2014年2月28日金曜日

浮上

軽い喉風邪から始まった今回の気管支炎、そして今度は本格的に発熱して寝込み、丸3日間の絶食、という一連の沈没の日々は、仕事や人との約束に穴こそあけなかったが、ひさしぶりにかなりヘビーであった。

友人は、
「いつもあんなに食事とか体調とかに気を使っているのに、気の毒。最近、体調を悪くすることが多くない?」
と心配してくれた。
私が体調を崩すことが多いように見えるとしたら、それは体調がいいとは「いいぞ、いいぞ」とわざわざ書かないし、悪いときには「悪い」と書くので、そちらが目立ってしまっているというだけのことで、体調が悪くなるのはそう多いわけではない。
ましてや寝込むなんてのは、ここ数年来ひさしぶりのことだ。
そして、気を使っていなければもっと体調を崩す頻度が増えているだろう。

ともあれ、低く沈んだ分、浮上するのにも時間がかかっている。
体力と筋力の衰えをはっきりと感じる。
宇宙飛行士が無重力空間から帰還したときのように、回復のためのトレーニング期間が必要なのだろう。

病気をなおすために免疫系にエネルギーを回したくて、ほとんど食事をとらなかった。
消化器系には休んでもらっていたのだ。
いろんな説があるが、私にはこれが一番あっている。
食べなければ回復が早く、食べると回復が確実に遅れる。
そのかわり、回復後には体力の回復が必要になる。

昨日は共感的コミュニケーションの勉強会の日だった。
参加者が少なめだったので、羽根木の家の掘りごたつを囲んでじっくり話をした。
初参加の男性が、奥さんとの関係性をよりよくしたいという望みを持っておられたので、共感的コミュニケーションのプロセスを解説しながらどのような「ことば」がつながりの質を高めるために有効なのか、そしてそれがどのように働く可能性があるのかについていっしょにかんがえた。
さっさく家で試してみられるということで、ほかの参加者ともども、次回の報告が楽しみである。

※3月の羽根木の家での共感的コミュニケーション勉強会は22日(土)と27日(木)に開催します。
 詳細と申し込みはこちらから

2014年2月24日月曜日

雑記:発熱、ウェルバ・ムジカ

備忘のために、今回の発熱の顛末を記録しておく。

たぶん最初は軽い喉風邪。
喉がイガイガして、喉の奥が腫れ、咳が出た。
しかし、激しく咳こむというほどではなく、コホコホという程度。

振り返ってみると、毎年この時期に喉風邪から気管支炎に進行して、長く咳がつづくことがつづいている。
十年近く前にマイコプラズマ肺炎を感染して以来そんなことがつづいているみたいで、マイコを一度やると気管支炎をやりやすくなることがある、と医者もいっていた。
だから用心していたのだが、いかんせん東京の冬の厳しい寒さはどうすることもできない(北陸の実家のほうがまだずっと暖かい)。

今回も医者に行ったら、きっちり気管支炎ということで、咳止め、タン切り、抗生剤を処方してもらい、それで快方に向かうだろうと油断していた。
咳がぜんぜん止まらず、ひどくなるばかりで、ウェルバ・ムジカのライブがあった先週の土曜日にはかなり苦しい状態で、やむなく市販のシロップタイプの咳止めをぐい飲みしてしのいだりしていた。
かんがえてみれば、そのとき、気管支炎のほかに、風邪を引きこんでいたのだ。

ライブの途中から激しい悪寒に襲われ、なんとかライブを無事に終えたものの、這うようにして家に帰り、そのまま臥せってしまった。
飲み物以外なにも取らず、日曜日一日ずっと寝ていて、今朝ようやく身体を起こせるようになった。
発熱期間が短いのでインフルエンザではないと思う。
今日はすこしものを食べたり、起きてコンピューターに向かったり、ちょっとだけ外出してみたりしたが、基本的にぐずぐずと休んでいた。

それにしても、ウェルバ・ムジカのファーストライブが無事に終えられてよかった。
体調がすこしもどって、振り返る余裕が出てきた。
おいでいただいたお客さんには感謝したい。
もっと多くの方に来てもらいたかったが、それは私のプロモーション能力の至らないせいだろう。
このユニットは100人、200人のライブハウスを満席にして、なおキャンセル待ちがならぶほどのポテンシャルを持っていると、私は確信している。
だから、もっと広くよく知ってもらうのは私の仕事だと思っている。

ファーストライブにいるべき重要メンバーのひとり・森順治さんが参加できなかったのも残念だった。
が、森さんはやる気満々なので、今回出演できなかったが、次回以降、かならずすばらしいプレイを聴かせてくれるはずだ。

ほかにも、げろきょメンバーのなかからが「音楽と現代朗読の先端的な表現をめざす」グループを作りたいと私が提案したとき、私もやりたいと表明してくれた何人かがすでにげろきょを去っていないことも、寂しいかぎりだ。
いつでももどってきてほしいなあ。
門は開けてある。

ウェルバ・ムジカのデビュー戦、密度濃く終了

ほんとはこのレポート、終わってすぐに書きたかったのだが、ライブ直後に発熱してそのままダウン。
いままでずっと床に臥せっていた。
ライブ前から気管支炎をわずらっていて薬を飲んでいたのだが、全然よくならないばかりか、だんだん咳がひどくなる。
それでもなんとかライブをスタートさせて、ファーストステージが終わったあたりから、猛烈な悪寒がやってきた。
発熱してしまった。

昨日一日寝込んでいて、ようやく床から起きだせるようになった。

というような私の事情とは別に、ウェルバ・ムジカのファーストライブは大変充実した内容の、熱く濃いステージとなった。
これまで朗読と楽器隊のセッションというと、ほとんどが音楽は完全即興だったのだが、ウェルバ・ムジカではもうすこし作品ごとの構成感とかまとまり感を持たせられないかと思っていた。
そこで、作品ごとにごく簡単な構成案を作り、ものによってはリズムと調性の指定もした。

ところで、このライブは土曜日だったので、平日なら20時スタートだが、土曜日なので19時スタートにしよう、とお店と約束したとばかり思いこんでいて、実際には土曜日も20時スタートだったのだ。
私の告知を見て来られた方は開演までだいぶ待たせることになってしまったので、開演前に「前座」として、普段ほとんどやらないジャズのスタンダードナンバーをトリオで演奏することにした。
これはこれでレアものだった。

20時、開演。

First stage
 1. 楽器隊のみでの即興演奏
  水城ゆう(p)、日野了介(b)、今竹一友(ds)
 2. ユークリッド原論 by 照井数男 with 楽器隊
 3. Old Snow Woman by 野々宮卯妙 with ピアノ・ダンス(政岡由衣子)
 4. 政岡由衣子 with 楽器隊
 5. きのこ女 by 全出演者

このあたりで私はだいぶ具合が悪くなってきたのだが、あとワンステージならなんとかやりきれそうだと思った。

Second stage
 1. 楽器のみで即興演奏
 2. おかめどんぐり by 山田みぞれ with 楽器隊
 3. 山村暮鳥「聖三稜玻璃」 by 照井数男 with ベース
 4. あめのうみ by 野々宮卯妙 with ピアノ・政岡由衣子
 5. 日本国憲法 with 全出演者

軽いものあり、重いものあり、構成されたものあり、完全即興ありで、ウェルバ・ムジカのありようと方向性をまずは示すことができたのではないだろうか。

全部終わってから、私はとても電車で帰れるような状態ではないと思って、中野から新代田までタクシーで帰った。
店に iPad mini を忘れてきてしまった。

2014年2月22日土曜日

今夜は中野〈Sweet Rain〉でウェルバ・ムジカのデビュー戦

いよいよやってきた。
現代朗読と現代音楽を核にすえたコンテンポラリー表現ユニット〈ウェルバ・ムジカ〉のデビュー戦が、今夜、中野の〈Sweet Rain〉にておこなわれる。
メンバーのひとり、森順治さんを欠いているので、デビュー戦というより、プレデビューという感じかもしれないが。

