ページ

2015年5月29日金曜日

名古屋クセックACT公演「アラバールからの「愛の手紙」」を観てきた

1987年というから、いまから数えてもう28年も前になる。
1986年に徳間書店から『疾れ風、哮えろ嵐』というSF冒険長編小説で商業作家「水城雄」としてデビューしたばかりの私は、しかし地方(福井)に在住していたこともあって商業的世界にすっかり全身をひたすことに抵抗していて、前衛的なライブパフォーマンスをあいかわらずおこないつづけていた。
そんななかで、クセックの俳優・榊原忠美と知り合い、朗読と即興演奏によるライブイベントを何度か重ねるうちに、彼の所属する劇団に脚本を提供しないかという話がわいてきた。
榊原とのライブでは、ラテンアメリカの前衛的な文学作品を用いたり、自作の先鋭的な文学作品を用いることが多く、脚本も文学的な冒険に挑戦してみたいという気持ちもありながら、同時にSF作家としての持ち味も盛りこんでみたいという意欲もあった。
そして生まれたのが、『エロイヒムの声』というテキストだった。

テキスト、と書いたのは、いわゆるシナリオ形式の脚本ではなく、ただの一行も改行のない、一連の文章のつらなりというかかたまりのようなものを、クセックの演出家の神宮寺啓にほいっと渡したからだ。

それが1987年のことだった。

『エロイヒムの声』は、名古屋の七ツ寺共同スタジオ、岐阜の御浪町ホール、金沢のアートシアター石川、福井大学の学園祭特設テントで上演された。

私のテキストを神宮寺はみごとにクセック色に消化/昇華し、私は自分の作品が思いもよらない変化をとげる原作者としての快楽を、思う存分味わわせてもらった。

それ以来、私はシナリオを提供することはなかったが、クセックの芝居はほとんどすべて目撃している。
クセックは日本人の作品をただ一回上演したのみで、あとはスペインなど海外の作家によるテキストを用いている。
スペイン公演も何度かおこなっている。
今回はアラバール。

ステージ上には長テーブルと長椅子が階段状に客席に向けてセットされている。
それ以外のセットはなにもない。
そのセットに火田詮子が終始すわりつづけていた。
榊原忠美もセットにすわっていることが多かったが、彼はもうすこし動いた。
そしてコロス(群読隊)がそのまわりを動きまわり、またセットによじのぼり、はいまわり、からみつく。

クセックは動く絵画と評されることがあるが、まさにそのとおりだろう。
おそらく演出家・神宮寺の頭には、一連の動きがあるなかで一瞬切りとられた「絵」のことしかないはずだ。
その「絵」が美しいかどうか、きわめて個人的な嗜好による判断が、演出指示の根拠となっている。
それがクセックという劇団の本質といってもいいのだろう。

今回、榊原忠美と火田詮子というベテランと、若手俳優たちとの身体性の乖離や、翻訳・脚色・構成をになった田尻陽一という学識のことば・影響について、あれこれいう人がいたり、私も確かにそれは感じた面もあるが、それはこの劇団にかぎって本質ではない。
絵、だ。
私たちは、いや、私は、神宮寺の描く絵を観たいがゆえに、毎年東京からはるばる名古屋くんだりまで足を運ぶ。
脚本も役者も音響も照明も衣装も、すべて神宮寺の絵のために身を捧げているといっていい。

そして今回、その絵は、固定され、劇的などんでん返しも、カタルシスも、大仰な装置も、なにもなかった。
ただ舞台中央に階段状の装置が作られていただけだった。
それゆえにこそ、その制約のなかで描かれていく「絵」はストイックなものだった。
役者たちのリアルな、生きている身体を用いた絵画。
たまらなくいとおしく、魅力的なライブ。

もう28年も前のことになるけれど、自分のテキストが「絵」として実体化してもらえたことが、私にとってはとても幸せなことのように思える。
いまは現代朗読に関わってくれている人たちの身体/声を、世界にとどくマテリアルとしてどのように「実体化」していけるのか、それをより鋭くかんがえてみたいと思っている。

現代朗読体験講座
朗読をはじめてみようと思っている方、すでにやっているけれど物足りなさや壁を感じている方、その他表現に興味のある方、まずは進化しつづける現代朗読を体験してみませんか。5月31日(日)夕方、羽根木の家にて。

2015年5月27日水曜日

ミツバチともだち、わわわ

いまでもよくおぼえているのだが、小学五年から六年にかけて、学校の図書室にある本を片っぱしから読破していったことがある。
そのなかでも気にいったのが、世界少年少女SF全集とシートン動物記だった。
それを皮切りに、中学校ではSFと動物にかんする本ばかり読んでいた。

シートン動物記のつぎは、もちろんファーブル昆虫記で、これはもう夢中になった。
動物記も昆虫記も暗記するくらい繰り返し読みかえした。
中学から高校にかけて、畑正憲の動物ものにハマった。
まだタレントとして有名になる前で、青春と動物を行ったりきたりする軽妙なエッセイに夢中になった。

SF好きはさらに進んでいたのだが、SFと動物を同時に満たしてくれる作家がいた。
光瀬龍がそれで、彼は萩尾望都が漫画化した『百億の昼と千億の夜』は有名だが、同時にファーブル昆虫記を彷彿とさせる『ロン先生の虫眼鏡』という昆虫エッセイをSFマガジンに連載していた。
それもすばらしく楽しい読み物だった。

犬猫を飼うことを親が許してくれなかったので、小鳥をたくさん飼っていた。
メダカやイモリ、フナなどの水生動物や、昆虫やトカゲなどの小動物もたくさん飼っていた。
そして、私の最高のバイブルとなったのは、コンラート・ローレンツの『ソロモンの指輪』だった。
私はこれを読んで、動物行動学者になりたくなった。

大学は京大の理学部をめざしたが、失敗。
その後はグレて、ピアノ弾きになったり、小説家になったりして、いまにいたる。

職業小説家を40歳のときに折り返して、いまはピアノ弾きへと大きくもどってきた感じだが、さらにおもしろいことに、私を少年時代の動物行動学へと引きもどしていく動きがある。
それがニホンミツバチだ。

4月23日に羽根木の家にニホンミツバチがやってきて、すでに一か月以上がたった。
このところ、ミツバチ関係の人たちに会う機会が急に増えた。
最初はミツバチインストラクターの後藤純子さんにお会いして、ご指導をあおぎ、羽根木のミツバチもなにからなにまでお世話になったし、なっているし、これからもなるだろう。
ありがたく、心強い。

後藤さんの紹介で、ミツバチ研究の第一人者である玉川大学名誉教授の佐々木正己先生とも知り合うことができた。
うれしいことに、先生は私たち羽根木ミツバチ部の顧問になってくださった。

先週の金曜日、佐々木先生のお話による「みつばち千年の森」植樹報告会と、ニホンミツバチ勉強会があるというので、出かけてきた。
あらかじめフェイスブックで情報が流れ、そこに書きこんだことがきっかけで、在来種ミツバチの会を主催しておられる藤原養蜂場の藤原誠太さんや、そのお嬢さんで東大の院でミツバチの研究をしておられる藤原愛弓さんにお会いできた。
また、銀座ミツバチプロジェクトの代表の高安和夫さんにもお会いした。
急にミツバチの世界が広がって、頼もしい気分になった。

その翌々日の日曜日には、名古屋で今年ニホンミツバチを飼いはじめたばかりの友人の位里ちゃんと会い、彼女が師匠とあおぐ伊藤ちづるさんのお宅にお邪魔して、ミツバチを見せてもらった。
ここはまた気持ちのいい庭で、手入れの行き届いたいろいろな植物や野菜が配置されたなかに、ブドウの蔓がからまったあずま屋があり、かわいい養蜂箱が置いてある。
テーブルと椅子が置かれ、そこでお茶をいただくのはとても気持ちのいい時間だった。
いつまでもいられる空間だった。

ちづるさんはミツバチの絵を描いておられて、今度6月18日から東京の谷中サブリエで作品展をやるそうだ。
見に行こう。

ちづるさんちの庭を見て、私は羽根木の家の庭ももっと居心地よくしたくなった。
縁側があるのでついそこでくつろいでしまうが、庭ももっと使えるようにしたい。
きれいに雑草を抜いて整備するのではなく、ファーブルの庭みたいにできるといいな。
そしてファーブル昆虫記ならぬ羽根木昆虫記でも書いてみたいな。

