、自分の好きなことをする時間にあてればいいのだ。
それにしても、いったいどんな仕組みになっているのだろう。

ジョイはジョイメンバーになると使えるようになる。
ジョイメンバーは家計をひとつの「大きな財布」として共有している。
自分の収入も支出も、この「ひとつの大きな財布」でまかなっているのだ。
収入があればそれはそのまま大きな財布に繰りいれられる。
必要な支出は大きな財布から払ってもらう。
家計についての心配からも解放される。

私たちはけっこう、日常的な金銭の管理にストレスを感じたり、時間を取られたりしているものだ。
「今月はカードの支払いが多めだから口座の残金は足りるだろうか」
「冬場でガス代がはねあがったので、その分を準備しておきなきゃ」
「健康保険や国民年金の引き落としは無事にできてるだろうか」
といった具合に。
また、買い物をするのにお金が必要なので、いつもいくらか自分の財布を持ちあるいている。
その管理もストレスがかかる。

ジョイメンバーはいっさいお金をもたずに生活できる。
外に出て買い物するときも、カードで買えば、その決済は大きな財布が自動的にやっといてくれる。

こうやって書くと、きっと、
「ん? それだと収入の多い人とか少ない人がいたり、無収入の人がいたりして、不公平にならない?」
という疑問がわくだろう。
さて、ここからが肝心だ。
アズワンの中核となる精神に触れていくことになる。

アズワンでは「収入の多い人がえらい」「収入がなかったり少ない人は肩身が狭い」といった価値観はない。
あったとしたら、厳しくそれを見て(しらべて)いる。
たとえば家族の場合、お母さんやおばあちゃんやこどもに収入がないからといって、ないがしろにされたら、その家はとても豊かな感じとはいえない。
収入があるお父さんだけが「みんなを食わせてやってる」といばっていたら、その家族のつながりはどうなんだろう。
みんなが安心して暮らせる家庭だといえるだろうか。

アズワンではひとしくみんなが大事にされる家族のような社会をめざしている。
なので、収入の多寡で人に優劣や差異をつけることはない。
げんにサイエンズ研究所の小野さんなんか、自分は一度も働いたことがない、といばっていた(笑)。
いばっているのは、無収入でもないがしろにされることなく、好きなことを好きなだけやれる社会が実現しているのだよ、ということを自慢しているからだろう。

とはいえ、大きなお財布に十分な資金がなければ、うまく回らないことも事実だ。
なので、稼げる人はたくさん稼いでいるし、またアズワンが経営する会社も業績をあげる努力をしている。
また、自分の財産をすべて大きな財布にあずけてしまっている人もいる。
逆に、そこまではしたくないという人もいて、それはそれで尊重される。
びっくりするほど柔軟でこまやかな仕組みが、この大きな財布をめぐって用意されている。

大きな財布を世話している人もいて、それは経済や人の暮らしについてこまやかな配慮ができたり、それが得意だったりする人だ。
どの家庭がどういう日用品や食料が必要で、どんな好みがあるかまで把握していて、それはジョイの仕入れに生かされている。

営業が得意な人は営業を、働くことが楽しい人は働いて、しかしいつでも休める、働きたくない人は働かなくても責められない、起業が好きな人はどんどん起業を、アートが好きな人はアートを、人に教えるのが好きな人は教えることを、病気の人は存分に療養を、すべての人がその人本来のありようを尊重され、そのようにあることが許される社会。
ジョイというお金のいらない店から、そんなことがリアルに実感されてきた。
(つづく)