現代表現の世界において、あまりに朗読についての研究・チャレンジが日本ではされなさすぎていることが私には不満であると同時に、ここに未踏の広大な地があると感じている。
だれも聴いたことも見たこともない表現の世界に踏みこんでいきたい。
同時に、朗読表現の音楽性と身体表現性をもとらえて、そちらの表現者たちともタッグを組んでいきたい。

まだまったく注目されていないウェルバ・ムジカなので、今夜はたぶんまだまだお客さんは少ないだろうが、今後はどの箱もいっぱいにしていきたいと、ライブハウスやホールといった限定空間ではない場でも積極的に斬新なことをおこなっていきたいと思っている。

今夜の(プレ)デビュー戦のメンバーはつぎのとおり。

 朗読 野々宮卯妙
    照井数男
    山田みぞれ
 音楽 水城ゆう(ピアノ/キーボード/ほか)
    日野了介(コントラバス)
    今竹一友(打楽器)
 身体表現(ゲスト) 政岡由衣子(ダンス)

ご都合のつく方はぜひお越しください。
今夜19時、中野のジャズダイニングバー〈Sweet Rain〉にて開演です。

2014年2月20日木曜日

世界らん展、韓氏意拳の稽古

昨日は東京ドームまで「世界らん展」を観に行ってきた。
去年は月海ちゃんが付き合ってくれたのに、今年はもう飽きたらしくて(あんなに夢中だったのにっ)、せっかくペアチケットを買ったので呼びかけたら、菜穂子さんが付き合ってくれることになったのでよかった。
らん展はなんとなく、ひとりで行くとむなしい気がする。

らんの香りが加齢臭か、というくらい来場者の年齢層は高い。
そして入場者数25万人をほこる大イベントなので、商売っけむき出しの業者がわんさかいて、そりゃもう人間の欲望がうずまいている場所なのだ。
しかし、そういったことを差し置いても、観に行く価値はある(と私は勝手に思っている。だって趣味なんだからしょうがない)。

賞に出品されたゴージャスな、あるいは可憐な、香り立つ、手のこんだ、さまざまらんを観るのも楽しいのだが、私が一番燃えるのは、業者のブースのなかでも原種のらんを扱っているコーナーだ。
東南アジアやオーストラリア、北米、南米、アフリカなど、さまざまな地域からオーキッドハンターによって採取された原種のらんが売られていて、それらはたいてい高額なので手は出ないのだが、見るだけでも楽しい。

今年は、デンドロビューム系のらんが以外におもしろいということを発見した。
ポピュラーな種なのであまり注目していなかったが、原種に近いものでおもしろいものがたくさんあるし、花屋でかっこうよく仕立てられて売られているものとはまったく違った印象のものもある。
私もひと鉢、安いものを買った。
もうひとつ、クローウェシアという種類の小さなもの。
いずれもつぼみがたくさんついていて、もうすぐ花が咲くだろう。

菜穂子さんも初らんを買った。
セッコクの小鉢と、あとなにかひとつ。

東京ドームを出て菜穂子さんと分かれてから、カフェで時間つぶしがてら、MacBookを開いて仕事。
あさってのウェルバ・ムジカのデビュー戦( http://juicylab.blogspot.jp/2014/01/verva-musica_27.html )で使うテキスト「きのこ女」を書きあげる。
これは3月29日のみぞれちゃんのワンマン朗読ライブ「きのこ祭り」でもやってもらうことになっている。

夜は中野の新井区民活動センターまで韓氏意拳の稽古へ。
午前中の診察で気管支炎が判明し、体調もいまいちだったので迷ったのだが、がんばって行くことにした。
韓氏意拳は激しい運動はないので、体調が悪くてもそれなりに稽古はできる。
昨夜は基礎試力をつうじて、自分が頭でたくらんでしまうこと、集中(状態)が甘くなる部分、ついやってしまう癖などについて精密に検証させてもらえた。
かなり大変だったが、行ったかいがあった。

2014年2月19日水曜日

きかんしえ〜ん

いつまでも咳がとれず、息苦しいのと、すこし動くととたんに息切れするので、以前かかった肺炎の心配をして下北沢の内科医院まで行ってきた。
検温したら36.7度。
平熱が35.5度くらいなので、やや熱っぽいということか。

聴診器などで診察を受けて、念のためにレントゲンを撮ることになった。
最近は撮ったらすぐにモニターで確認できる。
幸い、肺炎にはなっていない。
しかし、気管支炎という診断。
以前、マイクプラズマ肺炎にかかったことがあって、あのときはつらかった。
あれにかかると、その後も気管支炎になりやすいこともあるそうだ。

気管支に炎症があるので、どうしても息を大きく吸いこみにくい。
大きく息を吸いこむと、咳きこみそうになってしまうので、無意識に呼吸を押さえてしまう。
その結果、血中酸素濃度は95パーセントと出た。
これもまた、最近は非常に簡単な装置ですぐに計測できる。

結局、咳止め、痰切り、抗生剤など出してもらった。
薬は極力飲まないのだが、とにかく咳を押さえて大きく呼吸をし、血中酸素濃度を低下させないようにしたい。
呼吸さえ自由にできれば、あとは呼吸法でなんとか乗りきろう。

あらためて呼吸法の大切さを知った日であった。
呼吸法と発声、音読による表現、そして共感的コミュニケーションという3本の柱を持つ音読療法は、大変すぐれた健康法で、私が毎日いきいきとほがらかにすごすことができているのはこれのおかげだ。

※2月23日(日)10:00-17:00は羽根木の家で2級ボイスセラピスト講座です。呼吸、声、音読を使っただれにでもできるセラピーで、自分自身と回りの人を癒してください。
 詳細と申し込みはこちらから

2014年2月18日火曜日

呼吸器系絶不調、ウェルバ・ムジカの準備、個人セッション、絶望のワーク

体調がいまいちなんだけど(寒い時期はいつも低調で、とくに風邪で喉をやられたりするとそれが気管支炎を引きおこし、さらには軽い肺炎みたいな症状になって、階段の昇り降りすらしんどい状況になる)、ひさしぶりのライブが近づいてきているので、そのテキスト準備をすすめる。

3月29日の山田みぞれのワンマンライブのために、私のオリジナルテキスト「温室」をベースにした「きのこ女」という作品を提供しようと思っていたのだが、2月22日のウェルバ・ムジカのデビュー戦に間に合わせてやってもらおうかと思った。
そこで、みぞれちゃんから借りた「きのこ検定」の参考書をにらみながら、「きのこ女」をコツコツと書きすすめる。
ほとんど書きあがったが、なんとかおもしろいものになると思う。

午前中はオーディオブックリーダー養成講座の個人セッション。
朗読の経験はまだほとんどなく、逆にそれが妙な思いこみや癖を身につけていないという点で、表現としての可能性が大きくあるように感じた。
これから1か月くらい、ゼミ生とおなじ扱いで朗読の勉強をしていただくわけだが、どのくらい表現のクオリティを伸ばしてくれるのか、私としてもとても楽しみである。

午後にみぞれちゃんが羽根木に打ち合わせに来たので、22日のウェルバ・ムジカのライブのセットリストを作った。
それにしても、だるくて眠い。
殺人的にしんどいのは、肺がまともに機能していないせいのように思える。
嫌だけど、明日の朝は医者に行ってみよう。

それはそれとして、22日のライブは最高におもしろいものになるはず。
みなさん、中野の〈Sweet Rain〉に来てね!
詳細と予約はこちらから

夕方、渋谷の〈サラヴァ東京〉に行き、4月22日の酒井俊さんとのライブの打ち合わせ。
どういう形でやるか、さまざまに検討してみた。
せっかくなので、なるべくたくさんの方に来てもらいたいからだ。

体力が限界で、もう帰ろうかと何度も逡巡したのだが、四谷三丁目で献ちゃんがここ10年越しに企画してようやく実現したというNVCの「絶望のワーク」を開催するというので、這うような気分で参加。
幸い、会場が暖かく、2時間超というハードなワークになんとか付き合うことができたし、貴重な体験ができた。
ワーク後の食事会はさすがに失礼させてもらって、帰宅。

明日はまず医者に行き、ドクターストップがかからなければ、東京ドームでの世界らん展と、夜は中野の韓氏意拳の稽古に行けるかな?