いろいろな場所と日程、共感カフェにどうぞ

共感的コミュニケーション関係のイベントがつづくので、紹介しておきたい。

NVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)をベースにしている共感的コミュニケーションだが、私はこれに出会って人生が変わったような気がする。
いや、人生そのものは変わらない(というよりそもそも変化に満ちている)のだろうが、それに対処する自分の方法が変わったのだ。
ものすごく楽になり、楽しくなり、毎日がいきいきと彩り豊かに感じるようになった。
多くの人に知ってもらいたいと思っている。
なぜなら、そういう人がまわりにたくさんいたら、私自身ももっと楽しくなるからだ。

直近では明日の午後、日中と夜の2回、東京世田谷の古民家〈羽根木の家〉で勉強会を開催する。
最近日本ミツバチがやってきて養蜂をはじめた。
そういうおだやかな「場」である。

共感・声カフェ@羽根木の家
羽根木の家での共感・声カフェは、5月28日(木)昼の部14〜16時、夜の部19〜21時です。

日常的に共感的コミュニケーションの練習をするために手帳を使うことを提案したのが始まりだが、ライフハックとしてもすぐれているという声をたくさんいただいている。
毎日がごちゃごちゃ、もやもやとして、自分の行動の質がどうも良好でないと感じているような方におすすめ。

マインドフル手帳術ワークショップ@羽根木の家
マインドフルネスと共感的コミュニケーションの手法を活用した手帳術で人生をすっきりさせる、画期的なワークショップ。5月30日(土)夕方、羽根木の家にて。

その他、直近の共感的コミュニケーション関連のイベント。

横浜共感カフェ
6月2日(火)夜、横浜の神奈川県民センターにて、共感的コミュニケーションをまなんでいる仲間が主催する共感カフェを開催します。どなたも参加できます。

親密な関係における共感的コミュニケーションの勉強会
共感的コミュニケーションでもとくにやっかいだといわれている親密な関係であるところのパートナーと、お互いに尊重しあい、関係性の質を向上させるための勉強会です。6月5日(金)夜、羽根木の家にて。

ボイスセラピー講座
6月7日(日)13:00-17:00は羽根木の家で音読療法協会のボイスセラピー講座です。呼吸、声、音読を使っただれにでもできるセラピーで、自分自身と回りの人を癒してください。

草加市〈Jugem〉で共感カフェ
草加の天然石ブレスレット専門店〈Jugem〉での共感・声カフェ、ミニライブ付は6月8日(月)夜の開催。共感的コミュニケーションをまなんでいる仲間が主催。

カフェ・オハナ(三軒茶屋)で共感的コミュニケーション
6月9日(火)夜7時半から、恒例の三軒茶屋〈カフェ・オハナ〉での共感的コミュニケーション・ワークショップを開催。朗読と音楽のミニライブ付き。参加費1,000円+ワンオーダー。

白楽ないとはボイスダンスが乱れて魅せた

(写真は丸さんと泰子さんに撮ってもらったものです)

2015年5月26日夜。
白楽〈ビッチェズ・ブリュー〉にて恒例のライブセッション「白楽ないと」をおこなった。

出演者のひとり、現代朗読の野々宮卯妙は、名古屋・豊橋での共感的コミュニケーションの出張講師の仕事から直接来るということで、午後6時すぎに白楽で落ち合った。
私はその前に、NVCやマインドフルネス瞑想の仲間で小袖ワークをやっている吉房泰子さんと落ち合い、ドトールでお茶しながらおしゃべりしていた。
泰子さんはそのまま、夕食とライブに付き合ってくれて、最後までいっしょだった。ありがとう。

元ゼミ生の山田みぞれがひさしぶりに遊びに来るというので、せっかくだからなにかいっしょにやることになり、夕食がてら軽く打ち合わせすることになっていた。
野々宮、泰子さん、みぞれちゃんらと連れだって〈友〉で夕食。
演目について打ち合わせ。

もうひとりのゲスト出演者の激団波兵さんから、仕事が押して本番ぎりぎりにしか来れないという連絡がはいった。
打ち合わせなしでの、いきなりの本番である。
そういうのは私は大好きだ、相手さえ不安がなければ。

さて、〈ビッチェズ・ブリュー〉に行ってみると、丸さんが来ていた。
ドタ参でもいいか、というメッセージをもらっていたのだが、来てくれてうれしい。

スタート予定の8時をまわり、そろそろはじめるか、というとき、激団波兵さんがやってきた。
駆けこんできた風情で、全身が蒸気、ではなくて上気している。
それはそれでいい感じ。
とはいえ、いきなりやってもらうのも酷なので、まずは私のピアノソロから。
唱歌「われは海の子」をモチーフに即興演奏。

つづいて、野々宮卯妙にアカペラというか無伴奏というか、私のからみなしでソロで朗読してもらう。
テキストは先日のポエトリースラム・ジャパンのファイナルまで行ったときに読んだ、いわくつきのもの。
みんなが聞きたがったし、私も聞きたかったので、無理にたのんで読んでもらった。
最初は気乗りしない感じだったが、読みはじめるとそこは野々宮、ガンガン乗ってくる。
私もからまないつもりだったのに、彼女の読みのリズム、音、ことばを聞いていると身体が動きだしそうになって、ついちょっとからんでしまった。

そして激団波兵さんに登場してもらう。
私が勝手に「ボイスダンサー」なんて呼称していたものだから、お客さんはどんなパフォーマンスなのか興味しんしん。
なんとなくテーマだけ決めよう、ということで「火曜日の月」「火曜日の半月」「火曜日の上限の月」なんていっているうちに、お客さんからも声がかかり、テーマのタイトルがどんどん長くなっていく。
ともあれ、私のピアノからはいり、即興でからんでもらった。

ビッチェズ・ブリューのピアノはアップライトなので、私は波兵さんに背を向けた格好で演奏している。
だから彼女がどんな動きをしているのか、まったく見えない。
声は聞こえる。
でたらめ語でのボイスダンス。
声がおどり、身体もおどる(のがちらっと振り返ったときに見える)。

どんどん楽しくなってきて、みんなも盛りあがり、そのあとは野々宮がからむ、みぞれちゃんが暴れる、激団波兵さんとみぞれちゃんが「プロレス」まがいのからみをやりながら朗読と声のパフォーマンスを炸裂させる、それをみんなで激写する、といった具合で、大変熱い(文字どおり暑かったが)夜となった。

激団波兵さんには来月もゲスト出演してくれるよう、交渉中である。
彼女のパフォーマンスは、彼女自身は試行錯誤中で未完成といっているが、それでいいのだ。
そんなことをいうなら、すべての(正直な)パフォーマーは未完成であり、発展途上なのだ。
だからこそおもしろく、その先の可能性がある。

次回の「白楽ないと」は6月29日(月)夜の予定だ。
情報はこちら

6月の「白楽ないと」ライブ@横浜白楽〈ビッチェズ・ブリュー〉(6.29)

横浜・白楽のジャズスポット〈ビッチェズ・ブリュー〉で、水城ゆうがさまざまなパフォーマーとコラボレートしておこなう即興ライブセッションのお知らせです。
2015年6月の開催は6月29日(月)となります。

魅力的なゲストプレーヤーも参加予定です(調整中)。
どなたも気楽にお越しください。

◎日時 2015年6月29日(月)19:30開場/20:00開演
◎場所 横浜・白楽〈ビッチェズ・ブリュー〉
  横浜市神奈川区西神奈川3-152-1 プリーメニシャン・オータ101
  東急東横線・白楽駅下車 徒歩5分
◎ミュージックチャージ 2,000円(1ドリンク付)

予約先:ビッチェズ・ブリュー 電話:090-8343-5621 (杉田直通)
または現代朗読協会お問い合わせ・予約フォームからお問い合わせ内容を「公演・ライブご予約」を選び、メッセージ欄に「ビッチェズ・ブリュー」と明記してください。

2015年5月21日木曜日

2015年5月「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演レポート

2003年ごろに盲目のサックス奏者ウォルフィー佐野とはじめた、地下室での暗闇ライブは、その後ソロピアノによる即興暗闇演奏「ディープリスニング」ライブへと移っていった。
2005年にティク・ナット・ハンの著書『禅的生活のすすめ』に出会い、マインドフルネスと瞑想の実践を独自にはじめた。

2007年に安納献くんよりNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)を紹介され、教わり、練習しはじめた。

2011年、音読療法協会設立。
東北の被災地をはじめ、高齢者福祉施設、学校、病院などをまわっているが、機会をとらえてピアノ演奏もまじえている。

音楽には情動に直接働きかける強い力もあれば、非言語的な瞑想世界へと誘導する力もある。
とくに聞きなれないメロディやハーモニーは、記憶や思考をうながすことなく、聴感覚をとおして感覚体としての自分自身の存在そのものに気づく手助けができる。
そのようなことがわかってきたので、今年2015年にはいってから私は積極的に音楽瞑想のイベントを展開している。

明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉は以前から現代朗読の公演でホールを、沈黙の朗読のライブで地下のブックカフェ〈槐多〉をよく利用していたが、音楽瞑想は3階のギャラリースペースでおこなっている。
ここにアップライトのピアノがやってきたのは、今年2月のことだ。
非常にすぐれた音響空間で、ピアノは「響きすぎる」くらいによく響く。
うっかり無自覚に音を重ねてしまうと、音が重なりすぎて、ゴテゴテに絵の具を重ねすぎた油絵のようになってしまう。

今回の公演では、それを逆手にとって、オープニングのピアノ演奏でわざと多くの音を重ねて、わんわんと空間を鳴らしてみた。
これはギャラリーで展示中の広河隆一さんの写真に触発されて出てきた音なのかもしれない。

私のピアノソロにつづいて、現代朗読の野々宮卯妙が朗読をスタート。
今回のテキストは彼女の大学時代の卒論だかゼミだかのテーマだったという、九鬼周造の『いきの構造』の冒頭部分。
哲学書であるから、ストーリーはなく、ことばや論理も難解で、通常の朗読鑑賞にはあまり向かないテキストといえるだろう。
そこが逆にねらいなのだという。
沈黙の朗読というパフォーマンスにおいては、なかなか効果的だったのではないかと思う。

今回、私はピアノ以外にも、いくつかの楽器というかガジェットを持ちこんでいた。
パーカッションがいくつか、カリンバ、笛、ベル、おもちゃのハーモニカなど。
ピアノ演奏のほかにも、これらを使って朗読にからんだり、手拍子や口笛、足踏み、ピアノ叩きまで動員して、いろいろ遊んでみた。
いやいや、楽しい。
幅3センチしかないマイクロハーモニカが、意外におもしろい味を出してくれた。
また持っていこう。

前半はそうやって、しだいに沈黙にむかっていく賑やかな朗読。
まんなか部分で完全に沈黙にいたり、そして照明は暗転。
まっくらななかで、後半の音楽瞑想がスタート。
あとは自分でも「いまこの瞬間」しかとらえていない、濃いマインドフルの状態での瞑想的演奏が、たぶん30分くらい?

終わってから、用意してきたワインやつまみを出し、ご来場のみなさんとゆっくりとおしゃべりさせていただいた。
ゆったりと楽しい時間がすぎていった。

おいでいただいたみなさん、ありがとう。
次回のこの公演は6月26日(金)夜を予定している。
今回来られなかった方も、来られた方も、どうぞお越しください。

6月公演の詳細と申し込みはこちら

2015年5月20日水曜日

ミツバチ部ミーティング、オハナミツバチの会

昨日は三軒茶屋の〈カフェ・オハナ〉で、トランジション世田谷 茶沢会主催の羽根木ミツバチ部のミーティングが昼からおこなわれた。
羽根木ミツバチ部はトランジションのメンバーでなくてもだれでも参加できるが、運営はトランジションのメンバーが中心になっている。

今回はミツバチ部を安定的・継続的に運営していくための「ミツバチ基金」の運用方法について、みんなで意見を集約して、決定した。
これまで指導をあおいでいた後藤純子さんも、うれしくもありがたいことに、ミツバチ部のメンバーとして加わってくれて、こんなに心強いことはない。
そして、ミツバチ研究の第一人者である佐々木正己には顧問になっていただいて、さらに百人力である。

午後2時半からはこれまで何度か開催してきたミツバチの会。
トランジションのメンバー以外にも何人も参加してくれて、にぎやかな会となった。

ひととおり自己紹介をしたあとは、私が用意しておいたこれまでの羽根木Beesの映像(準備・引越し・逃去騒ぎ・給餌のようすなど)を観ながら、経過報告。
後藤さんにニホンミツバチの生態や今後の予定などを解説してもらう。
みなさん、興味しんしんで、たくさん質問が出て活気むんむんだった。

つぎは7月1日の午前中に、佐々木正己先生を羽根木の家にお招きして、羽根木Beesを見たりお話をうかがう会を開催する。
羽根木ミツバチ部に興味がある方は、直接私にお知らせください。
供託金もしくは提供を募集中です。

2015年5月18日月曜日

合宿最終日、庭瞑想、バーベキュー、次世代作家養成コース3回め

昨日はボイスセラピー合宿の最終日。
朝から羽根木の家の縁側にすわって、庭をながめたり外の空気、鳥のさえずり、街の音を感じながら、名付けて「庭瞑想」をおこなう。

午前中は音読療法のファシリテーション・スキルについて、実際に呼吸法を用いながら詳しく教授したり、練習したりする。

昼は羽根木の家の前庭にレンガでカマドを作って、バーベキュー。
ところが、100円ショップで買ったという炭が着火しないのだ。
ガスレンジにかけてこんこんと火をつけても、着かない。
見るとインドネシア製とのことで、炭としては役立たず。
にっくきダイ◯ーめ。

もう一箱買ってあった備長炭を使って、無事にバーベキューは実行。
ひさしぶりに外で炭を使って肉や野菜を焼いて食べるのは楽しかったな。

バーベキューのあとは音読療法協会の今後のことについて相談。
いよいよ法人化の手続きにはいることになる。

夜、次世代作家養成コースの今期3回め。
メンバーの奥田くんは航空ショーだかなんだかで疲れたらしく、欠席。
体験参加の方がひとり。
最近、ジャズピアノをはじめたとのことで、私の著書『ジャズの聴き方』を購入されて読み、またブログサイト「水の反映」を読んで、ここに来られたとのこと。
自己共感のスキルを用いることで、社会や他者評価に表現を曇らされることなく、のびやかに表現がおこなえることの原理と方法を説明する。
といっても、練習しないとなかなかできないんだけどね。

養成コースメンバーのせっちゃんが、なんとすばらしい時代短編小説を書いてきた。
びっくりしたな。
たった2回受講しただけでここまで書けるようになるとは、今後が楽しみだ。
そして短編で切りとった世界をずっしりと密度濃くする方法や、セリフによるキャラクター表現の練習などをおこなった。

現代社会でのびやかに表現しながらいきいきと生きていくために必須かつ強力なスキルである自己共感については、今夜も下北沢の旅カフェ〈Stay Happy〉での共感・声カフェで練習する予定なので、興味がある方は気軽にお越しください。
詳細はこちら

土日はボイスセラピー合宿を催行

土曜日は早朝から梓も来たので、ボイスセラピー合宿を予定どおり遂行。
もうひとり参加予定がいたのだが、ぎっくり腰で不参加とのことで、私をいれて4人という催行人数。
予定していたカリキュラムは捨て、あらたな内容でやることにした。

音読療法では、近く、ボイスセラピー検定をやってみよう、という計画がある。
そのための問題集作りをみんなでやってみることになった。
これははじめてみてわかったのだが、教科書と首っ引きでかなり深く知識を身につけられる作業で、なかなかやり応えがあった。
みんなが頭をしぼっているあいだに、私が昼食を作った(ありあわせの材料でスパゲティを)。

夕方までやって、へとへとになったので、みんなで高井戸まで〈美しの湯〉というスパ施設に行く。
井の頭線一本で行けるので便利。
そして泉質も私はけっこう気にいっている。
海水とおなじくらいのしょっぱい温泉で、黒っぽい色をしている。

温泉からあがったあとは、その下のスーパー・オオゼキのなかにはいっている回転式の美登利寿司に寄って、かるく夕食。
のはずが、ついつい食べすぎてしまった。
おなかいっぱい食べても、ひとり千円いくかいかないかという安さが魅力。