他人をののしりあざける人々

photo credit: Leonard John Matthews via photopin cc

SNSを利用している人ならだれもが、だれかがだれかを口ぎたなくののしったり、あざけったりする場面に遭遇して、怖くなったり、こころが冷たくなった経験があるだろう。
そのことで実際にSNSをやめてしまう人もいる。

SNSはうまく使えば情報交換の有用な手段だし、必要な人とのつながりを持つこともできる。
そこから離れるという決断もあるだろうが、できればトラブルに対処するスキルをこちらが持ち、上手に付き合っていきたい。

自分がだれかからdisられたり、だれかがdisられているのを見て不快な気分になったとき、どうすればいいだろうか。
避難されたり、ののしられたとき、人は反射的に自分に非があったのではないかと思ってしまう。
自分がなにか非をおかし、その結果、相手を怒らせてしまったのではないか、と。
そして、相手の怒りをなんとかしなければとあわててしまう。
あやまったり、自分のおこないを反省したり、SNSから消えようとしたり。

相手の怒りの原因は、こちらのおこないではなく、相手のなかにある。
こちらのおこないは、相手の怒りにとってたんなるきっかけである。
相手がなにを大切していたのか、そのことを知ることによって、相手の怒りの原因もわかる。
相手にも怒りの原因について気づいてもらうことで、善後策をともにかんがえることができる。
こちらがあわててなにかする必要はない。

たとえば、しょっちゅうだれかに「バカ」とか「死ね」というののしりの言葉を投げつける人がいる。
Twitterなどでよく見かけるのだが、かなりの有名な人で知性的で知られている作家やコラムニスト、思想家といった人でも、そのような言葉をしばしば使う。
このときの彼らのニーズを推測してみる。
彼らはいったいなにが大切で、相手にたいして怒りの言葉をぶつけてくるのだろうか。

このような相手をののしる言葉というのは、それ自体、メッセージとして受け取ることができる。
「自分は相手を見下す言葉を使うことによって、相手より優位な立場に立ちたい」という、悲痛なメッセージとして聴こえることがほとんどだ。
この人たちは自分が人より下の立場に置かれたり、影響力を行使できないようになることが本当に怖くて、おびえているのだ。
だから自分を守るために、相手を威嚇する強い言葉を使う。
しかし、そこに見えるのは、自分の立場を必死で守ろうとしているおびえた人の姿だ。

そのことに共感してあげよう。
「あなたは自分が人より優位に立ちたくてそのような言葉を使いたいのですか? 安全・安心のニーズがあるんですね?」
と。
共感してあげよう、と書いたけれど、実はこれは方便である、本当の共感ではない。
これはあなたがだれかからひどい言葉を投げつけられたとき、あなた自身を守るための武器としての言葉になる。
本当に相手に共感するためには、さらに深くつながっていくスキルが必要になるが、自分を罵倒してくる人間を前にして、まずは自分の安全を確保することが優先事項となる。

※2月の羽根木の家での共感的コミュニケーション勉強会は、2月22日(土)15時からと、2月27日(木)に開催します。27日の昼の部は15時から、夜の部は19時からです。
 詳細と申し込みはこちらから

2014年2月17日月曜日

あいぶんこ朗読ポッド Vol.60

下北沢〈Com.Cafe 音倉〉で開催している「陣城太郎写真展・下町・町猫・猫生」のオープニングイベントでおこなった、ソロピアノ演奏の模様です。
陣城太郎撮影の街猫の写真をプロジェクターでステージに投影し、それを見ながら水城が即興でピアノ演奏を展開しました。

視聴はこちら(下の画像をクリック↓)
※コンテンポラリー表現ユニット〈ウェルバ・ムジカ〉の結成デビュー戦が中野〈Sweet Rain〉にて2月22日(土)夜に行われます。
 詳細はこちら

責められることを恐れて萎縮する人々

photo credit: Pinot & Dita via photopin cc 

すべての人は自分のニーズを満たすために生きている。
それを「自己実現」といういいかたをする人もいる。
イキイキと自分らしい時間をすごし、自分を表現し、大切な人とつながり、豊かな人生を送りたい、といったような望みをもち、それを実現させるために生きている。
しかし、人は社会的動物であるがゆえに、自分自身のニーズより他人のニーズや社会的規範のなかで自分を見失い、萎縮してしまうこともある。

子どもがなにかいけないこと――たとえば真っ白い新築の家の壁にクレヨンで絵を描いてしまったというようなこと――をしたとき、それを大人にしかられることがある。
親は自分の子どもに、
「壁に絵を描くのはよくない、ルール違反だ」
ということを教えようとしてしかる。
自分の子どもに社会性を身につけてもらいたい、社会的秩序を守れるようになってほしい、よその家でもそんなことをしないようにルールを守れる子どもになってもらいたい、という望みがある。

子どもにしてみれば、前に紙に描いたときお母さんに喜んでもらえた花の絵を、真っ白い壁に描いたらまたどんなに喜んでもらえるだろうかと思い、わくわくしながら描いたのかもしれない。
しかし、予想に反して怒られてしまった。
そのとき、親に自分のニーズを理解してもらえず、ただ「いけない」と禁じられたとき、自分のニーズを押さえつけようという「萎縮」が起こる。

これは子どもにかぎらず大人でも起こることだ。
自分がなにかをしようとしたとき、そのことで怒られる/責められる/社会的制裁を加えられるのではないかという、漠然とした恐怖/不安をいだき、おこないが萎縮してしまう。
そういう人を見ることが多くなっているように感じる。
社会が他罰的で、法治原則的で、システマチックで、非人間的に窮屈になっていけばいくほど、個々人の行動は制限され、萎縮していく。

そんな風潮のなかで自分まで萎縮するのではなく、自分のニーズにしっかりとつながり、イキイキと行動していきたい。
まずニーズを満たすための自分のおこないがあり、その結果としてなんらかの反応が起こる。
その逆を予想したり想像したとき、行動は萎縮するし、ものごとは予想どおりに進まないことがほとんどだ。
結果を予測するのではなく、ただ自分のニーズに集中し、おこなう。
その結果起こったことについては、そのときにあらためて対処すればいいし、対処できるだけの自分のパフォーマンスを高めておくためにも、自分のニーズを満たすための純粋なおこないに集中できればよい。

おなじようにそのことを他人の行為にあてはめたとき、自分の言葉が相手のパフォーマンスを低下させないためには、時間をさかのぼって相手を避難したり評価したりすることがなんの益もないことに気づくだろう。
おたがいに共感的でありつづけ、高めあえる関係性を持ちつづけたい。

※2月の羽根木の家での共感的コミュニケーション勉強会は、2月22日(土)15時からと、2月27日(木)に開催します。27日の昼の部は15時から、夜の部は19時からです。
 詳細と申し込みはこちらから

2014年2月16日日曜日

基礎コース、共音のじかん

一昨日から降りつづいた雪で、昨日の朝は家の前の坂道でスキーができるほど積もっていた。
子どものころはよくこういう道でスキーをして遊んだものだが、さすがに東京ではそういう子どもはいない(やればいいのに)。