羽根木の家にもどっても、もう夜は勉強する気になれなかったので、なんとなく私がiTunesでダウンロードしてあった「オール・イズ・ロスト」という、ロバート・レッドフォード主演の(というより彼ひとりしか出てこない)映画を観て、どよーんとした気分になる(私はおもしろかったが)。

ボイスセラピー合宿初日は不履行だったが

先週金曜夜から昨日まで、音読療法のコアメンバーによるボイストレーナー養成合宿をおこなった。

その前に、午後、ドイツ・フライブルク在住のボイストレーナーで、オーディオブック養成講座受講中のなおみさんが、今朝羽田に帰国したばかりとのことで、羽根木に顔を出してくれた。
講座の前に、いろいろ近況を聞いたり、ドイツでの生活の話を聞いたり、楽しかったな。
フライブルクに住んでみたいものだ。

そして夜から合宿のはずが、仕事が押して来れない者がふたり。
しかし、満里奈が来たので、予定外だったが、朗読のビデオ収録でもしてみようか、という話になった。
実家で埃をかぶっていた私の昔の著書を何冊か持ってきたので、それを読んでもらうことになった。
『夢巫女・美緒』というジュブナイル小説の冒頭を、私のピアノと合わせて朗読してもらい、それを撮影した。

2015年5月17日日曜日

ゆとりのニーズ

たぶん、多くの人にも共通のニーズだと思うが、私にとって「ゆとりのニーズ」はかなり大事なものだ。

ゆとり、余裕、スペース。
この「ゆとり」には空間的なものも時間的なものもふくまれている。

自分がいる「場所のゆとり」。
これが窮屈だと安心していられない。
ストレスを感じる。
人とまじわることも楽しいが、そればかりだと疲れるし、大勢の人がいるところでぎゅうぎゅう窮屈な思いをしているのはかなり大変だ。
そういうときはどこでもいいからひとりになれる場所を確保して、ほっとひと息つく。

「時間的なゆとり」も大切だ。
約束の時間があって、ぎりぎりの時間になって家を飛びだして綱渡りのように電車を乗りついですべりこむのが好き、という人もいるかもしれないが、私は苦手だ。
人と会う約束があれば、10分、20分と余裕を見て出かけ、時間があまったら本を読んだりスケッチをしたり、アイディアを書きとめたり、のんびりと自分の好きなことをして待つ。

スケジュールが詰まっていたり、仕事がたくさん待っているのも、ゆとりのニーズが損なわれてつらくなる。
そんな状態では自分の能力が十分に発揮できなく、かえって効率が悪くなる。

空間にしても時間にしても、十分なゆとりがないと自分の力を発揮することができない。
私には空間と時間のゆとりがどうしても必要なのだ。

自分にとってなにが必要なのか、なにが重要なのか、大切なのか、どんな価値観があるのか、そういったことをしっかりと見すえ、自分自身につながることを「自己共感(self empathy)」という。
共感的コミュニケーションはどんなシチュエーションにおいても、まずはこの自己共感の立ち位置からスタートする。

明日夜の下北沢〈Stay Happy〉や明後日夜の草加〈Jugem〉での共感・声カフェでも、自己共感について練習してみようと思っている。

共感・声カフェ@下北沢ステイハッピー

草加市〈Jugem〉で共感カフェ

2015年5月16日土曜日

直近の共感的コミュニケーション関連イベント

いよいよ初夏も本格的になり、夏服のシーズン、活動の季節がやってきた。
ひとりひとりが自分のニーズにつながり、いきいき能力を発揮するために、共感的コミュニケーションのスキルは役に立つ。
共感的コミュニケーション、マインドフルネスと瞑想、これらは現代人に必要かつ有効なスキルである。

そんな共感的コミュニケーションを学べる共感カフェなどのイベントを、まとめて案内しておく。
初めての方もリピーターも都合をあわせて気楽にご参加ください。

共感・声カフェ@下北沢ステイハッピー
下北沢の旅カフェ〈Stay Happy〉にて共感・声カフェを5月18日(月)夜に開催します。だれでも参加できるオープンで気楽な雰囲気の勉強会です。参加費1,000円+1オーダー。

草加市〈Jugem〉で共感カフェ
草加の天然石ブレスレット専門店〈Jugem〉での共感・声カフェ、ミニライブ付は5月19日(火)夜の開催。共感的コミュニケーションをまなんでいる仲間が主催。

「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@明大前キッドギャラリー
「沈黙の朗読」に「音楽瞑想」がくわわり、来場の方にある種の「体験」を提供する、まったくあたらしいハイブリッドなパフォーマンスとなります。5月20日(水)20時から。

共感・声カフェ@羽根木の家
5月の羽根木の家での共感・声カフェは、5月28日(木)昼の部14〜16時、夜の部19〜21時です。

マインドフル手帳術ワークショップ@羽根木の家
マインドフルネスと共感的コミュニケーションの手法を活用した手帳術で人生をすっきりさせる、画期的なワークショップを開催します。5月31日(日)午前、羽根木の家にて。

横浜共感カフェ
6月2日(火)夜、横浜の神奈川県民センターにて、共感的コミュニケーションをまなんでいる仲間が主催する共感カフェを開催します。どなたも参加できます。

2015年5月14日木曜日

福井県立病院初夏のピアノコンサート終了

月曜日は恒例の福井県立病院エントランスホールでのボランティア・ピアノコンサートだった。

月曜日の朝、東京・羽田から小松に飛んで、空港バスでそのまま福井に向かう。
新緑が美しく、また水田がことさらに美しい季節だ。
飛行機からはまだ白雪をいただいた白山がくっきりと見えた。

コンサートは午後1時半からだったが、1時くらいに行ってみると、あたらしく担当になった事務局の方がすでに来られていて、ご挨拶。
そのあと、福井新聞の新人記者が来て、取材を受ける。

先月も聴きに来てくれたパソコン通信時代からの友人・佳子ちゃんが今回も来てくれた。
素直にうれしい。
近況を報告しあう。

1時半に演奏をはじめると、聴衆もつぎつぎと集まってきて、ちょっとにぎやかになった。
トークをまじえながら、季節の唱歌をモチーフに即興演奏をおこなう。
「富士の山」「こいのぼり」「かたつむり」といった曲を演奏したり、話をしたり。
年配の方が多かったが、熱心に聴いてくれた若い方も何人かいた。
ロビーなので、用意された椅子ではなく、受付のカウンターあたりで聴いていたり、上のフロアから身を乗りだして聴いてくれている人もいた。

おもしろい気づきがあった。
3か月に1度のペースでおなじ場所で弾いていると、毎日の連続的な演奏では気づかない自分の変化に気づいたりする。
3か月前にはあんな感じで弾いていたものが、今日はこんな感じになっている、ひょっとしてわずかなりとも進歩しているのかも、なんてことを感じたりした。

ちょうど1時間のコンサートだったのだが、とてもマインドフルに集中できて、終わったら充実した疲れがあった。
ふと聴衆のほうを見ると、何人もの方が目に涙を浮かべたり、涙をふいたりしているのが心に残った。

記録映像をとっていたので、ひょっとしたら抜粋をYouTubeで公開するかもしれない( 時間があればね)。
そして次回の県立病院でのコンサートは8月18日(火)の午後に決まった。

2015年5月13日水曜日

【YouTube】4月の「沈黙[朗読X音楽]瞑想」抜粋映像

2015年4月17日。
明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉の3階ギャラリースペースにておこなわれたライブイベント「沈黙[朗読X音楽]瞑想」のもようから、ごくかいつまんで抜粋映像にしました。

朗読は野々宮卯妙、ピアノ演奏は水城ゆう。
テキストは夏目漱石作「夢十夜 第一夜」です。

映像はこちら(画像をクリックしてください)。
次回の「沈黙[朗読X音楽]瞑想」は5月20日(水)夜に、おなじ場所で開催します。
詳細と申し込みはこちら

次世代作家養成コース、今週のお題は「刺青」

日曜日の夜は次世代作家養成コースの今期2回めを開催した。
今期参加者のひとりと野々宮卯妙が欠席で、参加者は私をいれて3人。
楽しくやれたので寂しくはないけれど、なんかもったいないな。
おもしろく、充実しているのに。
音声記録はとってあるので、もし3回め以降の途中からでも参加したいという人がいたら、歓迎。
みんなで最終アウトプットである機関誌『HiYoMeKi』を発行するのだ。