歩きなれた雪道をちょっと楽しみながら(東京だからね)、羽根木の家まで行って、基礎コースの5回め。
雪のために欠席者が多かったが、予定どおりすすめる。
5回めのテーマは「音声表現としての朗読」。
言葉、意味、ストーリーが伝わる以前に、まず音としてこちらの声が聴衆に伝わるのだ、という認識のもと、人の声の音声としての特徴、それらをあらわす要素の確認と要素を使ったエチュードなどをおこなう。

いつもやっていることだが、昨日はいつもよりさらに踏みこむことができて、なかなかおもしろく感じた。
また、ピアノを使って、音楽とのかけあいも少しやってみた。
朗読は音楽はいっしょにやることが多く、私も実際に「伴奏」を頼まれることがあるが、たいていの朗読者は音楽が鳴っていてもまったく反応することができない。
ただ音楽が鳴っていて、それをバックに朗読する、その場合、音楽はBGMであり、生演奏でなくてCDでもよい。
現代朗読のように生演奏と「共演」する場合、音楽と「音楽的な会話」ができる能力が必要になる。
そのための素養を作る基礎コース5回めであった。

午後はすでに書いたように、韓氏意拳のショートクラスがふたコマあった。

今日は午後から、フリーアナウンサーでヨガインストラクターの植村智子さんとの共同イベント「共音のじかん」を開催した。
参加者がすくなかったのだが、その分ゆったりじっくりとやれた。
中盤はヨガ・ニドラに合わせて私が音楽演奏をおこない、ミュージックメディテーションを体験してもらった。
今日の演奏はこれまでとはちがった展開が出てきて、つい自分自身夢中になってしまう時間があった。
録音していたので、後日、音楽コンテンツとして公開できるかもしれない。

大変楽しく、濃厚な時間だったが、参加者がなかなか集まらないので、また開催の要望があればあらためてやってみたいと思う。

羽根木の家で韓氏意拳初級講習会(2014年3月)

私・水城ゆうとつながりのあるみなさんにお知らせです。
内田秀樹準教練による韓氏意拳の初級講習会の3月のお知らせです。
まったくの初心者や女性の方にもおすすめの、「拳法」というイメージとはまったく違うやさしい内容です。

◎場所 現代朗読協会・羽根木の家(京王井の頭線新代田駅徒歩2分)
    世田谷区羽根木1-20-17
◎日時 2014年3月9日(日)
    10:00~12:30 午前の部
    12:30〜13:00 質疑応答、自主練習
    14:00~16:30 午後の部
    16:30〜17:00 質疑応答、自主練習
   ※「質疑応答、自主練習」の時間は参加自由です
◎参加費 ひとコマ3,000円+会場費・講師交通費計500円

※韓氏意拳の紹介はこちら
※前回の講座レポートはこちら

◎持物 動きやすい服装・筆記用具・メモ
◎定員 各回8名(定員になりしだい締切らせていただきます)

※まったくの初心者も歓迎。
※お申し込みはこちら
 お問い合わせ内容に「その他」を選び、メッセージに「韓氏意拳」と書いてください。

● 内田秀樹プロフィール

韓氏意拳 創始人 韓競辰及び日本韓氏意拳学会公認 初級準教練。
2007年より韓氏意拳を学び始め、韓競辰、光岡英稔、駒井雅和、鹿間裕行より指導を受ける。
2008年より埼玉分館 世話人補佐を務め、2013年4月より教練養成課程に入る。
現在、東京分館、埼玉分館で指導活動中。
東京都で呉服屋を営む。

● 講師からのひとこと

体験会では韓氏意拳の基礎となる形体訓練、平歩站椿をご紹介します。
身体から生じる動には、私たちの思っているよりももっと広く豊かな味わいがあります。
しかしこうした味わいは身体が活きている様子に注目していないと感じる事が出来ません。
そのため韓氏意拳の練習では動くという問いを通じて、身体の呼応を感受していきます。
練習は手を振る、開く、上げる、横を向くなどとても簡素で、運動経験、武術経験のない方でも大丈夫です。
皆さんと一緒に深く楽しく感受、精査していきたいと思います。

韓氏意拳 初級準教練 内田秀樹

羽根木の家での韓氏意拳ショートクラス2コマ終了

昨日は羽根木の家で、内田秀樹準教練を招いての韓氏意拳ショートクラスをふたコマ、開催した。
昨日は韓氏意拳初体験の方が4人いたので、その反応や感想がおもしろかった。
私が韓氏意拳を始めたのは昨年の6月のことだが、自分が最初に体験したときのとまどいや不可思議さを、昨日の初体験のみなさんの反応を見ていて思いだした。

これは韓氏意拳を始める多くの人がいうことだが、「最初はなにをやっているのか、なにをいわれているのか、まったくわからない」。
私もそうだった。
しかし、そのわからなさに魅力を感じた。
人間を56年間もやってきて、これほどまでに自分の理解を超えたものがあるのか、という魅力だ。
これを自分は理解し、身につけることができるようになるのか、という五里霧中の感触があった。
むしろこれからロシア語を学ぶほうがわかりやすい気がする。

しばらく稽古に通っているとやがてわかってくるのだが、これはなにかを「理解する」ということではない。
まさに「体感」するのであって、「体認」が必要なのだ。
韓氏意拳のわからなさは、我々が現代人であるから起こるのだ。
現代人がおちいっているある種の「病」のようなものを、あらためて精密に洗い出す作業が、韓氏意拳には必要だ。
そこがおもしろい。

昨日の初体験のみなさんはいずれも好奇心が旺盛で(でなければわざわざ来ないだろうが)、わからなさを楽しんでもらえたと同時に、さらに興味を持ってくれたようだった。

1時間半のショートクラスをふたコマやってもらって、ひとコマだけの参加の人もいたが、通しで参加の人もいた。
終わってから内田先生が残ってくれたので、講習とは別枠でみんなが疑問点をぶつけたり、実際に試技をやってもらったりした。
私もすこし教えてもらって、ありがたかった。

あさ、ミキティ夫婦がまだ生後3か月の赤ちゃんを連れての参加。
お互いに預け合いながら受講していたのはうれしかった。
終わってからみんなでさんざん、赤ちゃんをあやしてなごやかな雰囲気を楽しんだ。

※次回の羽根木の家での韓氏意拳講習会は3月9日(日)です。
 詳細とお申し込みはこちら

2014年2月15日土曜日

家の前で遭難しかけた日のこと

今日(もう昨日か)は豊田市で某住宅メーカーのプロモーションビデオに出演者として参加するため、昨夜から泊まっていたビジネスホテルで目がさめる。
起きたら一面の雪で、今日は一日降りつづくと予報している。
が、夜にはゆるむらしい。
そのかわり、午後からは雪の中心は関東に移動して、夜まで降るという。

撮影は夜までかかり、それから遅い新幹線で東京にもどるつもりだったので、ちょっと心配になってきた。
私以外にも東京組が4人くらいいる。

映像の撮影に関わったことがある人なら知っているだろうが、ほんの数分のビデオを作るために丸一日、大勢のスタッフが時間をかける。
メインの出演者は出ずっぱりだが、ちょい役は待機時間がやたらと長い。
控え室でだらだらとすごす。

バラさんが読んでいて、ちょうど読み終わった本『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』大江健三郎をもらったので、読んだりした。
これはなかなかよい。
つづきは明日以降、ゆっくり読もう。
そのほかに、坂野さんと作曲の話やら音楽界の話やら、いろいろできたのも楽しかった。

夕方、ようやく出番になり、メークをしてもらって、着替えて、ほんの少し演奏したら、もう終了。
バタバタと撤収して、それでも撮影会場を出たのは20時前だった。
制作会社の人に車で名古屋駅まで送ってもらった。