2回めは、書き手・表現者にとっては最重要スキルである「自己共感」についての解説。
これはNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)をベースにしている共感的コミュニケーションを用いたスキルで、テキスト表現にかぎらず表現行為におけるオリジナリティの源泉であるところの原表現衝動を濁らせないための重要な方法だ。
そしてこれは、表現者である自分自身を守るための方法でもある。
この「身を守る方法」を持っているかどうかで、表現ののびやかさはまったく変わってくる。

というような話を最初にしてから、テキスト表現の実践にはいっていった。
毎回、テーマにそって500字以内、もしくは1000字前後の短文を提出してもらうのだが、今回のテーマは「プロ野球」だった。
今期から参加しているせっちゃんは、とってもかわいらしい中学生のエピソードを、ベテランの奥田くんはもう非の打ちどころのない完璧な短編を提出してきた。
奥田くんはあまりに完全すぎてなにもいうことがないので、せっちゃんの課題を使って短編小説とはなにかについての解説。

短編小説はたんにみじかい小説というものではなく、大きな世界の一瞬を切り取った断面であったり瞬間でなければならず、みじかくてもそこにある世界の存在が感じられなければ小説とはいえない。
では具体的にどのようにすれば世界を切り取れるのか、さらに切り取った世界を立体的に命を吹きこむにはどうすればいいのか、とくにディテールの重要性について解説した。

最後にいつもやるテキストエチュードとして、「比喩表現のエチュード」をやった。
これもみんなで頭をひねって、けっこう楽しい時間となる。

次回はつぎの日曜日・5月17日18時からの開催で、テーマは「刺青」。
体験参加や途中参加、歓迎。
詳細と申し込みはこちらからどうぞ。

水城ゆう6月の音楽塾「キース・ジャレットという現存の奇跡」

しばらくお休みしていた音楽塾ですが、再開します。

音楽塾では学校で習う音楽でもなく、音大や専門学校で習う音楽でもなく、私なりにこれまでの音楽研究と活動を通じて独自に獲得してきた知見をもとに、音楽の本質そのものにズバリと切りこんでいきます。

今回取りあげるのは、現存するジャズピアニストでは最高峰といっても多くの異論はないと思われるキース・ジャレットの音楽です。
「ジャズ」というジャンルにくくるにはあまりに多彩な音楽性で、もちろんジャズの演奏もすばらしいのですが、フリーインプロビゼーションは音楽の至宝といってもいいほどです。
その聴きどころについて、彼がなにをどうおこなっているのか、なぜ彼がすごいのか、彼の演奏はいったいどこからやってきてどこへ行こうとしているのか、など、キース・ジャレットを120パーセント楽しむための講義と鑑賞会をします。

◎日時 2015年6月12日(金) 19:00〜21:00
   世田谷区羽根木1-20-17
◎定員 10名(定員になりしだい締切らせていただきます。予約優先)
◎参加費 2,000円

◎お申し込みはこちら
 項目に「その他」を選び、内容に「音楽塾」と明記ください。

2015年5月12日火曜日

「瞑想」についての大きな勘違い

このところ瞑想に注目が集まっていて、いささか「ブーム」のような様相を呈している観もなきにしもあらずだが、そのようなときには注意が必要だ。
なにかが世間に知られ、広がっていくとき、ときに勝手な解釈ややり方がひとり歩きして、楽な方向やわかりやすい方向へと進んでいってしまうことがある。
瞑想についてもそのようなことが起こっているのではないかという危惧を、私は感じている。

まず押さえておきたいのは、瞑想は身体への注目がなければうまくいかない、ということだ。
瞑想はイメージトレーニングやリラクゼーションとはちがい、リアルな自分の身体のありよう、とくに感覚体としての実存在を浮き彫りにする行為である。
また、リラックスする、という方向性もちがう。

ある瞑想会で「目を閉じて、全身の力を抜いて、リラックスしてくださいね。眠ってしまってもいいですよ」といっているのを聞いて驚いたことがある。
もしリラックスしすぎて眠ってしまったとしたら、それは瞑想に失敗したということだ。

瞑想ではたしかに、言語思考を手放してなにもかんがえないようにするけれど、脳が眠ってしまうわけではない。
思考脳は休むが、逆に体感覚とそこからやってくる情報処理の部位は、むしろいそがしくなる。
身体条件は沈静化しているかもしれないが、感覚は研ぎすまされてくっきりとしていく。
眠るどころか、逆に生命力が活性化し、瞑想後は活力がみなぎっているはずだ。
全身が冴えわたって、自分のニーズが生きいきし、なにかをやりたくてしかたがなくなるだろう。

瞑想にはいるとき、すべての人(人間)にとってもっとも困難なのは「言語思考を手放す」という部分だ。
人はなにもしていなくても、あれこれごちゃごちゃとかんがえている。
自分がかんがえているということすら意識せずにかんがえている。
思考を完全に手放すのは、至難の技だ。
なので、さまざまな瞑想法があり、それぞれ言語思考を手放すための方法を提案している。

なかでもティク・ナット・ハン禅師の提唱している方法は簡便で、とにかく自分の呼吸に注目するというものだ。
これは釈迦がおこなっていたと伝えられるヴィパッサナー瞑想から来ているもので(と私は解釈している)、より緻密におこなうこともできるが、まずはおおまかにざっくりし呼吸を観察するだけでも一定の効果がある。

呼吸のほかに身体に注目する方法もある。
誘導瞑想では各人が身体に注目しやすいように、誘導者が身体の部位をとなえながら注目を誘導する方法が用いられることが多い。
これも有効な方法だが、そもそも言語を用いるためにそこから完全に離れるのはむずかしい。

私は音楽瞑想を15年くらい前からおこなってきた。
最初は瞑想とはいわず、ディープ・リスニングと呼んでいた。
しかしこれはもともとソニック・メディテーションという方法のひとつだった。
実際におこなってみると、明らかに瞑想効果があることがわかってきた。

音楽を瞑想に用いるとき、ひとつの罠がある。
これも人間の性というか、癖によるものなのだが、人には記憶力があり、それにともなう連想もある。
なにか音列やメロディを聴いたとき、自分の記憶のなかにある特定の曲にむすびつけたり、その曲を聴いた状況を思い返したりしてしまうことがある。
これが瞑想にはいるのを邪魔するのだ。
なので、私の場合、衆知のメロディは使わず、即興演奏を用いる。

演奏者自身も展開が予想できない即興演奏なので、比較的容易に思考を手放した純聴感覚に集中できる。
この音の流れに誘導されて、リスナーは楽に瞑想へとはいっていける、というのがこれまでの私の経験によるエビデンスだ。

瞑想には現代社会で大きなストレスを受けながら生きている人間にとって、たしかに有効な面があるといえる。
多くの人が自分自身に気づき、マインドフルに生きることで、共感と非暴力の世界が広がってくれることを、私は願っている。

「沈黙の朗読」に「音楽瞑想」がくわわり、来場の方にある種の「体験」を提供する、まったくあたらしいハイブリッドなパフォーマンスとなります。5月20日(水)20時から。

2015年5月11日月曜日

マインドフルネス研修会@聖路加国際大学に行ってきた

副題に「ティク・ナット・ハン禅師の教えに学ぶ」とある、精神医療関係者向けの研修会に行ってきた。
ティク・ナット・ハン師のサンガ〈プラム・ビレッジ〉のメンバーが今年も日本に来て、富士山麓でリトリートをおこなったり、この研修会をおこなったり、ほかにもいくつかの行事をおこなっている。
ティク・ナット・ハン師ご自身は、昨年、脳卒中で倒れて治療中で、しかし幸い、一時は危篤状態におちいったにもかかわらず現在は退院して、サンガにもどって療養中とのことだった。

私が最初にハン師のことを知ったのは、ちょうど10年前の2005年のころだったと記憶している。
ラジオ番組で名前と「マインドフルネス」という言葉を聞いた。
さっそくハン師の本を取りよせて読んでみた。
『禅的生活のすすめ』という本だった。
そこに書かれていたマインドフルネスの思想に感銘し、さっそく自分でも実践をはじめ、そして2006年に設立した現代朗読協会の講座やゼミでも伝えはじめた。