東京のほうはかなりの雪になっているということだが、さいわい新幹線は遅れながらも動いていて、21時半くらいののぞみのチケットを確保できた。
新幹線は名古屋駅では10分遅れくらいで出発し、快調に走っていたのだが、熱海をすぎたらがくんと速度が落ち、品川に着いたときには25分くらいの遅れになっていた。
それでもまあそのくらいですんでラッキーだった。
なぜなら、まだ山手線も井の頭線も動いている時間で、その両方ともこの大雪にもかかわらず、遅れながらもちゃんと動いていたからだ。

0時ちょうどくらいに下北沢駅に到着。
雪はまだガンガン降っている。
暖気が入ってくるので東京の雪は21時くらいには雨に変わる、といっていた予報は完全にはずれた。
こういうはずれ方は命に関わるのではないか?
私は傘を持っていなかったので、〈うちだのきもの〉で購入したパンダ柄のガーゼ手ぬぐいを頭に巻き、それで歩いて帰った。
これは大変たすかった。
なかったら遭難していたかもしれない(うそ)。

ほんの5分くらいの距離だが、道は新雪におおわれ、歩くとキュッキュッと音を立てる。
雪を見ると自動的に嫌悪をもよおす悲しい北陸人のさがだが、今夜の新雪はちょっと子どものころのわくわく感を思いだした。
うちの前の坂道をスキーですべったらさぞかし最高だろう、と想像しながら、室温3度の自分の部屋にもどり、ガスファンヒーターをぶん回しているところ。
帰宅して1時間たったが、まだ8度。
蘭が枯れないか心配。

2014年2月14日金曜日

雪の豊田

頼まれ仕事で昨夜から豊田市に来ているのだが、ビジネスホテルでめざめたら一面の雪。
かなり強く降っている。
もう5センチくらい積もっている感じ。
これから仕事の会場まで移動するのだが、無事に到着できるだろうか。

ナレーションの仕事をしているバラさんは決して顔出し仕事をしないのだが、今回は非常にめずらしいことに顔出し仕事だ。
いろいろと事情があったらしいが、いずれにしても大変めずらしいことなので、私も頼まれたとき、バラさんの顔出し仕事見たさ半分で引き受けた。
私はとくに顔出し仕事に抵抗があるわけではない。
ただ、映像の仕事はめんどくさいことをよく知っている。

今回はある住宅メーカーのプロモーションビデオの撮影仕事で、放送で広く使われるわけではないらしい(いまのところ)。
たぶん省エネ住宅のプロモーションで、そこに住む家族(バラさんやほかの役者さんたち)と、家族の親しくしているミュージシャンがホームパーティーを楽しむ、という設定だと聞いている。
ミュージシャンとして私と坂野さん、それから名古屋の知り合いに紹介してもらった女性ふたり(だれなのかまだ知らない)が来るようだ。

昨夜はバラさんと名古屋駅で落ち合って、ひさしぶりにふたりで飲みながらいろいろな話をじっくりした。
バラさんと私とは多少方法論は違うが、表現についての本質的なかんがえかたはまったく一致しているので、ひさしぶりにいろんなことを確認しあえて楽しかった。
それにしても、クセックは今年は7月にスペイン公演、秋にはメキシコ公演もあるかもしれないという。
うらやましいかぎりだ。

雪が降りつづいているが、そろそろ出かけなければならない。
ボタ雪になって、さらに激しく積もりそうな感じだ。

2014年2月13日木曜日

あいぶんこ朗読ポッド Vol.59

下北沢〈Com.Cafe 音倉〉で開催している「陣城太郎写真展・下町・町猫・猫生」のオープニングイベントで、現代朗読の仲間が朗読パフォーマンスをおこないました。
テキストは萩原朔太郎の「猫町」を構成したものです。
全3回のうちの3回め、最終回。

出演は現代朗読の野々宮卯妙、山田みぞれ、上山根夏美、そしてピアノ演奏が水城ゆう。

視聴はこちら(下の画像をクリック↓)
※コンテンポラリー表現ユニット〈ウェルバ・ムジカ〉の結成デビュー戦が中野〈Sweet Rain〉にて2月22日(土)夜に行われます。
 詳細はこちら

なにを書けばいいのかわからない人へ

photo credit: Pink Sherbet Photography via photopin cc

テキスト表現ゼミ(次世代作家養成塾)に来る人で、
「なにか書きたいけれど、なにを書いていいのかわからない」
という人がしばしばいる。
これを「よい傾向」ととらえよう。
というのは、
「自分はなにを書きたいのかはっきりしているけれど、その書き方がわからない」
といってやってくる人よりずっとおもしろいものが書ける可能性が高いからだ。

「なにを書きたいのかはっきりしている人」というのは、じつは自分のなかに「書きたいことがはっきりと形をもってあると思いこんでいる人」であることがしばしばだ。
論文や企画書やマニュアルといった「ある外形的機能」を目的としたテキストは別だが、小説や詩のように「自分を表現するため」のテキストは、あらかじめなにか書きたいことが用意されているわけではない。
なぜなら、いまこの瞬間の自分がなにを書きたいのか、自分自身ですらわからないというのが本当のところだから。

「表現作品」としてのテキストライティングにおいては、「自分がなにを書きたいのか」を探る作業が主要であり、その過程が表現行為そのものだといっていい。
もちろんその行為の結果として物質化されたテキストは「作品」となるわけだが、その作品に表現行為の名残り、つまり書き手の息づかい、手触り、存在感がないものは、製品としては整っているかもしれないが、表現物としては魅力にかけるといえるだろう。
表現者は「製品」や「商品」を作るわけではなく、「表現物」を作るのであり、もっといえば表現行為そのものが生きていることそのものなのだ。

それはそれとして、書きたいのになにを書いていいのかわからない、という状態は実際こまったことだろう。
そういうとき、どうすればいいか。

まずは思い浮かんだことば、フレーズ、文章、なんでもいいから、書きつけてみる(もちろんキーボードで打ってもいいのだが)。
たとえば「吾輩は猫である」というふうに。
そうしてそのテキストをながめていると、つぎのテキストが自動的に自分のなかから呼びだされてくる。
漱石の場合、それは「名前はまだない」というフレーズだったのだろう。
私の場合はどうだろう。
「人間でいえば百歳をこえている。」
これはたったいま、ふと浮かんできたことだ。

こうやって前のフレーズに呼びだされた文章を次々とつないでいくと、なにが起こるだろうか。
壮大な長編になるだろうか。
あるいは予想外な短編ができるだろうか。
それとも詩になるだろうか。

自分のなかからなにが出てくるのか、いまこの瞬間には自分ではわからない。
が、書いてみたとき、自分がなにを書きたかったのか、わかるのだ。
それは書いてみてはじめて確認できる。
すべては「いまここ」の、自分という肉体と精神の偶有性がなしとげてくれる。
それを楽しんで書けばいい。

もちろん、書きあがったとき、あるいは書いている途中で、「これはつまらない」と感じることもあるだろうし、客観的にみてクオリティが低いと判断できることもあるだろう。
そのときにはそれを捨て、またつぎの偶有性にむかっていけばいい。
ここでためらわず、惜しげもなく捨てられるかどうかが、テキスト表現者のクオリティを決定づけるといっていいだろう。
なに、心配することはない。

自分のなかから無限のことばが果てしなく生まれてくる。
これはだれもがそうで、例外はない。
私が保証しよう。
すべての人は自分のなかに宇宙を持っている。

※テキスト(文章/文字)を使った自己表現を研究するためのゼミナール、2014年2月の開催予定はこちら

2014年2月12日水曜日

あいぶんこ朗読ポッド Vol.58

下北沢〈Com.Cafe 音倉〉で開催している「陣城太郎写真展・下町・町猫・猫生」のオープニングイベントで、現代朗読の仲間が朗読パフォーマンスをおこないました。
テキストは萩原朔太郎の「猫町」を構成したものです。
全3回のうちの2回め。

出演は現代朗読の野々宮卯妙、山田みぞれ、上山根夏美、そしてピアノ演奏が水城ゆう。

視聴はこちら(下の画像をクリック↓)
※コンテンポラリー表現ユニット〈ウェルバ・ムジカ〉の結成デビュー戦が中野〈Sweet Rain〉にて2月22日(土)夜に行われます。
 詳細はこちら

喉風邪ぎみ、韓氏意拳の稽古

一昨日くらいから喉がイガイガしてタンがからみ、いやな感じだったのだが、今日はちょっと空咳っぽいのが出てきた。
風邪っぽいが、熱があって寝込むというほどではない。
なんとかこのままやりすごしたい。

免疫系に仕事してもらうために、なるべく過度な食事はひかえ(とくに糖質の摂取をひかえる)、できるだけ安静にしてすごす。
だいたい部屋にいて仕事し、食料品の買い物と羽根木の家に一度出かけたのみ。
それにしても、今日は日中も冷えこんでいた。
ガスファンヒーターをつけているのだが、温風があたらないところは冷え冷えとする。

それでも体調の悪化はなんとかまぬがれそうなので、夜は予定どおり、中野まで韓氏意拳の稽古に出かけた。
今夜は会員限定クラスだったので、形体訓練と基礎試力という基本的な稽古をしっかりとおこないつつ、「技撃」という拳法らしい側面との関連性を多く見せてもらうことができた。
一見、武術らしからぬ形体訓練や平歩站椿といった練習方法が、じつは技撃そのものにダイレクトにつながっているのだという理解ができたとき、韓氏意拳の訓練体系のすばらしさがわかったような気がしたが、今夜もそれを多く確認できた。

韓氏意拳はまだまだマイナーな武術で、日本ではあまり知る人はいないが、稽古に参加している人はじつにさまざまな職種がある。
以下はあくまで私の印象だが、一番多いのが、整体の仕事をされているような、人の身体と向かい合うことが多い方。
つぎに多いように思うのが、私のように「表現」をやっている人。
私以外にもピアニストの方がいる。
また、ビオラ奏者の方、ダンスの先生、ヴォイスパフォーマー、歌手といった方が稽古にいらしていて、おもしろい。
やってみればわかりますが、自分の身体と深く、緻密に向かい合う韓氏意拳は、表現の場において大変有用で有効だと感じる。

今週末土曜日15日は、羽根木の家で韓氏意拳の体験講習会ショートクラスがふたコマ開催される。
ショートクラスなので初めての方も参加しやすいかもしれない。
定員まであとわずかなので、興味のある方はお早めにどうぞ。
詳細と参加申し込みはこちら

2014年2月11日火曜日

OmmWriter

私はすべての文章をMacBookで執筆しているが、テキスト入力に使うアプリは目的と気分に応じていろいろある。
メインは「Scrivener」というBookWriting支援アプリだ。
これはもう手放すことができない。

ほかにちょっとしたメモはMac純正の「メモ」。
日記は「DayOne」というアプリ。
そのほかに、シナリオを書いたり(文字数や行数計算が必要)、縦書きプリントしたり、青空文庫モードで出力したりするために、「iText Express」と「Jedit」というアプリも使っている。

今日紹介するのは、一日に一回はかならず立ちあげる「OmmWriter」というアプリだ。
これは立ちあげると、全画面になる。
全画面でしか使うことができない。
ほかのアプリが目にはいらないので、執筆に集中できるというわけだ。
非常にシンプルなアプリで、ものを書く以外のことはなにもできない。

デフォルトでは、立ちあげると真っ白い雪原の風景があらわれ、そこにテキストを入力する。
雪原には枯れ木が何本か立っていて、真っ白ないまにも雪が舞い降りてきそうな空もある。
どんよりした空ではなく、明るい雲におおわれた空だが、青空ではない。
テキストを入力する枠の大きさはドラッグして広げたり縮めたりできるが、入力しはじめると枠は消える。

あらかじめ用意されたBGMを鳴らすこともできる。
思考をさまたげない、静かなヒーリング系のサウンドだ。
これは設定で変更できる。

設定で変更できるのは、ほかには文字のフォント、大きさ、入力時のクリック音など、いくつかのことだけ。
本当にシンプルなアプリで、そこが気にいっている。
なにか集中して執筆したいときは、これを使うようにしている。

カフェ・オハナでの共感的コミュニケーションWS、終了

昨夜は三軒茶屋〈カフェ・オハナ〉で共感カフェ「共感的コミュニケーション・ワークショップ、ミニライブ付き」を開催した。
ちょっと風邪ぎみで喉が痛く、空咳が少し出るが、体調がひどく悪いというほどでもない。

昨夜は参加者が6人、男性はひとり。
うち4人が初めて共感的コミュニケーションに接する方で、ベーシックな考え方からまず説明した。
例題を使って共感のプロセスを解説したあと、2人組のペアになってもらってお互いに話を聞いたり聞いてもらったりしながら、共感のプロセスを実際な体験してもらった。

シンプルにプロセスなので、だれでも理解できるのだが、実際にやってみるとうまくいかないことが出てきたりする。
また学習が進んでいくと、さらに深い部分にアクセスしていくスキルが必要になってきたりして、いくらでも理解を深めていくことができる。
通りいっぺん学んでわかったつもりになってしまう人も多いようだが、なるべく継続的学んでいただきたいなという希望が私にはある。
そのために、リピーターも参加しやすい参加費の設定にしてある。

肉親がとてもテンションが高く、ついていけない、また自分のことをコントロールしたがっていて、いうとおりにしないと怒りだしてしまう、どういうふうに接したらいいだろうか、という悩みがあった。
まずは相手にたいして「この人はテンションが高い人だ」「自分をコントロールしたがっている」というレッテルをはずし、そのニーズを推測し共感してみる。
すると、レッテルの向こう側から人間としての顔が見えてきて、相手にも大切なニーズがあるのだということが見えてくる。
その上で、相手のニーズにつながり、尊重し、なおかつ自分のニーズも伝え、おたがいに尊重しあえる関係を築くように試みてみる。
つぎに会うとき、どのような報告が聞けるか、楽しみだ。

ミニライブでは野々宮卯妙に私の「How Deep Is The Ocean」を朗読してもらった。
私もミニキーボードをMacBookにつないで演奏したのだが、キーボードが小さすぎて演奏しにくいのなんのって。
これからはもうすこし演奏しやすい大きさのキーボードを持っていくことにしよう。

次回のカフェ・オハナでの共感的コミュニケーション・ワークショップ、ミニライブ付きは4月21日(月)夜に開催します。
詳細はこちら

2014年2月10日月曜日

あいぶんこ朗読ポッド Vol.57

下北沢〈Com.Cafe 音倉〉で開催している「陣城太郎写真展・下町・町猫・猫生」のオープニングイベントで、現代朗読の仲間が朗読パフォーマンスをおこないました。
テキストは萩原朔太郎の「猫町」を構成したものです。

出演は現代朗読の野々宮卯妙、山田みぞれ、上山根夏美、そしてピアノ演奏が水城ゆう。

視聴はこちら(下の画像をクリック↓)
※コンテンポラリー表現ユニット〈ウェルバ・ムジカ〉の結成デビュー戦が中野〈Sweet Rain〉にて2月22日(土)夜に行われます。
 詳細はこちら

佐村河内守(新垣隆)騒動について音楽家として思うこと

photo credit: frawemedia via photopin cc

すでにさんざんあちこちで書かれているので、いまさら私が書くようなことでもないが、ひとつ引っかかることがあるので、音楽の作り手側からの視点で私なりに思ったことを記しておく。