表現行為においてマインドフルネスは強力な味方となる。
「いまこの瞬間」の自分自身に気づきつづけ、たくらみを捨て、ありのまま誠実に、正直に表現するというのは、現代朗読の重要な根幹になっている。
私自身は朗読はやらないが、自分の表現活動でずいぶん助けられているし、これなしではもはや表現することもできない。

以来、ハン師の著書はすべて読んだし、またマインドフルネスや瞑想に関する文献はさまざまにあたったり、実践してきた。
私は宗教者ではないし、信仰も持たないノンスピリチュアルな人間だが、リアルな行為と身体状況としてのマインドフルネスには深く共感している。

マインドフルネス研修会は聖路加国際大学のアリスホールで開催された。
キャンセル待ちが続出する人気だったとのことで、400人くらいの客席が満席だった。

おなじみの呼吸の瞑想からはじまって、法話や講義、ブラザーやシスターによるチャンティング(歌)などをまじえて、昼は食べる瞑想、リラクゼーション瞑想と進んでいった。
私にとってとくに目新しい体験というわけではなく、むしろこのような大きな場でおこなわれる瞑想会よりホームグラウンドでおこなっているマインドフルネスや瞑想の実践のほうが質が高いと感じた。
日本の精神医学界の遅れを目の当たりにして、残念な気持ちになる場面もあった。
が、あらたな気づきがなかったわけではない。
仲間に再開したこともうれしかった。
知らない人から声をかけてもらって、あたらしいつながりができたことも収穫だった。

一番うれしかったのは、私が現代朗読、音読療法、共感的コミュニケーション、そして音楽瞑想で、より質の高いマインドフルネスと瞑想の実践をおこなえていることが確認できたことだった。
いま、自分がやっている「雑多」と感じていたさまざまなことが、自然にひとつの大きな潮流としてまとまりはじめているような気がして、もりもりとやる気が出てきているところだ。


自分にとっても必要なことだし、社会の現況においても求められていることなのだという実感がある。

2015年5月9日土曜日

変わり紫陽花、横浜共感カフェ、収納整頓WSの検分

昨日、羽根木の家に滞在中のゆっきーから、きれいなお花をもらった。
うれしいなあ。

夜は横浜・神奈川県民センターでの共感カフェだったが、なんと参加者は主催者のライパチくんひとり。
前回まで満員御礼だったのに、極端な振り幅で笑ってしまう。
ま、こういうこともあるでしょう、ということで、ライパチくんの近況とか将来の夢とかを聞かせてもらったり、来月以降の日程とか開催方法の打ち合わせができて、それなりによかった。

ゆっきーと入れ替わりに昨夜からきくあつが滞在していて、今日は早朝から収納整頓ワークショップの下見を兼ねて台所の検分。
台所が使いやすくなると、また料理を頻繁にしたくなって、食生活も充実すると思うので、楽しみ。
ワークショップは今月末の31日。
その前日は私のマインドフル手帳術ワークショップを開催。



今日はこれから現代朗読基礎コースを開催。
午後は朗読ライブ出演コース。

2015年5月8日金曜日

ミツバチ部:蜜源探索散歩と庭仕事

羽根木の家にニホンミツバチがやってきて2週間がたった。
ご指導いただいている後藤さんによれば、2週間たてばミツバチもすっかり落ち着いたとみていいということなので、私もかなり安心している。

そう、羽根木ビーズは今日もさかんに活動して、蜜やら花粉やらを集めているようだ。
巣箱からちょうど梅の梢のあたりが滑走路らしく、ブンブンとかなり直線的に発進してはどこかに飛んでいくのが見える。

フェイスブックを通じてミツバチを見せてほしい、といってやってくる人もいる。
歓迎だし、こちらの手があいていればお話もさせていただく。
トランジション世田谷 茶沢会のメンバーを中心に羽根木ミツバチ部というサークルができていて、羽根木ビーズをサポートしている。
基金もできつつあって、どなたも参加できるので、興味がある方はお問い合わせください。

一昨日6日(水)の午前中はミツバチ部のメンバーが集まって、羽根木の家周辺の蜜源を探索する散歩会を開催した。
ミツバチの目線で街を歩くと、思いもかけない風景が見えてくる。
人間が人間の都合で街を作ったり、移動したり、木を植えたり切ったりしているけれど、ミツバチの目になってみると自分の傲慢さに気づかされるし、都市といえども自然の体系のなかで連環し、人はより大きなものに生かされているということが見えてくる。
ミツバチの世話をするというのは、人と生き物が関わる環境について深くふかく学び、知っていくことでもあるように思う。

蜜源散歩はみんなでわいわいと、木を見たり、花を調べたり、こんなところにこんな植物があるんだと驚いたり、楽しく近所をぐるりとひと回りした。
ごく狭い範囲だったが、おどろくほど多様な植生がこんな住宅街にもあることがわかる。

いったん羽根木の家にもどり、辞典を開いて調べたり、気づいたことを交換したり、お茶を飲みながら話をしたのも楽しかった。

そのあと、みなさんが帰る前に、以前からどうにかしないとと思っていた玄関前の葉蘭群を手分けして刈り取り、根こそぎ掘り返してくれた。
たくさんはびこってしまっている葉蘭は一部だけ残して、撤去した場所にハーブ類をたくさん植えてハーブガーデンにする計画だ。
これはミツバチ部ではなく、ガーデン部の仕事になるだろう。

5月19日(火)には三軒茶屋の〈カフェ・オハナ〉で午後2時半から「Bee’s Cafe」を開催する。
講師に後藤純子さんをお招きして、羽根木ビーズのこれまでの経過や現在のこと、そしてこれからの世話のポイントやニホンミツバチの話を聞いたりする楽しい会になるはずだ。
どなたも自由にご参加ください。

雑学ゼミ、NVCゆっきー宴会、オーディオブックコース初回


昨日は午前中にゼミを開催。
ティク・ナット・ハン師のマインドフルネス瞑想リトリートに参加した京都のNVCのメンバーゆっきーが羽根木の家に滞在しているので、ゼミにも参加してもらった。
おもしろがってもらえた。

午後、ゆっきーの話をゆっくり聞かせてもらって、彼女が大切にしていることを教えてもらった。
ありがとう。
瞑想リトリートに使われた5つの戒律の文言を朗読し、それをビデオ収録してはどうだろう、という提案をしてみた。

夜はゆっきーを囲むNVCコアメンバーの会。
のぞみさんの手料理やら、賢くんの麻婆豆腐やら。
が、私はおなじ時刻に「オーディオブック収録製作コース」の5月スタート1回めを別室で開催したので、ほとんど参加できず。

オーディオブックコースはゼミ生のほかに、新規参加のYさんと体験参加のMくんが加わって、ちょっと熱く語ってしまった。
現代朗読になじみのない人にはとまどう内容がかなりあったかもしれない。
最後までついてきてくれるとうれしいのだが。

まだ1回めが終わったばかりなので、2回め以降の途中参加も歓迎です。
気軽にお問い合わせください。
詳細と申し込みはこちらから。

そして今夜は横浜共感・声カフェ@神奈川県民センター。
予約定員まで余裕があるようなので、飛びいり参加歓迎です。
詳細と申し込みはこちら

ポエトリースラム・ジャパン2015、成功裡に終了

日本では初開催となる「ポエトリースラム・ジャパン2015」に、スタッフとして参加してきた。
村田活彦さんが、昨年、パリの世界大会に行って、日本でもぜひ開催したいと準備をすすめてきたもので、10名以上のスタッフが協力しあって実現にこぎ付けたものだ。
私も村田くんの熱意に触れてぜひお手伝いしたいと申し出ていて、開催当日はビデオ撮影係として、詩人でポエトリーリーディングをやっている黒川武彦くんとタッグを組んで参加してきた。

参加者は総勢37名、お客さんも50人近くはいっただろうか、大変熱気にあふれたイベントとなり、大成功だった。
スタッフも参加者も若い人が多く、私のようなじじぃはちょっと気がひける部分があったのだが、それなりに寄与できてよかった。