佐村河内氏は耳が不自由で音が聴こえない、そんなハンディを乗りこえてこんなすばらしい曲を作るなんてすごい、というストーリーのもとに、大きなお金が動くことになった。
しかし、私はまずそこのところに引っかかる。

音が聴こえないと曲が作れない、と多くの人が思っているようだが、そんなことはない。
たぶんこれは、晩年のベートーヴェンが聴覚を失い、それで苦労したというストーリーにもとづいている面が大きいと思うが、私の解釈では晩年のベートーヴェンは耳が聞こえなくなったせいで作曲に支障をきたしたわけではない。
むしろ作品が証明しているように、ますます円熟を増したのだ。
つまり、耳が聞こえなくなったから作曲ができなくなる、というようなことは(ある程度音楽をわかっている者なら)まったくない。

もし私の耳が聞こえなくなったら曲を作れなくなるかというと、まったくそんなことはないと断言できる。
音が聴こえなくても曲は作れる。
作曲家ならわかるだろうが、いちいち音を鳴らして確認しながら作曲をする者などいない。
ある程度完成してから、確認のために弾いてみることはあるかもしれないが、もし机上でイメージして書きつけた音符と、実際に演奏してみた音がずれていたりしたら、その者は作曲能力そのものを疑ったほうがいい。

佐村河内氏は耳が聞こえないから作曲に不自由したというより、作曲能力そのものが欠如していたと解釈するほうが妥当だろう。
しかし、曲のプロデュース能力はあった。
これは耳が聞こえる/聞こえないということとはまったく別の問題だ。

その曲がすばらしいかどうかは、その曲自身が示している。
けっして作曲家にまつわるストーリーが曲の価値を決めるわけではない。

というようなあたりまえのことをわざわざ確認しなければならないところに、商業がからんだ音楽の病巣がある。

都知事選、吉田屋の1センチ厚チャーシュー

昨日は午前中から都知事選の投票に行ってきた。
結果は周知のとおりの情けないものだが、宇都宮さんが100万票近くを獲得して二位に出たのは、細川=小泉組に流れた人たちの反省をうながすもので、今後の展開に影響するだろう。
ニーズを取るか、戦略を取るかの違いであって、戦略を取った人たちにたいする信頼感の低下は否めない。
私は舛添はかならず近いうちに失脚すると思っていて、つぎのチャンスはまたほどなくやってくるだろう。
舛添に投じた高齢者たちは、真剣に孫の世代にどういう社会を手渡していくか、なにが大切なのかをかんがえてほしい。

投票に行ったついでに、いつも行くラーメン屋〈バサノバ〉の、環七をわたった斜め向かいにある〈吉田屋〉という食堂にはいってみた。
古くからある食堂らしく、お運びのおばあさんと、厨房にはおじいさんがふたりで作っている。
チャーシューメンを注文してみた。
で、びっくり。
チャーシューがこれでもかというくらい分厚いのだ。
厚みが1センチはあろうかというチャーシューが5枚乗っている。

ラーメン自体はなつかしい東京風ラーメン。
ちょっと豪徳寺の〈萬来軒〉を思いだした。
あまりにチャーシューのボリュームがあるので、あやうく食べ残すところだった。

今日は夜に三軒茶屋の〈カフェ・オハナ〉で、隔月でやっている共感的コミュニケーションのワークショップ。
興味のある方はこちらをどうぞ。

2014年2月9日日曜日

音楽塾「即興演奏ワークショップ」は個人セッションになった

社会人のための共感スキル講座につづいて、音楽塾「即興演奏ワークショップ」も雪のためなのかどうかわからないが、参加者が少なく、結局、おひとりだけの個人レッスンとなった。
ポップスを歌っている若い女性の方で、目的がはっきりしていたので、結果的に個人レッスンになってよかったかもしれない。

かなりしっかりしたオリジナルの楽曲を作っていて、和声進行もユニークだが音楽的に破綻のないものだが、本人は音楽理論の理解について不安をおぼえていて、「よい」と感じた曲の耳コピーができないことなどについてなんとかしたいと思っているとのことだった。

とりあえず、オリジナル曲のコード進行を洗いだし、それがかなりリーズナブルな構成になっていること、またその構成の理論的裏付けなどを解説した。
専門学校で音楽を学んだとのことだが、音楽の本質的な核心部分を学校で教えることはないので、そのあたりを私がサポートできれば幸いだと思うのだ。

それはともかく、とっても魅力的な方だったので、これからどのような道をたどるのかはわからないが、多くの人に聴かれ、愛されるアーティストになる可能性は充分にあると思った。
がんばってほしいな。

音楽塾「即興演奏ワークショップ」の次回開催は、2月23日(日)です。
詳細はこちら

2月の社会人のための共感スキル講座、終了

昨夜からの大雪で、今日の講座はキャンセルが次々と出た。
私の講座のみならず、知り合いのライブやイベントが次々と中止になっているようだった。
それでも、参加者がひとりいたので、音読療法士の野々宮が個人セッション的にじっくりと話を聞かせてもらった。

企業という組織のなかで、ぎくしゃくした人間関係におちいってしまったとき、なにができるか。
ストレスにさらされ、うつにおちいってしまう人も多くいる。
転職を選択する人もいる(転職先でうまくいくかどうかは運しだいだ)。
こんなものかとあきらめ、ほかのことでストレス発散することに熱心になる人もいる。
共感的コミュニケーションではそのどれも選ばない。

自分を排除しようとしているように見える人、敵対的に思える人、自分ひとりのけものにされているように感じる状況において、つねに「共感スキル」を忘れないことで自身の落ち着きと余裕を確保し、いつでも共感的な態度でいられることをこころがける。
そして、もし共感的に相手とつながるチャンスがあれば、すかさず共感的な言葉をかけてみる。

その言葉はあらかじめ準備されたものであっても、まずはかまわない。
こういう場合はどういおう、とあらかじめ用意しておいた言葉を、とっさに相手にかけてみる。
その結果としてなにが起こるかを見てみる。
まずはそこからスタートする。

難しいケースもやさしいケースもあるけれど、いずれにしても、まずは自分自身に共感すること。
そして相手のニーズを推測してみること。
共感の言葉を発してみること。
それでものごとの関係性が劇的に変わることがしばしばある。
変わらなくても失なうものは、現時点ではない。
こころみてみる価値はある。

次回、3月の「社会人のための共感スキル講座」は3月8日(土)の開催です。
今日来れなかった皆さんも3月はおいでになるそうです。
詳細とお申し込みはこちらから

水城ゆう音楽塾「即興演奏ワークショップ」2月の開催

音楽塾では「即興演奏を楽しみたい」という要望を受けて即興演奏を楽しむための実践的なワークショップを開催しています。
初めての方もリピーターも参加しやすい内容になるよう、工夫をしています。
どなたも気楽にご参加ください。

◎日時 2014年2月23日(日) 18:00〜20:00
◎場所 現代朗読協会「羽根木の家」
    世田谷区羽根木1-20-17
◎定員 6名(定員になりしだい締切らせていただきます。予約優先)
◎参加費 3,000円(現代朗読ゼミ生は無料)

◎お申し込みはこちら
 項目に「その他講座申し込み」を選び、メッセージ欄に「音楽塾」と明記ください。

即興演奏ワークショップの進め方や内容詳細については、こちらをご覧ください。

音楽塾では学校で習う音楽でもなく、音大で習う音楽でもなく、ジャズスクールで習う即興でもなく、私なりにこれまでの音楽研究と活動を通じて独自に獲得してきた知見をもとに、音楽の本質そのものにズバリと切りこんでいきます。
同時に、特別な訓練を受けていない人も音楽を楽しんだり、オリジナルな即興演奏をできるようにする道筋を示します。