それとは別に、現代朗読の野々宮卯妙が参加者としてエントリーしていて、ひときわ異質な存在として目立っていたのは、特筆にあたいする。

ポエトリースラムは、観客のなかからランダムにくじ引きで審査員を5名ピックアップし、彼らの得点によって予選から準決勝、決勝へと勝ちすすんでいくという方式で、今回、優勝者はパリの世界大会に出場する権利を得て、その航空チケットも支給されることになっていた。

まず予選だが、37名を9名から10名のグループ4組に分け、それぞれから2人ずつ選抜される。
見ていると、審査員といってもただの観客なので、点数にはかなりバラつきがあったり、主観的であったり、また会場の雰囲気や流れで大きく左右される。
そこがまたおもしろいのかもしれない。

野々宮卯妙は3番めのグループに登場し、なんとか2番手で予選通過。
私は会場の雰囲気を見渡していて、予選通過すら難しいのではないかと思っていたので、これは意外だった。

参加者と観客の半分以上はポエトリーリーディングの世界でつながっている人たちで、各地から参加していた。
これは村田くんの努力のたまものだろう。
それに対して、ちょっと異質な雰囲気でラッパーの人たちが残り3分の1くらいを占めていた感じ。
このなかで現代朗読の野々宮卯妙は完全に孤立無援といった感じで、コールされてもだれも知らない、拍手も起こらない、そんなアウェイな雰囲気のなかで、しかし例によって堂々たるパフォーマンスをおこなって、会場の度肝を抜いた。

それにしても、ポエトリーの人たちもラップの人たちも、熱気むんむんで、個性的で、多様性があって、予選から決勝まで60以上のセッションがあり、午後2時半から10時半までという長尺のイベントだったにもかかわらず、まったく飽きることなく楽しませてもらった。
これはすごいことだと思う。

準決勝は4人ずつのグループがふたつで審査され、グループからは1人しか選出されない。
野々宮は最初のグループで惜しくも2番手となり、落選したかに見えたのだが、決勝に進むのは3人。
つまり、次点の者が残ることになっていて、野々宮はそれに引っかかった。
ファイナリストである。

決勝ではポエトリーリーディングの岡野康弘さん、ラップの大袈裟太郎さん、そして現代朗読の野々宮卯妙の三つ巴となった。
野々宮は惜しくも優勝をのがしたが、みなさんに相当なインパクトを残したことは間違いない。
優勝した岡野さん、惜しくも僅差で次点だった大袈裟太郎さん、お疲れさまでした。
というのも、決勝はひとり3セット、合計9セットの審査がおこなわれるからで、かなりハードだ。

それにしても、村田活彦さんを筆頭とする運営陣の働きは見事だった。
これだけの大きな、そして複雑なイベントを、まったく滞りなく進めて大成功に導いたのは、大きな功績だと思う。
みなさん、お疲れ様でした。
そして参加者のみなさん、観客として盛りあげてくれたみなさん、私もたくさん楽しませていただきました、ありがとう。

4月17日の「沈黙[朗読X音楽]瞑想」当日パンフに書いたこと

今月・5月のキッド・アイラック・アート・ホールの3階ギャラリースペースでの「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演は、20日(水)夜・20時からです。
みなさんのお越しをお待ちしてます。

前回4月17日の公演の当日パンフレットに書いた私のコメントを紹介させていただきます。

------------
過剰なものやできごと、情報にあふれる現代社会において、ときに私たちは多くのことを見すごしてしまいます。立ちどまること、耳をすませてみること、目を閉じてみること、口をつぐんでみること、そういったことが大きな意味を持つことがあります。
 朗読においても音楽においても、出音することばかりに注意がむけられてしまいがちですが、音が出ていない「間」の部分の質についてはあまりかんがえられることはありません。しかし、日本人は古来から「間」を大切にしてきましたし、西洋でも現代音楽の作曲家であるジョン・ケージを筆頭に「間」すなわち「沈黙」にスポットをあてた表現が注目されるようになってきました。
 また、このところ、マインドフルネスや瞑想が注目されています。グローバルIT企業であるグーグル社やマイクロソフト社が、ティク・ナット・ハン師のマインドフルネス瞑想法を社員研修に取りいれているというニュースが聞こえてきたりします。それだけ現代社会において必要とされ、また生活や仕事の質を向上させることに有効であるとかんがえられている証拠かもしれません。
 そんなこととはべつに、私はこの15年、沈黙、静寂、深く聴くこと(ディープリスニング)、マインドフルに聴くこと、そして瞑想音楽のワークをつづけてきました。今夜もここで「沈黙の朗読」と「音楽瞑想」をひとつのプログラムとして提供できるのは大きな喜びです。
 いつものことばではありますが、キッド・アイラック・アート・ホールと早川誠司くんにあらためてありがとう、といわせていただきます


(みずきゆう)

5月スタートの次世代作家養成コースが始まった(途中参加歓迎)

この月曜日・4日夜に、5月スタートの全10回「次世代作家養成コース」の第1回をおこなった。
通常は日曜夜の開催なのだが、この初回のみ月曜日(休日ではあったが)となったので、参加できない方が何人かいて、少人数での開催となった。
参加できなくても、音声記録をとってあるので、あとでゆっくり聞くことができる。
また、途中参加の方にも、逃した回の分の音声記録を配布することになっている。
なので、途中からでも興味があればどんどん参加してみてください。

さて、4日夜の初回の内容について、すこし紹介する。
次世代作家養成コースでは小説、詩歌、エッセイ、その他ブログ記事、メールやメッセージなど、文章(テキスト)を使って自分を相手に伝える、あるいは表現する、ということ全般を扱う。
なぜこんなに守備範囲が広いかというと、「テキスト表現」には原理があり、その核となっている技術について理解することで、各人がオリジナリティの高い「表現行為」とすることができる、という私のかんがえがあるからだ。

もっといえば、テキスト表現にかぎらず、表現行為には共通の原理がある、といういわば「統一理論」のようなものを私は提唱している。
現代朗読もそうだし、私が実際におこなっている即興ピアノ演奏でもそうだし、また私がこのように文章を書いたり、あるいは創作を「水色文庫」に発表する際も、表現の原理を発動している。

先日のコース初日では、まず「表現とはなにか」について、さまざまな表現行為を例に取りながら詳しく見てみた。
表現とはなにか、そこではどんなことがおこなわれるのか、についての共通理解があることで、その原理を理解しやすくなる。

「表現」と「発散」を取りちがえやすいこと、その違いはどこから生まれるのか。
純粋な表現を阻害する「社会性」という要因について、自分がおこなっていることを丁寧に見ていくことが必要であることなども、お伝えした。
例に出したのが「天才とはなにか」という話だった。

実際にテキストを書いてもらった。
「視点」の練習ということで、ある描写をしてもらうことで、自分の文章の癖や型に気づいてもらう。
それを知ることで、無意識に見過ごしてしまっている自分のオリジナリティの可能性や、自分自身の存在を文体に乗せていく方法、身体性がこめられた文章を書く方法などについて、ざっくりと解説する。

これらのことは、これから全10回を通じて、さまざまなエチュードをおこないながら、そして実際作品を書きながら進めていくことになる。
まだ初回が終わったばかりなので、2回め以降の途中参加も歓迎である。

途中参加の人には、講座の記録音声をお渡しするので、安心して参加してください。
詳細と申し込みはこちらから。

2015年5月2日土曜日

始まった基礎コースとライブコース(途中参加歓迎)

今日から現代朗読協会の5月始まり「現代朗読基礎コース」と「朗読ライブ出演コース」がスタートした。
まだ始まったばかりなので、途中参加も可能。
興味がある方はどうぞご参加ください。

午前中は基礎コース、午後はライブコース。
いずれも「現代朗読」における「表現」とはなにかについて、基本的なことをまずしっかりと押さえるためのエチュードと講義をおこなった。

そもそも表現とはなんだろう、ということだ。
現代朗読において表現とは「自分自身のユニークさや独自性のいまこの瞬間のありようを他者に伝える行為」と定義している。
朗読はテキストを読みあげる形を取るが、テキストの内容を「伝達」する行為は、表現とはちがう。
わかりもしない作者の思いとか、読み手が勝手に決めつけている作品のテーマといった「思い込み/妄想」をオーディエンスに押しつけることでもない。
ただ正直に自分自信のいまこの瞬間のありようを、テキストを読むという行為を通じて表現するのが、現代朗読における表現である。