こんな方におすすめです。
・従来の反復練習をせずに自分なりに音楽演奏を楽しみたい。
・耳覚えのある好きな曲をすぐに弾けるようになりたい。
・歌の伴奏をその場でつけられるようになりたい。
・朗読と即興セッションをやりたい。
・アンサンブルを楽しみたい。
・知っている曲を自分なりにアレンジしてみたい。
・オリジナル曲を作ってみたい。
・音楽について理解を深めたい。

ワークショップの模様の抜粋をこちらでご覧いただけます。
 音楽塾がめざす方向性について
 伴奏を即興的につけていっしょに歌う
 ソロでの即興演奏のさわり
 リズムで即興、聴くことから始まる

※3月は9日(日)と23日(日)に開催します。

2014年2月8日土曜日

現代朗読基礎コース4回め、こたつ朗読

今日は午前中から現代朗読基礎コース。
ところが、朝起きてみたら、うっすら雪が積もっている。
未明から降りはじめて、明日の朝にかけてどんどん降るらしい、との天気予報。
20センチという積雪予報が出ている。

基礎コース参加者の欠席届けがぞくぞくとやってきたが、がんばって来る人もいたので、休講にはしなかった。
結局、私もいれて5人で決行。
会場である羽根木の家の庭にどんどん雪が降りつもっていくなか、基礎訓練と今回4回めのテーマである日本語発音発声の基本と規則について、詳細に検証する。

よく、イントネーションとか鼻濁音とか無声化といったことを、金科玉条のように「守らねばならないこと」として訓練し身につけようとする人がいるが、現代朗読ではその原理と知識を身につけておくことで表現の幅を広げるために用いる。
これを「使わねばならない」ということではなく、選択肢を増やすのだ。
使う、使わないは、その時々の表現者の選択による。
それより、このような日本語発音発声規則が生まれたその理由について、原理的な理解を深め、意味ではなく音声としての「ことば」にたいする感受性を深めておきたい。

さらに雪が降りつづくなか、午後は初めての「こたつ朗読」のこころみ。
参加者はてんトコロ、宮本菜穂子、野々宮卯妙、高崎梓の4人。
使用テキストは太宰治の「姥捨」。
通して読めばたぶん1時間くらいの作品。
これを全員がこたつにはいった状態で、さまざまな演出を加えて「群読作品」として仕上げていく。

部分部分を区切り、演出指示をこまかく出しながら、どんどんライブ収録していった。
いやいや、なかなかおもしろいではないか。
「こたつ」という限定された場所で、どれだけ朗読の未知の可能性を引きだすことができるか、という挑戦でもあった。
みんなは集中力のようするハードな収録を最後までこなしてくれた。
14時からはじまって、終わったのが17時半くらいだった。

あとはこれを映像・音声編集し、コンテンツとしてまとめる作業が残っている。
たぶん、前代未聞のおもしろい朗読作品になるはずだ。
完成までしばらくお待ちください。

終わって自室に帰ろうと外に出たら、20センチ以上の積雪。
そして猛烈な地吹雪。
雪質もふわふわさらさらで、私の地元である北陸の雪とはまったく違う。
車はほとんど走っていないし、電車も飛行機も止まっているらしい。
結局、中央線が止まってしまったので梓は家に帰れず、羽根木泊になったようだ(気の毒)。

新橋、清水治療室、神楽坂エコパオ、下北沢音倉新年会

昨日は新橋まで行き、清水治療室で膝の治療。
ついでに昼食を路地をはいったところの適当な店で食べたのだが、今回はハズレ。

新橋から神楽坂に移動。
共感的コミュニケーションの勉強会やNVCのワークショップでご一緒している杉田さん(たか&ともさん)ご夫妻がやっておられる温熱・鍼灸治療院〈エコパオ〉にお邪魔する。
こちらのカフェコーナーで共感カフェを開催できないかという打診があって、その下見と打ち合わせにうかがった。

エコパオには一目惚れしてしまった。
本当に素敵な場所で、建物自体が戦後、日本画家がアトリエ兼住居にしていたという古いものだが、大変雰囲気のあるもの。
そこをきれいに使われている。
内装はともさんの趣味で骨董品が多く使われ、喫茶コーナーもずっとそこですごして本でも読んでいたいような居心地のよさ。

外には足湯の設備があって、これはメディアに取りあげられたこともあって有名らしい。
はいらせてもらったが、気持ちいいのなんのって。

さっそく3月18日(火)の夜にこちらで共感カフェを開催させてもらうことになった。
早めに来て足湯を使ったり、たかさんから治療を受けたりするのもいいだろう。
私も一度治療を受けようと思っている。
エコパオでの共感カフェの詳細はこちら

夜は下北沢〈Com.Cafe 音倉〉に行き、新年会に参加。
行ったらすでに餅つきが始まっていて、大変盛りあがっていた。
餅つきのあとはステージで何組かがパフォーマンスを披露し、私も朗読の野々宮と出演した。
私の「眠らない人」を朗読してもらってピアノ演奏をしたのだが、皆さん、しーんと聞き入ってくれた。
後半は店のスタッフらの楽しいパフォーマンスでさらに大盛り上がりだった。
ちょうど街猫の写真展を音倉で開催中の陣さん夫妻も来ていたので、いっしょに楽しんだ。

2014年2月7日金曜日

(まとめ)あいぶんこ朗読ポッド Vol.51〜55

今日は「あいぶんこ朗読ポッド」のVol.56を配信しました。
これまで配信したVol.51からVol.55は以下のリンクからご覧ください。
お見逃しの方はこの機会にぜひどうぞ。

 Vol.51 コンテンポラリー・ダンサー政岡由衣子と水城ゆうの即興セッション
 Vol.52 なにをどう書いていいのかわからない人はどうすればいいのか
 Vol.53 宮本菜穂子の朗読、夢野久作「空家の傀儡踊(あやつり)」
 Vol.54 小説作法における視点、読者と登場人物の距離の作り方
 Vol.55 山田みぞれとのトーク(と朗読少し)

Vol.46〜50のまとめはこちら
Vol.1〜45のまとめはこちらのリンクから。

※コンテンポラリー表現ユニット〈ウェルバ・ムジカ〉の結成デビュー戦が中野〈Sweet Rain〉にて2月22日(土)夜に行われます。
 詳細はこちら
※テキスト(文章/文字)を使った自己表現を研究するためのゼミナール、2014年3月の開催予定はこちら

あいぶんこ朗読ポッド Vol.56

現代朗読協会のテキスト表現ゼミでは、時々、テキスト表現エチュードと称して執筆のためのさまざまな練習をすることがあります。
今回は「長編小説の書きだしの3行を書いてみる」というエチュードをみんなでやってみました。
出だしの3行が書ければ、あとは長い物語も書けるのだ、という経験則にもとづいています。

視聴はこちら(下の画像をクリック↓)
※テキスト(文章/文字)を使った自己表現を研究するためのゼミナール、2014年2月の開催予定はこちら

街猫写真展オープニングイベントでの

先日、2月4日の夜、下北沢〈Com.Cafe 音倉〉でおこなわれた「陣城太郎街猫写真展」のオープニングイベントで、陣さんと私が猫トークをしました。
その模様がYouTubeにUPされたので、ご紹介させていただきます。

前半のトーク
後半のトーク

そして今夜は音倉の新年会に参加します。
餅つき大会をやったり、何人かがステージでパフォーマンスを披露します。
音倉の女将である庄野真夜さんも、なにやら秘密のユニットで出られるとか。
私は現代朗読の野々宮と朗読パフォーマンスでピアノ演奏する予定です。
参加費1,500円。
みなさん、気軽にいらしてください。