表現にも2種類あって、ひとつはプリペアド、つまり準備され、構築されたもの。
「このような形で伝えたい」という「設計」にもとづいて、それが再現できるように何度も練習し、準備する。
もうひとつは、インパロバイズド、つまり即興性であり、現在性である。

前者は設計し、計画し、準備して、それを表現の場に持ちこもうとするのだが、人間は生き物であり、毎日変化する。
一瞬としておなじ瞬間はない。
昨日準備したことを、今日おこなおうとしても、無理が生じる。
その無理を埋めようとして、さらに何度も練習して、構築を強化していくのだが、それをやればやるほど生き生きしたものから遠ざかっていく。
コンテンツとしては瑕疵のないものが完成するかもしれないが、表現行為としては死んでいるといわざるをえない。
商業コンテンツはしばしばそのような形を取る。

自分に正直に、誠実に表現しようとすると、準備されたものを手放し、いまこの瞬間の自分の生命活動に耳をすまし、それをよりどころとして表現していくしかない。
現代人はこういった感受性を決定的にうしなってしまっていることが多い。
それは、社会性を身につけてしまったゆえの結果である。

社会性は社会性として、それとは別に自分の生命活動に深く触れていく感受性を取りもどし、いまこの瞬間の生き生きした表現の喜びに踏みこんでいく必要がある。
一見、そちらはとても不確定で、薄暗く、見通しが悪くて、不安がよぎる。
しかし、いったんそちらに踏みこみ、自分自身の生命の声を聞くことができれば、逆にこれほどリアルな実存はないと実感できるだろう。
それができれば、他人からどんな批判を浴びせられようが、まったく気になるようなことはない。
ただ、自分自身でありつづければいいだけだとわかっているからだ。

すべての人はそれぞれユニークで貴重な存在だ。
しかし、ユニークさ・独自性と奇抜さはまったく別のものだ、という話もした。
ここも重要な観点だ。

概念としてことばをつらねると、抽象的で難解に聞こえるかもしれないが、実際にやることは具体的だ。
自分自身を繊細に緻密に見ながら、テキストを読んでみる。
気づくことが山のようにある。

基礎コースもライブコースも、全10回を通じて、深く深く自分の命そのものに接近し、触れていく。
途中から参加を希望する方や興味をお持ちの方は、現代朗読協会まで気軽にお問い合わせください。
問い合わせ窓口はこちら

2015年5月1日金曜日

5月開催:人生すっきり!「マインドフル手帳術」WS@羽根木の家

4月開催の当イベントが大好評につき、参加できなかった方のためにふたたび開催します。
よりブラッシュアップした内容になる予定で、初参加はもちろん、リピート参加も歓迎です。

手帳歴45年を超え、手帳(情報活用術)の本も書いたことがある水城ゆうによる、共感的コミュニケーションの「自己共感」スキルをもちいた、画期的な「マインドフル手帳術」の実践ワークショップです。

◎日時 2015年5月30日(土)17:00〜20:00
◎会場 現代朗読協会「羽根木の家」(京王井の頭線新代田駅徒歩2分)
◎参加費 3,000円

◎定員 15人
◎講師 水城ゆう

ご自分がふだん使っている手帳をお持ちください。
手帳ではなくタブレットやスマホでスケジュール管理をしているという方は、それをお持ちください。

ワークで使うので、ご自分の部屋の写真をお持ちください(スマホやデジカメの写真でかまいません)。人に見せるものではなく、プライバシーは守られます。ご自分だけワークのときに参照するものです。

※参加申し込みおよび問い合わせは、こちらのフォームから「お問い合わせ内容」で「その他」を選び、メッセージ本文に「マインドフル手帳」とご記入ください。

【こんなことをやります】
最初に自分の内外の「気がかりなこと」すべてを書きだし、いったん頭のなかをからっぽにします(GTDの手法に似ています)。
自分自身の内側に深くアクセスするためのマインドフルネス瞑想を、折にふれ、おこないます。
実際のワークは詳細なプロセスにしたがって、お互いにシェアしながら進めていきます。ひとりひとりの価値観を尊重する共感的コミュニケーション(NVC)の手法を用いますので、安心してご参加ください。

参加者全員にマインドフルネス手帳の運用方法を身につけてお帰りいただきます。
あとは手順にしたがって自分の人生をクリアにし、毎日いきいきとすごす段階へと乗り出していってください。

四茶げろきょオープンマイク、4月開催終わりました

2015年4月29日、午後。
毎月恒例となった三軒茶屋のライブスペース〈四軒茶屋〉での現代朗読協会(げろきょ)主催のオープンマイクが、今月も開催された。

毎回宣言しているように、このオープンマイクは「批評」「批判」などのジャッジメントをいっさいおこなわず、お互いに共感的に受け取り合うことで、真に安心してのびやかに表現できる場を作ることを目的としている。
とはいえ、出演者は聴いてくれた人たちからなんらかのフィードバックは欲しいもので、そのための仕組みとして、「味覚フィードバックシート」を毎回準備している。
出演者は全員、オーディエンスの全員からそのフィードバックシートを受け取り、自分の表現がどのように受け取ってもらえたのか知ることができる。
しかし、そこには批評や批判はなく、安心して受け取ることができる、という仕組みだ。

いつも司会のサポートをしてくれている森沢幸と、進行を手伝ってくれている野々宮卯妙のふたりともが、やんごとない用事で参加できなかったので、サポートをげろきょのゼミ生の川崎満里菜(弱冠21歳)にお願いした。
これがなかなかユニークで、今回は独特の雰囲気になった。

オープンマイクのトップバッターは、弱冠22歳の朗読者にして老練な雰囲気を醸し出している飯干くん。
とても満里菜とほぼ同い年とは思えない。

二番手はげろきょゼミ生の福豆々子さん。
与謝野晶子のぶっとんだ童話を、生き生きと楽しそうに読んでくれた。

三番手は川崎実雪・満里菜の母娘による紙芝居。
これは前回3月の続編ということで、前回のあらすじ付きでおこなわれた。
私もいちおうメンバーの一員として、ピアノ演奏で参加。

四番手は、げろきょゼミ生のバンガードさん。
夏目漱石の名作『草枕』の冒頭を、「重心移動朗読」で読む。
重心移動朗読がなんなのか、興味がある人は、現代朗読協会の講座に体験参加してみてください。

五番手は黒猫さんと原口さんによる「黒猫のタンゴ」。
ピアノの黒猫さんがとっても不思議な譜面を使っていたので、あとで見せてもらったら、さらに謎が深まるばかりの不思議さだった。

つづいて黒猫さんひとりによるピアノ演奏。
ドビュッシーの「月の光」だったが、何年かぶりにひと前でピアノを弾くという黒猫さん。
上手・下手を超えて、曲への思いや真摯さが伝わってきて、少なくとも私は胸が熱くなった。
おふたりにはまた来てもらいたいな。

そのつぎは〈激団波平〉さんによる「ボイスダンス」のパフォーマンス。
私もピアノで参加。
「ボイスダンス」というのは私が勝手に付けさせてもらった名称なのだが、声とダンスを使った、しかも声というか言葉もダンスだというパフォーマンスは、オリジナリティが高くて、とても魅力的だった。
今後への可能性を感じさせてくれるものだった。

最後に、司会を手伝ってくれた満里菜といっしょにやろうとしたら、トイレに行きたいというので(笑)、私が一曲、ピアノを演奏することになった。
「お題を」と求めたら、「桜の三軒茶屋」と来たので(難しい!)、それで即興演奏。

演奏を終えたら、満里菜がもどっていたので、宮沢賢治の「黄色のトマト」を朗読してもらう。
ただし、普通に朗読するのではなく、ピアノの蓋のなかに頭を突っ込んで、弦の残響を生かしながら朗読する、いわば「グランドピアノ朗読」。
奇妙な方法だが、じつはこれまで何度かやってきていて、満里菜にもやってもらったら、あらたなオリジナリティが見えておもしろかった。

以上、これらの模様については、後日、あらためて、抜粋映像をYouTubeで配信する予定。
しばしお待ちを。

ちなみに、来月5月の四茶げろきょオープンマイクは、5月31日(日)の予定です。
みなさん、どうぞお越しください。
とっても楽しくて、安心できて、そしてクリエイティブな場がそこにあるはずです。
詳細と申し込みはこちらから。